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婚約解消のその裏で
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「エリーゼ・フォン・ミュラー、貴女との婚約を解消することをここに宣言する」
なんて、月並みな台詞なのでしょう――私は扇に隠した口元が失笑で歪んでいるのを悟られないよう、小さく顔を俯かせた。きっと周囲からは、あまりの衝撃に言葉を失ったようにも見えただろう。
今時、吟遊詩人でだって、こんな陳腐な言葉は吐くまい。
事前に知らされていなければ、あれを聞いたとたんに吹き出していたに違いなかった。
そう、私はこの流れをちゃんと知っていた。
くさい言葉を口にした青年――この国の第一王子を見遣る。
彼は自分の台詞に酔っているのがよくわかる。頬が紅潮し、目が興奮に濡れている。
王子の傍らには華奢な少女が佇んでいて、やはりうつむいたまま王子の腕にしがみついていた。
「……殿下、理由をお伺いしても?」
そんな無駄な応酬など必要があるとも思えないが、私は感情のこもらない声で彼に問いかける。
「知れたこと! 貴女は国内屈指の大貴族の娘である立場を利用し、この――」
言って、少女の肩を抱き寄せ、
「マリー・フォン・クラムへ、自分よりも美しいからと嫉妬に狂い、数々の嫌がらせをした! そのような性根の女は、未来の国母には到底ふさわしくない!」
嫌がらせ、ね。
長々と続く私への「断罪」を右から左に聞き流しながら、周囲にそっと視線を走らせた。
今夜は、王妃自らの主催するダンスパーティだった。
王妃の所有する離宮で開かれたその宴で、参加者もそれにふさわしい顔ぶればかり。
宰相夫妻もいるし、軍の総大将も、近衛騎士団長も、皆が妻を伴ってきている。国内の有力貴族のほとんどが参加しているとも過言ではない。
その最中で、突如始まったこの断罪劇。
さすがに大声を出す者はいないが、三々五々肩を寄せ集めて何やら話しながら、こちらに好奇の視線を向けている。
ただし、そのうちの何割か――いや、もしかしたら全員が事前に知っていてもおかしくはない。
(知らないのは王子様だけ、と)
元婚約者になる予定の男の顔を、私は扇越しにまじまじと見つめた。
掛け値なしの美男とまではいかないが、整った顔立ちだと思う。
それ歪めて、唾まで飛ばして私の「罪」とやらを数え上げる姿は、控えめにいっても醜かった。
こんな男とよくも婚約していたものだと、今さらながらに情けなくなる。
もっとも、当然、私が婚約を決めたわけではないのだけれど。
この国は、現在、太平の世といっても差し支えない。
100年ほど前までは戦争に明け暮れていたそうだが、当時のご先祖様のおかげで、この国は誰にも脅かされることのない大国へと成長を遂げた。
今さら他国から姫を嫁がせるメリットもなければ、国内の姫を他国に出す理由もない。下手な相手と縁づかせれば、相続や王位継承権で揉めることにもなる。
というわけで、国内で最も貴い身分の男には、最も貴い身分の姫君を、と現王の妹の娘――つまり姪にあたる私が選ばれたわけだ。
つまり私と王子は従兄妹同士。
もっとも、公爵を父に持つ私と、将来の国王である彼とは、幼い頃からほとんど接点がない。庶民のように学校があるわけでもないし、男と女では暮らす世界が違うものだ。
たまに今夜のような社交の場で挨拶を交わすか、ごくまれに手紙や贈り物をする程度の関係である。
対して――彼が抱き寄せているのは、子爵家の娘である。
マリーは、がっちりとした私とは違い、触れたとたんに崩れてしまいそうな可憐さを持つ少女だ。行儀見習いで王城に出仕した際に、王子が見初めたのだという。
あの震える肩を見れば、王子が庇護欲を掻き立てられるのもよくわかる。
「――何か、申し開きはあるか!」
ぼんやりしているうちに、王子の「断罪」とやらは終わったらしい。
私は王子に、というよりも、その背後に見える国王夫妻に向けて、丁寧に礼を施した。
「まったく身に覚えのないことでございます。公正なるお調べを賜りますれば、我が身の潔白も証明できましょう」
「貴女は――!」
「ですが」
激高しかけた彼の言葉を、私はやんわりと遮る。
「そのようなお疑いを持たれました以上、わたくしを生涯の伴侶としておそばに置いていただくことは、難しいかと存じます。婚約の解消については、謹んでお受けいたしましょう」
