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一章
十話 エレンヒル2
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お願いだから、誰か教えてほしかった。
いったい、何が起こっているの? ラルは誰なの?
ほんのしばしの沈黙がおりる。エレンヒルは、けして焦らず――沈黙は、彼の意図してとっていた間であるという風に――口を開いた。エレンヒルはラルの目をしかと見て、はっきりと言った。
「それらのお言葉には、今はお答えできかねます、姫」
「どうして? なら、シルヴァスの所へ行きたい、シルヴァスが心配なの」
「その願いも、叶えることはできません」
ご容赦を、そう言ってエレンヒルは頭を下げた。エレンヒルが引いた、完全な一線であった。それまでと違い、その礼には儀礼以外の温度がこもっているような様子で、それ故により踏み込めない空気を醸し出していた。完全な壁に、ラルはこの男にどんなに言っても、無駄であることを、まず察してしまった。もどかしい気持ちを、どこにやっていいのかわからなくなる。
「どうして、どうして何も教えてくれないの?」
ラルの声が不安にうわずる。頭がくらくらとしていた。どうして、自分に、誰も何も教えてくれないのか。せめて、ここがどこかわかれば、少しでも安心できる。ここは森なのか? 森だとしたら、どうしてこんなに痛いほど白いのか。森じゃないなら――急いで森に――シルヴァスの元へ行くのに。
「シルヴァスのところに行きたい!」
「――……シルヴィアスは、姫にとって、どのような存在でしたか」
エレンヒルはふいに切り出してきた。
「……そんざい?」
ラルは、突如出たシルヴァスの名前と、知らない言葉に思わず不意をつかれ、聞き返してしまった。
「姫は、あの者を、どのように思っておられたのですか?」
エレンヒルの顔を見る。エレンヒルは、穏やかな微笑を浮かべていた。温度を含ませたそれは、いつもの笑みよりも親しみがあり、取っつきやすく見せた。ラルは、無視できないような気がしてしまい、黙り込んだ。それからおずおずと口を開いた。
「シルヴァスは、ともだち。ラルの大切な」
本当のところ、まだ胸をはって、自分はシルヴァスの友達と言えないラルだが、この時はこう言った方がいい気がした。シルヴァスを守りたかった。
「ずっと、ラルを守ってくれた。いろんなことを教えてくれた」
教えてくれないことも、たくさんあったけど、あの森で生きていくために必要なことは、教えてくれた。
「姫はシルヴィアスが、とても大切だったのですね」
「――うん……」
たっぷりの、かみしめるような沈黙の後に、エレンヒルがそう言った。静やかな水面にぽとりと落ちた雫のような音だった。だから、ラルは黙って、頷いた。ようやく、話を聞いてもらったような気がしたからだ。
「どうして、あなたたちは、シルヴァスのこと、シルヴィアスって言うの?」
「姫は、何故シルヴィアスを、シルヴァスと呼ぶのです?」
「何で? 何でだろう……呼んだら、シルヴァス、返事したから」
ふと口をついて出た疑問に、問いで返されて、ラルは考える。言われてみればわからなかった。気づけば、シルヴァスのことを、シルヴァスと呼んでいた。名前の意味も知らなかったのに。エレンヒルは、ラルの答えに少しの息と音をこぼして笑った。ラルは、それにほんの少し、つられて口角を上げたが、すぐに戻した。
自分は、何も知らないことばかりだ。シルヴァスのことでさえも。思えば心細く、悲しかった。暗い気持ちでいるのは、好きじゃなかった。けれど、ずっと心は揺れる。
そうしている間に、薬湯がやってきた。持ってきた召使いは、役目を終えると頭を下げ、矢のように去っていった。恭しく差し出された器の中に入った、もうもうと湯気の立つ緑色の液体を、ラルは胡乱な顔で眺める。
「何か、お召し上がりになられたほうがよろしい」
