呼吸

ゆずる

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 約1か月ぶりに見た大輔の顔は、以前と変わりがなかった。髪を切ったせいか、やや精悍ささえ感じさせる。
 ここしばらくの気まずさを上手に隠した顔をして、大輔はさりげなく優希の鞄を手に取った。

「……重っ」
「大学に置きっぱなしにしてた本を入れてるから」

 でしょうね、と優希も軽く笑ってみせた。彼に会うまでは色々と考えてしまっていたのに、実際に顔を見れば、さほど嫌な気持ちも起こらなかったことに優希は気づく。
 自分で思うよりも、先日の件の精神的ダメージは小さかったと見える。
 それがかえって大輔をほんの少しだけ落ち込ませたのだが、優希はそんなこと想像もしていない。

「こっちに新しいケーキ屋できたの知ってた?」
「いや、知らない」
「結構うまかったから、そこのにしよう。今から行って、ホール頼んで、プレゼント探ししようぜ」

 相変わらず段取りのいい男だ。若い頃から彼は仲間内の幹事を引き受けることが多かった。そういう役回りが好きなのだろうか。

 中年2人で入るのをためらうほどこじゃれた店でケーキを注文した。1人ではとてもこんな場所には来られなかったと優希は思うが、大輔は慣れた様子である。
 考えてみれば当然で、ケーキの味を知っているということは、一度はここに足を運んでいるわけだ。

(誰かと来たのかな)

 ふと優希は、大輔のプライベートもほとんど知らないことに思い至った。
 共通の友人たちとの飲み会で会う以外で、優希はこれまでほとんど彼に連絡を取らなかったし、会うこともなかった。
 優希が彼に連絡を取るのは、家具を買いたいだのケーキが余りそうだの、つまり彼を利用できるような――我ながらひどい理由だが――そんな場面ばかりだ。

(……この人、昔は、なにが趣味だったっけ)

 横目で大輔を伺い見る。かつて隣にいたあの青年の面影を残しながらも、全くの別人として、大輔がそこにいる気がした。

 黙ったまま2人でぶらぶらと街を歩きながら、優希が目を留めたのは、落ち着いた雰囲気のセレクトショップだった。

「ちょっと見てみるか」
「うん」

 店内には家具から文房具まで、様々なアイテムが並べられている。平日の昼間とあって客は少なく、静かな店内にはジャズが流れていた。
 店の片隅にはカフェスペースが設けられており、3人組の女性がひそやかに談笑しているのが目に入った。

「これ、いいんじゃないかな」

 店内を一周して、優希が手に取ったのは、重量感のあるボールペンだ。

「当日名前入れできます、だって」

 少々値は張るが、それなりに知られたブランドのものだし、長く使えるだろう。
 就職したばかりの彼にはよい贈り物になりそうだ。優希も就職した当時に贈られたペンを、今でも愛用している。

 だがそれを見た大輔が、あからさまに渋い顔をした。

「優希、それは、あー、できれば、だめ」
「なんで?」
「……それはだな」

 快活な彼にしては珍しく言いよどんでいる。もしかしたら、大輔も似たようなものを考えていたのかもしれない。

「んー、それならこっちはどうだろう」

 優希は深く考えることなく、隣の棚から腕時計を手に取る。
 円いシンプルな時計盤に、深い茶色の革ベルトがついた、着ける服や場面を選ばないデザインだ。康太郎くらい若い子供向けではないかもしれないが、こういうものを1本くらいは持っていてもいいだろう。
 確か康太郎は、100円均一で買ったような、チープな時計しかもっていなかったはずだし。

「いいんじゃない。似合うと思う」
「じゃあこれで……徳田は?」
「俺は……どうしようかな……ああ、あいつ石好きなんだっけ」

 店をもう半周したところで、大輔が妙な石の置物を手に呟く。乳白色のそれは中国かどこかの土産物にありそうな形をしていて、この店の雰囲気から少々浮いていた。店主の趣味だろうか。

「多分、それはあの子が好きな石じゃないと思うよ」
「そうか、残念だ。じゃあ、このへんだろうな」

 紺に染められた麻のサコッシュと、同じ生地で作られた筆箱を手に取り、大輔がつぶやく。
 予備校生になった康太郎には、どちらも重宝するに違いない。

「徳田は、なんというか、プレゼント選びが上手だよねぇ」
「だろ……キーケースも役に立ってるみたいだし」

 大輔の視線がちらりと優希の腰に向けられる。ショート丈のトレンチコートの裾から、先月彼にもらったキーケースがのぞいていた。

 優希は、彼から押しつけられた指輪を思い出す。
 妙な気を持たせぬうちに返さねばと思ってはいるのだが、どうにも気まずくて、話題にも出してない。
 大輔の方からも何も言わないので、結局、指輪は先日他界した高崎瑛理の遺品とともに、引き出しの奥にしまわれている。
 多分、このまま忘れてしまって、数年後にひょっこり出てきたそれを見て、このなんともいえない気持ちとともに思い出すのだろう。

「これ、会計別で、どっちもギフト包装で……」

 レジに商品を持っていくと、人好きのする顔の青年が笑顔で応対してきた。
 最近、こういう綺麗な若い男に耐性がついてきた気がする優希である。多分、同居している少年が、ことさら整った顔をしているせいかもしれない。
 康太郎は、顔の造作だけで言えば、優希の知る中で最も美しいと言って過言ではない。
 ただ、その綺麗な顔が姉に生き写しなので、同居開始当初は顔を見るたびにいちいち胃が痛くなっただけだ。

「こちら、ギフトカードをお付けできますが、いかがなさいますか?」
「お願いします」

 優希がぼんやりしているうちに、ギフトカードを大輔が受け取ってしまった。
 名刺サイズの小さな紙の入った封筒で、隅にリボンがつけてある。プレゼントを包むラッピングバッグに、そのリボンでくくりつけろということだろう。

「今日、あとは家に帰るだけなんだろ? そこで珈琲飲みながらそれ書いて、飯でも食って行こうぜ」
「いいけど……手紙、苦手だな」
「自称文筆業のくせに」
「……そういえばそうでした」

 外国語学習者向けのコラムは定期的に書いているが、特定の誰かに充てた文章など、ずいぶんと書いていない気がする。

「手紙ってやっぱりもらうと嬉しいのかな」
「相手によるでしょ」

 何気なくつぶやいた言葉に返ってきた、どこか寂しげな声を、優希は聞かなかったことにして、店の隅のカフェコーナーへ足を向けた。
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