猫のもの語り         ~猫探偵社 始動編~

猫田 薫

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第二十章 遺産相続

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「皆様、本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。弁護士の村田です。西園寺家の財産管理を委託され、こちらの税理士の鈴木先生と管理を行っております。この度は西園寺由紀子様が亡くなられたとのことで、大変ご愁傷様でございました。心よりご冥福をお祈りいたします。由紀子様がお亡くなりになったことによりまして、ここにお集まりになりました方々には、西園寺由紀子様がお持ちでした遺産を相続する権利がございます。由紀子様はご主人をすでに亡くされておりますので、ご子息並びにご兄弟に遺産が相続されることになります。皆様のお手元に書類をお配りしておりますが、その資料の内容はそれぞれのお立場によって異なります。また、生前に由紀子様からお預かりしておりました遺言書に基づき、手続き書類を作成いたしました。内容を改めてご確認の上、ご署名・捺印いただければ、記載通りに遺産の相続手続きを行わせていただきます。また、税務関係も、こちらにいらっしゃいます税理士の鈴木先生が記載の通りに税務署への届け出などの手続きを行っていただけますので、皆様にはお手数をおかけすることはないかと存じます。例年の確定申告などのお手続きを異なる税理士にご依頼されている場合は、本年につきましては、鈴木先生のところで手続きを行っていただけるようお願いいたします。ご確認はこの場でも結構ですし、お持ち帰りいただきご自宅で確認後、捺印書類をご返送いただいても結構です。個別のご相談につきましても、私どもの連絡先をそれぞれに記載しておりますので、ご相談内容に応じて、私か鈴木先生のところにご連絡をいただけましたら、ご対応させていただきますので、よろしくお願いいたします。ここまでで何かご質問はございますでしょうか?」
「はい、あの、この遺産相続は個別に内容が違うんですよね。その内容は教えていただけるんでしょうか?」
「兄さん、ダメに決まってんじゃん。だって、兄さんと俺で内容が違ったら揉めるだろうが」
「はい、ご質問へのご回答としましては、我々は個別の内容は開示いたしません。また、我々には守秘義務がございまして、個々の内容をお話しするわけにもいきませんので、誰が何をどれくらい相続なさったかはお話しできません。ご了承ください。よろしくお願いいたします」
「もし、他に質問がないようでしたら、これにて終了とさせていただきます。何かございましたら、いつでもご連絡ください。個別に対応させていただきます。では、本日はどうもありがとうございました」
室内がざわめき、叔父や兄たちが会話をしながら部屋を出ていく。書類の入った封筒を見つめながら座っていたら、ふと、気が付くと部屋には誰もいなくなっていた。慌てて封筒を鞄に入れ、部屋を出た。
ビルのロビーを出ると、ムッとする空気が体を包み込んだ。高い湿度とアスファルトで温められた空気が体を包み込み、一気に不快指数が上昇する。ここ数年、地球温暖化の影響で夏が尋常でなく気温が上がっている。今年も暑くなるのだろうか。熱中症には注意しないといけない、と思いながら一人、帰途に就いた。

ピンポーン、ピンポーン
「はい、どちら様?」
「昨日、お電話差し上げた深城署の阿部です」
「あ、刑事さん、はい」
アパートのドアを開けると、阿部刑事ともう一人の女性が立っていた。
「どうぞ、お入りください。狭いところですが。こちらへどうぞ。散らかっていてすみません」
「では、失礼します。こちらは同じ捜査一課の伊藤刑事です。お休みのところすみませんね」
「どうも、伊藤です。よろしくお願いします」
二人は部屋の中に足を踏み入れた。アパートの部屋はよくある一般的な2LDKで、玄関を入るとすぐに食事をするテーブルのあるダイニング。ダイニングの後ろにはキッチンがあり、テーブルの横を通り過ぎると、小さなテーブルとローソファのあるリビングが広がっていた。リビングのドアの向こうには寝室があるのだろう。
玄関を入った右側のドアがトイレと風呂で、脱衣所に小さな洗面台があった。ドアが開いていたので、リビングへ通される時にはすべてが見えていた。リビングの南側は大きなサッシの窓があり、その向こうはベランダになっている。おそらく寝室も同様に南側にベランダに出るサッシがあるのだろうと想像できた。
「外は暑いですよね。麦茶でいいですか?」
西園寺由子はキッチンの冷蔵庫から麦茶のポットを取り出し、2つのガラスのグラスに注いで、リビングのテーブルに戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
「いいお部屋ですね。なかなか整頓されて綺麗にされています」
「あまり広くはないのですが、一人暮らしで私のお給料でしたら、これぐらいがちょうどです。むしろ少し高いぐらいです」
テーブルの上には茶封筒が置いてあり、由子は慌ててその封筒を手に取り、本棚の上に場所を移す。
「何かペットとかは飼われていないですか?」
「いいえ、ここはペット禁止のアパートなので、飼えないんです。でも、私、そもそも動物は苦手で。あと少しアレルギーもあるので」
「そうですか、アレルギーがあると大変ですよね。私は犬が大好きなんです。数年前まで犬を飼っていましてね。その犬は老衰で亡くなったんですけど、一緒に住んでいる時にくしゃみと鼻水が止まらなくなりましてね。それで耳鼻科に行って調べてもらったら、犬アレルギーが見つかりまして、もう十何年も住んでいるのに今さらってね。そして、最後に老衰で亡くなるまでその犬とは一緒に暮らしました。すみません。余談でした」
「そうなんですね。ワンちゃんはとても幸せだったでしょうね。それで、今日はどういったご用件ですか?」
「はい、以前に署に来ていただいた時に軽く怪我をなさっていたかと思います。生徒さんに休み時間に木の棒を投げられたとかで、擦り傷と腕に包帯をされていたかと思いますが、その傷跡を見せていただきたいのと、事件現場で犯人のものかもしれないものが見つかりまして、詳しくは言えないのですが、あの家に行かれたことのある方々にDNAサンプルのご提供をお願いしています」
「はい、そうなんですね。わかりました。首の傷はここです。もう、ほとんど消えかかっているかと思いますが」
「伊藤刑事、ちょっと確認と写真をお願いします」
「はい、ここですね。確かにもう消えかかっていますね。結構、長く引っ掻いた感じの跡がありますね。写真を失礼します」
「あとはこの手首です。まだ、傷隠しにリストバンドをしているので、取りますね。ここです。手首の内側です」
「はい、確かに何かが当たってあざができていますね。写真を失礼しますね」
「もういいですか?」
「はい、どうぞ」
由子はリストバンドを急いで戻した。
「あと、DNAサンプルもよろしいですか。この棒で口の中の内側をこすっていただいて、この瓶の中に唾液を入れて、棒も入れてください」
「はい、現場で何が見つかったんですか?」
「すみません。そちらは捜査情報なので、お話しできないんですよ。申し訳ありません」
「できました。唾液と棒を入れました。はい。これでいいですか?」
「完璧です。ありがとうございます。ご協力ありがとうございました」
「ご協力ありがとうございます。何かありましたらまた、ご連絡させていただきます。お邪魔しました。お茶もご馳走様でした」
「ありがとうございました。では、失礼します」
二人の刑事は帰っていった。手首の傷には気が付かなかったし、特に怪しまれるところはないと思うけれど、嫌な予感は抜けなかった。

