王と王妃の恋物語

東院さち

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24 アルベルトの困惑

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 アルベルト様に握られた手が熱い――。

 少し速足で歩くアルベルトの背後についていくアラーナは顔を上げられず、視線は床の大理石を延々と眺めていた。 全神経が左手に集中していて、アルベルトが止まったことに気付かず、アラーナはアルベルトの背中に追突してしまった。

「あっ・・・・・・ごめんなさい」

 振り向いたアルベルトは、アラーナより一つ頭の位置の高い場所から、ぶつかったアラーナの顔を見て、「すまなかった・・・・・・」と呟いた。
 何のことだろうとアラーナが首を傾げると、アルベルトはアラーナの唇を親指の腹で拭い取るような動作をしたから、リシェール・バルサムの口づけのことだと気が付いた。

「あれがアラーナに執心していることはレイモンド・エンディスから報告を受けていた。だが、あいつがあそこまでとは想像していなかった。怖い思いをさせてしまった・・・・・・」

 リシェール・バルサムは、人当たりのいい良くも悪くも毒気のある人物ではなかった。生まれや容姿の割には人のいい平凡な人物だった。マリーナが浚われたときだって、誘拐されたなんて誰も思わず、駆け落ちだと思われていたのはそのせいだ。
 マリーナがサランド王国で結婚し、リシェール・バルサムのものにはならないとわかってからも、ことあるごとにアラーナを心配してグラスエイトに来てあれこれと世話を焼いてくれた。妹をみるようなそんな瞳だったからアラーナもリシェール・バルサムのことはあまり気にしていなかった。
 アルベルトの元に時間稼ぎのために置いていったことを何度も謝ってくれたし、アラーナはそれほどリシェール・バルサムのことは嫌いではなかった。
 リシェール・バルサムが、おかしくなってきたのは去年の今頃だろうか。アラーナは高熱が出るような風邪を引いて、それが原因かどうかはわからないが、髪の色が変化した。幼いころは、赤毛だと言われていたくらい赤かったのが、段々と赤みが抜けて、胡桃色と言われていたのが、茶色に寄ってはいるが金色と言えなくもない。
 元々アラーナの母の家系はそんな人が多いそうだ。
 風邪の見舞いにきたリシェール・バルサムが、アラーナに駆け寄り、「会いたかった」と声を震わせてアラーナを抱きしめた時から、彼の行動はおかしくなった。
 アラーナに償いたいといいながら、その口でアラーナを大人しい顔をして男を誑かす女狐と罵ることもあった。だから、リシェール・バルサムからグラスエイトに行くという手紙を受け取ると同時に場所を移ったりして、出来るだけ会わないように心掛けていた。フィリップが来る三日ほど前には、何も言わずアラーナの屋敷に忍び込み、アラーナを「花嫁を迎えにきた」と抱き上げ、寝台に押し倒したから、もう駄目だとアラーナは覚悟した。
 たまたまフィリップの護衛騎士が事前調査に来て、それをシエラがアラーナに伝えにアラーナの部屋にこなければ、きっとアラーナは花を散らされて事実婚としてリシェール・バルサムのものにされていただろう。
 シエラの叫び声にレイモンド・エンディスとフィリップの護衛騎士が駆け付けなければ、今アラーナはここにいなかった。
 カシュー・ソダイの部屋では、気を付けていたつもりだったのに、眠ってしまった自分が悪いのだとアラーナはアルベルトの心配そうな瞳を前に首を横に振った。

「私がいなくなれば、きっとリシェール・バルサム様も正気に戻られます」

 いなくなればというのは、王城にという意味でないことにニュアンスでアルベルトは気付いた。

「どこへ行くつもりだ? 姉のいるサランドか?」

 アラーナはいつでも歓迎してくれるだろう姉(マリーナ)の顔やフィリップの顔を思い出したが、そうではないと頭を振った。

「クリアリス領へ行こうと思っています。侯爵夫人に誘われているので、グラスエイトをア・・・・・・陛下にお返しした後に――」

 アルベルト様にと言いかけて、先ほどリシェール・バルサムに咎められたことを思いだして言い直す。

「アルベルトで構わない。お前に陛下と呼ばれると・・・・・・自分のことじゃないような気がするから。クリアリス・・・・・・というと・・・・・・」

 アルベルトは、少し言いよどんだ後に「あのクリアリスか?」と尋ねた。

「あの・・・・・・というとわかりませんが。公爵夫人は、旦那様に虐げられた人や先立たれて困ってしまった女性を助けていらっしゃるのです。そのお手伝いを出来たらと、思っています」
「侯爵夫人というのは、マリアベラ殿だな。あの人は・・・・・・その・・・・・・女性を侍らせて・・・・・・色々と良くない噂を聞いているのだが・・・・・・」

 アルベルトらしくない言い淀んだはっきりしない言葉にアラーナは、マリアベラへの悪意のようなものを感じた。

「マリアベラ様は、本当にいい人なのです。女性は、皆マリアベラ様のことを好きになってしまうから、男性がひどいことをいうのだと聞きました。私も・・・・・・色々な方に求婚されて困っているというと断ってくれたり、パーティで酷いことを言われた時も庇ってくださいました。それにシエラもレイモンド・エンディス様の元を離れるときに助けていただいたそうです」

 そういう繋がりかと、アルベルトは嘆息する。

 マリアベラ・クリアリス侯爵夫人。彼女は、女性のよき味方として有名であったが、その裏では同性愛好家としても有名なのだ。女が好きだから女を守るというのはわかるのだが、だからといってそんなところにアラーナが行くというのはどうしても頷けないものがあった。

