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第三章 法という名の理不尽
4問う者、問われる者
しおりを挟むその姿は可憐な少女であった。
赤青緑、さまざまな色を纏って後ろの透明に近い翅を広げた精霊。そう正しく精霊という言葉が、それも物語や御伽噺で聞くような風貌をししたそれは怒りを露わにしたように体を震わせてから突っ込んでくる。
メアリーの生存本能が、ビリビリと肌を伝って恐怖で身を竦ませる。
ただの魔物には思えなかった。今まで魔物というものに触れたことはなかった為、比較対象はいないものの、そのはずなのにメアリーはそんなことを思う。
無意識で唾を飲み込み、それから手の中にある杖をぎゅっと抱きしめる。
それから「ふー」と息を吐いて杖を刀のように構えれば、魔物が先に動いた。
「brathadóir!!」
叫びながら、というよりも雄叫びをあげるように咆哮されたのが合図となり戦闘の開幕を告げる。
魔物が片手を空に向けたとき、紅蓮色の炎がどこからともなく空気中に練り上げられた。それは直径一メートル程度の大きさの火炎で、メアリーは「来る」と思っても反応ができない。
周囲の空気を焦がして直線上にいるメアリーに向かってきたそれを、寸前のところで顔を傾けることで回避する。チリチリと逃げ遅れた後ろ髪が燃えるのを感じながら、メアリーは杖を後ろへ向けてそのまま突進する。続けて先程の火炎を生み出そうとする魔物の近く、もっと言えば後ろに剣を振りかぶったアリオストロがいた。
「うぁぁぁあああああ!!」
一瞬アリオストロの手が震えて硬直する。
だが次の瞬間には重力の影響を受けて出鱈目に振られた剣が魔物の背中を右肩から左脇腹へと斬りつける。
だが浅い。魔物は「Gyaaa!!!」と叫び一瞬怯むも、後ろにいるアリオストロの方向を視界に捕捉しようとした時、腹に重たい遠慮のない打撃が入る。先ほどまで突進してきたメアリーが間に合ったのだ。
メアリーは肩を震わせ「ハァハァ」と息を切らすアリオストロに全力で「下がれ!」と叫んだ。
その言葉に反射的にアリオストロは右へ転がるように退避し、メアリーは後方へとステップを踏みながら下がった。
次の瞬間「𓎡𓄿𓊃𓇋𓇌𓍯!」とローランドのアルトの声が響いた。
魔物の足元、地面に幾何学模様と円形を合わせたような魔法陣が浮かぶ。メアリーがそれを見送り瞬きをした瞬間。先ほどよりも早い展開によって召喚。風の渦が魔物を呑み込んだ。さながら竜巻のように下流から上流に向かって風が吹き荒れる。どう考えてもどう見ても先ほどよりも拡張されたそれは悲鳴も姿も閉じ込めて、魔物の体を刻む。
竜巻が収まったとき、そこにあったのはズタボロになった魔物の姿だ。
少女体に見えるせいで変な罪悪感を感じるものの、メアリーは最後のトドメのために「アリオストロ」と名を呼んだ。
だがアリオストロはその声に反応しない。訝しげにメアリーがアリオストロを見る。そうすれば彼は異常に震える手で剣を両手で握っていた。
ローランドが迷いながらメアリーを見る。
それにメアリーは首を横に振って、もう立ち上がることしか出来ない魔物を見てその首に向かって杖を振るった。
ごきっと首がへし曲がる音が響く。
精霊の体が段々と白くなり、そしてまるで枯れ木のような姿へと変化して――燃えた。
メアリーの表情が抜ける。「解剖」という彼女の悲鳴に近い短い声は空気に溶けた。あんだけ頑張ったのに、そう漏らそうとしたとき、右側から「おえ」という声とともに吐瀉物の臭いが鼻を刺激する。
思わずメアリーはそちら側を見て、背を丸めて嘔吐し続けるアリオストロに駆け寄った。
「吐いたものが気道に入らないように横向きにするよ。ローランドぼうっと立ってないでこいつの剣を持ってて」
「あ、え、あ、はい!」
「ヒューヒュー」
メアリーは軽いアリオストロの体を吐瀉物から離れさせてからすぐさま横向きに変えて気道を確保する。
