王と王妃の恋物語

東院さち

文字の大きさ
10 / 42

10 アレント伯爵家の馬

しおりを挟む

 王都の端のほうにアレント伯爵の街屋敷はあった。

「あら……」

 アラーナは屋敷に入る前から、まるで知らない屋敷にきたような気分になっていた。

「カリーナが少しでも過ごしやすいようにね」

 屋敷の変容は父の愛らしい。自慢げに笑う父にアラーナは苦笑する。

「そうね。お母様の好きな色ね」

 母の好きなクリーム色の壁紙、母の好きな工房の家具、母の好きな植物。ここはまさに母のための家だった。その前は姉が主に使っていたことから、姉の好きな青色が主体だったのだ。

「一月でよくここまで改装できましたわね」

 母は肩を抱く父に呆れた顔を見せた。それでも父は変わらず微笑む。

「そりゃ、カリーナのためだからね」

 大変だったのは周りだろうとアラーナは母と目配せを交わした。
 職人や屋敷を整備した庭師、家人たちへの申し訳ない気持ちは伝えなくてはいけない。

「しっかり支払ってあげてくださいませ」

 母がそう言うと、勿論だと父は頷いた。父がわかっているのならいいと、二人は頷いた。

「こうしてみると、アラーナはカリーナに似ているね」

 父はアラーナに父最大の褒め言葉を贈ってくれた。それに曖昧に頷きながら、迎えてくれた両親にお礼を言って自分の部屋に戻る事にした。自分の部屋に入って、変わっていないことにホッとした。

「こちらがアラーナ様のお部屋ですか」

 護衛騎士達は執事に警護のために屋敷を案内してもらっている。伯爵家にも侍女がいるからシエラ以外は、アラーナの身の回りを世話する人間は連れてこなかった。

「ええ。一月前と変わらないわ」

 それでもここはアラーナにとっては別荘のようなものだ。ずっと領地の屋敷で育ってきてこの屋敷は年に何度か訪れるだけだった。マリーナが妾妃に上がる日が近づいてきたから、少しでも姉と一緒に暮らしたくてこちらに来ていたところをあんなことになってしまった。

 豪華な王城とは比べ物にはならないが、愛着のあるものばかりで落ち着く。金色の髪のお人形は、妹の代わりに可愛がっていたし、大好きな絵本もある。

「アラーナ様、アルベルト様はしっかり両親に甘えてくるようにとおっしゃってましたね」
「アルベルト様は、私を子ども扱いしすぎだと思います」

 アラーナは淑女を目指して頑張っているが、会話の節々にアルベルトでアラーナを子ども扱いするのだ。

「あれでも必死にアラーナ様を子供だと言い聞かせているのですよ」

 確かに大人の扱いを受けても、今のアラーナには応えられない。

「そうね。今のうちに頑張って胸を育てないと!」
「え、そこですか」

 シエラのいう大人とアラーナの思う大人は違ったようだ。

「だって……また小さいって言われたら……」

 今はまだいい――。子供だから胸がなくても、そのうち育つと信じられる。けれど二年たってまだこの胸に膨らみがなかったらと思うと申し訳ない気持ちが溢れる。

「牛乳を飲みましょうか」

 思いつく一番簡単な案をシエラは提案してみた。

「ええ。そうね、毎日沢山飲んでいたらきっと……」

 アレント伯爵の領地には大きな街もあるが、アラーナたちが住んでいるのは山に近い田舎だった。カリーナの身体には自然の豊かな場所がいいと言われたからだが、そこには牛もいる。

「でもアラーナ様がダイナマイトナイスバディになられたら、アルベルト様は自制できないかもしれないですね」
「二年後に膨らむように調整できればいいのだけど……」
「それは……神様じゃないと無理じゃないですか」
「神様にお祈りするわ、私」

 シエラは、そんなアラーナが可愛くて仕方がなかったが、少しだけ神様が可哀想になってしまった。
 アラーナの性格を考えると毎日一日も欠かさず「アルベルト様のために二年後に胸が大きくなりますように」と祈られるだろう。



***

「馬小屋に行ってきます」

 アラーナは乗馬用のドレスをクローゼットから出して来た。乗馬用は下がズボンになっていて膝の辺りまでスカートのようなものがついている。それにはスリットがついていて、馬に乗るのには楽な服装だった。背の高いアラーナによく似合っているとシエラは着付けながら思った。
 こういうドレスを夜会用にアレンジすればアラーナにとても似合うのではないかとシエラは思いついた。

「私も行きます」

 シエラも横乗りだが馬には乗れる。 着いていってみたものの、アラーナのやりたかったことはシエラの想像とは違った。そして何故アラーナが王宮では一度馬に乗っただけでやめてしまったのか理解したのだった。
 街屋敷の建物は大きいわけではなかったが、庭は広かった。正面からは見えない裏庭の部分は木々や塀に隠れて周りからは見えなくなっていて、そここそがアラーナの目的があった。
 アラーナは下働きか馬丁のようなことを始めたのだった。馬に水をやり、嬉しそうにブラシをかけている。馬も慣れているようで裏の広い放牧場からワラワラとやってきて、アラーナに近寄ってくる。それを一頭の馬が牽制しその馬が許した馬だけがアラーナにブラシをかけてもらえるようだった。馬は群れの動物で、その白い馬がその群れのリーダーのようだった。

