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序章
ネヴァエスタの森
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森の奥にて、音曲弾くものありて。入ったら最後、でられぬという曰くの森にて、切り株に腰掛け、リュウテを弾く者あり。さて、それは魔性の者というと、実はそうなのである、とその者は答える。
「と、いうのも嘘なのだけれど。だって僕は人間だもの」
しかし、この森がひとたび入れば出られぬのは、自分のせいだと言う。けむに巻くことを楽しんでいるらしく、それらの言葉、特に意図はないと言った様子で告げて、それ以上は話さぬのが、その者の常である。
「シルヴァス。つまり、どういうことなの」
「物わかりが悪いね、ラル。僕が話さないということは、お前、わかっているだろうに」
何度このやりとりを繰り返したの、シルヴァスに呆れたようにかわされて、ラルは頬を膨らませた。ばら色の頬に、黄金の毛先がふわりとかすめた。
「わかってるわ。だから知りたいと言ってるんじゃないの」
唇をとがらせる少女に、シルヴァスは肩をすくめた。すいと髪に挿している緑色に光る細い木の枝を抜いた。さらりと長い髪が揺れ落ちた。緑の長髪はウェーブがかかっている。奥地の川の流れのようで綺麗だとラルはいつも思っている。そう言うと、いつも微妙な顔をするのだけれど。
緑の枝には、小指の爪ほどの大きさの花の蕾がついている。うすい桃色に、先が濃い赤になっていて、いつだって開きそうな花の蕾を、ラルはいつももどかしいような心地で見とれる。これをシルヴァスが髪に挿し始めたのはいつからであろうか。ふと気になって思い出そうとするが、おぼろがかってわからなかった。
「これ」
シルヴァスの声と、その枝が軽くラルの頭を叩くのは同時だった。音も立たないやさしさで、ただ香りだけが残った。
「シルヴァス、その花はいつ開くの?」
「話を聞きなさい。全くお前はすなおだが、子供で気がいつでも自由に飛ぶのが考えものだね」
先の質問なんてなかったように、尋ねてくるラルにシルヴァスは呆れながらも笑った。それはあたたかな笑いだった。
「ラルはもう大人よ」
「そういうところが、子供だというんだよ、お嬢ちゃん」
そうしてラルがすねてみせて終わる、それがいつもの二人のやりとりである。しかし今日、シルヴァスは「いずれお前にもわかるときがくる」と付け足した。それはいつものやりとりではなかった。ラルは、意外そうに、きょとんとした。続きがくるなど思ってもいなかったのである。
「シルヴァス?」
「かわいいラル、ぼくのおじょうさん、いつまでだって子供だけれど、それでも時はくるものね。お前の時がいつ来るかなんて、考えたけれど、わからなかった。けれど、きっと来る、それだけは僕もわかっているんだよ」
シルヴァスは、ラルに話しているようで、ラルには話していない。大きなひとりごとを話している、そんな風な話し方だった。そうして遠くを見るように思索に耽って、それきり黙り込んでしまった。ラルは日常に取り残され、困惑気に見ていたが、シルヴァスの静かな顔を見ていると、だんだんと不安になってきた。
二人とも、しばらく黙っていた。シルヴァスがいつものように笑ってはくれぬかと思った。でもそれはかなわなかった。
「シルヴァス」
シルヴァスがラルを見る。穏やかな目だった。いつだって、シルヴァスはラルを優しい目で見る。けれど、この穏やかさは、ラルの知らない穏やかさだった。そしてシルヴァスはラルの髪をなでた。シルヴァスは、ラルの黄金の髪をいたく気に入っていた。日の光も月の光もささないこの森の中、ラルの髪は明るくて、気分が沈むのを防ぐのだと言う。ラルもシルヴァスの髪が好きだから、そういうものかと思っていた。ラルは、自分の髪の色や姿というものの好悪が、よくわからないのだ。水鏡も、あまり使ったことがない。シルヴァスが映してくれる水鏡を、のぞき込むくらいだ。けれど、シルヴァスのことは、言の光に照らされる葉や水のせせらぎの、リュウテの音のようできれいだと思う。だから、それでいいのだと思っていた。
「少し眠るよ」
ラルの目元にシルヴァスが唇を寄せた。ラルはいつもの癖で、とっさに目をつむってしまう。目を開いた時には、シルヴァスの姿はなかった。腰掛けていたところに、リュウテがぽつんと残っている。
シルヴァスはどうしてしまったのだろう? ラルは心配になる。いつでも眠そうで、けだるげなシルヴァス、彼が眠ることに対して違和感はないが、ラルに不安な気持ちを残し去ることは今までなかった、はぐらかしには慣れている。けれど、こんな風に謎を残されたことはなかった。
「どうしたのかな」
