屈強令嬢は今日も見合いに気付かない~後宮出禁のワケあり筋肉縁談~

志野まつこ

文字の大きさ
2 / 26

第2話 左遷ですか?

しおりを挟む
「貴女にいいお話です。次の組織改定で清牙セイガ様の警護担当に任命されます」

 あれから三日、上司で将軍補佐たる上羅から穏やかに告げられたそれに優里は言葉に詰まった。
 清牙とは、国主の腹違いの弟の名前である。
 それは━━
 王弟の警護担当と言えば聞こえは良いが、三十手前の王弟は病弱で田舎で二十年近くも静養している。

 優里は将軍の娘ではあるが、「家名に頼ることなかれ」という徹底した家訓により特別視される事を良しとせず、その扱いは優里の直属の上司たる上羅に一任されている。
 よって動揺しながらも「左遷ですか」と努めて冷静を取り繕って確認した。

 本来は大変な名誉であり、誰もがうらやむであろう大出世である。にもかかわらず優里がそう確認したのは王弟の身の上にある。
 この国の人間は九割以上が黒髪である。残り一割は北方の血が混じった茶系統の髪を持つ。王族が皆、黒髪であるなか王弟 清牙は茶色の髪持って生まれた。
 後宮内での不義は不可能に近い。それでも当然血を疑われた清牙は、上羅の実家に預けられそこで育った。

 上羅の実家は国の最北端に位置する森県を治めている貴族だ。そこは茶系の髪が中央より多い。
 もはや死んでも構わないという扱いで、これまで清牙が王城に戻ることは一度もなかったはずだ。
 だから左遷かと優里は単刀直入に確認したのだが━━

「いいえ。異動です」
 上羅はいつもの笑顔のままだ。だからこそ理解した。
 どういい繕おうと、嘆願しようとこれは覆る事はないと。
 しまったと優里は思う。
 時期は思っていた以上に早急に訪れた。

 いずれ自分は排除されるだろうとは思っていたし、もとよりそのつもりだった。しかしまさかこんなにも早くこの日が訪れようとは。
 それとも、ちょうどいいとばかりにあの失言を利用されて時期を早めたのか。
 口は禍の元。
 失言を悔いるとともに「それでも」と思う。
 いずれ来るべきこの日がここまで早まったのは、見方を変えれば歓迎すべきことではないか。

 女性の兵役制度の廃止。
 その為には軍の上層部に自分がいる事は望ましいことではないだろう。
 もっと体制を整えてから現場を離れたいというのが正直なところではあるが、先見の明のある聡明で権力のある人物が動き出したのだろう。

 などと目まぐるしく感傷的に殊勝な事を考えていた彼女に、笑顔の上官は口を開く。
「貴女が最適だと判断しました。期間はとりあえずふた月。いつもの『査察および配属先の要望調査』という名目で様子を見るというのはどうかしら。先方の情報は父君に預けています」
 笑顔の上司から発せられたその一言で、優里の本能は刺激されると同時に本質たる部分が呼び覚まされた。
 それまでも模範的な姿勢を保っていたが一層姿勢を正し、まっすぐな強いまなざしで上官を見つめて頷く。

「かしこまりました。謹んで拝命いたします」
 手のひらに拳を当て掲げ、頭を垂れる武人の礼を取ったのはもはや反射だ。上司からの密命に高揚する気分を抑えつけながら、優里は退席したのだった。

 際立って頭がいいとは言えないが、勘の良さは他を圧倒し、実戦では野性味を帯びて本能で正確かつ的確に動く事の出来る優秀な部下たる優里の様子を見ながら上司たる上羅は切に願う。
 どうかこの縁談が上手く行きますように、と━━

 部下を正当に評価する反面、この上司は一つだけ甘く考えていた。優秀な上羅がそれを忘れていたわけではない。部下のそれが常軌を逸していたのだ。
 自慢の部下の勘は荒事だけに働き、色恋の類には全くといっていいほど反応しないというとんだ我楽多ポンコツであることを。

 *

 普段は女性兵の官舎にて生活している優里が自宅に戻るのは久し振りの事だった。戻るなり軍の将軍を務める父親の居室を尋ねる。

「申し訳ありません、父上。この度の一件はすべて私の不徳の致すところであります。かくなる上は赴任先で精進し、家名に恥じぬ働きを」
 見上げるほどに背が高く、逞しい体躯。豊かな髭と目元に走る刀傷が見る者をさらに怯えさせる岳将軍は娘のこれ見よがしな演技にくっと笑った。

「そんな堅苦しい言葉はなしだ、優里」
 武人の礼を取り頭を垂れたまま告げるつらつらと述べる優里を父は言葉で遮る。
 娘の道化を笑いながらも父のその表情は心なしかこわばっており、顔を上げた優里はやはり重大な任務かと緊張した。上羅から聞いた通り、話は通っているらしい。