器も熱い。こんな熱い飲み物は、飲んだことがない。衣ごしに掴んで、じっとにらんでいると、エレンヒルは、そっとささやいた。
「――シルヴィアスに、会いたいのでしょう」
「!」
ラルははじかれたようにエレンヒルを見た。エレンヒルは、唇に人差し指を立てていた。あくまで平静の様子に見せながら、有無を言わせない光を、深い青の目の奥に見た。ラルはとっさに出しそうになった音を飲み込んだ。
それを確認し、エレンヒルは目だけで頷くと、にこりと笑んで見せた。美しく、華やかな笑みであった。ラルは、自分の心を手繰られたような気がした。
「身体をこわしては、元も子もありません。さあ」
そうラルを促す声は、先までの近づいた様子はみじんもない、一線を引いた壁のあるエレンヒルであった。ラルは、黙って、器に口を付けた。つけてから、慌てて、離し、祈りの言葉をつぶやいた。
「ウィネ・リヒーティア」
エレンヒルの目が、僅かに見開かれ、ラルを見つめた。すぐに隠されたその表情をこそが、エレンヒルという者をもっとも表していたのであるが……ラルは祈りに集中していたので、気づかなかった。
強い苦みのあとに僅かな甘みと涼やかさのおそってくる、ハカの草の味に似た飲み物を飲む。湯気まで味がすることに、少し驚いた。エレンヒルは大人しく薬湯を飲むラルを満足げに見て、頭を下げた。
「ありがとう」
飲み終わり、ラルは、礼を言った。お腹から、身体が温かくなっているのを感じた。いつの間にかまたやってきていた召使いが、器を下げる。エレンヒルは、ラルに微笑を返すと、立ち上がった。
「それでは、私はそろそろ失礼いたします」
花のように音のない軽やかな動きだった。ラルは思わずそれを目で追う。聞きたいことは、まだたくさんあったが、それを追うことはできない。
「明日には、ドルミール卿があなた様に、すべてをお話するでしょう」
再び跪き、礼を取り直す。張りのある美しき声。恭しき、一部の隙もなき礼。その狭間に、すっと縫うように、言葉を滑り込ませた。
「しかし、私はあなた様の味方です。この言葉を、どうかお留めおきください」
ほんの一瞬だけ、視線が交差する。強い視線だった。ラルはその目をただ受け止めて、飲み込んだ。
いったい、何が起こっているの? ラルは誰なの?
ほんのしばしの沈黙がおりる。エレンヒルは、けして焦らず――沈黙は、彼の意図してとっていた間であるという風に――口を開いた。エレンヒルはラルの目をしかと見て、はっきりと言った。
「それらのお言葉には、今はお答えできかねます、姫」
「どうして? なら、シルヴァスの所へ行きたい、シルヴァスが心配なの」
「その願いも、叶えることはできません」
ご容赦を、そう言ってエレンヒルは頭を下げた。エレンヒルが引いた、完全な一線であった。それまでと違い、その礼には儀礼以外の温度がこもっているような様子で、それ故により踏み込めない空気を醸し出していた。完全な壁に、ラルはこの男にどんなに言っても、無駄であることを、まず察してしまった。もどかしい気持ちを、どこにやっていいのかわからなくなる。
「どうして、どうして何も教えてくれないの?」
ラルの声が不安にうわずる。頭がくらくらとしていた。どうして、自分に、誰も何も教えてくれないのか。せめて、ここがどこかわかれば、少しでも安心できる。ここは森なのか? 森だとしたら、どうしてこんなに痛いほど白いのか。森じゃないなら――急いで森に――シルヴァスの元へ行くのに。
「シルヴァスのところに行きたい!」
「――……シルヴィアスは、姫にとって、どのような存在でしたか」
エレンヒルはふいに切り出してきた。
「……そんざい?」
ラルは、突如出たシルヴァスの名前と、知らない言葉に思わず不意をつかれ、聞き返してしまった。
「姫は、あの者を、どのように思っておられたのですか?」
エレンヒルの顔を見る。エレンヒルは、穏やかな微笑を浮かべていた。温度を含ませたそれは、いつもの笑みよりも親しみがあり、取っつきやすく見せた。ラルは、無視できないような気がしてしまい、黙り込んだ。それからおずおずと口を開いた。
