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第三章 わだつみの娘と海の国の物語
3、庭いじりは以前からたしなんでいるがそれがなにか?
しおりを挟むレオンは目が覚める感覚を覚え、こんなに質の良い睡眠をとったのは久し振りだなと思う。それと同時に不安になった。
シーアの姿が無いのではないか、そんな恐れにも似た不安に駆られる。
我ながら情けないと思わずにはいられなかった。
腕の中の感覚を確かめ、安堵とともに目を開く。そこで見た春の柔らかな朝の光の中で見せる穏やかな寝顔に息を飲んだ。
一糸まとわぬ体を抱き寄せながら自分も身を寄せ、額に口づける。
小さく身じろぎした彼女の顔を確かめれば、片目だけ薄く開けてレオンを見るとするりと細い腕が伸びレオンの首に回される。
優しく引き寄せられるのに応じた彼の唇にシーアは触れるだけの軽い口付けを一つ与えるとふわりと微笑み、安心したかのように目を閉じた。
彼女の身体から力が抜け再度眠りに落ちた事を知る。
寝ぼけた時の彼女の弱点をレオンは思い出した。
だが彼は知らなかった。気を許した相手の前でなければその弱点は姿を現さない事を。
次に目覚めた時、彼女は覚えていやしないだろうがこんな穏やかで幸せな朝がこれまでにあっただろうか。
それはとても幸せで、愛おしい朝だった。
◆◇◆
その日の午後、小間使い姿のシーアはふらりと庭園に現れた。
顔なじみの庭師が花壇に座り込んで手入れをしているのを見つけて隣に座り込む。
彼女は以前からこうして花や木々の手入れに訪れていた。
少し強い風からは、春の匂いが漂う。
香りを確かめるようにシーアは一度スンと鼻を鳴らした。
つぼみが大きくなった花壇を見ながら隣の庭師にいつもの調子で声を掛ける。
「昨日は悪かったな。助かったよ、ありがとう」
四十がらみの庭師は不思議そうな顔をした。
「昨日はお会いしていないかと思いますが……どなたかと間違われたのでは?」
首をかしげる庭師にシーアは「うん、じゃあ間違いだ。すまなかったな」と草をむしった。
「ちょっと怪我しそうになって助けてもらったんだ。あのまま怪我したらうちの旦那がそれはへこみそうだったからな、面倒にならずに済んだ礼を言いたかったんだ」
あのままレオンの持つ刃で怪我をすれば、怪我を負ったシーア以上にレオンが傷つくのは容易に検討がついた。
だから、無傷で済んだのは本当にありがたかったのだ。
「それは私ではありませんが、お怪我がなくて何よりです」
穏やかな笑みを浮かべた庭師は肥料を撒き、シーアはいつものように雑草の小さな芽を抜いて行く。
しばらく続いた沈黙の後、庭師は口を開いた。
「ちなみにどうして私だとお思いになったので?」
「匂い、かな。窓を開けた時にさ、風が入って来たんだ。その匂いがお前に似てた。それだけ。勘違いだ」
気にするな、とシーアは言った。
庭師は顔にこそ出しはしなかったが内心愕然とした。
仕事に入る前は身を清めている。体臭にも気を遣っているというのに、この王妃の勘の鋭さに戦慄を覚える。
国王が手に小刀を握った時どう対処すべきか困惑した。
歴代の国王から「影」とも呼ばれる彼は代々王家の寝室を守る家に生まれた。
過去の先代達であれば、成り行きに任せただろう。
国王を護る。それだけが唯一の任務であるのだから。
しかし、この国の王家は一度絶えかけている。王とそのまわりの優秀な人材の尽力により荒廃した時代をやっと抜けたばかりであった。
そして海姫もまた、この国には必要な人間である。
今またここで王家の威信を失墜させるような打撃があれば━━国王の腕の筋肉が動く直前、体は動いてしまった。
誤算だったのは海姫の身体能力である。
あの反射神経であれば軽傷で済んだであろう。手を出すまでもなかったと後悔したが、彼女が言うように国王に無用の禍根を与えずに済んだと思うのもまた正直な感想であった。
「あ」