私の言葉に王子は、ぽかん、と口を開いていた。
間抜け面、と吹き出しそうになりながら、私は目を伏せる。
「神々の下で結ばれたこの貴い婚約を解消することになりましたことは、わたくしの不徳の致すところでございます。父なる国王陛下、母なる王妃陛下、そして――王子殿下、寛大なる御心にてどうぞ我が罪をお許しくださいませ」
それまで押し黙っていた国王が、静かに「許す」と発したのを聞いて。
私は最後に深々と一礼をして、そっとホールから抜け出した。
「――はあ、疲れたわ……」
離宮の側で待たせていた馬車に乗り込み、私は深く嘆息した。供に連れていた侍女が苦笑するのが見える。
「姫様、本当にようお勤めになられました。明日は早うございますから、今夜はせめてゆっくりお休みくださいませ」
「そうするわ……」
侍女の言葉通り、翌日は夜明け前から慌ただしかった。
朝食後、両親と抱擁を交わして別れを惜しみ、馬車に乗り込む。
これでしばらく王都には戻れない。
もっとも両親も婚約解消の諸手続きが済めば、すぐに会いに来てくれるというから、あまり寂しい気持ちにはならなかった。
窓の外の景色をカーテンの隙間から眺めているうちに、王都を囲む城壁が近づいてきた。
ふと――馬車の速度が落ちた気がした。
見れば、城門の側に立派な馬車が一台と停まっている。家紋がついていないが、相当な身分の人間がお忍びで乗っていることは理解できた。
馬車の側には騎乗した騎士の姿が見える。
私の乗った馬車が完全に停止したのち、騎士の1人がこちらに近づいてきた。
「ミュラー公爵令嬢、恐れ入りますが、貴女にお会いしたいという方がいらっしゃいます」
覚えのあるその声と、兜の隙間から見える優しい瞳に、私ははっと息をつめながら頷いた。
彼にエスコートされて、あちらの馬車に乗り込む。
予想通り――そこには、王妃の姿があった。
「エリーゼ、こたびはよく勤めてくれた」
王妃は確か、40歳の少し手前くらいだっただろうか。
真珠色の肌に透き通る金髪。大陸一の美女と謳われたその妖艶さに偽りはなく、私の姉といっても通用するような若々しさで、そのうえそこに王妃の威厳を備えている。
「ありがたきお言葉でございます。貴い御身自らお運びくださいましたことは、生涯の誉れとなりましょう」
「そのように謙遜するでない。私は忠義には恩で報いると決めている――今日は、そなたに褒美をくれてやろうと思ってな。そなたは金や宝石の類で心を動かす類の愚か者ではない。そこで、だ」
王妃の視線に、私はどきりと胸が高鳴るのを感じた。
「近衛騎士団の中で最も勇敢で、最も美しい男を、そなたの護衛として下賜しよう。煮るなり焼くなり、そなたの隙にするがよい」
「……王妃陛下のご厚情、ありがたく頂戴いたします」
私は馬車の中で深々と頭を下げた。気を抜くとと顔が緩んでしまいそうだ。
「急ぎのところ、呼び止めて悪かったな。旅の無事を祈る」
王妃の合図とともに、馬車の扉が開く。
外から顔をのぞかせた騎士は、先ほど私をエスコートした男だ。
そっと差し出された大きな掌に手を重ね、私は頬の赤らみが彼にバレていないかどうか、ひどく落ち着かない気持ちになった。
******
あれから4年がたった。
文字にすればあっさりしたものだが、私のほうはそれなりに忙しい日々を過ごしていた。
王都を「追放」された私は、父の持つ領地の端であれからずっと暮らしていた。
もちろん、1人で孤独に暮らして――ということはない。
私には夫――もちろん、王妃陛下から賜った騎士の彼だ――と、今年生まれたばかりの可愛い息子がいる。
邸宅には孫可愛さに顔を緩めた両親もよく顔を出しに来るし、マリー――あの「断罪」のときの子爵令嬢も、シーズンを問わず、ちょくちょく夫を伴って遊びに来ていた。
私とマリーは同じ小説のファンで、彼女は王都からいつも新刊を、それもどうやっているのか、作者本人の直筆サインなどを書いてもらって持参してくるのだ。
王子のほうは、あのあと結婚どころか浮いた話はない。
マリーの夫にはなれなかったのだ。
それどころか、無罪の婚約者に濡れ衣を着せて王都から追い出したとあって、散々な目に遭ったと聞く。
もともと、第一王子よりも第二王子のほうが優れた資質を持っていた。
だが、第二王子はまだ幼く、年功序列で兄が後嗣に選ばれたに過ぎない。
