祓い屋が、あやかしの世界に呼ばれました。

第三話 この世界のかたち

　お風呂から上がり着慣れない着物を何とか深緑の帯で纏めて形だけ着ている風に仕上げた。良く見ると裾には小さな桜が散りばめられていて、全体の色味もまるで桜餅のようでとても可愛らしい。
　大きなタオルを肩にかけて髪の雫で着物が濡れないようにしながら脱いだ服を畳んで手に持ち、そっと扉を開ける。
　廊下には誰の姿も見えない。さっきの畳の部屋に行けば居るだろうかと一本道の廊下を歩き出したところで、廊下の先からひょっこりと赤い髪が覗く。

「お、出たんだなー！こっちこっち」

　明るい声とともに呼ばれ、足早にその方向へ向かう。ちゃぶ台の前には座布団が敷かれ、リュカがちょこんと座って湯呑みを手にゆったりとお茶を飲んでいた。

「ほら、そっち座って」

　促されるまま向かい合うように敷かれていた座布団に正座し隣に服と鞄をそっと置くと、手際よく温かいお茶を淹れてくれた。
　ありがとうとお礼を言うと「千鈴はそんな事言ってくれない」と少し感動したように私を見る。普段から良いように使われている事がその言葉から伝わってきた。

「リュカくんはしっかりしてるね」
「千鈴が店以外の事にだらしないんだよ。あとリュカでいいぜ！」
「…なら、私もあかりでいいよ」
　
　人懐っこい笑顔はどこか安心感を覚える。本当に気さくで明るい少年だ。ほんの少し前まであやかしに抱いていた警戒心が静かに溶けていくのを感じた。

「で。面倒見ろって言われてもなあ…この時間お客もちらほら入るし千鈴は出ずっぱりだし…うーん」

　腕を組んで悩んでいる。確かに千鈴ちゃんはずっと忙しそうにしていた。

「あのね、私この世界のこと何も知らなくて。よければ少しだけでも教えてほしいんだけど…いいかな？」

　控えめに問いかけると、リュカは少し首を傾げて考えるような顔になった。

「知らないって、旅行者か？」
「旅行者？」

　思わずオウム返しをしてしまった。リュカは「ん？」と軽く眉を寄せながらも答えてくれた。

「だってその容姿とか服。他の国から来たんじゃねーの？俺みたいに」

　色々聞きたいことはあるけれど、確かに私は黒髪じゃない。濃い茶色で、染めているわけではなくこれが生まれつきの色。瞳の色も少し薄くて灰色に近い。
　お父さんは生粋の日本人だけど、お母さんの遺伝を強く受け継いだんだねと昔に言われた記憶がある。だから私はたぶん、ハーフなんだろう。
　そんなことを思い出していたら、学生時代に何度も染めてるだろと先生に疑われた嫌な記憶までついでに蘇ってきた。

「えっと、リュカは他の国から来たの？他ってどんな国があるの？」

　嫌な記憶を消し去るように、リュカにそう聞き返す。
　何か私が事情持ちだと察してくれたのか、ゆっくり口を開いて説明をし始めた。

「あー…まず、この隠世かくりよは四つの国に分かれてる、知ってると思うけどな」

　かくりよ。どこかで聞いたことがあるような、ないような言葉。

「東の国。西の国。南の国。北の国。ざっくりそんな感じで分かれてる。知ってると思うけど」 
「へえ…」 
「今この場所は東の国。現世うつしよでいう日本とか中国とかのあやかしたちが住んでる所だな。ま、これも知ってるとは思うけど！」

　とても居た堪れなくなってきた。
　リュカは私があやかしじゃないって気付いてるのかな。でも踏み込んで聞いて来ない。その優しさがとても心にグサグサと刺さる。

「で、俺は南の国出身。北と東は島国だけど西と南は大陸が繋がってるんだよ。知ってると思うけど…」
「知りません…」
「だよなー！オレでも気付いた！！」

　あー！っと声をだして畳の上に大の字に寝転がったと思ったら勢い良く起き上がる。

「じゃああかりって、やっぱり記憶喪失？」
「…人間です」
「はいっ！？」

　リュカはちゃぶ台越しにぐっと身を乗り出して、目をまんまるにしてこちらを見つめてくる。
　どうやらリュカは私が記憶喪失のあやかしで千鈴ちゃんに拾われたと思っていたらしい。

