【完結】真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが

入多麗夜

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王宮の混乱

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 王宮の朝は、常であれば規則正しい鐘の音と共に始まる。清掃の侍女たちの足音、巡回する衛兵の鎧が鳴らす微かな音、厨房から漂う焼きたてのパンの香り――

 けれどその日、空気は異様に重く、まるで城全体が深い霧の中に沈んだかのようだった。誰もが足取りを潜め、声を落とし、何かを恐れている。

 前夜――ローゼン自治領の誕生という一報が、王政中枢に激震をもたらしていた。

 ノーグレイブ家の離脱。公的には「婚約破棄に伴う中立宣言」とされていたが、実質的には王政からの決別、そして独立だった。
 貴族たちの間に走ったのは、単なる驚きではない。“何かが崩れた”という確信であった。

 そして、その“崩れた中心”にいたのが――王太子アレクシスである。



 ◆
 


「……殿下は、この事態の重大さを、理解しておられるのですか」

 第一会議室。重厚な木製の扉が閉ざされ、外界から遮断されたその空間に、宰相ハルトウェインの冷ややかな声が響いた。

 長机には昨夜の議事録と、各地の領主からの急報が無造作に積まれている。整然と並ぶ書類の上に、誰もが視線を落とすことを避けるようにしていた。

「ノーグレイブ家が保有していた王都東部の四都市、その商業組合が今朝、自治領側との通商交渉を開始しました。正式な承認こそまだですが……すでに実質的な再編は始まっています」

 ざわ、と重臣の間に小さな動揺が広がる。そのなかで、ただ一人、アレクシスは俯いたまま動かない。

「……そんなはずはない。俺は、あれほどのことになるとは……」

 かすれた声が漏れる。乾いた唇を舌で濡らしながら、アレクシスは言葉を継ごうとしたが、それは喉の奥で詰まった。

「では、何を想定されていたのです?」

 老いた財務官が静かに問いかける。その声には咎めの感情はなく、ただ事実を問う冷淡さがあった。

「貴族の誇りとは、王家のために捨て置けるものではない。ましてやノーグレイブ家――いえ、今やローゼン自治領と名乗る者たちは、五百年の血脈と歴史を背景に持つ一門。侮辱を受けて黙っていると思われたのですか」

 アレクシスは口を開きかけ――そのまま、言葉を失った。視線すら上げられず、ただ沈黙が落ちる。

「殿下。“真実の愛”を貫かれるのは構いません。しかし、それによって政権の根幹を揺るがした事実は、いかにして償うおつもりですか」

「償う……?」

 繰り返されたその単語に、アレクシスの表情が歪む。王太子という立場にある者が、“償う”などという責を負うことがあるのか――それ自体が彼にとっては想定外だった。

「まさか……俺に、責任を……?」

「当然でしょうな。政治とは、情愛の遊戯ではないのです」

 その場に、冷たい沈黙が落ちた。

 アレクシスの周囲には、これまで忠実な廷臣や若手の官僚が集っていた。彼の理想と若さに共鳴した者たち。だが今、その誰もが沈黙している。かつて忠義を語ったその瞳が、今はただ虚ろに宙を泳ぎ、彼を正面から見据える者は一人としていなかった。

 それは――“信任の崩壊”だった。

 一方、王太子アレクシスの婚約者、イヴェット・カルステアはというと、王宮内で目に見える変化を痛感していた。

 昨日までは、通りすがる者が笑顔で挨拶をし、侍女たちが些細な好意を寄せていた。人々の視線は彼女を祝福のまなざしで追い、その足取りは堂々たるものだった。

 だが今日、その視線は冷え、計算と距離を孕んでいた。

 廊下ですれ違う侍女たちはわずかに会釈するだけで、目を逸らした。貴族令嬢たちの集まりでは、笑顔の中に鋭い皮肉が混じる。もはや彼女は、“王太子妃候補”としてではなく、“貴族社会における異物”として見られていた。

「イヴェット様……どうか、ご自愛を」

 付き従っていた侍女の一人がそっと口にしたが、その声にも、“もう庇えない”という諦めがにじんでいた。

 イヴェットはその意味を、痛いほど理解していた。



 ◆



 その日の夜、アレクシスの私室に一通の報告書が届いた。

 封筒の封蝋には、西方辺境の印章――将軍ヴァルトロフの名があった。彼は、かつてローゼン家と共に帝国再編を夢見た、実力と信念を併せ持つ軍人だった。

 文は簡潔だった。

「貴家の決断、静かに拝察いたしました。我らはすでに動いております。
 遅れた国に未来はないと心得ます――ローゼンの名と共に」

 その一文を読み終えたとき、アレクシスはゆっくりと椅子にもたれかかった。

 指先から力が抜けていく。

 それは――明確な離反だった。

 “真実の愛”の代償は、あまりにも重かった。

 それでも彼は、自らの判断を正しかったと、どこかで信じようとしていた。レティシアとの婚約を解消し、イヴェットとの関係を選んだあの日。自分は自分の人生を生きようと、そう決意したはずだった。

 だが――それを肯定してくれる者は、今やどこにもいなかっ
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