それから急いでパタパタとやってきたローランドと様子を伺っていたネフレンに「水ない?」と叫んだ。なるべく口をすすがせたい。己の本能と言っても差し支えない知識がそう言ってくる。
「水、水ですか!?」
「ええっと、あ、その、あともう少しで手に入ります!!」
慌てるネフレンの隣でローランドが徐に上へと指を差した。
今この緊急事態に何を変なことを、そう思いつつもメアリーは顔を上にあげる。その瞬間、ゴロ、という不穏な音が聞こえた。それが雷鳴の直前だ、と気が付いたときには「ピシャン!!」と音をたてて近くの木を燃やした。それから唐突に大粒の雨が降る。
呆然とする中、そう言えば先ほどローランドが放っていたものが竜巻であったことを思い出す。
あの竜巻が積乱雲を生み出し、局所的な大雨と雷を呼んだと理解した瞬間、メアリーは急いでアリオストロを運びながらキャビンの方向へと足を向けた。
「どこに開けた土地で積乱雲を発生させるバカがいるんだよ!」
「え、え!?ダメだったでしょうか!!?」
「雷に打たれても知らないよ!!」
何とかアリオストロをキャビンの中に放り込んで、メアリーは初めて気が付きましたと言わんばかりの顔をするローランドの背を押して自分もキャビンの中に潜り込む。
「ネフレンさん!急いで積乱雲から離れてください!」
「はい!お任せを!!」
鞭がしなって馬たちを叱咤する。
「やっ!」という掛け声が聞こえたところでメアリーはズダ袋の中から水筒を取り出し、蓋を開けて窓から中身を捨てる。そして、そのまま手を出し続けて水筒の中身を満たしてから手を引っ込めた。
「ローランド、力に自信は?」
「あります!」
「よし、今からアリオストロの口に無理矢理水を流し込んで吐かせる」
コポコポと蓋のあたりに水を満たして、メアリーはアリオストロの頬を叩いた。
「あんた意識はあるだろう」
「う、うう」
「水をあんたの口に入れるから、しばらく口の中で押し留めておいて」
そういうと返事を待たずにメアリーはアリオストロの口にコップを傾けて入れる。
それからローランドの方向へと視線を向けて、
「このまま上半身が馬車から出るように動かすよ」
「あ、はい!」
メアリーは上半身を、ローランドは下半身を持ち「せーの」と掛け声を出してからアリオストロの上半身を窓からはみ出させる。
「押さえておいて!」
「わかりました!」
メアリーはローランドにそう指示してから、渾身の力でアリオストロのその背を叩いた。
「おえぇ!!」
「よし、ローランド引き上げて!!」
「はい!」
吐き終わったのを確認してメアリーはローランドにそう声をかける。
そうする頃には多少の意識が復活したらしいアリオストロが、頭をグラグラと揺らしながら「悪い」と言った。それにメアリーは苛立ちを覚える。そんなことを患者が口にするのが許せない……とかではなく、そんなことに体力使わないで治す方向に体力を使え、という一種の恨みのような感情だ。
アリオストロを横向きにして寝転がらす。
暫くしてから「もう大丈夫だよ」とほざくアリオストロにメアリーは一切の躊躇もなく「口開けろ」とだけはいた。
後ろで椅子にちょこんと座っていたローランドの怯えるような「ヒエ」という声はこの際無視することに決めたらしいメアリーはおずおずと口を開けるアリオストロの口内を確認する。
凝固した血液や舌を噛んだような痕、それから気道に吐瀉物が詰まっていないことを確認して、大袈裟に「峠は越えた」と言った。
「えっと、その、今のは……」
ローランドが不思議そうな顔をする。
つられてメアリーも同じようなことをしようとしたとき、寸前であることを思い出した。
そうだ、この国では医術が禁じられているのだ。
思わずメアリーは唾を飲み込んだ。先程の一連の行動をどう説明しようか、そう考えあぐねていたからだった。
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