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Epilogue
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「結局、不死鳥の心臓って何だったのかしらネ?」
ジルコン地区を離れ、アメジストの中心部へと戻る途中で、ネプチューンがおもむろに口火を切った。彼やムーンたちの乗っている車両は、ひび割れて状態の悪化した道路の上を、ガタガタと左右に揺れながら進んでいく。医師の武骨な手によって腹の刺し傷を処置してもらう傍ら、ムーンは痛みを堪えた表情で、車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
「さぁね。案外、ただの嘘だったのかも知れないよ。あるいは、本当に実在したのかも……いずれにせよ、真相はもう誰にも分からない」
彼はネプチューンが包帯を巻き終わるのを待ってから、感情の読み取れない平坦な調子で答える。その後、傷に障らないよう留意して姿勢を変え、ゆっくりと車内を見渡した。
「SGPとは、近い内に“話し合い”の場を設ける必要があるわね。彼らが何をしようとして、どこまで知っていたのか、全て聞き出さなくちゃ」
両側に取り付けられた無数のモニターを、油断ない目付きで睨んでいたレジーナがふと立ち上がる。彼女は自身の座っていた一際大きな椅子を押し遣り、痩せた身体で堂々たる佇まいを見せる。
彼女の乗っている特別車両MTC2は、通信妨害の魔法を食らった後も、どうにか連絡手段を確立すべく試行錯誤していた。結果、研究所内で迷っていたムーンにメッセージを送り、ネプチューンやガイアモンド共々出口へ導くことに成功。彼女の案内に従った彼らは、無事に施設の裏門まで辿り着き、外へと逃げ出せたのである。そして、すぐ付近の路地で待機していた彼女と合流し、車で走り去った。彼らが脱出した研究所の前には、ようやく事件の匂いを嗅ぎ付けて駆け付けた警察が、続々と到着しているところだった。
「そして、もしも古代遺物の効果が本物なのだとしたら、何としてでも奪い取って、隠さなくてはいけない。永遠の命なんて怪しげなものを、テロリストやその他危険人物に渡すことは出来ないわ。私たちだけで、管理しなければ」
だが恐らく、地元警察風情にSGPの闇を暴くことは出来ないだろう。彼らの頂点に君臨する所長代理なる独裁者の弁舌で、巧妙に丸め込まれ誤魔化されてしまうに違いなかった。いずれにせよ、セイガ一人を退けただけでは、単なる問題の消極的解決にしかならないのだ。いつか“不死鳥の心臓”を巡って繰り広げられるはずの、大戦争の勃発をわずかに引き延ばしたに過ぎない。
「じゃあ、ワタシたちの任務は、まだ終わってないってことかしらン?」
すぐさま臨戦体勢を取って腰を浮かせる戦闘狂を、レジーナは首を振って片手で押し留める。
「いいえ。ひとまず、今回の仕事はこれで完了よ。よくやってくれたわね、ムーン、ネプチューン。一つ残念なのは、セイガを生け捕りにするんじゃなくて、射殺してしまったことだけど……社長を守るためだったのなら、仕方ないわ」
彼女の珍しい称賛を、ムーンは素直に受け取ることが出来なかった。何故なら、セイガを殺害した理由について、彼が伝えたのは嘘偽りだったのだから。確かに、ガイアモンドを守るためという表現も一部真実ではある。直接命を救ったわけではないものの、ムーンは彼に殺人行為を経験させないことによって、心を助けたのかも知れなかった。
とはいえ、彼がセイガを殺そうとした事実を打ち明ければ、レジーナはきっと動揺するに決まっている。おまけに尊敬する彼の犯した恥ずべき失態を、無闇に他言するという無礼は絶対に働けなかった。そのため、ムーンとネプチューンは困り果てた表情で、互いを見交わすだけに努める。幸い、レジーナはあまり疑問を抱かなかったらしく、速やかに話を続けてくれた。
「犠牲者を出してしまったのは、本当に胸が痛むけれど……悲しみは、それぞれの力で乗り越えるべきものだわ」
彼女は胸に手を当てると、沈痛な面持ちで追悼の意を示した。彼女の視線が注がれる車内の最後尾には、蒼白な顔で床に座り込んでいるガイアモンドの姿がある。彼の眼前には、大きな布で包まれたアデレードの身体が安置されていた。
