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第十九章 愛猫家たち
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「もしもし、すみません。清水さんのお電話でしょうか。私、深城署捜査一課の伊藤と申します。西園寺さんに関わる事件の件でお電話させていただきました」
「警察の方ですか? なんでしょう。西園寺さんのお母様の件ですか?」
「はい。西園寺勝之さんが貴殿の飼い猫に引っ掻かれたことがあるとおっしゃっていまして、一度、訪問させていただき、猫を拝見させていただきたいのですが、お願いできますでしょうか」
「それは構いませんが。いつにしますか?」
「ご協力ありがとうございます。明日のご都合はいかがでしょうか。できるだけ早めの方がありがたいのですが」
「わかりました。明日でしたら、夕方午後6時以降なら自宅にいますので、その頃なら大丈夫です」
「ありがとうございます。では明日、夕方6時に訪問させていただきますので、よろしくお願いします」
伊藤刑事は西園寺勝之がロシアンブルーの猫に引っ掻かれた友人宅への訪問の約束を取り付けた。
「阿部さん、明日の午後6時に訪問することになりました」
「そうか、わかった。伊藤、君も猫飼っていたよな?」
「はい。一匹飼っています」
「明日、猫の爪切りを持ってきてくれないか? あと、鑑識から証拠保存用の密封袋もな。用意しといてくれ。もし、その猫の爪を西園寺を引っ掻いてから切っていなければ、爪を切って持ち帰り、鑑識に回すからな。それで西園寺勝之のDNAが出れば証言は一致する。まあ、それをしなくても、奴はシロだけどな。とりあえず、次への練習だ」
「あ、そうですね。もし、西園寺さん宅の猫、マルコの爪から犯人の皮膚片が出たら、DNAから犯人が特定できるってことですね」
「まあ、そういうことになるな。そのマルコという猫の爪が切られずに残っていたらだが」
「あ、加賀美さんに早く連絡して、爪を確保しにいかないと。彼女のことだから、猫を保護した時に全部綺麗に洗って、爪も切っているかもしれない。大変だ!」
「それよりも、あと二人の傷の確認とDNAサンプルの入手が先だな」
「まずは西園寺洋之の彼女の家に行って、彼女の猫の確認と爪の確保だな」
「わかりました。すぐに手配します」
ピンポーン、ピンポーン
翌日の夕方、西園寺勝之の友人である清水家を訪問した。
「はい。どちら様でしょうか?」
「深城署捜査一課の伊藤です。昨日、お電話させていただき、訪問のお約束をしていた者です」
「あ、はい。今、行きます」
ドアが開くと、西園寺勝之と同じ年頃の男性が姿を現した。やや背が低く、中肉中背の浅黒い肌で、丸い顔の男性だった。
低いトーンの声がやけに美声で、電話で話した印象とは大きく違う、その声と容姿のギャップに驚いた。
「すみません、夜分お休みのところ、西園寺さんが貴殿の猫に引っ掻かれたという件で、実際の猫を確認したく参りました。猫の種類がロシアンブルーとお聞きしていますが、間違いありませんか?」
「はい、その通りです。まずは玄関では何ですから、どうぞお入りください」
「ありがとうございます。玄関口で大丈夫ですので、その猫を拝見させていただくことはできますでしょうか」
「うちの猫はとても警戒心が強いので、玄関には出てこないと思います。客が来ると必ず、リビングのソファの下に隠れてしまうんですよ」
「すみません。そうですか。では、恐縮ですが、上がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。汚いところですが、掃除もできていませんし」
「ありがとうございます。どうぞお気になさらず。急なお願いで申し訳ありません。少々、猫を拝見させていただきます。猫の名前はなんというんですか?」
「猫の名前はブルーです。ロシアンブルーだからブルーです」
「「ブルーちゃんですね。ブルーちゃん、ブルーちゃん」
ブルーは飼い主の言う通り、ソファの下に隠れてこちらを見ている。聞いていた通りの透き通る宝石のような緑色の目で、じっとこちらを見つめている。
「ソファの下にいますね。確認できました。ありがとうございます。あと、本当にこれはお願いなのですが、ブルーちゃんは西園寺さんを引っ掻いてから爪などは切られましたか?」
「いや、爪は切っていませんね。うちは爪研ぎを置いてあるので、自分で爪を研いでいますけど」