「アラーナ様……私もブラシをかけてもいいですか?」

 見ているだけだと暇だったのでそう申し出ると、アラーナは瞬きを繰り返して驚きを表した。

「ごめんなさい、すっかり忘れていたわ」

 シエラの存在を言葉通り忘れて夢中になっていたようだった。

「楽しそうですね」
「あ、あの、屋敷を見て回ったり、お母様たちとお茶でもしてきていいのよ?」

 アラーナにつく護衛騎士の二人が知らぬ間に戻ってきていたので、シエラが休憩していても問題はない。

「いえ、アラーナ様がそんなに楽しそうなんですから、私もやりたいと思っただけです」
「そうっ? ふふふ、嬉しいわ」

 馬のここが気持ちいいみたいなのよと嬉しそうにアラーナは、ブラッシングのコツをシエラに伝授した。

「あら、面白い顔になりますね」
「それは気持ちいいときの顔なの。甘噛みしてくる子もいるから、そのときは肘でね」

 アラーナが肘を振り上げるマネをする。

「アラーナ様、私、アラーナ様のことを少し誤解していたようですわ」

 首を傾げたアラーナに、シエラは「結構強いんですのね」と呟いた。噛まれたら泣くだろうと思っていたのに、アラーナは平然と馬とじゃれていた。

「ごめんなさい……私、本当に貴婦人とかいう柄じゃないのよ。お姉様とは大違いで。でもアルベルト様に嫌われたくなかったから、少しでも大人しくしてようと思って頑張っているのだけれど……」

 馬を見ていると乗るだけじゃなく触りたくなる。抱きつきたくなるのだそうだ。

 そんな貴婦人はいないと王宮で馬に乗った初日に気付いたから、乗るのをやめたのだという。

「乗る時も台を使って、怪我をしないように気をつかってもらって……。それじゃ、馬と会話なんて出来ないもの。会話のない乗馬なんて、楽しくなかったの」

 シエラが思っていた以上に、アラーナは我慢をしていたのだと気づいた。

「アラーナ様、無理はいけませんわ。アルベルト様は、多分、アラーナ様の楽しそうな姿をみたら、止めろなんておっしゃらないと思いますわ」

 馬に突かれて怒っている姿も、楽しそうに馬の顔を抱くアラーナも、これほど愛らしいのだから。アルベルトは鼻の下を伸ばすことはあっても怒ったりしないだろう。

「そうだと、いいのだけれど……。アルベルト様は素敵だもの、私も少しでもつりあうようになりたい……」

 恋をすれば誰もが願うことだろう。アラーナの気持ちを痛いほどシエラにもわかった。背伸びしたくなる気持ちももちろんわかる。五歳の年齢差は、十代では大きいのだ。

「お手伝いしますわ。馬のブラッシングも、淑女に見せる練習も」

 最初はただ可愛い妹のように思っていたアラーナに段々と魅かれていく自分にシエラは気付いた。

「レイモンド・エンディス様のことなんだけれど……いつもシエラのことを見つめているわ。シエラも気付いているのでしょう?」

 こそっと囁いたアラーナの口から元夫の名前がでて、シエラは驚いた。側に控えている護衛騎士の一人である。

「あの人とはもう終わったんです。私もアラーナ様のように憧れて、恋をして、愛を捧げた時期もありました……」
「でもあの人の目は、まだシエラを愛していると思うのだけれど」
「いいえ、アラーナ様。男は狼なのです。自分の獲物が逃げたから追っているのに過ぎません。私が油断すれば、きっとまた私をいたぶって遊ぶつもりなのですわ」

 シエラがいたぶることがあってもレイモンド・エンディスがシエラをいたぶる姿を想像することは難しかった。

「シエラ……」
「私は、もういいのです」

 切り捨てたようにいうシエラだが、アラーナにはまだ傷が乾いていないように見えた。

「さあ、アラーナ様、何頭やるつもりですか」

 馬は次々とシエラとアラーナの前にやってくる。それを必死でブラッシングしていると不思議と気持ちが落ち着くことに気付く。それからシエラは、王宮に帰るまで毎日馬を磨いた。それを護衛時間を過ぎてもレイモンド・エンディスがそっと見つめるのが、アレント伯爵家での話題に上がるようになるのに時間は掛からなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

四人の令嬢と公爵と

オゾン層
恋愛
「貴様らのような田舎娘は性根が腐っている」  ガルシア辺境伯の令嬢である4人の姉妹は、アミーレア国の王太子の婚約候補者として今の今まで王太子に尽くしていた。国王からも認められた有力な婚約候補者であったにも関わらず、無知なロズワート王太子にある日婚約解消を一方的に告げられ、挙げ句の果てに同じく婚約候補者であったクラシウス男爵の令嬢であるアレッサ嬢の企みによって冤罪をかけられ、隣国を治める『化物公爵』の婚約者として輿入という名目の国外追放を受けてしまう。  人間以外の種族で溢れた隣国ベルフェナールにいるとされる化物公爵ことラヴェルト公爵の兄弟はその恐ろしい容姿から他国からも黒い噂が絶えず、ガルシア姉妹は怯えながらも覚悟を決めてベルフェナール国へと足を踏み入れるが…… 「おはよう。よく眠れたかな」 「お前すごく可愛いな!!」 「花がよく似合うね」 「どうか今日も共に過ごしてほしい」  彼らは見た目に反し、誠実で純愛な兄弟だった。  一方追放を告げられたアミーレア王国では、ガルシア辺境伯令嬢との婚約解消を聞きつけた国王がロズワート王太子に対して右ストレートをかましていた。 ※初ジャンルの小説なので不自然な点が多いかもしれませんがご了承ください

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...