ふと顔を上げてシーアは大きく手を振った。
相手を見やれば庭園の奥の回廊で相手はとても嫌な顔をしていた。
王妃相手にそんな顔をするとは━━庭師は再度驚く。
「グレイ、ちょっと来い!」
ひどく厳しい表情で全く動こうとしない彼は全身で拒否しているのが容易に見て取れる。
全力で拒否されているというのに、シーアはそんな態度を気に留める様子もなく再び声を張った。
「いいもん見せてやるから来いって」
無邪気な笑顔で手招く。
何もいい物なんて無いと思うのだが。まさか自分の身上か。
庭師は平静を装いつつ身構えた。
「お前、仕事してるやつの邪魔すんなよ」
そこまで嫌そうにせずとも、という様子でやってきた彼は一番にそれをたしなめて庭師を庇った。
「手伝いだよな? ほら、もうすぐ咲くぞ」
シーアは心外だと言うように庭師に同意を求めてから、白いマーガレットの群生を指さしてそんなことを言った。
え? いいもんって、それ? 男二人の間に沈黙が落ちる。
「あぁッ!! やっと見つけた! 悪い、ちょっと用事が出来た」
シーアは突如そう言うと建物の方へと駆けて行く。その先の回廊には従者を連れたオズワルドの姿があった。
「……あいつ、いっつも邪魔してるんだろ? 邪魔だって言っていいんだぜ?」
自由過ぎる女の背を見送りながら、グレイは足元の庭師に声を掛ける。
なんだかんだと言いながら、グレイはよくシーアの事を見ているのだ。彼女がここに来た頃から時々庭師にまとわりついて庭園をいじっているのを知っていた。
庭師は笑った。
彼女は意外な事に花を好む。
『海の上では見られないから』
そう言ってしょっちゅう花の名前を尋ね、ハーブの香りを楽しみ効能を聞いてくる彼女はとても素直な人間に見えた。
王城の手入れのいき届いた庭園。これまで貴族の屋敷などに忍び込む事はあったが、ゆっくりと見る機会はない人生だったらしい。随分とこの風景を気に入っている様子だった。
それだけではない。
「ここからだと陛下のお部屋がよく見えるそうです」
国王の執務室も、王妃の居室も一望できる。
地に生えた花を身近で見ながら、警備についても考えられるこの場所。
そこはシーアにとって素晴らしく意味のある場所だった。
グレイも王城の建物を見て眉間に皺を寄せる。
なるほどね。これを見ろってか。
守りに必死になって、これまで見失っていた。
自分は本来、侵入する腕を買われたのだという事を。
初心に戻るとするか。
あの女の意図にやすやすと乗るのはで不服でしかないが、レオンの為だ。仕方ない。
「仕事の邪魔になるかもしれないが、またこの辺におじゃましてもいいかい?」
「いつでもどうぞ」
庭師は日に焼けた顔を破顔させた。
彼ら表の守護者である護衛隊は、闇夜の護衛隊である彼らにとって共存するべきものである。
護衛隊隊長の彼がそれを知る事はこの先永遠にない。
しかし同志として素直に歓迎の意を表したのだった。
◆◇◆
「オズワルド! 昨日は死にかけたぞ!」
追いついて低い声で文句を言う。オズワルドはわざとらしく首をかしげながら、隣で戸惑っている従者を先に行かせた。
「いきなり王妃を手に掛けるような事はないはずですが。まだ何か武器でも持っていたんですか?」
他者の耳がない事を確認してから呆れたように、そして少しだけ咎めるように彼は言った。
隠す気が無いならば、はじめから護衛がいると言えばいいのに。シーアは睨み付ける。
彼が入室前に室内に向けて放った言葉は、部屋の主に対してではなく影に潜む人物への言葉だった。
この男は、彼女が「影」の存在に気付かなければそれはそれでいいと思っていた。
その思惑を見逃すような海姫ではなく、だからこそ気遣う事はせず正直に告げる。
「そっちじゃない。レオンだ」
オズワルドはしばし沈黙し━━
「ご無事で何よりです」
一言、あたりさわりの無い言葉を告げたのだった。
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