ところが第一王子はそれを勘違いして、横暴にふるまっていた――そう、私に対しての、断罪のときのように。
中枢では王位継承者を、人品ともに優れた第二王子にすべき、という声が大きくなりつつあったのだという。
しかし目立った落ち度もない第一王子を廃嫡するには、決定打に欠ける。
そこで――あの断罪劇、というわけだ。
ネタばらしをすれば、なんということもない。
ただ第一王子は、政治的に敗北した、ただそれだけだ。
婚約解消とともに公爵家の後ろ盾を失った彼に政治的な価値はなく、彼の取り巻きたちはあっという間に離れていった。
自暴自棄になった第一王子は、日に日に粗暴な性格が露わになり、酔った勢いで友人の1人に刃物で切り付けて、自ら傷を負った。
それを機に彼の今までの不祥事――侍女への虐待、不正な金品の授受などが暴露され、ついに彼の王位継承順位は繰り下げられた。
今は、酒におぼれてまともな判断もできない廃人となり、王妃自らの監視下に置かれて、離宮に幽閉されていると聞く。
(――それで喜んでいる人もいるってのが恐ろしい話ね)
私は、目覚めたばかりの息子を抱き上げて、その頬の柔らかさに思わず笑みを浮かべた。
自分の腹を痛めた子供というのは、どうしてここまで愛おしいのだろう。
(きっと――きっと、王妃陛下も、最初は私と同じだったはずなのに)
もうひとつネタばらしをすれば――あの断罪劇は、そもそも、王妃自らが画策したことだ。
マリーには、父親に中央でよい職を与えるというご褒美を。
私には、幼い頃から恋い焦がれていた年上の騎士というご褒美を。
それぞれ鼻先にぶら下げられて、王妃からの申し出を飲んだのだ。
第一王子を陥れろ、という恐ろしい計画。
政略的な理由で結ばれた婚約を、あんな一方的な申し出だけで、どうして簡単に解消できたのか。
行儀見習いで王城に上がっていた子爵令嬢が、どうしてあんなに王子と親しくなれるだけの状況があったのか。
ほとんど接点のない私とマリーの間に起きたとされる数々の嫌がらせの証拠が、どうして出てきたのか。
王子はきっと考えもしなかっただろう。
すべてはお膳立てされていたのだ。
彼自身の足元を崩すために。
――王妃が、愛おしい息子を、他の女に渡さぬために。
ふと窓の外を眺める。
このずっと先には王都があって、王妃の離宮がある。
母と息子が生涯2人きりで過ごすことになる、おぞましい場所が――
なんて、月並みな台詞なのでしょう――私は扇に隠した口元が失笑で歪んでいるのを悟られないよう、小さく顔を俯かせた。きっと周囲からは、あまりの衝撃に言葉を失ったようにも見えただろう。
今時、吟遊詩人でだって、こんな陳腐な言葉は吐くまい。
事前に知らされていなければ、あれを聞いたとたんに吹き出していたに違いなかった。
そう、私はこの流れをちゃんと知っていた。
くさい言葉を口にした青年――この国の第一王子を見遣る。
彼は自分の台詞に酔っているのがよくわかる。頬が紅潮し、目が興奮に濡れている。
王子の傍らには華奢な少女が佇んでいて、やはりうつむいたまま王子の腕にしがみついていた。
「……殿下、理由をお伺いしても?」
そんな無駄な応酬など必要があるとも思えないが、私は感情のこもらない声で彼に問いかける。
「知れたこと! 貴女は国内屈指の大貴族の娘である立場を利用し、この――」
言って、少女の肩を抱き寄せ、
「マリー・フォン・クラムへ、自分よりも美しいからと嫉妬に狂い、数々の嫌がらせをした! そのような性根の女は、未来の国母には到底ふさわしくない!」
嫌がらせ、ね。
長々と続く私への「断罪」を右から左に聞き流しながら、周囲にそっと視線を走らせた。
今夜は、王妃自らの主催するダンスパーティだった。
王妃の所有する離宮で開かれたその宴で、参加者もそれにふさわしい顔ぶればかり。
宰相夫妻もいるし、軍の総大将も、近衛騎士団長も、皆が妻を伴ってきている。国内の有力貴族のほとんどが参加しているとも過言ではない。
その最中で、突如始まったこの断罪劇。
さすがに大声を出す者はいないが、三々五々肩を寄せ集めて何やら話しながら、こちらに好奇の視線を向けている。
ただし、そのうちの何割か――いや、もしかしたら全員が事前に知っていてもおかしくはない。
(知らないのは王子様だけ、と)