「えー、人間ならすぐ分かるもんだけどなあ。全然気づかなかった…」

　リュカが不思議そうに首を傾げる。そういえば千鈴ちゃんも匂いがどうこう言っていたっけ。それは喜べばいいのか悲しめばいいのか。

「人間かぁ…。驚いたけど、オレは人間嫌いとかではないし…千鈴が家に入れたんだから平気だよな。よし、オレがこの世界のこと色々教えてやる！」

　そう言って甚平のポケットから可愛らしい和柄のメモ帳と、黒の万年筆を取り出し私の前にすっと差し出す。教えるからメモを取れ、ということらしい。

「じゃあもう一度、ゆっくり最初からお願いします。リュカ先生」

　思わず微笑んで万年筆を手に取る。リュカは得意げな顔で胸を張ると、まるで授業の始まりのように話し始めた。
　メモを取りながら時折質問を挟む。真面目だけど、でもどこか楽しくて気付けば時間がずいぶんと過ぎていた。


♢♢♢♢♢


「さーて、大体こんなとこかな！」

　リュカは満足げにそう言うと「おやつ時だから手伝ってくる」と立ち上がった。私の見張りのつもりなのか、ちゃぶ台の上にお饅頭ほどの大きさの火の粉をぽん、と置いてから店の方へ出ていってしまった。
　その火の粉には小さな目がついていて、ぴょこぴょこと瞬いている。火傷するかもと思いながら好奇心に負け指でつついてみると、ほんのりとしたあたたかさが伝わってきた
　遠くから聞こえてくるお客さんたちの賑わう声を聞きながら、手元のメモ帳を捲って頭の中で情報を整理する。

「…とんでもない所に来ちゃったな」

　まずこのあやかしたちが住む世界の事は隠世かくりよと言うらしい。そして人間の住む世界は現世うつしよ。この言葉はなんとなく聞いたことがあった。たぶん、小説か漫画の中で。
　隠世は東・西・南・北と四つの国に分かれていて、今私がいるのは“東の国”。日本や中国といったアジア圏のあやかしたちが多く住んでいるらしい。
　四つの国以外に小さな島とかないのかとリュカに尋ねると「まあ、あるけど細かいとこはいいじゃん！」とざっくりとした返事が返ってきた。この世界の住人全てがそうかは分からないが、どうやらあまり細かい区分には関心がないらしい。

　そして北と東は島国、南と西は大陸続き。
　リュカは南の国の出身で、好奇心から西の国へ遊びに行き、さらに成り行きで大きな船に乗ったらそのまま東の国に送られてしまったらしい。
　その後東の国をうろついているとこのお店が目に入り、千鈴ちゃんが作る繊細な和菓子に一目惚れしたらしい。西や南では見かけなかった菓子。
　行くあてもなく、執拗に千鈴ちゃんに付きまとって半ば強引に弟子にしてもらったとのこと。弟子というより、いいようにこき使われている弟という気もするけれど。千鈴ちゃんは案外押しに弱いのかもしれない。

「どう、仕組みは分かった？」

　下駄を脱いで、千鈴ちゃんが少し疲れた様子でリュカが座っていた場所に座る。
　問いかけに大体ねと返し「お店は？」と尋ねる。

「リュカとバイトの子に任せてきたわ」

　さらっと言われて少し驚く。バイトの子がいるんだ。どんな子なんだろう、ちょっと見てみたい。

「それメモ？見せて…って、何よその着付け！」
「えっ？」

　手渡そうとしたメモ帳を受け取る前に、千鈴ちゃんが私の服に気付き突然声を荒らげる。バスタオルの隙間から覗いた着物の乱れに目を丸くしているようだ。
　リュカが何も言わなかったからすっかり忘れていた。無理やり着たせいで、私の着物は相当ひどいことになっていたらしい。

「ほんっと信じられない！ 一人で着れないの？ はい、立って！」
「え、あっ、はい！」

　言われるままにバスタオルを肩から外してその場に立つと、千鈴ちゃんが手際よく帯を解き、よれよれだった着物を直し始める。するすると形が整えられ、最後にぎゅっと苦しいくらいに帯を締められると背筋がぴんと伸びた。

「もう、着物が泣いてるわよ」
「早い、綺麗、すごいね千鈴ちゃん！」
「な、何よ。普通のことよ」

　着物や浴衣を着る機会なんて最近ほとんどなかったから、久しぶりの和服に少し気分が上がる。
　千鈴ちゃんは照れ隠しのようにそっぽを向いて座り込み、私のメモ帳を手に取りぱらぱらと捲りはじめた。静かに目を通している姿を見ながら、私もさっきまで座っていた座布団に座りなおす。