きっと何でもないと思うことにした。けれどそれは難しかった。ひとまず、シルヴァスが起きてきたときの為に、食事を作っておこうと思った。黄色のジュースは、シルヴァスの好きなものだから、きっと喜んでくれるだろう、そう考えて、ラルは自分の棲み家からバスケットを持って、出かけることにした。小さな棲み家、そこはラルの世界である。棲み家だけじゃない、バスケット、衣――なにもかもシルヴァスがすべて与えてくれた。
「と、いうのも嘘なのだけれど。だって僕は人間だもの」
しかし、この森がひとたび入れば出られぬのは、自分のせいだと言う。けむに巻くことを楽しんでいるらしく、それらの言葉、特に意図はないと言った様子で告げて、それ以上は話さぬのが、その者の常である。
「シルヴァス。つまり、どういうことなの」
「物わかりが悪いね、ラル。僕が話さないということは、お前、わかっているだろうに」
何度このやりとりを繰り返したの、シルヴァスに呆れたようにかわされて、ラルは頬を膨らませた。ばら色の頬に、黄金の毛先がふわりとかすめた。
「わかってるわ。だから知りたいと言ってるんじゃないの」
唇をとがらせる少女に、シルヴァスは肩をすくめた。すいと髪に挿している緑色に光る細い木の枝を抜いた。さらりと長い髪が揺れ落ちた。緑の長髪はウェーブがかかっている。奥地の川の流れのようで綺麗だとラルはいつも思っている。そう言うと、いつも微妙な顔をするのだけれど。
緑の枝には、小指の爪ほどの大きさの花の蕾がついている。うすい桃色に、先が濃い赤になっていて、いつだって開きそうな花の蕾を、ラルはいつももどかしいような心地で見とれる。これをシルヴァスが髪に挿し始めたのはいつからであろうか。ふと気になって思い出そうとするが、おぼろがかってわからなかった。
「これ」
シルヴァスの声と、その枝が軽くラルの頭を叩くのは同時だった。音も立たないやさしさで、ただ香りだけが残った。
「シルヴァス、その花はいつ開くの?」
「話を聞きなさい。全くお前はすなおだが、子供で気がいつでも自由に飛ぶのが考えものだね」
先の質問なんてなかったように、尋ねてくるラルにシルヴァスは呆れながらも笑った。それはあたたかな笑いだった。
「ラルはもう大人よ」
「そういうところが、子供だというんだよ、お嬢ちゃん」
そうしてラルがすねてみせて終わる、それがいつもの二人のやりとりである。しかし今日、シルヴァスは「いずれお前にもわかるときがくる」と付け足した。それはいつものやりとりではなかった。ラルは、意外そうに、きょとんとした。続きがくるなど思ってもいなかったのである。
「シルヴァス?」
「かわいいラル、ぼくのおじょうさん、いつまでだって子供だけれど、それでも時はくるものね。お前の時がいつ来るかなんて、考えたけれど、わからなかった。けれど、きっと来る、それだけは僕もわかっているんだよ」
シルヴァスは、ラルに話しているようで、ラルには話していない。大きなひとりごとを話している、そんな風な話し方だった。そうして遠くを見るように思索に耽って、それきり黙り込んでしまった。ラルは日常に取り残され、困惑気に見ていたが、シルヴァスの静かな顔を見ていると、だんだんと不安になってきた。
二人とも、しばらく黙っていた。シルヴァスがいつものように笑ってはくれぬかと思った。でもそれはかなわなかった。
「シルヴァス」
シルヴァスがラルを見る。穏やかな目だった。いつだって、シルヴァスはラルを優しい目で見る。けれど、この穏やかさは、ラルの知らない穏やかさだった。そしてシルヴァスはラルの髪をなでた。シルヴァスは、ラルの黄金の髪をいたく気に入っていた。日の光も月の光もささないこの森の中、ラルの髪は明るくて、気分が沈むのを防ぐのだと言う。ラルもシルヴァスの髪が好きだから、そういうものかと思っていた。ラルは、自分の髪の色や姿というものの好悪が、よくわからないのだ。水鏡も、あまり使ったことがない。シルヴァスが映してくれる水鏡を、のぞき込むくらいだ。けれど、シルヴァスのことは、言の光に照らされる葉や水のせせらぎの、リュウテの音のようできれいだと思う。だから、それでいいのだと思っていた。
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「どうしたのかな」
きっと何でもないと思うことにした。けれどそれは難しかった。ひとまず、シルヴァスが起きてきたときの為に、食事を作っておこうと思った。黄色のジュースは、シルヴァスの好きなものだから、きっと喜んでくれるだろう、そう考えて、ラルは自分の棲み家からバスケットを持って、出かけることにした。小さな棲み家、そこはラルの世界である。棲み家だけじゃない、バスケット、衣――なにもかもシルヴァスがすべて与えてくれた。
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