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それ歪めて、唾まで飛ばして私の「罪」とやらを数え上げる姿は、控えめにいっても醜かった。
こんな男とよくも婚約していたものだと、今さらながらに情けなくなる。
もっとも、当然、私が婚約を決めたわけではないのだけれど。
この国は、現在、太平の世といっても差し支えない。
100年ほど前までは戦争に明け暮れていたそうだが、当時のご先祖様のおかげで、この国は誰にも脅かされることのない大国へと成長を遂げた。
今さら他国から姫を嫁がせるメリットもなければ、国内の姫を他国に出す理由もない。下手な相手と縁づかせれば、相続や王位継承権で揉めることにもなる。
というわけで、国内で最も貴い身分の男には、最も貴い身分の姫君を、と現王の妹の娘――つまり姪にあたる私が選ばれたわけだ。
つまり私と王子は従兄妹同士。
もっとも、公爵を父に持つ私と、将来の国王である彼とは、幼い頃からほとんど接点がない。庶民のように学校があるわけでもないし、男と女では暮らす世界が違うものだ。
たまに今夜のような社交の場で挨拶を交わすか、ごくまれに手紙や贈り物をする程度の関係である。
対して――彼が抱き寄せているのは、子爵家の娘である。
マリーは、がっちりとした私とは違い、触れたとたんに崩れてしまいそうな可憐さを持つ少女だ。行儀見習いで王城に出仕した際に、王子が見初めたのだという。
あの震える肩を見れば、王子が庇護欲を掻き立てられるのもよくわかる。
「――何か、申し開きはあるか!」
ぼんやりしているうちに、王子の「断罪」とやらは終わったらしい。
私は王子に、というよりも、その背後に見える国王夫妻に向けて、丁寧に礼を施した。
「まったく身に覚えのないことでございます。公正なるお調べを賜りますれば、我が身の潔白も証明できましょう」
「貴女は――!」
「ですが」
激高しかけた彼の言葉を、私はやんわりと遮る。
「そのようなお疑いを持たれました以上、わたくしを生涯の伴侶としておそばに置いていただくことは、難しいかと存じます。婚約の解消については、謹んでお受けいたしましょう」
私の言葉に王子は、ぽかん、と口を開いていた。
間抜け面、と吹き出しそうになりながら、私は目を伏せる。
「神々の下で結ばれたこの貴い婚約を解消することになりましたことは、わたくしの不徳の致すところでございます。父なる国王陛下、母なる王妃陛下、そして――王子殿下、寛大なる御心にてどうぞ我が罪をお許しくださいませ」
それまで押し黙っていた国王が、静かに「許す」と発したのを聞いて。
私は最後に深々と一礼をして、そっとホールから抜け出した。
「――はあ、疲れたわ……」
離宮の側で待たせていた馬車に乗り込み、私は深く嘆息した。供に連れていた侍女が苦笑するのが見える。
「姫様、本当にようお勤めになられました。明日は早うございますから、今夜はせめてゆっくりお休みくださいませ」
「そうするわ……」
侍女の言葉通り、翌日は夜明け前から慌ただしかった。
朝食後、両親と抱擁を交わして別れを惜しみ、馬車に乗り込む。
これでしばらく王都には戻れない。
もっとも両親も婚約解消の諸手続きが済めば、すぐに会いに来てくれるというから、あまり寂しい気持ちにはならなかった。
窓の外の景色をカーテンの隙間から眺めているうちに、王都を囲む城壁が近づいてきた。
ふと――馬車の速度が落ちた気がした。
見れば、城門の側に立派な馬車が一台と停まっている。家紋がついていないが、相当な身分の人間がお忍びで乗っていることは理解できた。
馬車の側には騎乗した騎士の姿が見える。
私の乗った馬車が完全に停止したのち、騎士の1人がこちらに近づいてきた。
「ミュラー公爵令嬢、恐れ入りますが、貴女にお会いしたいという方がいらっしゃいます」
覚えのあるその声と、兜の隙間から見える優しい瞳に、私ははっと息をつめながら頷いた。
彼にエスコートされて、あちらの馬車に乗り込む。
予想通り――そこには、王妃の姿があった。
「エリーゼ、こたびはよく勤めてくれた」
王妃は確か、40歳の少し手前くらいだっただろうか。
真珠色の肌に透き通る金髪。大陸一の美女と謳われたその妖艶さに偽りはなく、私の姉といっても通用するような若々しさで、そのうえそこに王妃の威厳を備えている。
「ありがたきお言葉でございます。貴い御身自らお運びくださいましたことは、生涯の誉れとなりましょう」
