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16、黒くて不審なお客さま?

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「……ちゃん、お姉ちゃん!」
 耳元で呼ばれると同時に、私のほっぺに小さな茶色い手がムニーっとめりこむ。

 しまった、カワウソさんご一家の接客中だった。
 今、私の肩にはカワウソの小さい姉弟が襟巻のように乗っている。

「小さいジャムパンあるー?」
「こちらになりまーす。今日はチョコパンもまだあるよ」
 カワウソのお兄ちゃんが棚を手で指すのに慌てて従う。
 お客さんの中には棚が全然見えない方も多くいらっしゃるので、そういう方には店内の柱に作った司令塔代わりの棚から指示をいただいて私が代わりにトレーに乗せる、というシステム。

 あれから。
 いろいろと気付いてしまいまいして。
 はじめてニーニャさんに会った時に感じたあの衝撃とか動悸とか。
 もしかしてあれは嫉妬とか、不安とか、そういうやつではなかろうか、と。

 なんてこったい、たった三年で恋愛感情って忘れられるものなのか。
 そりゃこの異世界にお引越し的な異常事態だし、少々精神的におかしくなるだろうとは思うけど、それにしたって三年とかで。

 はー、どうしたもんだかな。
 いやいや、どうもこうもないんだよな。
 ニーニャさんは相変わらずcafeだんでらいおんにお勤めで、二人の関係に変わった様子はなくて。
 私に対しても、二人は普段通りで。
 ニーニャさんのガトーショコラは評判になってて。
 そのおかげでこれまでcafeだんでらいおんはちょっとおじさんの行く喫茶店、って感じだったのに若い人達も増えてきて。
 それは当然若い女の子達の方が多くて。
 私は出来ないけど、ニーニャさんは千秋さんの洗濯物を全部取りこめちゃって。
 私にはしっぽがなくて。

 自分の人生において、しっぽがない事をコンプレックスに思う日が来ようとは。

 そして。
 色々と大変やらかしている事実。

 ━━なんか邪魔するんで。
 千秋さんはあの時そう言ってた。
 雨の中ふらふら不審な行動に出た私に驚いたんだろうけど、ニーニャさんにしてみたらそりゃ大事な最中に出て行こうとされたらそりゃ「は?」って思っただろう。
 それなのに普段通り私に接してくれるニーニャさん。
 なおかつ、知らなかったとはいえずっと彼女さんの前で千秋さんには何かとお世話になりまくってた。
 冬ごもりまで一緒にさせてた。
 ニーニャさんはあの通りサバサバしたお姉さんだから何も言わなかったのかもしれないけど、きっと嫌な思いをさせていたはず。
 申し訳なくて、いたたまれなくて、合わせる顔もないくらいで。
 だから「もう秋になるし、お母さん配達行ってくれない?」と母に言ってみたけど却下された。
「心配しなくてもアンタの旬はとっくに切れてるわよ」
 だって。
 春ほどではないとはいえ、秋だって恋の季節。苦しい理由かな、とは思ったけどまさかそんな風にぶった切られようとは思ってもなかったよ。
 そりゃ「しっぽのないお客さん」の珍しさも完全に消失した感はあるけどさ。
 ……二人が営んでいるお店には、本当に行きづらい。

 カワウソさんご一家はとっても仲良しの4人家族。
 店の前の階段を降りた所できょろきょろと左右を確認するようにして帰って行く仲睦まじいカワウソさん達を羨ましく感じながら見送って、ふう、とため息をつく。
 だめだ。
 ちょっとの事で自分のしでかした多様な無神経行動に叫びたくなる。
 仕事中なんだから、とそれを振り払ってレジに戻ろうとしたら背後にお客さんの気配を感じた。
 いらっしゃいませーと条件反射で振り返れば、そこには上から下まで真っ黒なその相手。

「奈々?」
 入り口で固まったら邪魔、の意味を孕んだ母の呼びかけにも反応出来ないくらい、私は困惑していた。

「あら、千秋さん。ホストみたいでかっこいいけど、今日はお出かけ?」
 黒い開襟シャツにグレーのスーツ姿。
 その黒い相手に母は言うけれど。
 母に悪気は無くて、それは褒め言葉なんだけど。

「お母さん、千秋さんじゃないって」
 慌てて母にそっと言った。
 確かに一見、千秋さんっぽくて、顔もほぼほぼ千秋さんなんだけど。
 たぶん後ろ姿だったら絶対分からないだろうけど、この人は千秋さんじゃない。

「あらホント。手が……」
 思わず、といった様子で漏らした母の言葉に、ついその方を見てちょっと驚く。
 千秋さんは左手がヒトの手だけど、この黒獅子さんは右手がヒトの手で左手がライオンさんの黒い手という、千秋さんとは反対だった。
 
