甘く蕩けるまで待っていて

東院さち

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1 後で知らされた計画

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 王の妹であった母と公爵で宰相である父は、普通に考えれば政略結婚だった。けれども二人は恋愛結婚だというし、見ていてもそうだろうなと思う。そして息子の私にも「絶対に恋愛結婚でないと許しません!」と厳命を下した。
 公爵家の跡取りであるというのに、婚約者のいない十八の春、私はこのまま結婚できないのではないかと庭に咲く白い花をみて途方にくれた。

 レイブン十八歳、後に子沢山宰相と呼ばれる男である。

「レイブン、私は運命の出会いをしたのだ! とても可愛らしい女の子でな……優しくて金の髪がキラキラしていてな……」

 好きになった女の子の話を延々と繰り返す十三歳になったばかりの従兄弟は、初めての恋に浮かれているようだった。この話は会う度にされるので、これで四回目のはずだ。情報は更新されていないようで、呆けた老人のように同じ話を繰り返している。これでも王太子という地位に相応しく聡明なはずなのだ。ということは、恋する脳というのはこれほど危険な状態を作り出すのかと失礼なことを思いながら聞き流していた。

「で、レイブンに任せたぞ!」

 途中から手元の書類に集中しすぎてて、全く聞いていなかったようだ。まだ十八でありながら、父が流行病にかかってからは代わりに宰相の仕事を手伝っていた。周りには頼りになる文官が沢山いるので、私がすることといえばサインをすることくらいだが、それの重要さは十六で父の側について勉強を始めてからたたき込まれている。
 父は流行病の収束の先駆けであった。母が手に入れた薬はよく効き、父は順調に回復したが呼吸器への負担が大きかったせいか今はまだ療養中なのだ。

「何を任されたのでしょうか? フェリクス様」
「聞いてなかったのか!」
「申し訳ありません」
「レイブン、その謝意の欠片もはいっていない申し訳ありませんは余計に腹が立つぞ」

 将来の主にそう言われては仕方がないので、書類を横に置いて佇まいを正した。

「相手の状態も確かめずに、好き放題喋っているフェリクス様も如何かと思われますが」
「……レイブン、それは責任転嫁というのではないか?」
「いいでしょう、聞いてあげますからもう一度どうぞ……」

 兄弟の様に育ってきたせいかお互いの引き際は心得ている。
 フェリクスは同じように背を伸ばし、強い瞳で意志を伝えてきた。

「ミィと結婚するために、リジーと婚約したから。リジーは任せた!」

 一瞬頭の奥で、キーンと不快な音が鳴ったような気がした。しばらく言われている意味がわからなかった。

「ミィとはこの前からずっと恋い慕っていると繰り返してらっしゃったミリアム様のことですね? たしか伯爵はかなりの借金をあちこちでしているはずだと伝えましたね。我がアケドア公爵家も貸しているはずですが。そんな外聞の悪い家の令嬢を国王の妃に認められませんよ」

 この話もしたはずだ。リジーこと隣の国のリゼット姫は、王妃様の実家の姫だ。よく遊びにきてはフェリクスと一緒に私の周りに現れているのでよく知っている。
 小さく、可愛らしい姫に『お兄様、大好き』と懐かれるのは一人っ子の私にはとても嬉しいことだった。リゼットとフェリクスの婚約は先週公にされた。流行病の終息が見えてきたこともあり、国民達もお祝いごとを慶んでいた。
 それなのに、「任せた!」というのは寝言を言っているようにしか思えない。

「フェリクス様、意味が全く通じない言葉は言葉ではありません。もう一度お勉強してからお越しください。ではまた……」

 さようならと、フェリクスがわめいているのを無視して追い返した。

 自分が、今何を聞いたのか。考えたくなくて天井を見上げた。
 ドン! ドン! と無理矢理追い出した扉が叩かれている。

「レイブン――!」

 扉を開けると泣きそうな顔でフェリクスが立っていた。まだこんな顔をすることがあるのかと思った。
 流行病には国王陛下も王妃様も、つまりは彼の両親がかかって、フェリクスは随分恐ろしい思いをしたはずだ。私でさえ、宰相と言う名の重圧に潰されそうになったのだ。五つも下の彼にはさらに重い国王の肩書きだ。彼の両親も無事回復したので回避されたがあの出来事は、彼を成長させた、と思っていたのに。