「アラーナ、伯爵位を返すというのは? 持っていても別に助けになるだろう?」

 伯爵位を持っていれば、アルベルトが背後にいるということで守らせることが出来るが、返されてしまってはアルベルトには手出しが出来なくなる。

「ええ・・・・・・。でも持っていると伯爵家を繋ぐために結婚しようという男性が多いのです・・・・・・。返しても、求婚者が減らないだろうと宰相閣下にも言われましたが・・・・・・」

 カシュー・ソダイはこの前、グラスエイト領に行って戻ってきてから機嫌がいい。
 いないと知っているカシュー・ソダイの部屋に来たのは、周りのものが噂をしていたからだ。宰相の百合の紋の馬車から麗しい女性が降りてきて、宰相の部屋に招かれているらしいと。興味本位で護衛を巻いてきたのはそのためだ。
 まさか、それがアラーナだとは思わなかったが。

「お前がいい相手と巡り合えるように、グラスエイトを贈ったが、迷惑だったか・・・・・・」

 アラーナが国王から嫌われて王城から出されたと思われないようにグラスエイトを贈ったというのに、それが迷惑だったのかとアルベルトは少し気分を損ねた。

「いえ、気持ちは嬉しかったのです・・・・・・。けれど、私は・・・・・・」

 アラーナは、初恋をこじらせたのだとシエラは言う。きっとそうなのだろう。

「お前は・・・・・・?」
「私は、自由になりたい・・・・・・」

 アラーナは、ずっとアルベルトのことが好きだった。何故アルベルトは母が憎いとはいえ、自分をいらないと思ったのだろう。アラーナはアルベルトのいない日常はどんなに充実していても心から楽しめないというのに、アルベルトはそうではないのだと思うと辛かった。
 アルベルトにいらないと言われた自分には、もう価値がないような気がしてならない。
 そんなことはないのだと、そんなことを思うのは自分を大事に思ってくれる人々に申し訳ないことだと思うのに、やはりどうしても卑下してしまうのだ。

 マリアベラには、アルベルト関係のシエラに言えない事も聞いてもらっていた。
 そうしたら、いつでも来ていいと言ってくれたのだ。貴女を必要とする手がきっとあるでしょうとも。事実、彼女の屋敷には夫に虐げられて傷を癒す人や心を癒す人が沢山いた。
 ただ、そのためには伯爵位は返してきなさいと言われたのだ。

「自由に、なりたいのか――」

 アルベルトは、アラーナのいう自由がどんなものかわからなかったが、アラーナがそれを切望していることだけは真摯な瞳から察することができた。

「アルベルト様に伯爵位を返して、穴を開けてもらってきなさいとマリアベラ様から言われました」

 思わず、アルベルトはアラーナの肩を握ってしまった。

「アルベルト様?」
「穴?」

 アルベルトは、目を見開いていた。美しいその顔が強張っているのをアラーナは不思議な気持ちで見つめた。

「伯爵位を頂いたときは宰相閣下から剣を賜りました。その剣で忠誠の証として剣の先で傷を作り、書面に血の滴を垂らしました」
「ああ――。忠誠の誓いだ。この血が絶えるまで未来永劫仕えるという」

 アラーナは、だからきっと返すときには書類に穴を開ける何かがあるのだと思ったのだが、アルベルトの反応から違ったのだと戸惑い、アルベルトが握った肩にある手を見つめた。

「他にマリアベラ殿は何かいってたか?」
「・・・・・・? そうですね・・・・・・。私がやってもいいのだけど、せっかくだから木よりは? みたいなことを言ってたような気がします」
「行くな! 喰われるぞ」

 アルベルトは、それこそアラーナの両肩を揺さぶるようにして頷くのを待った。

「アルベルト様・・・・・・、喰われるなんて・・・・・・マリアベラ様は狼ではありませんよ」

 クスッと微笑むアラーナに、アルベルトは頭を抱えた。
 何故だか、四年前とアラーナの性知識は変わっていないような気がする。

「アラーナ、男じゃなくても、女でも女を抱くことは出来るんだ」
「まぁ・・・・・・」

 丸くなったアラーナの目は、アルベルトの心配をよそに楽しそうだった。

「求婚者から逃れるためにアルベルト様に抱いてもらえばいいと宰相閣下がおっしゃってましたけど、それなら、マリアベラ様でも大丈夫だということ・・・・・・でしょうか?」

 新発見だわという気分でアラーナは呟いたのだが、それがアルベルト怒りを買うとは思っていなかった。

「お前は・・・・・・、一体どんなつもりでここに来た?」

 アルベルトの静かな怒りは、アラーナを怯えさせてもおかしくないほどの怒気ではあった。けれど、アラーナも半端な覚悟でここに来たわけではない。
 アルベルトの手をさっと払い。三歩下がると、昔覚えた美しい所作で国王であるアルベルトに頭を垂れ、敬意を払うためにお辞儀をした。

 あの頃は、綺麗な動作ではあったが、今とは違う。今は、気品を湛えたグラスエイト女伯爵としての自信が彼女を彩っていた。

「アラーナ・ミリアム・アレントは、グラスエイト伯爵領を国王アルベルト様に返還し、いつか誰かに襲われるのではないかと怯える必要がにないように、アルベルト様に処女を奪っていただきたく、お願いにまいりました・・・・・・」

 アラーナは、そこまで言ってから、人がそばにいなくて本当によかったと思ったのだった。いつもなら側にヴァレリー・マルクスがいるはずなのだ。
 アラーナを見るアルベルトの目が、きつく眇められて、アラーナは全身を硬直させた。

 もう、引き返せない――。アルベルト様はきっと断るだろう。

 それでも、最後の夢くらいは、諦めたくないのだと、アラーナはもう一度頭を下げるのだった。

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