上 下
116 / 116
【番外編】その頃の冒険者達・その1

海の上の勇者達

しおりを挟む
 時間をさかのぼり、ヨハンとシトリンがムートンからカーボ共和国へ向かう船に乗ったすぐ後のことだ。

「けっこう揺れるのね。大丈夫かしら?」

「大丈夫っすよ、ゲロ袋用意してあるっす!」

 得意げに袋を取り出してみせるヨハンだが、シトリンは期待した反応じゃないのでため息をついた。ヨハンが用意した袋はよく見ると非常に丁寧な作りの二重袋で、汚物が漏れださないように繊細な工夫が凝らされている。もちろん手作りではない。冒険者としてなかなかの収入がある彼にとっても、安い買い物ではなかっただろう。ヨハンは気配りができない人間ではないのだ。ただシトリンの扱いが男友達のそれなだけで。

……うん、ミランダ辺りに恋愛の手ほどきをさせた方がいいんじゃないかな。エスカに言っておこう。

「カーボ共和国まで一週間はかかるから、ゆっくりしていきなよ」

 乗組員に指示を出していたブタ族が二人に声をかけた。この連絡船の船長をしているらしい。人間には見分けがつきにくいが、女性のブタ族だ。声を聞くまでシトリンも男だと思っていたようだ。ヨハンは匂いで分かったのか、特に驚いた顔はしなかった。

「モンスターは出ないっすか?」

 目をキラキラさせながら水平線を見るヨハン。航海中に襲ってくるモンスターを退治するのが勇者の旅っぽいと考えているのだ。あながち間違ってはいないが。

「移動が目的なんだから、モンスターなんて出ない方がいいでしょ」

 シトリンが正論を述べるが、この男がそんな意見に耳を貸すはずがないことはよく知っている。それでも言わずにいられないのがこの少女|(年齢不詳)の性格だ。ヨハンとこういう掛け合いをするのが好きだという理由もあるようだが。

「はっは、お客さんを危険な目にあわせたらアタシらのメンツが丸つぶれさ。見てごらん、荷物運びもせずに斧をブラブラさせてるだけの男衆がいるだろ? アイツらは海から襲い掛かってくるモンスターや海賊と戦うためだけにこの船に乗っているのさ」

 船長が自慢げに戦闘員のブタ達を紹介するが、ヨハンはそれを見て更に目を輝かせた。

「つまり、モンスターや海賊が襲ってくるってことっすね!」

「はぁ……何よりも自分の美学を優先するんだから」

 美学ときたか。確かに言われてみればヨハンの行いは常に勇者としての自分の美学を追求しているようだ。そんな評価をするのはシトリンぐらいだろうが。呆れたように両手を肩まで上げてやれやれとばかりに首を振っているが、その頬に少し赤みが差している。ヨハンのこういうところに惚れているのだろう。

「冒険者さんは危険がお好きなようだね。ま、そうは言っても本当に何かが襲ってくることなんて十回に一回あるかどうかってところさ。そんなのを待ってる間に、たまには腰を落ち着けて彼女さんと思い出話でもしたらどうだい? ずっと冒険ばかりしていて語らう時間もなかったんだろ」

 船長は初対面にしてヨハンとシトリンの関係を正確に見抜いていた。分かりやすい二人ではあるが、職業柄多くの旅人達を見てきたのだろう。シトリンは恥ずかしそうにモジモジし、ヨハンはよく分かっていない様子だ。だが特にやることのない二人はあてがわれた船室へ入り、お互いのことを話すことにした。

「そういえばシトリンは何歳っすか?」

 最初に聞くことがそれか!? エスカが見ていたら雷が落ちているところだ。命拾いをしたな、ヨハン。

「数えてないから分からないわ。誕生日は十一月二十三日よ」

 シトリンは年齢を聞かれることに何の感情も湧かないようだ。そこはエルフと人間の違いなのだろう。長命なエルフにとって年齢などどうでもいいということか。なおエルフも人間も同じ暦を使う。光明神トゥマリクの身体から伸びる十二本の大きな枝と、そこから分岐する数十本の小さな枝になぞらえて作られた『天樹歴てんじゅれき』を採用しているからだ。実際に暦の数字が決まったのには別の理由があるらしいが、古代の人間やエルフはそういう言い伝えを残したということだ。

「そうなんっすね、俺は十六歳っすよ。誕生日は一月一日っす」

「発芽日じゃない! ネーティアではその日に生まれた子供はとても縁起がいいって言われているのよ。滅多に子供は生まれないけど」

 ネーティアでは一年を一本の木の成長に見立て、節目の日に発芽日などの名称を付けているそうだ。前述の暦の成り立ちから考えるとなんだか不思議な感じがする。実際、人間の国ではそのような呼び方をしない。一月一日は年始と呼んで各国に特色のある祭りを行う。この辺りも、本当はトゥマリクの枝の数になぞらえたのではないという考察の根拠になっている。

「そうなんっすか? 確かに俺は昔からめでたい男って言われるっすけど」

 それは絶対に意味が違うと断言できるが、本人がそれでいいなら放っておこう。シトリンは曖昧な笑みで相槌を打った。

「それで、ヨハンのご両親は何をしている人達なの?」

 何をしている、とは職業のことを聞いているのだ。ヨハンなら絶妙に勘違いをするかと思ったが、どうやらその心配は不要だったらしい。

「んー? 俺の親父はアーデンの劇場でいつも掃除してるっすよ。お袋は畑とか耕してるっす」

 父親は清掃員で母親は農家……ではなく自給自足のために自宅の庭で野菜などを育てているそうだ。特に変わったことのない、庶民の家庭だ。清掃という仕事は、技術の無い人間でも従事することができるわりに、給料は少なくない。貴族にとって街や建物の清掃が行き届いていることは重要なステータスだから、金を惜しむことはないのだ。むしろ貴族にとってはいかに『無駄使い』できるかが重要なのである。ヨハンも父親の後を継いでいれば金に困ることのない平和な人生を歩んでいただろう。まあ、この男は今も昔も金には困っていないが。

 そんな話をしているうちに外も暗くなり、懸念していた船酔いに襲われることもなく一日が過ぎていくのだった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...