王と王妃の恋物語

東院さち

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18 白いドレス

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 アラーナの朝は早い。それでもその朝は早すぎるほどだった。寝ずの番をしている侍女に頼んで冷やした布を用意してもらって、慌てて顔を冷やした。
 鏡に映る自分を見て、アラーナは困ったように目を伏せた。
 自分の恋心のために泣く事を許したアラーナの瞼は腫れて、目元といわず顔全体が赤くなっていた。
 こんなことなら家に帰ってから泣けば良かったかもしれない。アルベルト様は見送りには来ないだろうけど、長く世話になった人たちの心に残る最後の姿がこんな顔だというのは恥ずかしい。
 アラーナは、今日の朝のうちに家に帰るつもりだった。
 身一つで来たアラーナは屋敷にもってかえるものなどないのだから、それでいいと思っていた。

「アラーナ様、宰相閣下がアラーナ様のいい時間にお目通りを願っていますが……」

 シエラの顔も化粧でそれなりに整ってはいたが、瞼の腫れは消えなかったようで、二人は顔を見合った瞬間噴出した。

「アラーナ様ったらそんな顔で……」
「あら、シエラだって酷いものよ?」
「朝のうちならいつでもいいわ。この顔は今日中には戻らないでしょうし。家に帰るのは昼以降でいいわよね?」

 二人でひとしきり笑って、アラーナはシエラに確認した。

「アラーナ様! 何をおっしゃっているのですか。帰るにしてもそれなりに……」

 シエラはアラーナの行動の早さに驚くを通り越して悲鳴を上げた。

「シエラ、私、アルベルト様にお返しできるものなんて本当に何もないの。それなら少しでも早く心穏やかになれるようにする事が、アルベルト様にたった一つ出来る恩返しじゃないかしら?」
「ですが、ドレスも宝石も馬車に積み込むにしても時間がかかりますわ」

 シエラはポカンとするアラーナに「まさか、持って行かないつもりですか?」と唖然とした口調で尋ねた。

「それは私のものではないわ。次に来る妾妃様のものになるでしょう? そうね、二つだけ持って行きたいものがあるのだけれど、アルベルト様か宰相様の許可が下りれば……」

 シエラは踵を返して、アラーナに「宰相様を連れてきますから! 少しお待ちくださいませ」と部屋を出て行った。

 アラーナは、朝食の果物のために置いてあった果物ナイフを手にとって見つめた。銀に輝く小ぶりの刃物は、さすが王城で使われているだけあって素晴らしい鋭さだ。

「これなら……酷くはならないと思うわ。アルベルト様に報いるには……私はこんなことしか思いつかない」

 部屋の隅に視線をやって、アラーナはここにはいない人々に頭を下げた。



 宰相カシュー・ソダイは昨日から寝ていなかった。リシェール・バルサムの帰還から先、考えることが多すぎたからだ。
 朝は濃い目の珈琲を飲み、まとめた書類をいくつか手にとり溜息をついた。
 アラーナが、部屋に戻ったところで倒れていたと聞き侍医に診断させたところ、貧血でしょうということだった。安心したが、あの元気な少女が倒れるということがどれだけのショックを彼女に与えたか推して図るべきだろう。
 カシュー・ソダイは、前王に拾われた。子供のころに孤児院に慰問に来た時に気に入られて、そのまま彼の侍従として側に仕えた。勉強が出来ることを見出され、侍従から前王の片腕になるまで血の滲む思いをしてきたことは、彼にとっては幸せなことだった。

 体の弱い前王は、本人や周りが思っていたよりも長く生きた。本来なら、子供を残せるかどうかも怪しかった彼が、息子のアルベルトが王を継いでも支障のないくらいまで生きたのだ。

 前王リチャードは、幼馴染であるローザとシュレイザーの間を引き裂いてしまったことを後悔しつづけていた。例え王である父の命令だったとしても、自分の身体が弱くなければ、婚約までしていた二人を引き裂くこともなかったのだ。リチャードの父が亡くなってしばらくしたあと、王妃であるローザを亡くなったとしてシュレイザーに託したのはリチャードにとっては身を切るような決断だったはずだ。

「もう二度と会えなくなるんですよ」

 そう言ったカシュー・ソダイに、リチャードは柔らかく微笑むと頷いた。

「いいさ。私はローザに幸せをもらったよ。ただ、しばらくローザとアルベルトを会わせることは出来ない事だけが申し訳ないが……」

 王妃ローザだって、普段は元気だとはいえ季節の変わり目に身体を壊すリチャードを心配して行きたくないといっていたのに、リチャードはそういうところは強情だった。アルベルトの今にも通じるところがあるので、あれは遺伝だなと思う。
 可哀想なのはアラーナだ。カシュー・ソダイは、ずっと見守ってきた少女を思って、深い溜息を止めることができない。
 自分の罪だという自覚がある。リチャードの遺言を守りたいがためにリシェール・バルサムの手紙を破り、口を閉ざしてきたのだから。見守ってきた少女はカシュー・ソダイが想像していたよりずっと素晴らしい女性になった。リチャードが願ったような心の優しいアルベルトを大事にしてくれる少女だというのに。