「では、爪を切らせていただいて、分析させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
その後、1時間以上のブルーとの格闘が続き、なんとか飼い主の協力もあり、爪切りに成功し、爪を確保した。
「ぜえぜえ、ありがとうございました。なんとか爪をいただけました。ブルーちゃん、ごめんね。これで私は失礼します」
汗だくの格闘の末、ロシアンブルーのブルーの爪は確保された。
「もしもし、加賀美さん、伊藤です」
「あ、伊藤さん、ご無沙汰しています。お元気ですか?」
「あの、加賀美さん、聞きたいことがあるんだけど、マルコを保護した後、お風呂に入れたりトリミングとかしていないわよね?」
「え? マルコは保護した時に泥だらけだったので、うちのマリンと一緒に二匹ともお風呂に入れて綺麗にしましたよ。ダニとかついているといけないから。うちの家の中で飼うなら綺麗にしないといけないので」
「あ、えー……そう」
「伊藤さん、伊藤さん、どうされたんですか? あれ、電話切れちゃった。どうしたんだろう」
伊藤刑事は携帯電話を握りしめて、がっくりとうなだれた状態で、自動販売機の横のソファに腰を下ろし、倒れ込んでいた。
「終わったあ。犯人の決定的な証拠が……なくなった」
阿部刑事が歩いてきて声をかけた。
「おい、伊藤、次に行くぞ。今度は西園寺洋之の女のところだ。相手が女性だからお前が必要だ。ついてこい」
「阿部さん、今、加賀美さんに電話したんですけど、マルコですが、もうトリミング済みです。爪が残っていないみたいです」
「そうか。だが、消去法で絞り込むこともできるだろう。犯人じゃないと特定することも重要なことなんじゃないか? そうしているうちに自然と犯人にたどり着くかもしれないし、新たな証拠が出てくるかもしれないからな。俺たちは地道に捜査を続けるしかないんだよ。行くぞ、ほら」
「わかりましたよお。行けばいいんでしょ。行けば」
伊藤刑事は半分涙目になりながら、阿部刑事の後ろをついて歩いて行った。
ピンポーン、ピンポーン
「はい、どちら様でしょう?」
「昨日、お電話した深城署の阿部です」
「あ、刑事さんですね。わかりました。今、ロックを開けますので、エレベーターで最上階まで来ていただけますか?」
そう言うと、目の前のガラスの自動ドアがすっと開いた。マンションのエントランスホールに入っていく。左手にはコンシェルジュがいる。
ここは最近できたタワーマンションで、最新の設備を誇るこのあたりでは有名だった。エレベーターに向かうとすでに訪問階が設定されていて、自動的にその階まで運んでくれる。ボタンなどを押す必要がない。むしろ、招かれていないとボタンは反応せず、エレベーターも動かないのだ。
そして、指定された最上階にたどり着き、ドアが開くとすぐに玄関ドアだった。各階、1フロアに1戸のタワーマンションだ。
「すごいな、これは。豪勢な造りだし、システムもすごいな」
「本当にそうですね。こんなところに、どんな人が住んでいるんでしょう」
玄関ドアのインターホンを押すと、ガチャリとドアが開いた。
「どうぞ、中へお入りください」
中からは、顔が小さく、色が白く、八頭身のスラリとした女性が現れた。綺麗だが、どこか温かみのある表情の美人で、人はきっと癒し系美人と呼ぶのだろう。
「すみませんね。お休み中のところ、お邪魔いたします。こちらは同じ捜査一課の伊藤刑事です。よろしくお願いします」
「伊藤です。よろしくお願いします」
「神宮寺綾です。よろしくお願いします。こちらにお座りください」
全面ガラス張りで外の景観が素晴らしいリビングに通され、富士山の見える方向のソファに案内されて腰掛けた。
「お水でよろしいですか?」
彼女はエビアンのボトルを持って、二人の前に置き、富士山を背にしてソファに腰掛けた。
「それで、どのようなご用件ですの?」
「お電話でもお話しさせていただきましたが、西園寺洋之さんの首に猫の爪で引っ掻かれた跡がありまして、その跡はこちらの猫に付けられたものだということなので、その猫の確認と、可能であれば猫の爪を切らせていただけないかと思いまして。爪は西園寺さんを引っ掻いた後に切っていなければですが」
「そうですか。猫はお連れしますが、爪はもう切ってしまいましたわ。彼を引っ掻いた翌日にペット美容室にトリミングに出しましたので、爪はもう切られていますよ」
「そうですか。では、猫ちゃんを拝見できますでしょうか?」
「はい、お待ちください」