「こちらから情報を得るよう申し遣っております」
 改めて固い口調で優里は標的となる人間の情報を求めた。
 直属の上司からではなく、将軍である父親を介するなどというこんなまどろっこしいやり方が取られたのは秘密保持のため、そして標的の情報の精査を父に依頼する目的があったのだろう。

 難しい表情を浮かべた父は執務机の脇に置かれた竹簡を見やる。やっと手にしたかと思えば、なお手の中の竹簡を見つめるその表情に、優里は戸惑った。
 父が情報の開示を躊躇している。

 それほどの相手なのか。
 優里が緊張して父の判断を待つ中、やがて父は何か大きな決断を果たしたように息を吐いた。

「お前は己の信念のまま判断するがよい。この父がその全責任を負ってやる。どうせ曽祖父の代の功績で成り上がった、戦うしか能がない武勲一家だ。没落し追放されたところで我らはどんな荒野でも生きていけるというものだ」
「父上……ッ」
 あまりに重い処分に優里は愕然とする。同時に己の浅はかな言動が契機になったであろうに、鼓舞するように寛大に言う父の器に優里は打ち震えた。

 岳家の起源は山賊である。国の東の国境に位置する山岳地帯にて古くから山賊行為を行っていたが近代では通行する商人や旅人から通行料を徴収し、道案内や護衛を生業としていた。
 現当主の曽祖父、つまり優里の「ひいひいおじいちゃん」が東の隣国からの侵略を返り討ちにした際、当時の国主に惚れこまれ頼み込まれて「岳」の名を与えられ仕官したのちあれよあれよという間に将軍の位に就いてしまった。
 よって「家の名誉」といった考えはこの一族にはない。

 会ってみて嫌だったら、家の事なんか気にせず断っていいからね。
 責任はお父さんが取るから、心配しないでいいからね。
 お家取り潰しになったってウチ、みんな逞しいから平気だし。もともとは田舎出身のちょっと大きな家だったわけだし。
 こんな事ぐらいじゃ我が家の家訓は揺るがないし。いくらだって方法あるし。
 父はそう言ったつもりだったのだが━━

 幼少の頃から男兄弟達と区別することもなく「敵の総大将の首を掲げる女武将」になるべく育てられ、素質も適正も見事なまでに有していたが為十四でこっそりと他国へ『武者修行』とばかりに留学してきた女は確固たる意志をもって決意した。

「この任務、必ずや成し遂げて見せましょう」

 決意のみなぎる真っ直ぐな瞳は父譲りだと言われる愛娘。
 その視線を受けて父は思う。
 いや、うん、だからね、嫌だったら帰って来ていいから。
「一度自身の目で見んことには判断もつかんだろう。だが……」
 これまで父の言い淀む姿など見た事のない優里は続けられる言葉を緊張しながら待つ。

「手に余ると思ったのならば、すぐに報告するように」
 父のその発言に優里は大きな衝撃を覚えた。これまで己の任務はなんとしても完遂する事を教えられてきたというのに、それを反故にするような発言ではないか。

 そもそもこの父親を筆頭に優里の二人の兄も軍の要職に就いており、優里自身も所業に何かと問題ありとされているが教官としての素質も技量も認められている。
 当の本人たちは「一つの家にこんなに権力を集中させてうかつな事を」と呆れてはいるが、国にとって岳家は切り捨てる事など出来ない存在である。
 そこまで重用されながら、国に背いてもいいと言う。

 一体どれほどの問題なのだろうと、緊張から自然と喉が鳴るとともにその瞳は闘志の火がおこる。
 親子はしっかりと目を合わせ強い意志を確認するように頷きあった。

 父は思う。
 本当は会わせるまでもなく断ってしまいたいのだ。
 自分の血を見事なまでに受け継いだ娘を溺愛する父は娘の覚悟した姿に感銘し、頷きながらもその厳つい顔に反し内心涙目であった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。 父親は怒り、修道院に入れようとする。 そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。 学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。 ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。

公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる

夏菜しの
恋愛
 十七歳の時、生涯初めての恋をした。  燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。  しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。  あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。  気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。  コンコン。  今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。  さてと、どうしようかしら? ※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

顔も知らない旦那様に間違えて手紙を送ったら、溺愛が返ってきました

ラム猫
恋愛
 セシリアは、政略結婚でアシュレイ・ハンベルク侯爵に嫁いで三年になる。しかし夫であるアシュレイは稀代の軍略家として戦争で前線に立ち続けており、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。セシリアは孤独な日々を送り、周囲からは「忘れられた花嫁」として扱われていた。  ある日、セシリアは親友宛てに夫への不満と愚痴を書き連ねた手紙を、誤ってアシュレイ侯爵本人宛てで送ってしまう。とんでもない過ちを犯したと震えるセシリアの元へ、数週間後、夫から返信が届いた。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。 ※全部で四話になります。

どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。 無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。 彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。 ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。 居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。 こんな旦那様、いりません! 誰か、私の旦那様を貰って下さい……。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

処理中です...