星空のコシュカ

百谷シカ

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072 Вячеслав

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 悪態をつき、アリョーシャが私の手を引いた。すでに恋人とクラウゼヴィッツ夫妻は乗り込む姿勢に入っている。私は炎の中へ歩みを進める弟の背中を今一度見た。正に悪夢としか言いようがない。
 これが私の生み出した地獄か。

「何やってるのラーチカ。行くよ」
「私は行かない」

 アリョーシャの顔が怒りに染まる。強烈な平手打ちを受け、そばで昴さんが悲鳴をあげた。私は切れた口の端を指先でぬぐい、昴さんの肩に触れ、怯える瞳をのぞき込んだ。

「先に行きなさい」
「やだ」
「必ず会いに行くから」
「やだ!」

 私の望んだものがそこにあった。炎に照らし出された、絶望に咽び泣くコシュカの顔。なるほど、と思う。私は過ちを犯した。愛しいひとを傷つけ先に逝くのは、あまりいい気持ちがしない。
 けれどわかりきっていた事だ。このひとは、私よりずっと長く、生きると。

 アリョーシャが私を離し、変わりに昴さんの手を掴んだ。私は背を向けようとした。この地獄を見届け、命を賭して部下を生き延びさせなければならない。
しかし、

「ボーリナ!」

 痛みを訴えるアリョーシャの悲鳴に虚を突かれる。昴さんは猛然とアリョーシャの腕やら顔を引っかき、身体を打って弾き飛ばすと、続いて私に飛びかかってきた。上着を掴み必至でボートの方に引きずっていこうとする。ならばとこちらが上着を脱ぐと、髪を掴み耳に指を入れ耳朶を千切らんばかりに頭部から運ぼうという暴挙に出る。

「な、何をするんですあなたは……!」
「殿下が死んでもどうにもならない!」
「それはもう聞きました。ですがね、やはり私には責任というものが」
「ない!!」

 私を動かすのは無理と悟った昴さんは、転じて自らが動かないという手段をとる。私の首に縋りつき、唇を重ねた。

「お願いだよ殿下。一緒にいてよぉ」

 気持ちがゆらいだ瞬間だった。
 今度はアリョーシャの恋人が駆けてくる。

「何よ」

 身体に傷がついたことで、アリョーシャは女性的な憤怒を見せた。

「故障してるの。モーターがうんともすんとも言わないわ」
「嘘よ。点検したもの」
「壊されたのね」

 言葉を失うアリョーシャとは反対に、昴さんがしゃくりあげる。
 こうなれば、はやり船内で安全な場所を確保するしかない。肩越しに確認する。炎と魔物では幸い前者が有利のようだ。この数分で惨事にも慣れた。現実問題として、マルスは生物兵器を使って抗争を仕掛けてくるだろう。奴らは火に弱い。
 私は昴さんの背中を撫で、目尻に口づけた。

「大丈夫。ちゃんと、私が守ってあげますから」
「嘘つけ死んだら一度っきりじゃんバカ魔人!」

 アリョーシャの恋人が目を瞠り、昴さんをまじまじと見つめる。それからアリョーシャの頬を走る爪痕にふれ、優しく諭した。

「大丈夫、すぐ消えるわ。あなたは綺麗よ」
「おい、マクシモーヴィッチ」

 不貞腐れるアリョーシャと私の間に、妻を抱えたクラウゼヴィッツが割り込んだ。

「わかっている、今聞いた」
「違う、あれを見ろ」

 北東の方向を顎で示され、身を返し目をこらす。昴さんまで鼻をすすりながら首を伸ばした。

 一隻の小型船舶が、肉眼で把握できる距離まで近づいている。黒い波の上を猛進してくるが、甲板には向かい風にも微動だにせず二人の人物が立っていた。私は救いと同時に破滅を確信した。

「ジナイーダか」

 言葉を受け、アリョーシャが手すりを掴み身を乗り出す。
 妹の姿を見紛うはずはない。アリョーシャも同じはずだ。姉の姿を見紛うはずはない。ただ隣に立つ男をアリョーシャは知らない。
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