「リュカったら役に立たないわね。大事な事が抜けてるじゃないの」
「他にも何かあるの？」
「現世に行く方法よ！」

　帰りたくないの？と呆れたような顔で千鈴ちゃんはメモ帳を机の上にパタンと置く。
　確かに、それはとても大事なことだったのに聞きそびれていた。自分の抜け具合に自分でも呆れる。

「というか、なんでアンタこっちに来たわけ？たまに迷い込む人間はいるって聞くけど見張り役の鎌鼬《かまいたち》たちがすぐ気付くはずなのに」
「私もわからない。何か変な黒いのに地面に引きずり込まれて…気が付いたら千鈴ちゃんに水ぶっかけられたから」
「…ふーん。まあいいわ。隠世と現世を行き来する方法はひとつしかないもの、ちゃんとメモ取りなさいよ」

　一番大事な話が始まる。そう思って私はもう一度万年筆を手に取り、メモ帳を開いた。

「そうね。まず、どの国にもあやかしたちを取り仕切る存在がいるの。東の国には三人。天狗、狐、鬼……これらは三妖さんようって呼ばれているわ」
「さん、よ、う…と」
「それから隠世と現世を行き来できる輪界門りんかいもんがあるの。その門を通れるのは東の国のあやかしだけ」
「ふむふむ」
「でもその門にはいつも鍵が掛かっていて、そう簡単に行ったり来たりはできないの」
「その鍵って、誰が持ってるの？」

　時々、漢字が違う！と叱られながらも私はひたすらメモを取り続ける。

「鍵は一年ごとに三妖が交代で守ってるの」
「今は誰？」
「知らないわよ。私、隠世生まれの隠世育ちよ。居心地の悪い現世になんて興味ないもの」

　一番知りたいところなのに肝心の鍵の持ち主は不明。リュカも知らないのかな。
　でも大きな手がかりは得られた。隠世と現世を繋ぐ輪界門。その鍵は天狗・狐・鬼が一年交代で守っている。
　今の当番が誰かさえわかれば、きっと門を開けてもらえる可能性があるはず。

「で、アンタ行くとこないんでしょ」
「あ…」

　ふと外を見れば大分暗くなってしまっている。
　今から宿を探すにも土地勘もないし、財布はあるけれどこちらの世界でも通用する紙幣なのかわからない。
　そんな現実に気付いてじわじわと不安が顔に出始めたその時、ひとつの提案を持ち掛けられた。

「ここアタシとリュカの二人暮らしなの。二階が生活場ね。で、昼間は二人とも店に出てるから、洗濯も掃除も溜まる一方。ご飯も作る気力なんて残ってないのよねー」

「ここ、アタシとリュカの二人で暮らしてるの。二階が生活場ね。それで私たち二人で昼間お店に出るのよ。その間洗濯物とか掃除とか溜まっていくし、ご飯とかも作る気力ないのよねー」

　はぁ、とわざとらしいため息を吐きつつ、千鈴ちゃんがチラチラとこちらに目配せしてくる。
　わかりやすく、私にとっては願ったり叶ったりだった。

「私でよければ掃除も洗濯もやるよ！料理も家庭料理ならできるからっ」
「ふふっ、決まりね。その言葉を待ってたの。アタシ優しいでしょ？褒めなさい」
「優しい！すっごく優しい！本当にありがとう、千鈴ちゃん！」

　そう言って褒め称えると、千鈴ちゃんは猫耳をピンと立てて満足そうに微笑んだ。小さく「下僕が増えたわ～」という声が聞こえた気がするけど、今はどうでもいい。
　むしろこうして誰かの役に立てる場所があるなら、それだけでありがたい。
　ただこの二人は、私が祓い屋の家系でその力を継いでいると知ったらどんな顔をするのだろう。考え込みそうになった時、ぐっと千鈴ちゃんに手を引かれて二階へ案内された。
　二階には部屋がふたつあった。小さなキッチンに冷蔵庫、食器棚、机と座布団が置かれた団らん用の部屋がひとつと、もう一方の部屋には青地に蜻蛉模様の布団と、赤地に黒猫柄の布団が雑然と並べられていた。
　障子は開け放たれていて、ほとんど一つの大部屋のように見える。

「明日からよろしくね、家政婦さん」

　にこっと笑って、千鈴ちゃんが私の肩を軽く叩いた。
　その軽やかな一言に私は思わず背筋を伸ばし、心の中で気合を入れた。