彼女は席を外すと、壁の向こう側へと歩いて消えていった。このマンションは、どれぐらいの広さがあるか分からないほど広い。
ぐるっと360度が全面ガラス張りで、どこからでも景色を見ることができるのだろう。富士山も見えれば、スカイツリーも東京タワーも東京湾も見える。
おそらく東京近郊で行われる花火大会は、どこかの部屋から必ず見えるだろう。
しばらくすると、大きな白い猫を抱えた彼女が戻ってきた。
「立派な猫ですね。この猫の種類はなんというのですか?」
「この子はペルシャ猫ですわ」
「名前はなんというのですか?」
「この子は女の子で、名前はベスですわ。エリザベスでベス」
「他に飼ってらっしゃる猫はいらっしゃいますか?」
「いいえ、この子だけですが、何か?」
「いや、他にも対象となる猫がいるか確認をしただけです。ありがとうございます。西園寺さんがこのベスちゃんに引っ掻かれた時のことを教えていただけますか?」
「ああ、あれは彼がいけないのよ。酔っ払って、この子にちょっかいかけたから。この子はあまり彼を好きじゃないの。それに酒臭い顔を近づけて頬ずりしようとしたから、この子が怒って引っ掻いたのよ。この子に罪はないわ。悪いのは彼よ。ちょうど、あなたの座っているその場所よ。彼が引っ掻かれたのは」
「そうですか。まあ、猫はご機嫌が悪いと引っ掻きますからね。ありがとうございます。では、私たちはこれで」
「お水のボトル、お持ちになってください。外は暑いですから」
「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます。では、これで失礼します」
スタスタと玄関に向かって歩き出す阿部刑事の後ろから、伊藤刑事が挨拶をして軽い会釈をしながらついていく。
エレベーターに乗ると阿部刑事が話し始めた。
「いやー、すごいマンションだったな。何者だ、あれ? なんでこんなところに住めるんだ?」
「本当にすごかったですね。あるところにはあるんだなあ、と思いました。でも、幸せな感じかと言われると、どこか無機質で、それでいて寒くて、冷たくて、寂しいところでしたね。まるで海の底みたいでした。あんなに高いところなのに」
「ああ、まあ、人の価値観は様々だし、人生もいろいろだからな。とりあえず、西園寺洋之もシロだな。猫も実在したし、彼女の証言も得られた。あの傷はベスに引っ掻かれたものだな」
「あの女性、何者なんですかね」
「さあな。まあ、俺たちの捜査対象からは外れたってことだ」
二人は駐車場から車に乗ると、次の現場へと移動した。
「警察の方ですか? なんでしょう。西園寺さんのお母様の件ですか?」
「はい。西園寺勝之さんが貴殿の飼い猫に引っ掻かれたことがあるとおっしゃっていまして、一度、訪問させていただき、猫を拝見させていただきたいのですが、お願いできますでしょうか」
「それは構いませんが。いつにしますか?」
「ご協力ありがとうございます。明日のご都合はいかがでしょうか。できるだけ早めの方がありがたいのですが」
「わかりました。明日でしたら、夕方午後6時以降なら自宅にいますので、その頃なら大丈夫です」
「ありがとうございます。では明日、夕方6時に訪問させていただきますので、よろしくお願いします」
伊藤刑事は西園寺勝之がロシアンブルーの猫に引っ掻かれた友人宅への訪問の約束を取り付けた。
「阿部さん、明日の午後6時に訪問することになりました」
「そうか、わかった。伊藤、君も猫飼っていたよな?」
「はい。一匹飼っています」
「明日、猫の爪切りを持ってきてくれないか? あと、鑑識から証拠保存用の密封袋もな。用意しといてくれ。もし、その猫の爪を西園寺を引っ掻いてから切っていなければ、爪を切って持ち帰り、鑑識に回すからな。それで西園寺勝之のDNAが出れば証言は一致する。まあ、それをしなくても、奴はシロだけどな。とりあえず、次への練習だ」
「あ、そうですね。もし、西園寺さん宅の猫、マルコの爪から犯人の皮膚片が出たら、DNAから犯人が特定できるってことですね」
「まあ、そういうことになるな。そのマルコという猫の爪が切られずに残っていたらだが」
「あ、加賀美さんに早く連絡して、爪を確保しにいかないと。彼女のことだから、猫を保護した時に全部綺麗に洗って、爪も切っているかもしれない。大変だ!」
「それよりも、あと二人の傷の確認とDNAサンプルの入手が先だな」
「まずは西園寺洋之の彼女の家に行って、彼女の猫の確認と爪の確保だな」
「わかりました。すぐに手配します」
ピンポーン、ピンポーン
翌日の夕方、西園寺勝之の友人である清水家を訪問した。