「そのように謙遜するでない。私は忠義には恩で報いると決めている――今日は、そなたに褒美をくれてやろうと思ってな。そなたは金や宝石の類で心を動かす類の愚か者ではない。そこで、だ」
王妃の視線に、私はどきりと胸が高鳴るのを感じた。
「近衛騎士団の中で最も勇敢で、最も美しい男を、そなたの護衛として下賜しよう。煮るなり焼くなり、そなたの隙にするがよい」
「……王妃陛下のご厚情、ありがたく頂戴いたします」
私は馬車の中で深々と頭を下げた。気を抜くとと顔が緩んでしまいそうだ。
「急ぎのところ、呼び止めて悪かったな。旅の無事を祈る」
王妃の合図とともに、馬車の扉が開く。
外から顔をのぞかせた騎士は、先ほど私をエスコートした男だ。
そっと差し出された大きな掌に手を重ね、私は頬の赤らみが彼にバレていないかどうか、ひどく落ち着かない気持ちになった。
******
あれから4年がたった。
文字にすればあっさりしたものだが、私のほうはそれなりに忙しい日々を過ごしていた。
王都を「追放」された私は、父の持つ領地の端であれからずっと暮らしていた。
もちろん、1人で孤独に暮らして――ということはない。
私には夫――もちろん、王妃陛下から賜った騎士の彼だ――と、今年生まれたばかりの可愛い息子がいる。
邸宅には孫可愛さに顔を緩めた両親もよく顔を出しに来るし、マリー――あの「断罪」のときの子爵令嬢も、シーズンを問わず、ちょくちょく夫を伴って遊びに来ていた。
私とマリーは同じ小説のファンで、彼女は王都からいつも新刊を、それもどうやっているのか、作者本人の直筆サインなどを書いてもらって持参してくるのだ。
王子のほうは、あのあと結婚どころか浮いた話はない。
マリーの夫にはなれなかったのだ。
それどころか、無罪の婚約者に濡れ衣を着せて王都から追い出したとあって、散々な目に遭ったと聞く。
もともと、第一王子よりも第二王子のほうが優れた資質を持っていた。
だが、第二王子はまだ幼く、年功序列で兄が後嗣に選ばれたに過ぎない。
ところが第一王子はそれを勘違いして、横暴にふるまっていた――そう、私に対しての、断罪のときのように。
中枢では王位継承者を、人品ともに優れた第二王子にすべき、という声が大きくなりつつあったのだという。
しかし目立った落ち度もない第一王子を廃嫡するには、決定打に欠ける。
そこで――あの断罪劇、というわけだ。
ネタばらしをすれば、なんということもない。
ただ第一王子は、政治的に敗北した、ただそれだけだ。
婚約解消とともに公爵家の後ろ盾を失った彼に政治的な価値はなく、彼の取り巻きたちはあっという間に離れていった。
自暴自棄になった第一王子は、日に日に粗暴な性格が露わになり、酔った勢いで友人の1人に刃物で切り付けて、自ら傷を負った。
それを機に彼の今までの不祥事――侍女への虐待、不正な金品の授受などが暴露され、ついに彼の王位継承順位は繰り下げられた。
今は、酒におぼれてまともな判断もできない廃人となり、王妃自らの監視下に置かれて、離宮に幽閉されていると聞く。
(――それで喜んでいる人もいるってのが恐ろしい話ね)
私は、目覚めたばかりの息子を抱き上げて、その頬の柔らかさに思わず笑みを浮かべた。
自分の腹を痛めた子供というのは、どうしてここまで愛おしいのだろう。
(きっと――きっと、王妃陛下も、最初は私と同じだったはずなのに)
もうひとつネタばらしをすれば――あの断罪劇は、そもそも、王妃自らが画策したことだ。
マリーには、父親に中央でよい職を与えるというご褒美を。
私には、幼い頃から恋い焦がれていた年上の騎士というご褒美を。
それぞれ鼻先にぶら下げられて、王妃からの申し出を飲んだのだ。
第一王子を陥れろ、という恐ろしい計画。
政略的な理由で結ばれた婚約を、あんな一方的な申し出だけで、どうして簡単に解消できたのか。
行儀見習いで王城に上がっていた子爵令嬢が、どうしてあんなに王子と親しくなれるだけの状況があったのか。
ほとんど接点のない私とマリーの間に起きたとされる数々の嫌がらせの証拠が、どうして出てきたのか。
王子はきっと考えもしなかっただろう。
すべてはお膳立てされていたのだ。
彼自身の足元を崩すために。
――王妃が、愛おしい息子を、他の女に渡さぬために。
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