星空のコシュカ

百谷シカ

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 殿下は少し目を見開き、短く息を吸った。間違いなく気色ばんだ美貌にひやりとする。

「筋合い。筋合いと言いましたね、あなた」
「言いましたけど、何か?」

 エレガントな巨体は驚くほど素早く動く。扉から背を離したと思ったら、私の首に手がふれた。それをかわして横にずれながら、憤りに燃える紫の瞳を睨む。むかついているのも本当だが、こうして間近で見るとやっぱり不思議だなと感心してしまう色だ。

 一度あがった手が私の顔の傍で指を握り、下ろされる。手のかわりに殿下の瞳が私の首にキリキリと穴を掘った。

「その忌々しい首輪の下に私の印があるでしょう」

 またむかつく言い方だ。私にはまだ鼻で笑う元気があった。

「ああ、今朝方すっかり消えましたけど」
「見せて」
「嫌です。勤務中に制服は脱げません」
「制服!?」
「ッ」

 珍しい大声に驚いて、私まで一緒に飛び上がる。

「制服とはまたよく言ったものですね」

 殿下は憤慨され、短く息を吐き首をふった。

 捻挫もそれなりによくなったので、今日は久々にしっかり脚を出した。昨日までは右手から左足まですっぽり覆う半全身タイツみたいな衣装で湿布を隠していた。贅沢にスパンコールや石が飾りつけられていて舞台では映える。私は変なデザインだと思うけど、以前からお客にはまずまずの評判で、たぶん左手と右足だけが“出てる”のがウケるのだろう。

 今夜は解き放たれて、ラグジュアリー感にこだわった。
 ワインレッドのビスチェ風レオタードで、ビキニラインにフリンジがきいている。同色の長い手袋とハットで、気分はムーランルージュだ。それも、よかった。やっぱり自分で変だと感じている衣装のときに殿下が来なくて、ノリノリの今夜来たのはラッキーだった──と、思ってしまう自分が嫌だ。

「あの場にいる全ての男があなたの身体を舐める様にして見ているのを私はまんじりともせず見ていましたよ。まったく。ひとり残らず呪ってやろうという衝動をいなすのがどんなに苦痛か、少しは考えなさい」

 話の長い男は嫌われると誰か教えてあげた方がいい。
 よくもまあすらすらと外国語でこれだけの事が言えるものだ。感心するけどかえって頭にくる。私は私の仕事をして、期待通りの反応を得て、それでお金をもらうのだ。そのお金で衣食住を賄っている。いちいち呪われていたら世界は破滅だ。

 迷惑甚だしい。だいいち、衝動ってなんだ。思い立ってホイホイできるものなのだろうか、呪いって。
 今夜は気疲れが激しい。もう、殿下にはさっさとお帰り願いたい。

「仕事の邪魔しといてお説教ですか。さすが殿下、いいご身分ですね」
「それはあなたも同じでしょう」

 思わぬ切り返しにザッと変な汗が出た。テーブルの角に無意味に爪をたて、ひっかく。悪寒に似ているけど、これは怒りだ。何かいってやりたかったけどうまく言葉が見つからない。
 でも負けたくもないので、一応これだけは言っておこうと思って息を吸い、

「ハァッ!?」

 睨みつけた。
 まったく、信じられない。いいも悪いも、こっちには身分なんてないのに。
 でも殿下は憤られたまま静かに続けた。

「私の気持ちを故意に踏みにじり涼しい顔をしているあなたこそいいご身分というものです。涼しいなど生易しいものではない。あなたはそれを面白がり喜んでいる。私を怒らせるのは楽しいですか?」

 淡々と一気にぶつけられた苦言に、頭が冴える。
 私がいつ殿下を踏みにじったのか。そんな覚えはない。謂れのない罪で責められるのは我慢ならなかった。つまりは、殿下の中では私のことをすでに思い通りになるべき愛玩品だと決定され、意にそぐわない場合は懲罰の対象ということだ。

 今の昴は、言う事をきかないペット。

 私は私の意志で生きるだけで殿下に“いいご身分”と言われ、責められるのか。私が私の人生を楽しむことを、殿下は許さないというのだろうか。そんな話があるか。殿下が私に何をしてくれる。私の人生を否定するだけして、それで私に何が残る。ハナマルでもくれるつもりだろうか。

「楽しかったらどんなにいいかと思いますけどね」

 しっかりと顔を向け見つめ合い、こちらも淡々と返した。

「じゃあお辞めなさい」
「……」
「いい子にしていたらとびきりのご褒美をあげますよ。私は甘く優しく慈しむ主義の男ですから」
「要りません」
「おや。強情ですね」
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