薮原なこと

真田奈依

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第十話 マッチポンプ

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 ある朝、出勤してきた大林が、担当していた企画書のデータが一部消えていることに気づいた。
「あれ? 保存していたはずなのに……」
 念のためバックアップを確認したが、やはり最新のデータだけがない。
 そこへ、薮原が近づいてきた。
「どうしたの? 何か困ってるの?」
 大林は正直に事情を説明した。
「昨日保存したデータが見つからなくて……。どこかで誤って消したのかも」
 すると薮原は、すっと表情を変えた。
「……ねぇ、それ、誰かが消したんじゃない?」
 大林は一瞬ポカンとした。
「え? 僕がミスしただけだと思うけど」
 薮原は声を潜め、目をぎらつかせた。
「そう思わせたい“誰か”がいるのよ。
 これは大林さんを狙った陰謀だと思うわ」
(いやいやいや……)
 大林が苦笑すると、薮原はなおも畳みかけた。
「ほら、だって――昨日、大林さん、ちょっと目立ってたでしょ?
 企画の案を褒められてたし」
「え、そこ?」
「だから嫉妬した誰かが……データを消したのよ。
 これは、内部破壊工作だわ!」
(壮大すぎる……)

 薮原は、さらに自分の話に酔い始めた。
「大林さん、きっと狙われてるのよ。
 だって、大林さんは優秀だから。目障りなのよ」
 大林は、優秀という言葉の後にかすかに「あたしほどじゃないけど」というニュアンスを読み取った。
(うん、言いかけたよね今……)
「だから、大林さんを混乱させるために、データを消した。
 これは攻撃よ。職場での“情報戦”ってやつ!」
(もはや諜報員の世界……)
 大林は困惑しながらも、話を切り上げようとした。
「いや、本当に僕がミスしただけなので……ありがとう、もう大丈夫……」
 しかし薮原は黙らない。
「大丈夫じゃない!
 大林さん、もっと自分を大事にしないと!
 優秀な人ほど、狙われるものなのよ!」
(あなたが言いたいのはそこなんだね)

 薮原は不意に表情を曇らせた。
「……実はね、あたしも昔、狙われたことがあるの」
(また始まった)
「前の職場で、あたしが“あまりにも仕事ができるから”、妬まれてね……いろんな嫌がらせをされたわ」
(ほんとかな?)
「でもあたしは負けなかった!
 誰よりも分析力があって、洞察力があって――」
(はいはい)
「そのせいで周囲に疎まれたのよ。
 やっぱり、優秀な人は孤立するものね」
(なぜ僕の話からあなたの自慢話に……)
 大林は内心ため息をつきながら、
(この話、昼休みまで続くな……)
 と悟った。


 一方そのころ。
 山本と佐伯は、共有パソコンのログを確認していた。
「あった。昨日の夜の操作履歴」
「誰がいじってた?」
 画面には――
『YABUHARA E. による上書き保存』という5文字が、くっきり残っていた。
「……ああ、やっぱりな」
「薮原さんが間違えて上書きしてたってことね」
 ふたりは無言でうなずき合った。
 
 その日の夕方
 大林は一日中、恵巳の“陰謀論”に付き合わされた。
「とにかく気を付けて!
 あなたは狙われてるの!!」
「ありがとう……もういいから帰って……」
 帰り際、山本が大林にそっと USB を渡した。
「消えたデータ……これ。復元しておいたから」
 大林は涙ぐんだ。
「ありがとう……」
 薮原が叫んだ。
「ちょっと! それ証拠よ!
 それこそ陰謀の証拠!!
 どこ経由で復元したの!? 何時!? 誰が!? どうやって――」
(黙ってくれ)
 周囲は心の中で叫んだ。
 自分のミスを“壮大な陰謀”に変換。こうして今日も、“薮原なこと”は職場を疲れさせるのだった。
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