「はい。どちら様でしょうか?」
「深城署捜査一課の伊藤です。昨日、お電話させていただき、訪問のお約束をしていた者です」
「あ、はい。今、行きます」
ドアが開くと、西園寺勝之と同じ年頃の男性が姿を現した。やや背が低く、中肉中背の浅黒い肌で、丸い顔の男性だった。
低いトーンの声がやけに美声で、電話で話した印象とは大きく違う、その声と容姿のギャップに驚いた。
「すみません、夜分お休みのところ、西園寺さんが貴殿の猫に引っ掻かれたという件で、実際の猫を確認したく参りました。猫の種類がロシアンブルーとお聞きしていますが、間違いありませんか?」
「はい、その通りです。まずは玄関では何ですから、どうぞお入りください」
「ありがとうございます。玄関口で大丈夫ですので、その猫を拝見させていただくことはできますでしょうか」
「うちの猫はとても警戒心が強いので、玄関には出てこないと思います。客が来ると必ず、リビングのソファの下に隠れてしまうんですよ」
「すみません。そうですか。では、恐縮ですが、上がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。汚いところですが、掃除もできていませんし」
「ありがとうございます。どうぞお気になさらず。急なお願いで申し訳ありません。少々、猫を拝見させていただきます。猫の名前はなんというんですか?」
「猫の名前はブルーです。ロシアンブルーだからブルーです」
「「ブルーちゃんですね。ブルーちゃん、ブルーちゃん」
ブルーは飼い主の言う通り、ソファの下に隠れてこちらを見ている。聞いていた通りの透き通る宝石のような緑色の目で、じっとこちらを見つめている。
「ソファの下にいますね。確認できました。ありがとうございます。あと、本当にこれはお願いなのですが、ブルーちゃんは西園寺さんを引っ掻いてから爪などは切られましたか?」
「いや、爪は切っていませんね。うちは爪研ぎを置いてあるので、自分で爪を研いでいますけど」
「では、爪を切らせていただいて、分析させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
その後、1時間以上のブルーとの格闘が続き、なんとか飼い主の協力もあり、爪切りに成功し、爪を確保した。
「ぜえぜえ、ありがとうございました。なんとか爪をいただけました。ブルーちゃん、ごめんね。これで私は失礼します」
汗だくの格闘の末、ロシアンブルーのブルーの爪は確保された。
「もしもし、加賀美さん、伊藤です」
「あ、伊藤さん、ご無沙汰しています。お元気ですか?」
「あの、加賀美さん、聞きたいことがあるんだけど、マルコを保護した後、お風呂に入れたりトリミングとかしていないわよね?」
「え? マルコは保護した時に泥だらけだったので、うちのマリンと一緒に二匹ともお風呂に入れて綺麗にしましたよ。ダニとかついているといけないから。うちの家の中で飼うなら綺麗にしないといけないので」
「あ、えー……そう」
「伊藤さん、伊藤さん、どうされたんですか? あれ、電話切れちゃった。どうしたんだろう」
伊藤刑事は携帯電話を握りしめて、がっくりとうなだれた状態で、自動販売機の横のソファに腰を下ろし、倒れ込んでいた。
「終わったあ。犯人の決定的な証拠が……なくなった」
阿部刑事が歩いてきて声をかけた。
「おい、伊藤、次に行くぞ。今度は西園寺洋之の女のところだ。相手が女性だからお前が必要だ。ついてこい」
「阿部さん、今、加賀美さんに電話したんですけど、マルコですが、もうトリミング済みです。爪が残っていないみたいです」
「そうか。だが、消去法で絞り込むこともできるだろう。犯人じゃないと特定することも重要なことなんじゃないか? そうしているうちに自然と犯人にたどり着くかもしれないし、新たな証拠が出てくるかもしれないからな。俺たちは地道に捜査を続けるしかないんだよ。行くぞ、ほら」
「わかりましたよお。行けばいいんでしょ。行けば」
伊藤刑事は半分涙目になりながら、阿部刑事の後ろをついて歩いて行った。
ピンポーン、ピンポーン
「はい、どちら様でしょう?」
「昨日、お電話した深城署の阿部です」
「あ、刑事さんですね。わかりました。今、ロックを開けますので、エレベーターで最上階まで来ていただけますか?」
そう言うと、目の前のガラスの自動ドアがすっと開いた。マンションのエントランスホールに入っていく。左手にはコンシェルジュがいる。
