俺の名前を呼んでください

東院さち

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街に遊びに行きました

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「おはようございます、ルーファス様」

 コンコンと扉が叩かれて、「はい」と返事をするとエルフランが食事を持ってやってきてくれた。

「おはようございます」

 慌てて起き上がり、俺は自分のいる場所がよくわからないことに気付いた。

「ここは……?」
「昨日ルーファス様がいらっしゃった部屋がルーファス様の私室でございます。こちらはクリス様との共同の寝室になります」

 どうやらこの二階部分はルーファスの部屋とクリストファーの部屋と共同の部屋しかないようだった。

「クリス様は……お仕事ですか?」

 朝みたクリストファーはとても機嫌が悪かったように思う。それでもそのときは二日酔いで頭が痛かったから、そんなに気にはならなかったが、二度寝して元気になればクリストファーの態度が気になった。

「はい。朝から凄いスピードで片付けてらっしゃいます。ルーファス様が待っていると思うとやる気になるようですね」

 微笑むエルフランに他意はないようだ。
 クリストファーが頑張っているのに惰眠を貪っていた自分が情けなくなる。

「沢山呑ませてしまったと後悔されておいででしたよ」

 爽やかな柑橘系の果実水を渡されて、俺は喉が渇いていた事に気付いた。酒を飲むと喉が渇くらしい。

「俺は、何も覚えていなくて……何かやってしまったようなのですが――」

 しばらく酒は禁止だといわれたし、あの顔色の悪さは俺のせいだろう。

「ルーファス様は気になさらないほうが……。クリス様は飲ませ過ぎた自分を責めておりましたし」
「クリス様にご心配をかけないように気をつけますね」

 俺のせいでクリストファーが自身を責めるとか想像がつかないが、酒はやはり控えようと思った。

「では、食事をされましたら、この離宮でもご案内しましょうか」
「あの、いつ王妃様にお会いできますか?」

 王妃様にはきっと心配を掛けただろうと思う。父のことも総じて家のことも聞きたかった。

「明後日以降になります。それまでは、こちらでゆっくりしてくださいませ」

 エルフランがそういうのなら、王妃様は忙しくて俺に割く時間がないのだろう。少しだけ寂しいが、文句を言える立場ではない。

「ありがとうございます……」

 俺が食事をする横でエルフランは紅茶を飲んでいた。一人で食べるのが寂しい俺に気を遣ってくれたようだ。いつもエルフランは優しい。

「クリス様はいつもどってらっしゃいますか?」
「夜には――」

 口篭るエルフランから、気遣うような気配を感じた。
 エルフランに離宮の中を案内してもらって、その後は私室のほうで神学校で写本してきたものを読んで過ごした。身体を鍛えるために部屋でも出来ることをしていたが、昼もそして夜もエルフランと食事をとっていると、なんだかエルフランと結婚して、クリストファーと結婚したのは自分の馬鹿げた空想のような気がしてくるから暇というのは厄介だ。
 昔は一人でいることが多かったが、神学校ではまず一人でいることはなかった。同じ部屋にはアルジェイドがいるし、グループ行動が多い学校だったから、一人でいたいと願うくらいにプライバシーはなかった。その生活に慣れていたから、久しぶりの一人でいる時間が苦痛だった。

 クリストファーが帰ってくるのを犬が飼い主を待つようにジッと待っていた。けれど、扉は開かれる事はなく、まんじりと朝を迎えた俺の耳に鳥の鳴き声が聞こえた。

「朝――」

 クリストファーは朝になってももどってくることはなかった。
 明け方になった頃、俺は半分意固地になっている自分に気が付いた。クリストファーも忙しいとわかっているのだから、気にせず眠ればいいのに。
 空が白んでくると、寝不足なのも相俟って、酷く切ない気持ちになった。
 クリストファーは、本当に俺のことが好きなんだろうか……。抱いてもくれないし、顔もみせてくれない。
 酒癖のひどさに後悔したのかもしれない。

『お前と俺はもう他人(ひとさま)じゃないだろう? お前がどんなに酷い酔い方をしても、幻滅などしないから、安心して、酔いつぶれたらいい――』

 そんな事を言っていたのに……。

「昨日はクリス様は視察先で泊まる事になってしまって、ルーファス様には申し訳ないことをしたとおっしゃっておりました」

 朝やってきたエルフランが、そう言う。他に人はいないのだろうか。エルフランの仕事はクリストファーの侍従だから俺についていること自体が迷惑をかけているような気がするのに。けれど、エルフランさえ来なくなったら、本当にどうすればいいかわからないからだ。
 戸籍が移動しているということは、既に俺は王族の一人になっているのだ。そんな人間が神殿に仕えることなど出来ない。

「そうですか――」

 溜息が漏れそうになるのを必死に我慢した。エルフランと話す時間はあるのに俺に会う時間はなかったのかと思うとこんなに親切にしてくれているエルフランにさえ嫉妬してしまう自分が醜く感じた。

「今日もここにいないといけないんでしょうか。ローレッタにも会いたいし、帰ってきたことをお祖父さまにも報告したいんですが」

 ルーファスが、そういうとエルフランは困ったように微笑んで、「クリス様の許可がありませんと……」と言う。
 クリストファーの真意がわからない。

「お食事を――」

 寝不足のせいか食事をしたくなかった。

「すいません……。ご飯はいりません」

 エルフランは「具合でも?」と聞いた。俺は「いえ、少し眠くて――」とだけ伝えた。

「少し眠ります」

 島では有り得ない自堕落だ。
 それでも、食事をする気にもならないし、エルフランと話をする元気にもならなかった。


 『すぐ戻ります。捜さないでください。ルーファス』と短い手紙だけ置いてバルコニーにでた。
 着替えをさがすと立派過ぎる大量の服が見つかった。神殿の見習い服をカバンに入れてシャツの上に大人しい色味の上着を着る。街では神殿の服のほうが目立たないが、城に戻る時には入れてもらえないだろうから、それなりに貴族らしい服を選んだのだ。
 バルコニーから縄を伝って降りたが特に巡回騎士もいなかったから簡単に離宮を後にした。王宮という場所は、入り込むことは難しいが出ることは容易だとローレッタが言っていたのを思い出す。神学校の孤島でサバイバルな生活をしていたせいか、余りに気楽な脱出劇だった。