「あれ? キミ、手で区別したんじゃないんだ?」
 ホストのような出で立ちの黒獅子さんは、面白そうに笑って首を倒す。

 なんだろう。
 ……チャラい。
 思わず警戒してしまう。
 そして異様に、まるで観察するように、値踏みでもするように、真剣に見つめてくる金色のその目が怖い。

「ああ、そんなに怖がらないで。俺ね」
 私の警戒心に気付いたらしく、なだめるように手を伸ばされるけれど、それがもうとてつもなく怖かった。
 恐怖のあまり咄嗟に空を仰いで思いきり息を吸い込む。

「ワシザキさーん!!!!!!!」

 ちょっと来てくださいぃぃぃ!
 気持ち的には半泣きで、つい咄嗟にお巡りさんを呼んでしまったのは許してほしい。

 空のお巡りさんのワシザキさんが現れるよりも前に、お隣の「cafeだんでらいおん」のドアが大きな音を立てて激しく開いた。
 慌てた様子で飛び出した千秋さんはこちらを見た瞬間、ぶわっと一回り大きくなったように見えた。

「てっめぇ! 何してんだコラァァァァ!」
 毛を逆立てて叫んだ、全体的に濁音がつくようなそれ。
 周囲の空気を震わせるような、怒号を通り越したそれはまさしく百獣の王の咆哮だった。
 
「は? え、ちょ……!」
 訳が分からない、といった様子ながらも「なにかまずい」と察したらしく同時に駆け出すチャラ獅子さんと、それを追って疾駆する黒い影。

 通りのはるか向こうから駆け付けたらしいポメラニアンの警察署長さんもそんな二人を追いかけるように、キャンキャン言いながら弾丸のように駆けて行く。
 その刹那、バサリと羽音を立てて空から大きな壁が落ちて来た。

 ワシザキさんはチャラ獅子さんの後ろ首を止まり木扱いするように抑えつけ、地面に倒すとあっという間に腕を拘束した。
 くっ━━
 なんてカッコイイご登場。

 追いついたポメラニアン署長さんがチャラ獅子さんの顔の近くで威嚇の声を上げて唸っている。
 初めてちゃんとお巡りさんらしい仕事してるのを見た気がする。
 ていうか署長さんという役職なのに現役バリバリでお仕事されるのか。

 そしてその周囲を建築会社の社長さんをされているゴリラ頭のゴウダさんや、筋肉隆々ムキムキでマッチョなカンガルーのおじさんが囲んだ。
 この世界は力自慢の狼藉者が出た場合、同じく腕に自信のある市民の協力のもと捕り物が行われる。そうじゃないとお巡りさんだけでは取り押さえられないことがあるからだ。
 新聞では時々目にしてるけど、まさか田舎のこの街でそんな事件が起きようとは。

「イヌワシってオオカミも捕まえられるってホントだったのねぇ。テレビで言ってたわ」
 母が背後で感心したように言ってるけど、ワシザキさんはオジロワシだよ。
 千秋さんのものとは到底思えないような咆哮に驚いた父や、ニーニャさんも各々店の中から出てきて、役所の職員さんである白ウサギのイナバさんまで駆け付けてくださった。
「何があったんですか? 大丈夫ですか?」
 恐ろしく耳が良くて、足の筋肉が発達しまくりのイナバさんは役所から猛ダッシュで来てくれたっぽい。
 
「あれ? もめ事かと思ったらナツじゃねぇか」 
 ワシザキさんは自分の下に抑えつけた相手を見て、首をかしげた。

「分かったなら降りろよ! 署長だって鼻いいんだから俺だって分かってるだろ!」
 悪い悪い、とまったく悪びれず笑いながら拘束を解くワシザキさんと、フフンと鼻を鳴らすポメラニアンの警察署長さん。
「普段温厚な千秋君が血相変えてるからさ、お前さんよっぽどの事やらかしたんだろうなと」
 署長さんは悪びれる事もなく、さも当然と言ったように言ってちょこんとお座りする。

「どいつもこいつも千秋の味方しやがって」
 不服そうに言って胡坐をかいたチャラ獅子さんに、ワシザキさんは呆れ果てた様子で大きなため息をついた。

「そりゃ青年部長なんて面倒を引き受けてくれる奴、大事にされるに決まってんだろ。で? 何。いい年して兄弟ゲンカかよ」

 ━━やっぱりかー!
 ですよね!!
 自分がしでかした事に気付いて、お兄さんに謝って、皆さんへの事情説明が急務!!
 と思ったのに━━

「今頃何しに来たんだ、夏樹なつき
 眉間と鼻の頭に深く皺を寄せたままの千秋さんは低く、厳しい声でまるで糾弾するように言えば。

「あ゛ぁん?」
 対してチャラ獅子さんこと「夏樹さん」は不快を露わに不快気に唸った。

 ん?
 んん?
 もしかしてこの「平和にのほほん、ファンシーファンタジー」なこの世界に、元ヤンって存在したりします?
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