天使ムニエル

真田奈依

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8 最後の晩餐

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 仕事を終え、天使のいない部屋に帰る毎日。元の暮らし。これでいいのよ。スリムな体形を維持できる。
 朝はコーヒー、昼はバナナ、夜は栄養ゼリーの毎日。何食べようか考える必要がないのは楽でいい。遠藤さんはいつも何を作ったらいいかって頭を悩ませている。そんなことに時間と労力を使うのってどうなんだろう。




「朝食ですよ。たくさん食べましょうね」
 弓子さんが起きたタイミングで、私は笑顔でに声をかける。弓子さんは認知症が進んで前より食べなくなった。食べなければ死んでしまう。食べ物は生命を維持するもの。食べるって大切。ほんとにそうだ。
 遠藤さんも家族のために食事を作っているんだよね。料理するってすごいことかも。ムニエルは私のために料理してくれていた。それなのにひどいことしちゃったな。ごねんね。
 弓子さんの食欲を促すためのアイスクリームをスプーンですくって、下から弓子さんの口に運んでいく。
 食べることに興味がない私が食事の介助をしているなんて皮肉ね。私は朝食を食べていない。自分の食事をおろそかにして、人に食事させている。
「幸せ~」アイスクリームを一口食べた弓子さんがうっとりして言う。「おいしい~」
 よかった。食べてくれてる。幸せなんだ。よかった。


 

 私もちゃんと食べなきゃ。夜勤を終えて家に帰ってから料理をしようとした。だけど──────
 倒れた。体が動かない。ずっと不摂生な食生活をしてきた私の体は限界になっていたのだった。





 私、死んだの?
 気がつくと私は雲の上に横になっていた。ふわふわした雲。暑からず寒からず、やわらかな光しか見えない。天使が着ていたのと同じような白い服を着ている。ここはどこ? 天国?
「智子」
 近くで何か光ったと思ったら、そばにムニエルがいて、羽根を広げて私をのぞき込んでいる。
「気分はどう?」
「体もだるいけど、それ以上に心が沈んでる」
「これを食べるといいよ」
 ムニエルがパンをさしだす。カンパーニュみたいな丸い形のパンだった。受け取るとあったかくてやわらかい。ちぎって一口食べた。ふわふわしてやさしい味。 
「ごめんねムニエル。私のために料理を作ってくてたのに私……
 私わかったの、食べるって大切なんだって」
 食べるごとに心も体も癒されていく。
「また、ムニエルの料理が食べたいな」
「………」
 なぜかムニエルは悲しそうな顔をしている。
「どうしたの?」
「さっきのパンが、僕が智子にごちそうできる最後の食べ物だったんだ」
「最後って、どういうこと?」
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