ソード・アンチノミー

Penドラゴン

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【1-4a】クロエとママ

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 夕刻。橙色の太陽が西へ沈みかける。


 ギネヴィア……、いや、ナーディアはトボトボと学院の寮の前に帰ってきた。


「なんで……、どうしてアイツがここに……?」


 イリーナ・アレクセーエヴナ・プーキシナ。今ロシアで活躍する女子テニスプレイヤー。今こそアマチュアだが、いずれはグランドスラム(テニスの四大国際大会)での活躍も見込まれている。


 その妹がナデージダ・アレクセーエヴナ・プーキシナ。通称ナーディアである。


 幼少期にテニスを趣味とする父の影響で姉のイリーナとともにテニスに興味を持ち、やがてジュニアの大会で好成績を残すほどのテニスプレイヤーへと進化していった。


 しかし、姉があまりにも優秀すぎた。いくら努力したとしても、姉には敵わない。いくら好成績を納めても、「さすがはイリーナの妹」としかもてはやされない。大きすぎる姉の影からは逃げられなかった。


 そんな姉の屈託のない笑みが、頭を優しく撫でるあの手が、


「大っきらい……!」


 拳を握り、唇を噛み、俯いてワナワナとふるえる。


「お帰りなさい、ギネヴィア」


 振り向いた先にいたのは、膝くらいまで伸ばした黒髪の女性。


 ナーディアは、涙を頬に一筋ながして、両手を広げて待っている彼女の豊満な胸に飛び込んだ。


「うっ……、うぅぅっ!! シャウトゥ様……

!」


 すすり泣くナーディアをシャウトゥは優しく抱きしめ、頭を撫でる。


「疲れましたね。頑張ったんですね。なら、もう一休みしましょう」


「シャウトゥ様……」


「はい、なぁに? ギネヴィア?」


「ワタシは、『ギネヴィア』……なんですよね?」


 ナーディアは胸にうずめた顔を上げて、青い瞳を見つめる。そんなナーディアにシャウトゥは笑いかける。


「どうしたの? おかしな子。そうよ、あなたは『ギネヴィア』。私の大好きな子。セフィロトに選ばれた勇者」


「そうですよね……。ワタシは……『ギネヴィア』……。アイツの影に隠れる惨めな妹なんかじゃない……。ワタシはギネヴィア……。ワタシはギネヴィア……」


 もう一度顔をシャウトゥの胸に埋めて、自分に言い聞かせるように反芻するナーディア、否、ギネヴィア。


「そう。ギネヴィア。宿命のために戦える強い子よ」


 シャウトゥの優しい声が耳に馴染み、咽ぶ声も次第に落ち着いていき、胸から離れる。


「すみません、シャウトゥ様……。明日からずっと、鍛錬を怠りませんから……」


「もう大丈夫なの?」


 シャウトゥは心配そうに聞くが、ギネヴィアは首を横に振り、指で涙を払う。


「はい。みんなとシャウトゥ様のためにも、この世界の平和を守りたいんです。それが、ワタシの平和」


意を決するギネヴィアにシャウトゥは微笑みかける。


「いい子ですね。じゃあ、明日頑張るために私が美味しいご馳走を用意しましょう」


「え、シャウトゥ様が!? そんな、恐れ多い……」


「おーい! ギネヴィアー!」


 ギネヴィアを呼ぶ声の方へ振り返ると、寮から出てきたアーサーやアナスタシア、パーシヴァルが駆け寄って来る。


「みんな……!」


 そして、アナスタシアが真っ先にギネヴィアを抱きしめた。


「もう! 駄目じゃないですか! あれほど一人で行くなと……」


「……。ごめん……」


 ギネヴィアも弱々しく抱きしめ返す。


「それよりギネヴィア。学院長のご馳走って聞こえたんだけど……」


 アーサーがいたずらっぽい笑みで聞いてきた。ギネヴィアはええ、と肯定する。


「学院の料理を無下にするなんて、聞き捨てならないな。俺たちのためにも、ご好意に甘えるべきだと思うぞ?」


「城のシェフとはまた違う味わい、僕も気に入ってるんだよね」


「もう……、アーサーもパーシヴァルも食いしん坊ですね……。否定はしませんが」


 仲睦まじい3人の友達と優しく迎え入れてくれる学院長に囲まれて、ギネヴィアは朗らかな笑みを浮かべる。


「しょうがないな…! シャウトゥ様、お願いしてもよろしいでしょうか?」


「ええ。よろこんで」


 シャウトゥが了承すると、4人の生徒は軽快な足どりで寮へ駆けて行く。


 それを見守るシャウトゥは青い瞳を煌めかせた。


「いい子たち……。ふふふっ……! あら……?」


 何がに気づいたシャウトゥは寮より少し離れた大樹セフィロトに目を向けた。


 大樹がかすかに青白い光に包まれ、しかしそれはすぐさま落ち着いた。


「……? 新しいトリックスター? しかし、これは……」


 シャウトゥは訝しげな表情で大樹を見据え、


「転移事故……。また『根』の所に……。でも……」


 踵を返して寮へ歩を進める。


「それよりも、あの子達が待っているわ」













 木々が生い茂り、日差しを遮って薄暗くなった深い森の中。


 苔むした土に敷き詰めたように根を張る地面を器用な足どりで歩く人影が一つ。


 ぼさついた黒いショートヘアで、大人びながらもまだ若々しさが抜けきっていない女性。おしゃれとは無縁そうな灰色の上下を着て、植物のツルを紐代わりにして銅の剣を体に巻きつけている。


