俺の名前を呼んでください

東院さち

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愛が溢れる日々

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 仕事のある朝はクリストファーより少し早めに起きることにしている。

「ルー?」
「おはよう、まだ眠ってて」

 俺が起きたことで意識を上らせたクリストファーの頬に軽く口付けして静かに着替えた。簡単な服だ。柔らかい素材なら寝間着にするくらいの。動くにはこれくらいがちょうどいい。

「おはよう、ジェイド」
「おはようございます、ルーファス様」

 早朝の勤務交代の時間が過ぎた頃、アルジェイドが庭で待っているのはいつものことで。

「よろしくお願いします」

 週に二度は剣の練習を兼ねて騎士団の訓練所で相手をしてもらっているけれど、毎日の鍛錬はアルジェイドや直属護衛の騎士が相手をしてくれている。マオは護衛騎士から側近(文官)に変わってから全然相手をしてくれなくなった。アルジェイドは『俺も身体がなまるので』と側近になっても変わらず来てくれる。

「お願いします」

 組み手は慣れた相手の方がやりやすい。身体を温めて、ゆっくり動かしていくところから始める。

「昨日はクリストファー殿下が遅かったんですか?」
「わかるの?」
「身体の動きが違いますね」
「ぶっ! まぁそうだよね」

 クリストファーに抱かれた次の日はやはり動きが悪い。

「後は、睡眠時間の長さですか」

 先に寝てていいとクリストファーが言うので遅くなるとわかっている日は早くに寝ている。

「なんだか全部ばれちゃってるね」
「それが側近てものでしょう? エルフラン様を見てたら――」
「エルフランにならなくていいよ」
「あの方は仕事大好きですからね。マリエルと私を合わせてちょうどいいくらいですね」

 マリウスと結婚して城の外に屋敷を持ったけど、相変わらずの完璧な仕事ぶりだ。マリウスも仕事命のところがあるからちょうどいいのかもしれないけど、すれ違ったりしないのだろうか。

「今日はこれくらいにしましょうか。クリストファー殿下がお待ちですよ」

 集中していて気づかなかった。普段から護衛もしているアルジェイドは周囲を常に見渡す能力を鍛えている。

「段々差が開くなぁ」
「組み手ですか?」
「剣もだけど――」

 できるだけ維持したいと思っているけれど、現状のままの俺と違ってアルジェイドは進化している。

「仕事ですからね。文官になったとはいえ、守り手を譲るつもりはありませんよ。私の剣の主はルーファス様ですから」

 アルジェイドは何てことないようにさらっとそういうことを言う。

「……ジェイドってさ、たらしだよね?」
「はいっ?」
「すぐこちらが嬉しがることを言うもん」
「もん……て」

 子供ぽかったようで笑われてしまった。そうやって爽やかに笑うところもたらしだと思うんだ。
 部屋に戻ってからマリエルにそう言うと、クスッと余裕の笑みを浮かべた。

「もてませんよ。だってアルジェイドは……えり好みが激しいんです」
「えり好み?」
「リグザル王国にいるときもアレックス王太子に狙われていましたけど、結局剣を捧げませんでしたもの」
「アレックス殿下に?」
「アルジェイドは剣も強いし頭もいいのでアレックス王太子のお気に入りでした。将来有望ということで令嬢達にも狙われていましたよ。でも結局、家を捨ててまで私を選んでくれました」
「……惚気?」

 マリエルは朗らかに笑う。

「ええ、惚気です。もう後悔するのは止めたのです。アルジェイドの未来を奪ってしまったとか、他にいくらでもいい女性がいたのにとか、家族を捨てさせてしまったとか……ずいぶん悩みましたけど」

 マリエルの傷口はとても深かったのだと思う。

「マリエル……」
「私を選んでくれたアルジェイドに応えたいと思います。今は家族もできて、共にルーファス様を支えられて幸せです。ルーファス様も惚気てください。アレックス王太子には捧げなかった剣を捧げられ、ずっと側で支えたいと文官も始めたアルジェイドを」

 真摯な瞳はアルジェイドと似ている。二人は似たもの同士なのかもしれない。夫婦というものは似てくるというからそれかも。

「うん、そうだね」

 マリエルと一緒に惚気よう。何故選んでくれたのかとか、そんなことを考えずにただ感謝と喜びをもっていればいい。
 それはクリストファーにも言えることだ。

「ルーファス! 朝から元気だな。ん? そんなに元気なら一緒にお風呂にはいるか?」
「お風呂には入るけど……。クリストファーと入ったら長くなるから駄目――」
「駄目なのか……」