ここは最近できたタワーマンションで、最新の設備を誇るこのあたりでは有名だった。エレベーターに向かうとすでに訪問階が設定されていて、自動的にその階まで運んでくれる。ボタンなどを押す必要がない。むしろ、招かれていないとボタンは反応せず、エレベーターも動かないのだ。
そして、指定された最上階にたどり着き、ドアが開くとすぐに玄関ドアだった。各階、1フロアに1戸のタワーマンションだ。
「すごいな、これは。豪勢な造りだし、システムもすごいな」
「本当にそうですね。こんなところに、どんな人が住んでいるんでしょう」
玄関ドアのインターホンを押すと、ガチャリとドアが開いた。
「どうぞ、中へお入りください」
中からは、顔が小さく、色が白く、八頭身のスラリとした女性が現れた。綺麗だが、どこか温かみのある表情の美人で、人はきっと癒し系美人と呼ぶのだろう。
「すみませんね。お休み中のところ、お邪魔いたします。こちらは同じ捜査一課の伊藤刑事です。よろしくお願いします」
「伊藤です。よろしくお願いします」
「神宮寺綾です。よろしくお願いします。こちらにお座りください」
全面ガラス張りで外の景観が素晴らしいリビングに通され、富士山の見える方向のソファに案内されて腰掛けた。
「お水でよろしいですか?」
彼女はエビアンのボトルを持って、二人の前に置き、富士山を背にしてソファに腰掛けた。
「それで、どのようなご用件ですの?」
「お電話でもお話しさせていただきましたが、西園寺洋之さんの首に猫の爪で引っ掻かれた跡がありまして、その跡はこちらの猫に付けられたものだということなので、その猫の確認と、可能であれば猫の爪を切らせていただけないかと思いまして。爪は西園寺さんを引っ掻いた後に切っていなければですが」
「そうですか。猫はお連れしますが、爪はもう切ってしまいましたわ。彼を引っ掻いた翌日にペット美容室にトリミングに出しましたので、爪はもう切られていますよ」
「そうですか。では、猫ちゃんを拝見できますでしょうか?」
「はい、お待ちください」
彼女は席を外すと、壁の向こう側へと歩いて消えていった。このマンションは、どれぐらいの広さがあるか分からないほど広い。
ぐるっと360度が全面ガラス張りで、どこからでも景色を見ることができるのだろう。富士山も見えれば、スカイツリーも東京タワーも東京湾も見える。
おそらく東京近郊で行われる花火大会は、どこかの部屋から必ず見えるだろう。
しばらくすると、大きな白い猫を抱えた彼女が戻ってきた。
「立派な猫ですね。この猫の種類はなんというのですか?」
「この子はペルシャ猫ですわ」
「名前はなんというのですか?」
「この子は女の子で、名前はベスですわ。エリザベスでベス」
「他に飼ってらっしゃる猫はいらっしゃいますか?」
「いいえ、この子だけですが、何か?」
「いや、他にも対象となる猫がいるか確認をしただけです。ありがとうございます。西園寺さんがこのベスちゃんに引っ掻かれた時のことを教えていただけますか?」
「ああ、あれは彼がいけないのよ。酔っ払って、この子にちょっかいかけたから。この子はあまり彼を好きじゃないの。それに酒臭い顔を近づけて頬ずりしようとしたから、この子が怒って引っ掻いたのよ。この子に罪はないわ。悪いのは彼よ。ちょうど、あなたの座っているその場所よ。彼が引っ掻かれたのは」
「そうですか。まあ、猫はご機嫌が悪いと引っ掻きますからね。ありがとうございます。では、私たちはこれで」
「お水のボトル、お持ちになってください。外は暑いですから」
「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます。では、これで失礼します」
スタスタと玄関に向かって歩き出す阿部刑事の後ろから、伊藤刑事が挨拶をして軽い会釈をしながらついていく。
エレベーターに乗ると阿部刑事が話し始めた。
「いやー、すごいマンションだったな。何者だ、あれ? なんでこんなところに住めるんだ?」
「本当にすごかったですね。あるところにはあるんだなあ、と思いました。でも、幸せな感じかと言われると、どこか無機質で、それでいて寒くて、冷たくて、寂しいところでしたね。まるで海の底みたいでした。あんなに高いところなのに」
「ああ、まあ、人の価値観は様々だし、人生もいろいろだからな。とりあえず、西園寺洋之もシロだな。猫も実在したし、彼女の証言も得られた。あの傷はベスに引っ掻かれたものだな」
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