「クリス様は心配するのかな」

 酒癖の悪い妻をもって後悔しているのだろうかと思うと胸が痛い。

「こんなに大きくなった俺を抱きたくないのかもしれない――」

 一番心配だったのは、自身が成長しすぎてあまりに変わってしまったことだった。小さなルーファスが好みだったクリストファーの目に、自分は醜く映っているのではないかと不安だった。『抱かない』と言われてからずっと恐ろしかった。


 カザス王国の王都は春らしく沢山の木々が芽吹き、色とりどりの花が咲き誇っていた。
 俺は上着をカバンにいれ、神官見習いの服を羽織る。紺色の被り物であるそれは本来カザス王国で着ることはないものだ。神官見習いの最初の赴任先は、総本山のあるリグザル王国のどこかと決まっているからだ。
 いくつかコインを持ってきたが、実をいうと俺はお金を使ったことがない。貴族の子弟というものは店で買い物などしないし、もし買うことがあっても側仕えが払うようになっている。持ってきたのは銀貨が五枚。後は金貨しかなかったから仕方ない。
 カザス王国の貨幣としては銅貨一枚でパンが一個買える程度、銅貨五十枚で銀貨一枚、銀貨二十枚で金貨一枚の計算になっている。
 ジロジロと見られているような気がした。いや、あまり人の多い場所に慣れていなかったから人の目が気になるだけだと思いなおして、街を歩いた。王都は流石に人が沢山いて、ぼんやり歩く事は出来ない。
 沢山の店が立ち並ぶ街並と一生懸命働く人々の顔をみていれば、リリアナ様の旦那様である王様やクリストファー達がいい政治をしているのだろうなと想像がついた。いつか、クリストファーが許してくれるなら手伝いたいと俺はその街並の喧騒の中で思った。
 『星見』を諦めてから、初めて将来のことを考えれたことが俺は単純に嬉しかった。

 ドンッ! と人とぶつかってしまって「すいません」と謝ったのがまずかったようだった。いかにも柄の悪そうな男が三人並んで歩いていたのに、俺は店の前で焼かれている焼き鳥に意識を奪われていて気付かなかった。

「おら! 肩がはずれちゃったぜ、あんちゃん!」

 大柄な男三人は俺を囲むようにして唾を飛ばした。

「それは大変ですね。肩はそんなに簡単に外れないはずなんですが……意外に華奢なんですね」

 俺がそういうと周りで何事かと固唾を飲んで見守っていた街の人々がドッ! と笑い声を上げた。

「おい。お前、いい加減にしやがれ。こっちのいいたいことをはぐらかしやがって!」

 掴まれた手を振り払ってはいけない。そのまま誘導されるままに懐に入り込み、俺は身体を捻って男の手を捻り上げた。

「外れたという肩はこちらですか? 簡単な応急処置ならできますよ」

 酒臭い男達に実はムカついていた。俺はこんなに酒に打ちひしがれているのに……。タダノ八つ当たりとも言うが。

「お前! 離せ!」

 背後から被りついてきそうな男を後ろ蹴りにこめかみを狙う。ガッ! と音がして男は蹲った。
 うん、ごめんね。それ痛いよね……。知ってる。

「これ以上逆らわないなら、許してあげるけど」

 もう一人の男に視線を向けると、更に逆上したのかナイフを取り出した。
 こまったな~、ぶらついて帰るつもりだったのに。

「何を笑ってやがる!」

 男は両手でナイフを握り締める。このままいったら、俺がこの男を盾にして……人が死んじゃう? いやいや、それは駄目だ。こんな事のために身体を鍛えてるわけじゃない。

「笑ってないけど、ね? それ捨てた方がいいよ」
「うるせー! 綺麗な顔をした悪魔だお前は!」

 男は、何か切羽詰ったような顔で走りこんでくる。と、人影が動くのが視界の隅に映った。その人影は男の前に脚を差し出し、男は顔面から地面にスライディングして転がった。

「お前さ、なにしてるの?」

 懐かしいというほどでもない聞きなれた声の持ち主は、転がった男からナイフを奪って代わりにもっていた焼き鳥を握らせた。

「な、これでも食ってどっかいけ。この綺麗な男はこわーいからな。死にたくないだろう?」

 ブンブンと頷いて、俺が拘束を解いた男と蹲ったままの男を抱きかかえて逃げていった。

「マオ――、お前なんでここにいるの?」
「お前こそ……」

 神学校で一緒に勉強していた男が、幸せそうな顔で焼き鳥にかぶりつきながら問い返す。

「やっぱり都会はいいよな。肉食べ放題だぜ」

 マオらしい言葉に笑う。二人で一頻り笑った後、鋭い視線を感じて俺たちは目配せしあう。

「あ、しまった――」
「やば……」

 二人で声を揃えて逃げようとしたが、そこにいないはずの人の姿を認めて、俺は声を失った。

「おいっ!」

 マオが焦ったように俺の手をひいたが、俺はすでに見つかっている以上逃げることは出来なかった。



 そこには、怒りにか目を眇めて冷たく俺を見つめるクリストファーの姿があった。
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