 木漏れ日があまり差さず、霧が漂う森の中、周囲を見渡す。


「……。ここ、食べ物少ないわね」


 そう呟くと同時に遠くからがぼんやりと青白い光が見えた。


「ん? なにアレ?」


 不思議に思った女性は光を目指して歩を進める。


 光の方向へ歩くと、木が生えず、しかし根がビッシリと張っている場所に出た。


 するとそこの地面が円状に青白く光り、その周囲の木々を照らす。その中央から小柄な女の子が現れた。


 幼児ほどの背丈で、青白のドレスワンピースを着た女の子だった。髪は瑠璃色のロングで頭に獣の耳が生えている。


「女の子? もしかして、私と同じ……?」


 女性は根でデコボコしている地面を越えて女の子へ駆け寄ろうとする。


 女の子は辺りを見回す。木々ばかりで誰もいない。


「{?|>|>*&}"?」


 すると、周囲の木の上からガアガアとカラスのもののような鳴き声が響き、女の子は体をビクっとさせる。


「ガァァァアアア!!」


 木の中から猛禽類のような鳥類が大きな翼を広げ、縮こまる女の子に向かって飛んでいく。


「!! 危ない!!」


 女性は足元の石ころを拾い、女の子と鳥の間目掛けて投げると、鳥の目前に石が飛び、鳥は翼をバタつかせて停止する。


 そのスキに女性は女の子の手を掴んで、慌てふためく女の子とともに木々の中に逃げる。


「={<? ={<!?」


 木と木の間を女の子の足取りに合わせてくぐり抜け、周囲をキョロキョロ見渡すと茂みを見つけた。


「あそこなら……!」


 茂みに身を潜め、女の子を抱きしめ、手で口を塞ぐ。


 息を潜めて様子を伺う。羽ばたきや枝が落ちる音に意識を集中させ、やがて羽ばたきが小さくなるのを聞き届けると胸を撫でおろして、女の子を抱きしめていた腕を緩めた。


 女の子は女性から抜け出して距離をとる。警戒した顔で女性を睨みつけた。


「*]&}_%|%]$ =)%;#{%;)$!?」


「え、え? 何語?」


 女性は慌てふためき、片手で頭を抱えて考え込み、言葉を絞り出す


「あー…、わ、わっつゆあねぃむ?」


 頭を捻って出した質問に女の子は応えず、鋭い犬歯をむき出しにしてフーッ! と息を吐くだけ。


「英語無理かぁ……。外国語なんて知らないし……」


 女性が頭を捻らせていると、女の子からぐー、と言う音が聞こえた。女の子は両手で腹を押さえている。


「あ、あ~。お腹すいたの?」


 女性はポケットを探ると、緑色の果実を取り出して少しかじってみせた。


「これ、毒ないから……。どうかしら……?」


 女性はにこりと笑顔を作って、女の子に果実を差し出す。


 すると、女の子は警戒しながらも少しずつ足を踏み出して、女性に歩み寄り、果実を手に取った。


 小さい鼻で果実のニオイをかぎ、嫌な顔をせずに恐る恐る果実に口を近づけて少しかじった。


 すると、警戒で皺を寄せていた顔がパッと晴れて、そのままムシャムシャと果実にかぶりついた。


「よかったぁ」


 女性は安心したように果実にかぶりつく様を見て微笑む。


 果実を食べ終わった女の子は女性に向き直るが、すぐに俯いてしまった。


 女性は女の子に歩み寄って顔を合わせた。


「私は米原撫子っていうの。なーでーしーこ」


 自分を指差して名前を言う。


「な……、で……?」


「うーん……? 難しい名前じゃないのだけど……。んー……、じゃあ……」


 女性はまた自分を指差して、


「ママ! まーま!」


「ま……、まーま?」


 女性の顔が晴れて繰り返し、


「そうそう! マーマ!」


 女の子が笑顔で女性を指差して、


「まーま!」


「そうそうそう! ママ、だよ! ふふふっ!」


 すると女の子は今度は自分を指差して、


「クロエ! クロエクロエ!」


「クロエ? あなたは、クロエ?」


 女性が女の子を指差すと、力強く頷いた。


「そっかぁ。あなたはクロエね。クロエ!」


「ママ!」


 クロエがママを。ママがクロエを指差して名前を呼び合い、笑い合った。

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