海の国再興譚~腹黒国王は性悪女を娶りたい~

志野まつこ

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第三章 わだつみの娘と海の国の物語

4、護衛隊々長の憂鬱と言うには生易しい、怒れる日々<前>

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「試算や確認作業が出来る人間がもっといればいいんだけど」
 国庫管理室前の回廊で休憩がてらシーアと日向ぼっこをしながらリザはそうため息をついた。
 そうすれば、過去の不正の発見もより効率的に出来るのに。
 ざっくざく出てくるだろうに、と。

 商業の盛んなソマリ出身のリザがもたらした合理的な帳簿の作成方法や、金銭の管理方法は海の国オーシアンにとって画期的な技術で国庫管理室の人間の常識を覆すものであった。
 今では国庫管理室室長はすっかり半隠居の生活を手に入れ、リザも古参衆に並んで手腕を振るっている。
 そんな彼女から人手不足を聞いたシーアは「あー」と唸った。
「ちょっとアテがあるかも。聞いてみとく」
 そう言ったシーアは、ずいぶんと楽しそうだった。

 宰相まがいのオズワルド・クロフォードの養女カリナは本来は徒弟になるため北方の山岳地帯から都に出てきた羊飼いの娘である。
 彼女が幼少期から文字や数字に対し非凡ならぬ才能を持っている事を知っていたオズワルドは、彼女の後見人となり彼の屋敷に下宿させた。
 彼の妻や成人していた一人息子も彼女を歓迎し、可愛がりその関係はすこぶる良好だった。
 オズワルドは帰還したレオニーク・バルトンの補佐として多忙を極め屋敷に戻れない日々が多かったが、戻れた日はカリナが覚えた事を嬉しそうに少しだけ報告し、謝辞を述べた。
 まだ議会派の残党が各所で息をひそめていた頃で緊張に張り詰める生活が続く中、忙しい彼の時間を配慮して話を端的にまとめている有能でいじらしいカリナの様子にクロフォード家の者はみな癒された。
 政務に忙殺される毎日であったが、同時にそれは幸せを感じられる日々でもあった。
 しかしオズワルド・クロフォードが議会派の残党に急襲され、それを庇った息子が凶刃に倒れた日。それは永遠に失われたのだった。

「それでカリナが養女になったのか。そりゃ━━早まったもんだな」
 シーアは二人の男の前で沈痛な面持ちで呟いた。

 死ね、この馬鹿女。てめぇに気遣いってもんはねぇのか。
 グレイは実際音が鳴るほど歯ぎしりした。
 対してオズワルドは、神妙な面持ちで頷く。
「まったくです。あの子には可哀想な事をしてしまいました。ちゃんと仕事が出来るよう一人前になるまで後見であるべきだった」

 カリナもオズワルド家の一人息子を兄のように慕っていた。
 跡取り息子を失ったオズワルド夫妻の落胆は痛いほど分かり、だから夫妻からの養子縁組の申し出も受け入れた。
 それで少しでも彼等が癒されるのであれば、自分に出来る事があれば出来る限り応えたかったのだ。
 子供を失ったオズワルド夫妻の絶望と無念。
 それを誰よりも身近で直面したカリナの悲しみと、優しさ。
 それはシーアの想像を絶するものである。

 だからこそ━━
「でも、誰もあんたを責められないさ」
 そう言ってシーアはオズワルドの肩をつかんで軽くゆすった。
 自分を責めるな。そんな思いを込めて。

 大好きだった養母を亡くし、養父も一度は死んだと知らされたシーアである。
 家族を失う事の意味。
 その痛みは知っていた。

「前にうちの船に乗った時、一緒に乗船したのがそうだろ? あんたによく似た真っ直ぐな目をしてた。うちの船に乗っても落ち着いてて、若いのにしっかり発言してたから覚えてる。優秀な男だったろうにな。残念だ」
 国のために働ける優秀な人材だったのに。
 シーアはオズワルドの目を射抜くようにまっすぐに見つめてそう告げるとオズワルドの肩から手を放し、眉間を曇らせて少しだけ目を伏せる。
 オズワルドはシーアの言葉に目を見張った。

 自分とともに国の安寧に尽力する中、志半ばで倒れた息子。
 落ち着きを取り戻しつつあるこの国で、息子の事を覚えている人間がどれほどいるだろう。
 悲しく理不尽なその事件に激しく動揺した人々は、やりきれなさに記憶の奥に隠してしまったように思う。
 息子は平和の影に埋もれ、忘れ去られてしまったものだと思っていた。

 体の中心が揺さぶられた。
 オズワルドは思わず口元を覆って震えた。
 彼の日々は算段と駆け引きに大半を占められている。おだやかな表情で本心を隠す事が日常で無意識でそれを行う「宰相まがい」。
 だから落涙などしない。けれどそれを彼の特技が働いて見せなかっただけだ。

 自分の抱く理想に息子を引きずり込んだ結果、巻き添えにし、身代わりにしてしまったのではないかという悔恨がずっと彼を苛んで来た。
 今もなお、そしてこれからもそれから解放される事はないと思っている。
 しかし何年も前に一度会っただけの人間が息子を覚えていた。
 国王と同じように彼女もまた、息子を記憶していてくれる。
 それは彼の中でくすぶり続けるわだかまりの一つを優しく解きほぐしたのだった。