「シエラ・エンディス様がお見えです」

 シエラはつい先日、レイモンド・エンディスと仲直りして家名を夫のものに改めたばかりだった。思っていたよりも早い登場だ。部屋に招き入れると、気の強いシエラが拳を震わせて泣きそうな目でカシュー・ソダイに助けを求めてきた。元々呼んでいたのはカシュー・ソダイだったので待っていたのだが、この様子に口を開くのを躊躇った。

「アラーナ様は、今日の午後にお帰りになるそうです」

 カシュー・ソダイは唖然と「今日の午後?」と口を開いた。鸚鵡返しになってしまうのは仕方がない。それくらい驚いたのだ。

「はい。早くいなくなったほうが陛下の心の安寧だろうって……。何ももつものはないけれど、二つだけ宰相閣下か陛下のお許しをいただいて持ち帰りたいと……」
「二つ?」

 何を言っているんだとその目はシエラを咎める。

「アラーナ様には、夜会用のドレスだって宝石だって、それこそ王都に立派な屋敷が立つくらいの支度金だって――」
「アラーナ様はそれは自分のものだと思っていないようで、次の妾妃様のものだからと」

 アルベルトの要請で、アラーナのほかに妾妃候補などはいなかったし、次に立つものにはまた別のものが用意されるだろう。

「アラーナ様とお話をしようと思っていたし、そうおっしゃるなら今から行ってもいいかな?」

 シエラの困惑を理解したカシュー・ソダイは、アラーナの側つきであるシエラにとりあえず確認をして、連れ立って部屋を訪れた。
 カシュー・ソダイが部屋を訪れた時、腰掛けたアラーナの前のテーブルには緑色に輝く髪飾りが置かれていた。 アルベルトが用意した初めてのプレゼントだったはずだとカシュー・ソダイはそれを見て思い出した。
 ちっぽけなものだけど、アラーナのことを想ってついつい買ってしまったのだと照れくさそうにアルベルトが言っていた。

「カシュー・ソダイ様。おはようございます」

 アラーナは、腫れた瞼の下で優しく微笑んだ。

「おはようございます、アラーナ様」

 自分の三分の一ほどしか生きていないこの少女に、騎士でもないくせに膝を折りたくなるカシュー・ソダイだったが、アラーナの声が擦れていることに気付いてシエラに蜂蜜水を用意するように頼んだ。
 人払いがされているので、扉を開けたままシエラは部屋を出ていった。

「カシュー・ソダイ様。私、お恥ずかしいことですが、この髪飾りとあのドレスを思い出の品としていただけないかとお願いしようと思って」

 アルベルトにもらった思い出の髪飾りと、アルベルトの妃としてお披露目されるときに着るために今まだ調整をしている白いドレスだった。

「……アラーナ様。貴女には沢山のドレスや装飾品などがプレゼントされています。それは皆あなたのものですよ。あのドレスも髪飾りももちろんです。私や陛下に許可はいりません。お披露目だけでなく夜会用のドレスはどれも貴女にお似合いだと聞いております」

 カシュー・ソダイは、アラーナを安心させるように告げた。
 アラーナは静かに首を横に振って、「二つだけでいいです」と頑なに拒んだ。

 カシュー・ソダイがアラーナのために持って行くようにいってくれているとわかっていた。持っていってもアルベルトには、痛くもかゆくもないことくらいアラーナだって知っている。
 それでも持って行きたくないのだ。この緑の髪飾りだけでもアラーナの心は揺れるというのに。

「カシュー・ソダイ様。このドレスは私のものだと、おっしゃってくださいましたね」

 アラーナは、真摯に頷く自分の父と同じくらいの歳の宰相の前に最終確認をしたのち、そのドレスの前に立った。

「アラーナ様?」

 彼は振りかぶったアラーナの手に光るものを見て、声を上げた。

「アラーナ様!」

 白いドレスは、後一週間くらいで出来上がる予定だった。皆で待ち遠しく、毎日眺めていたドレスだった。まだ成人していないアラーナだったから、正真正銘初めての公式の場で着るドレスだったのだ。
 少しでも職人達の手のかかっていないところをと思ったが、そんな場所は見当たるはずもなかった。
 私は、沢山の人の気持ちを踏みにじってしまった――と、アラーナの心は軋んで崩れそうになる。
 アラーナの前にはドレスの胸元からおへその辺りまで果物ナイフで切り裂かれたドレスがある。近づいたカシュー・ソダイにナイフを取り上げられたアラーナは、戻ってきたシエラに抱きつかれて床に座りこんでしまった。

「これで……アルベルト様のお母様の話を出さずに私を城から出す事ができますよね? 私はもっと豪華なドレスがいいと言ったのです。こんなドレスは……っ、私が……着るのに……相応しくない――っ」

 声を詰まらせながら、アラーナは何とか心を裏切って言葉を吐き出すことができた。
 カシュー・ソダイは、まだ成人もしていないアラーナが、必死にアルベルトを守ろうとしているのだと知って、自分の手元に光るナイフを握り締めた。それくらいの痛みがなければ、もう二度と宰相として立つ事など出来ないと思うほどに彼にとっては衝撃的なことだった。
 アラーナは、アルベルトの母親のことを一切出さずに、妾妃となるはずだった娘(アラーナ)を王城から追い出しながらアルベルトに非がないと思わせることができるのか一晩考えたのだ。
 我がままな娘、職人達が心血注いだドレスを気に入らないというだけで引き裂いた傲慢な女、それがアラーナが自分に課した役だった。
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