阿部刑事と伊藤刑事は車に戻り、署へ戻ることにした。
「暑いなあ。おい、早くエンジンかけてクーラー入れろ。本当に暑いな」
伊藤刑事がエンジンをかけてクーラーを入れた。
「伊藤、お前、さっき、腕の傷をちゃんと確認したのか?」
「はい、しましたよ。写真も撮りました」
「見せてみろ。ほら、手首の裏側の痣の傷しか撮ってないじゃないか。表側は見たのか?」
「あ、確認し忘れましたね。でも、木の棒が飛んできて当たったなら、あの痣で十分じゃないですか?」
「お前は本当に刑事か? もっと注意力をもって観察しろ。見るんじゃなくて視るんだよ。いいか、そもそも木の棒が当たって怪我をしたと言っているのも彼女だ」
「確かにそうですね。でも、痣はありましたよ」
「もし、あの腕の手の甲側に動物に噛まれた傷があったらどうする?」
「あああ。すみません。私のミスです。もう一度、彼女に確認させてもらいに行ってきます」
「馬鹿、やめろ。それこそ、彼女が見せてくれるわけないし、彼女が逃亡したらどうするんだ。ちょっと落ち着け。俺は彼女の証言をもとに学校で少し聞き込みを行ったんだ。保健室の先生は確かにあの事件の次の日に彼女の傷を治療している。首にできた擦過傷だ。それと手首の傷には、シップを貼って包帯を巻いている。ただし、保健室の先生が見たのも手首の裏側、つまり手のひら側の痣だけだ。手の甲側は見ていない。シップを貼って、包帯を巻いた、と」
「何もおかしいことはないじゃないですか」
「ただ、これには続きがある。クラスの生徒たちにも聞いてみた。あと、保健室の先生にも協力していただいて、西園寺由子にわからないように調べてもらったんだ。彼女が怪我をした日、男子生徒が投げた木の棒が彼女に当たって怪我をしたという事故を、生徒たちが知っているかを調べてもらった。そしたら、生徒たちは休み時間にそんなことが起こったことは知らないと言っている。ましてや、先生が怪我するようなことが起こっているのに、生徒たちは誰も見ていないと言っている。そして、休み時間が終わった後に授業に現れた先生は包帯をしていた、と。生徒たちがどうしたのかと先生に聞いたら、先生は転んで怪我をしたと言っていた、と言うんだ。彼女は怪しいぞ。クロだな」
「阿部さんは私の知らないところでそんな捜査をしてたんですね。事前に教えてくれればいいじゃないですか。そしたら、私だってちゃんと調べて……あ、わざとですね。私に調べさせなかったの。というか、私がミスすることをわかってて私にやらせたんですね」
「やっと気づいたか。その通り。彼女がどんな風に君に傷を見せるのか。そして、彼女は反対側を見せるのか。俺は観察していたんだ。君はまんまと彼女の術中に嵌っていた。それで俺は確信した。彼女がクロだ。あとは彼女が犯人であるという明確な証拠を見つけないといけない。あと、以前に署に来てもらって聴取した時に彼女からほのかに柑橘系の香りがしていた。彼女は柑橘系の何かをつけているぞ」
「確かに、さっき、部屋に入った時に洗面所が見えてて、男性ものの柑橘系のコロンがあったような気がします。でも、匂いは証拠にはならないでしょうし、マルコは綺麗に洗われて、爪も切られてしまってますから、そこから証拠が出てくる可能性もないのに、なんでDNAサンプルなんて取ったんですか?」
「まあ、あれはブラフだ。彼女の感情の動きを観察していた。全く動じなかったがな。一応、取っておけば、後で何かの役に立つだろう。まあ、証拠発見の可能性を広げるための一つってことだ。署に戻るぞ」
「はい。了解しました」
車は署に向けて走り出した。
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