「おたくのお嬢さん、すごいんだろ?」
 そしてその空気を完全にぶち壊す調子で口元に手をやり、口角の上に指を這わせてそう笑んだシーア。
 この頃になるとオズワルド・クロフォードも理解していた。
 それが王妃の企み事をした時の癖であると。

 その後、国庫管理室の人間はカリナの常人離れしているその計算速度と正確性に言葉を失ったのだった。

◆◇◆
 王城の警備を担当する護衛隊の長を務めるグレイという男は、本来朗らかな人間である。
 飄々としていながら、声を荒げる事はなく、隊員達とも鷹揚に会話し、軽口にも穏やかに「ははは」と笑って返す。大きな声で、本当に楽しそうに笑う姿は好ましい。
 気がよく誰からも好かれるタイプで、その粗野な風貌からは意外に思うほどの良識人である彼は北方の山岳地帯出身であり身分は低い。
 そもそも北方の地で義賊の頭領をしていた男だ。
 国王不在の間に暴利をむさぼった悪徳な貴族や商人の家にしか押し入ってはいないとはいえ、叩けば埃の出る身である。
 しかし国王レオニーク・バルトンはその経験を買い、そんな国王の集めた人格者の多い王城においてグレイの出自は出世の妨げにはならなかった。

 それがここ最近はずいぶんと変わった。
 王城に彼の怒声が響くようになったのはここ1年ほどの間である。
 イライラしながら荒い足取りで王城内を闊歩するようになった。
 護衛隊の隊員達は一様に気の毒そうに愛すべき隊長を見送る日々が続いている。

 勤務時間から解放されて、帰宅の途に就いたグレイは通りが混雑しているので普段は避けている市場に寄った。
 彼の住居は王城の北側の郊外にある借家である。
 昔なじみのレオニーク・バルトンに雇われた後、兵舎暮らしが性に合わず上司であるオズワルド・クロフォードの紹介で借り受けた庭付きの一軒家。
 宰相まがいと言われる男の縁者が使っていたその館は、護衛隊の上官が住むには少し小さいがグレイはその「ほど良さ」をとても気に入っていた。
 彼はそこへ夫に先立たれた遠い親戚の老婆二人を田舎から呼び寄せ、田舎で仕事もなく一人で過ごすくらいなら、と家事を任せて同居している。
 素性も良く分からない下女を雇うよりもずっと安心できたし、何より気安かった。
 たまにこうして食材の買い物を言いつけられるが、本来雇用主であるはずの彼も文句と言った体で一言返しながらも快く応じるのだから、老婆二人にしてみても生意気で可愛い孫くらいにしか思えないのだった。

 夕刻にはまだ早い時間帯ではあるが、市場には食欲をそそる香りが充満していた。
 前方に見知った顔を見つけて「おや」と思う。

 金髪を両脇で三つ編みにして垂らした少女。
 使用人のお仕着せ姿をしていたがその顔が整っている事は一目瞭然だった。
 宰相まがいと言われ続けておりながら、決してその座には就こうとしない上司オズワルド・クロフォード。
 クロフォード家の養女であるカリナが同じく侍女姿の年嵩の女と二人肩を並べて市場をこちらへと歩いてくる。

 最近彼女はその計算能力の高さを見込まれて国庫管理室に出入りしている。
 同時に、市井にも出るようになったのだと上司は言っていた。
 さっと視線だけで周りをうかがって護衛らしき人物二人を確認する。城より北側のこの地区は、港のある南側より人も少なくのどかではあるが、それでも呆れた。
 このお嬢さんも、うちの上司もずいぶんと不用心だ。
 そう内心嘆息するグレイにいまだ気付かないカリナは、ふと視線を脇の店に向けた。
 次の瞬間そこに花が咲き誇るような笑顔がこぼれる。

 おやおや。
 意中の徒弟でもいるのだろうか。
 そうグレイが口元を優しく緩めたほど、少女のそれは恋する乙女のような笑顔だった。

 彼女がその店を見たのはほんのわずかな時間だった。
 次の瞬間には周囲に気取られぬようにと言わんばかりの様子で前を向く。
 そして養父の一番の部下である見知った男の姿を見たカリナは一瞬、血相を変えたのだった。

「こんにちは、お嬢さん」
 恐れなくてもいい、何も気付いていない。
 そんな様子を装ってグレイはあいさつした。

「こんにちは、お仕事帰りですか? ご苦労様です」
 彼女は同郷でもあるグレイに対し、他の目がない場合は市井の言葉を使う事が多かった。
 少女にとって彼は、心を許せる数少ない人間で、そんな風に接してくる少女をもともと面倒見の良い彼が放ってはおけるはずもなく、これまで視界に入れば気にかけてきた。
 だから気付く。
 笑顔が妙にぎこちない。
 職業柄、普段と違う様子に気付いてしまったグレイは「職業病だな」とか「お嬢さんには申し訳ないが」と思いながら先ほど彼女が視線をやった店に目を向けた。

 精肉屋である。
 店先で肉の塊やソーセージなどが焼かれていて、すぐに食べる事が出来る。
 その奥で庶民の出で立ちで化粧をしていない地味顔の女がまったく悪びれる様子も片手を上げて笑顔を浮かべる。
 焼かれた肉を肴に酒を飲んでいたのはシーア・バルトン。
 かつては「海姫」と呼ばれ、つい最近この国の王妃という肩書が追加された女だった。

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