「フェリクス様、何とおっしゃったのですか?」

 フェリクスは言った。自分がミリアム嬢と結婚するには障害がいくつかあると。

「一つはミィの実家の経済的問題とそれにともなう王太子妃の品格の問題だ。実家が多額の借金を抱えていては、王太子妃に相応しくないと反対されるのが目に見えている」
「そうですね。よくわかっているではありませんか」
「もう一つは年齢的な問題。ミィはまだ六歳、リゼットより一つ下なんだ。私が十三で、もうそろそろ真剣に妃の問題がでてくるはずだ。特に母が生家の家から来て欲しいと願っているのだ。繋がりが深くなるのを望んでいるのだろう。時間を稼ぐにはリゼットが一番いい。そして、なにより大事なのはリゼットが私の事を好きじゃないということだ。お前しかみていないからな……」

 お前と指で差すので、手ごとはたき落とした。

「小さな子供のいうことですよ。ちゃんと年頃になったら年齢にあった男性を愛するでしょう」
「お前はリジーを甘くみている! あの歳で、お前の事が好きだという令嬢達を口で負かせて自信喪失させているんだぞ!」
「……初耳ですが……」
「聞いていて可哀想になったな。胴が太いとか、毛深いとか、女の口撃とはかくも恐ろしいものだと……」
「待ってください。だからといって、どうしてあなたたちが婚約して、私に任すというのはどういうことです?」

 意味がわからない。

「リジーが成人したらな、結婚する前にお前が子供を作ってやればいい。そしたらリジーは晴れてお前と結婚できて、私は婚約者に捨てられた情けない王太子としてミィに拾ってもらえばいいのだ」
「……何を馬鹿なことを――。リゼット姫がそんな醜聞を被る意味がわからないですし、ミリアム嬢があなたを拾ってくれるかどうかもわからないのですよ!」
「賭けだな……。私だってリジーだってわかっている。でもこのまま何もしなかったらお前は誰かリジーではない女と結婚を躊躇わないだろうし、私もミィとは結婚できない。一蓮托生だ」

 晴れやかな口調ほどに楽観視はしていないようで、その瞳には彼の奥底に秘める意志の強さが見えた。私がこの従兄弟を将来の主と認めるのもそういうところだ。

「私が断るといったら? リゼット姫が成人する頃、私は三十も手前ですよ。それまで独り身でいると思いますか?」
「思う。別にリジーに恋しているからなんて思わないけれどな。お前は慕ってくる小さな姫が悲しむことを好き好んでするとは思えないし、私の願いを無碍にするとも思えない」

 憎たらしい……と正直思った。私が従兄弟である彼に対してもつ肉親の愛情や小さな姫に対する優しさを計りにかけた嫌な作戦だ。ミリアム嬢に嫌われてしまえと念を送る。

「寒気がする……」
「正解です」

私はそれほど身体が大きいというわけではないが、まだ少年のフェリクスくらいなら簡単に持ち上げられる。護衛騎士もこの部屋には入れていない。

「何をする!」
「悪戯をしたらお尻ペンペンですよ!」
「うわぁ! やめろ!」

 彼のズボンを引き下げ、抱え上げて力一杯お尻を十回叩いてやった。予め、この部屋には入らないようにといいおいてあったのだろう護衛騎士も入ってこない。

「痛! 痛い! レイブン、本気だろう!」
「七~、八~! 九、十! 当たり前でしょう。あなたがしたことは、これですむようなことじゃありませんよ!」

 十回叩いた後、暴れるフェリクスを放りだして上から睨みつけた。

「だが!」

「隣国の結婚間近の姫を誑かすなんて、私の命に関わることですよ。リゼット姫とあなたの婚姻を祝福しようとしている全ての人を裏切るのです。それくらいで済むとは思わないでください」
「これ以上あるのか?」
「当然です!」
「……どうすれば協力してくれる?」

 下から見上げる顔は小さな時と変わらない。私が協力しないとは思っていないくせに、甘えたような目で見上げてくるのだ。

「私が失望しないようにしなさい。私が、あなたのための生贄となっても満足だと思える程の男に、国王になりなさい。陛下や私の父は命を長らえたとは言え、ストレスの多い仕事を続けるには身体を損ないすぎました。代替わりは思ったよりも早いでしょう。それを当然と受け止め、私がこの主のためならば……と思えるように、努力しなさい。それだけです」

 それだけというには覚悟のいることを強いている。

「リジーは?」
「彼女は……、彼女に女を感じることができるかどうかは年数が立たなければわかりませんね。違う男を好きになることはいくらでもありますから、彼女から『やっぱりいらない』と言われても文句はいいませんよ」
「やっぱりレイブンはリジーに甘い! 同じだけお尻ペンペンするべきだ!」
「……女に優しくない男は嫌われますよ」
「……ミィにだけ好きになってもらったらいい……」

 どうすればこれほど惹きつけられるのか、ミリアム嬢を見てみたい気持ちになる。

「フェリクス様の頑張り次第でしょうね」

 どう考えても、伯爵令嬢が喜ぶシチュエーションには思えない。頭を抱えながら、私は長期計画を立てることになった。
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