 残念そうなクリストファーの唇に口づけると、驚いたように目を瞬く。

「お風呂は駄目だけど……」
「お風呂は駄目だけど……?」

 期待しているのがわかるけど、公務の前にイチャイチャは駄目だよね。俺、使い物にならなくなるもん。

「ご飯を一緒に食べよう」

 目に見えてわかるクリストファーのガッカリ感にクスッと笑ってしまった。

「私は朝ご飯よりお前を食べたいんだが……」
「俺、ご飯食べなかったら公務中ずっとお腹が鳴るけどいいの?」
「駄目だな――、お腹を鳴らして食べ物を与えるのは私の至上の役目だ」

 まじめな顔でそんなことを言う。

「朝は何かな」
「パンケーキだと聞いたぞ」
「わぁ、たくさん食べたい」
「たくさん食べなさい」

 クリストファーは飢えた子供を見るような目で俺を見る。
 違うんだ、俺はもっと格好よく見せたいのに。

「今日はリグザル王国のアレックス殿下が来るんだよね」
「ああ、来年国王になることが決まったからな。最後の自由だとか言ってたな」
「新婚旅行でくるとは思わなかったよ」

 リグザル王国の王太子アレックスは、クリストファーの従兄弟で非公式で会ったことがある。二度と会わなくてもいいとは思ったけど、新婚旅行だというなら歓迎してあげないといけない。

「来なくていい……」

 クリストファーは俺が一度不快な目にあってからアレックスにこんな態度だ。

「大丈夫だよ。王太子妃殿下もいらっしゃるのだし、俺にはクリストファーがついてるんでしょ? 大船に乗った気分だよ」
「……もちろんだ」
「んぅ――っ! んっあ……、駄目っどうして舌を噛むの」

 もちろんと言ったクリストファーは、当然のように口付けてきた。何故なのかわからず、俺は手で押しのけた。

「お前が大人数の前で緊張しないように……」
「あ……やっ、駄目だって――!」

 パンケーキが冷えちゃう。
 慌てて逃げると、クリストファーは首を傾げる。

「緊張をとってやろうと思ったんだが」
「もうっ、最近はそんなに緊張しなくなったから大丈夫!」
「そういえば……そうだな。いつからだ?」
「え……と、いつだろう。でも、前は人前に出た時に注視されるのが嫌だったんだ。クリストファーの妃といっても男だし、きっと俺なんかがクリストファーの横に立つのはおこがましいんだって思ってたから。でも、今は……。俺がクリストファーの妃だって、自信を持って言える。他の誰にもこの場所を譲らないって――言える」

 クリストファーはギュウッと俺を抱きしめた。

「ルーファス……」
「クリストファー、苦しいよ」
「そうだな」
「クリストファー、パンケーキが冷めちゃうよ」
「ああ、紅茶も冷めそうだ」
「クリストファー……?」

 見上げるとクリストファーの目尻が赤い。

「今日は早く帰ってこい。私も仕事をさっさと放りだして帰ってくる」

 頷くと、やっと離してくれた。

「クリストファー泣いてるの?」
「当たり前だろう! お前がやっと、私のものだと自覚してくれた記念日だ。いっそ、今日は国民の休日にしたい! 兄上に言いたい!」
「だ、駄目だよ。そんな理由で――」
「駄目なのか……」

 恐ろしく頭の切れる人なのに、どうしてこんな事を言っているんだろう。

「いいと思いますわ!」

 いないと思っていたマリエルは、気配を殺して隅に控えていたようだ。

「そうか、そうだな。マリエルもいいと思うか!」
「はい! クリストファー殿下」

 なんだか盛り上がっているけど、平和だなと思って俺は椅子に座った。美味しそうなパンケーキが冷えてしまうのを阻止しなければ。大丈夫、リチャード様はそんな記念日は許可しないし、おかしくなっているクリストファーを諫めてくれるだろう。
 パンケーキ、ふわふわで美味しい。

 何故かその後、『愛の日』という恥ずかしい名前の記念日が増えることになるのだが、パンケーキにはどのジャムが合うかと思案しているルーファスには知るよしもなかった。

             〈Fin〉
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