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第九話 補足という名の蛇足
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薮原の御高説がようやく終わったころには、みんなの脳はぐったりしていた。
蛍光灯の交換という単純な議題に、なぜここまで疲弊しなければならないのか。
「はぁ……疲れた……」
山本がつぶやくと、隣の席の佐伯が静かにうなずいた。
「薮原さん、話に“伏線”張るの好きだよね。全部回収しないまま終わるけど」
「むしろ蛇足が本編みたいになってるよね……」
みんながぐったりしていると、そこへ薮原が“にこやかに”現れた。
「さっきの会議の件なんだけど……、補足してもいい?」
全員が一瞬で固まった。
(補足!? まだ話すことあるの!?)
(やめて……脳が……もう無理……)
しかし薮原には、場の空気という概念が存在しない。
「さっき、“交換しても問題ない”って言ったけどね、やっぱり厳密にいうと、“問題ないと言い切るための前提条件”があるわけで――」
また始まった。
「まず、蛍光灯の規格について詳しく調べる必要があってね。日本工業規格ってすごく複雑で――」
(複雑にしてるのはあなたです)
「それから、部屋の利用目的に応じた光量についても計算しなきゃいけないの。これは心理学的にもね、“集中力を高める照度”と“リラックスできる照度”があって――」
(また心理学!?)
「で、それを踏まえると、総合的判断としては――」
佐伯が意を決して口を挟んだ。
「ごめん、薮原さん。もう交換しちゃったから」
「えっ!? ちょっと待って!」
薮原の目が大きく見開かれた。
「調査も検討もしてないのに、そんな拙速なことを?
まず“仮説立案→検証→評価→再評価”のプロセスを踏まないと――!」
それはただライトを取り替えるだけの話だった。
山本がふと時計を見て、呟いた。
「あれ、もう昼休み終わる……」
午後、資料の整理をしていたとき、佐伯が書類を束ねながら言った。
「この書類、日付順に並べておけばいいかな?」
それは誰でも理解できる作業だ。
ところが薮原の頭の中では、必要以上に複雑な手順が組み立てられていた。
「ううん、それは浅い考え方!
日付順にするだけじゃダメなの。“意図”が抜け落ちてるから」
「意図……?」
「たとえば“提出者の心理的背景”とかね。
その人がどんな想いでこの書類を出したか、という文脈も考慮して並べるべきだと思うの!」
誰もが驚いた顔をした。
(書類に感情で並べ方を変える……?)
さらに薮原は続ける。
「それにね、並べる方向も重要なの。
右から左か、左から右かで、人間の視線の動きが変わって認知負荷が――」
(認知負荷を増やしてるのはあなたです)
結局、薮原の“複雑理論”が採用されることはなく、いつも通り日付順に並べられた。
「みんな、“理解が浅い”みたいだけど、まぁ仕方ないよね。あたしほど分析力がある人って、そんなに多くないから」
(いや、あなたが複雑にしているだけです)
職場の誰もが、そっとため息をついた。
その日の夕方。
蛍光灯の交換が終わった会議室は、明るかった。
しかし、メンバーの表情はどんよりしていた。
「今日も“薮原なこと”フルコースだったな……」と山本が言うと、佐伯が肩を落としながら言った。
「あの人、物事を複雑にしないと気がすまないのかな……」
そのとき──
「みんな、ちょっといい?
さっきの蛍光灯の件、まだ続きが――」
「終わった!!!」
オフィス中の叫び声が美しくハモった。
――こうして今日も、薮原恵巳の“薮原なこと”は炸裂し続けるのだった。
蛍光灯の交換という単純な議題に、なぜここまで疲弊しなければならないのか。
「はぁ……疲れた……」
山本がつぶやくと、隣の席の佐伯が静かにうなずいた。
「薮原さん、話に“伏線”張るの好きだよね。全部回収しないまま終わるけど」
「むしろ蛇足が本編みたいになってるよね……」
みんながぐったりしていると、そこへ薮原が“にこやかに”現れた。
「さっきの会議の件なんだけど……、補足してもいい?」
全員が一瞬で固まった。
(補足!? まだ話すことあるの!?)
(やめて……脳が……もう無理……)
しかし薮原には、場の空気という概念が存在しない。
「さっき、“交換しても問題ない”って言ったけどね、やっぱり厳密にいうと、“問題ないと言い切るための前提条件”があるわけで――」
また始まった。
「まず、蛍光灯の規格について詳しく調べる必要があってね。日本工業規格ってすごく複雑で――」
(複雑にしてるのはあなたです)
「それから、部屋の利用目的に応じた光量についても計算しなきゃいけないの。これは心理学的にもね、“集中力を高める照度”と“リラックスできる照度”があって――」
(また心理学!?)
「で、それを踏まえると、総合的判断としては――」
佐伯が意を決して口を挟んだ。
「ごめん、薮原さん。もう交換しちゃったから」
「えっ!? ちょっと待って!」
薮原の目が大きく見開かれた。
「調査も検討もしてないのに、そんな拙速なことを?
まず“仮説立案→検証→評価→再評価”のプロセスを踏まないと――!」
それはただライトを取り替えるだけの話だった。
山本がふと時計を見て、呟いた。
「あれ、もう昼休み終わる……」
午後、資料の整理をしていたとき、佐伯が書類を束ねながら言った。
「この書類、日付順に並べておけばいいかな?」
それは誰でも理解できる作業だ。
ところが薮原の頭の中では、必要以上に複雑な手順が組み立てられていた。
「ううん、それは浅い考え方!
日付順にするだけじゃダメなの。“意図”が抜け落ちてるから」
「意図……?」
「たとえば“提出者の心理的背景”とかね。
その人がどんな想いでこの書類を出したか、という文脈も考慮して並べるべきだと思うの!」
誰もが驚いた顔をした。
(書類に感情で並べ方を変える……?)
さらに薮原は続ける。
「それにね、並べる方向も重要なの。
右から左か、左から右かで、人間の視線の動きが変わって認知負荷が――」
(認知負荷を増やしてるのはあなたです)
結局、薮原の“複雑理論”が採用されることはなく、いつも通り日付順に並べられた。
「みんな、“理解が浅い”みたいだけど、まぁ仕方ないよね。あたしほど分析力がある人って、そんなに多くないから」
(いや、あなたが複雑にしているだけです)
職場の誰もが、そっとため息をついた。
その日の夕方。
蛍光灯の交換が終わった会議室は、明るかった。
しかし、メンバーの表情はどんよりしていた。
「今日も“薮原なこと”フルコースだったな……」と山本が言うと、佐伯が肩を落としながら言った。
「あの人、物事を複雑にしないと気がすまないのかな……」
そのとき──
「みんな、ちょっといい?
さっきの蛍光灯の件、まだ続きが――」
「終わった!!!」
オフィス中の叫び声が美しくハモった。
――こうして今日も、薮原恵巳の“薮原なこと”は炸裂し続けるのだった。
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