「シルヴァスは、ともだち。ラルの大切な」
本当のところ、まだ胸をはって、自分はシルヴァスの友達と言えないラルだが、この時はこう言った方がいい気がした。シルヴァスを守りたかった。
「ずっと、ラルを守ってくれた。いろんなことを教えてくれた」
教えてくれないことも、たくさんあったけど、あの森で生きていくために必要なことは、教えてくれた。
「姫はシルヴィアスが、とても大切だったのですね」
「――うん……」
たっぷりの、かみしめるような沈黙の後に、エレンヒルがそう言った。静やかな水面にぽとりと落ちた雫のような音だった。だから、ラルは黙って、頷いた。ようやく、話を聞いてもらったような気がしたからだ。
「どうして、あなたたちは、シルヴァスのこと、シルヴィアスって言うの?」
「姫は、何故シルヴィアスを、シルヴァスと呼ぶのです?」
「何で? 何でだろう……呼んだら、シルヴァス、返事したから」
ふと口をついて出た疑問に、問いで返されて、ラルは考える。言われてみればわからなかった。気づけば、シルヴァスのことを、シルヴァスと呼んでいた。名前の意味も知らなかったのに。エレンヒルは、ラルの答えに少しの息と音をこぼして笑った。ラルは、それにほんの少し、つられて口角を上げたが、すぐに戻した。
自分は、何も知らないことばかりだ。シルヴァスのことでさえも。思えば心細く、悲しかった。暗い気持ちでいるのは、好きじゃなかった。けれど、ずっと心は揺れる。
そうしている間に、薬湯がやってきた。持ってきた召使いは、役目を終えると頭を下げ、矢のように去っていった。恭しく差し出された器の中に入った、もうもうと湯気の立つ緑色の液体を、ラルは胡乱な顔で眺める。
「何か、お召し上がりになられたほうがよろしい」
器も熱い。こんな熱い飲み物は、飲んだことがない。衣ごしに掴んで、じっとにらんでいると、エレンヒルは、そっとささやいた。
「――シルヴィアスに、会いたいのでしょう」
「!」
ラルははじかれたようにエレンヒルを見た。エレンヒルは、唇に人差し指を立てていた。あくまで平静の様子に見せながら、有無を言わせない光を、深い青の目の奥に見た。ラルはとっさに出しそうになった音を飲み込んだ。
それを確認し、エレンヒルは目だけで頷くと、にこりと笑んで見せた。美しく、華やかな笑みであった。ラルは、自分の心を手繰られたような気がした。
「身体をこわしては、元も子もありません。さあ」
そうラルを促す声は、先までの近づいた様子はみじんもない、一線を引いた壁のあるエレンヒルであった。ラルは、黙って、器に口を付けた。つけてから、慌てて、離し、祈りの言葉をつぶやいた。
「ウィネ・リヒーティア」
エレンヒルの目が、僅かに見開かれ、ラルを見つめた。すぐに隠されたその表情をこそが、エレンヒルという者をもっとも表していたのであるが……ラルは祈りに集中していたので、気づかなかった。
強い苦みのあとに僅かな甘みと涼やかさのおそってくる、ハカの草の味に似た飲み物を飲む。湯気まで味がすることに、少し驚いた。エレンヒルは大人しく薬湯を飲むラルを満足げに見て、頭を下げた。
「ありがとう」
飲み終わり、ラルは、礼を言った。お腹から、身体が温かくなっているのを感じた。いつの間にかまたやってきていた召使いが、器を下げる。エレンヒルは、ラルに微笑を返すと、立ち上がった。
「それでは、私はそろそろ失礼いたします」
花のように音のない軽やかな動きだった。ラルは思わずそれを目で追う。聞きたいことは、まだたくさんあったが、それを追うことはできない。
「明日には、ドルミール卿があなた様に、すべてをお話するでしょう」
再び跪き、礼を取り直す。張りのある美しき声。恭しき、一部の隙もなき礼。その狭間に、すっと縫うように、言葉を滑り込ませた。
「しかし、私はあなた様の味方です。この言葉を、どうかお留めおきください」
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