呼吸

ゆずる

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 そもそも今日の会食は、康太郎へのアドバイスへの礼ということで、優希から大輔に誘いがあったものだ。
 しかし大輔はレジで財布を出そうとする優希を押しとどめ、強引に自分が支払いをしてしまった。

「私が奢るって言ったのに」

 後ろから優希の不服そうな声が飛んできた。
 日中は暖かいとはいえ、22時前ともなるとさすがに少々寒い。冷えた耳を無意識に手で揉みながら、大輔は足を止めて優希が追いつくのをまった。

「しばらく物入りだろ? 落ち着いたら誘ってくれ」
「多少の蓄えはあるって言ったろ……でもまあ、ありがとう。次はちゃんと奢らせてよ?」

 上目遣いでこちらを見上げる優希は、店の中で見せた無防備な顔ではなく、いつものぼんやりした無感動な表情に戻ってしまっていた。
 先ほどまでの3時間がまるで魔法のようだと、大輔はしみじみ思う。

「次を楽しみにしてるよ……なあ、ちょっとだけ歩かない?」

 思い切って、手を伸ばして優希の指を掴む。優希は少し体を強張らせたが、拒絶はしなかった。

 夕方の喧騒が嘘のように、人通りがなく静かだ。
 もう少し駅の方に戻れば、飲食店の賑わいが耳に入るだろう。しかし2人が歩いているのは、セレクトショップなどが立ち並ぶエリアで、開いている店もなく、しんと静まり返っている。

「久しぶりに子供抜きってのも悪くなかっただろ」

 大輔が話しかけると、傍らの優希が小さく笑った気配が返ってきた。

「いや、正直に言うとね、今日ここに来て、自分がどれだけ無理をしてたかを思い知らされた。康太郎のことは嫌いではないが――なんて言えばいいんだろう? 常に家に人がいるっていう経験が、あまりないせいかな」
「俺は逆に、初めて1人暮らし始めたときは、家が静かすぎて落ち着かなかったよ」
「ああ、大家族なんだっけ」
「そう、大人と子供で12人の同居」
「なるほど、そりゃ寂しくもなる」

 こつ、と小さな音がした。優希の足元をよく見れば、色気もないミリタリーブーツで、歩きながら小石を蹴飛ばしたらしい。

「子供がいると夜遊びも難しいだろうけど、まあ、たまにはこういう息抜きも必要だろ?」
「うん」

 優希が素直にうなずく。康太郎はふと嬉しくなった。
 やや骨ばってはいるが、小さくて柔らかい手。
 細い指がためらいがちに、康太郎の手を握り返してきている。

 道なりに適当に歩いていたが、ふと見ればいつの間にかぐるりと回って駅方面へ戻っていたようだ。
 まだ優希を返したくない大輔は、そっと進路を変えてさらに路地へと入っていく。

 ふと、目の前に現れた建物に、大輔の足が止まった。優希は困惑したような目で大輔を見上げてくる。

「……なあ、今日は泊まっていかないか」

 自由が丘駅近辺にその手の宿泊施設はない。今彼らの目の前にあるのは、観光客向けの、いわゆるシティホテルだ。
 優希がそっと手を引き抜こうとするのを、大輔は反射的に指に力を込めて止めた。

 まだ2人が学生だった頃のことを思い出す。
 あのとき、大輔が強引に手を引いて、優希をラブホテルへと連れ込んだ。優希は抵抗したが、結局、大輔に身を委ねてくれた。

 あのとき優希があんなにも泣いていた理由を、大輔は考えないようにしてきた。

「徳田、ちょっと飲みすぎたんじゃないか」
「ビール3杯で酔うわけないだろ」

 むしろ、この顔の火照りをアルコールのせいにできたらいいのに。

「優希、俺は本気だ。おまえが――おまえが、たとえ男でも、俺はずっと忘れられなかった」

 視線を落とす。優希は俯いていて、顔が見えない。

「――馬鹿野郎」

 じっと大輔の声に耳を傾けていた優希が、突然、空いている方の手で大輔の頭を平手打ちした。
 軽い牽制のようなもので痛みはまったくないが、驚いて思わず手を放してしまう。

 優希は両手をボトムのポケットに突っ込むと、大輔にくるりと背を向けた。そのままどんどん駅方向へ坂を下って行ってしまう。

「優希! 俺は、」
「徳田は――」

 優希のハスキーボイスが、ひどく静かに大輔の耳朶を打った。

「――わかってないよ。あんたが忘れられないのは、だったころの私であって、になった私じゃない」
「それは違う……俺は、本気でおまえが好きだ」
「違うなら、何故ここに誘った?」

 優希が立ち止まり、冷たい視線でシティホテルの建物を見上げる。つられてそちらに大輔も視線を向けるが、優希の言葉の真意を掴めない。

「その……いきなり、泊まろうって誘ったのが悪かったのか? がっついてた?」

 はあー……と優希が深く嘆息する。頭が痛むのか、左手で強く額を押さえてみせた。

「あのね、私だって……まあ、多少はあんたへの好意はあった。あんたの気持ちを聞いて、期待もした。でも、ここはないだろ。一般のホテルだよ」

 未だに理解が及ばない大輔に、優希がじれったそうに唇を強く引く。

「あんた、男同士がのか知らないんだろ」

 優希の言葉に、大輔は思わずびくりと肩を震わせた。優希の視線に呆れが混じる。

「突っ込む場所くらいは知ってても、具体的にその前後で何が必要なのか、さっぱり知らないわけだ。調べようともしてなかった――それは、つまり、深層心理の中であんたは私のそういう姿をイメージしたくなかったんだよ。逃避、と言うべきかな」

 ぎくり、と腹が引きつれるような感覚がした。

 優希は大輔を置いて、再びゆっくりを歩きだしていく。

「男と女みたいにはいかないんだ……それくらい、多少調べればすぐにわかるのに。結局そんな気持ちで私を抱こうとしても、脱がせた時点で萎えて終わるよ。私にも、偽物とはいえ、あんたのと同じのがついてるんだからね。そういうの、ちゃんとイメージした?」

 流れるような言葉に、大輔は反論すらできない。
 もちろん、優希が男になってしまったと聞いたとき、イメージくらいはした。それでも大丈夫だと思った。

 だが、優希の言うことをきちんと理解しようとしたとき、彼の掌がいつも思い出すのは、かつての優希の柔らかい肉の手触りだった。
 優希の言葉を、否定できなかった。

「……すまん」
「徳田」

 立ち止まってしまった大輔の下へ、優希が少し速足で戻ってきた。斜め下からじっと大輔を見上げる目には、嫌悪も失望もなく、ただ平坦な凪があった。

「大丈夫だ、私は慣れてる」
「……すまん」
「泣くなって……ああ、もう……私が言い過ぎたよ……」

 優希がハンカチを大輔の顔に押しつけてくる。反対の手が、大輔の背中をなでた。

 卑怯だ、と思った。
 突き放したあとに、こんな風に優しくしないでほしい。
 それではまるで本当に優希が大輔に興味がないことを表しているようで、つらい。
 そんなことに「慣れてる」と言ってしまえる優希の20年を思うと、つらい。

「あんたは、まっとうだったってだけだよ、大輔。だから、そう泣かなくていい……話し合いをしようって言ったのは、あんただろ。希望通りの帰着を見ないなんてことは、よくあることだ……」

 大輔のうめきは声にならず、夜の空に密かに溶けていく。
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