「あなたたちには、しばらく休暇を与えます。緊急の任務も他の特急エージェントに優先して回すから、二人はこのまま家に帰って、ゆっくり休んで」
しばし無言の時間が流れた後。レジーナは再びムーンたちの方を見遣り、端的に事務連絡を告げる。予備の眼鏡をかけ、フレームにかかった前髪を払ったムーンは、一度だけかすかに頷いた。
「もちろんだ。休息を取って、次に備えなくてはならないからね。もし、彼が本気でインペラトルとの対決を望むなら……今まで以上に、過酷な戦いになる」
彼の眼差しは、未だ本心の分からない無表情で固まっているガイアモンドを捉えている。
「ワタシたちと奴らの、どっちが生き残るか勝負ってことネ。上等だわ!腕が鳴るじゃない……!!」
隣にいるネプチューンが、筋骨隆々とした逞しい腕を回し関節を鳴らした。自信に満ちた好戦的な口調で語る彼を、ムーンはちらりと眺めて苦笑を浮かべる。
「あぁ、その通りだね」
* * *
「ハァ……ハァ……」
薄暗い空間を、一人の男がよろめきながら歩いていく。彼が一歩を踏み出す度、その身体から滴った血が点々と染みを作り、彼の辿った道程を床に記した。時折、どす黒い体液に濡れた細かな肉片までもが、足元に落ちてべちゃりと嫌な音を立てる。乾燥した唇を割って、低く掠れた声が溢れ出た。
「……に、たくない……死にたくない」
彼は途切れ途切れに呻きつつ、覚束ない足取りで茫洋と進み続ける。彼の口はひっきりなしに開閉し、決して絶えることなく同じ独り言を紡いでいた。
「俺はまだ……死にたくない……!こんなところで……!!」
無限の呟きを繰り返して、彼は何とか非常灯の灯っている真下へと行き着いた。
その時、頼りなさげに降り注ぐ電灯の明かりによって、男の全身像がはっきりと照らされた。光の中に描かれた彼の姿は、直視するに耐えないグロテスクな化け物のようだった。まず、左腕は完全に消失し、肩の辺りから先がぶつりと不自然に途切れている。同様に左足も損傷していたが、こちらは皮膚や肉だけが削ぎ落とされて、真っ白な骨が垣間見える状態になっていた。しかし、傷口にはどちらも刃物で切断された形跡はない。というよりも、一度冷凍された肉が強い衝撃を加えられて、砕け散った時の形状に似ている。その仮説を補強すべく、彼の胴体には薄い氷の膜が張って、折れた肋骨や破裂し損傷した内臓の痛みを軽減させていた。
要するに、本来ならとっくに死亡していてもおかしくない容体だ。にも関わらず、彼が未だに生きているのは、ひとえに体を侵食する氷のおかげに相違ない。血管が凍り付いたことで出血が防がれ、凍傷により神経が麻痺したため、苦痛を感じにくくなっている。だが裏を返せば、この氷が溶けた時点で、彼の命が尽きるという意味でもあった。実際、彼に魔法の氷を撃ち込んだ人物は、今し方額に風穴を空けられ事切れたばかりである。
己に巣食う魔法が解除され、体内の氷が次第に消滅していくのを、グシオンは明確に把握していた。だからこそ、刻々と迫ってくる死の時を逃れたい一心で、意味もない逃避行を試みていたのだった。
「嫌だ……死にたくない、死にたくない……!!」
彼はもはや泣き声すら漏らして、特にどこを目指すというのでもなく、施設内を彷徨っていた。
唐突に、視界の端に眩い光が飛び込んでくる。数メートル前方に扉があり、わずかに開いた隙間から青白い明かりがこぼれていた。グシオンの胸に、表現の術がない漠然とした喜びが込み上げてくる。何故かは分からないが、あの光こそが彼にとっての希望であると瞬時に直感した。
「くっ……!うっ」
彼は骨が剥き出しになった足で、不安定な前進を続行する。同時に腹の底から湧いてきた赤黒い血が、顎を伝って喉や首、胸元に付着した。気道に粘っこい液体がこびりつき、スムーズな呼吸を阻害しているが、どうすることも出来ない。もはや彼には咳をする体力もなく、ヒューヒューとかすかな異音と共に息を吸うのが精一杯だった。
それでもやっとの思いで、彼は開け放たれた扉を潜り抜ける。もし、落下した際に打ち付けたのが右半身だったら、きっとここまで辿り着くことは不可能だったろう。凍り付いた分左側の重みが増していたからこそ、数秒意識を失っただけで、再び起き上がれるようになったのだ。もちろん、自分が砕ける感触を味わったのだから、全く楽な気持ちにもなれなかったけれど。
「ハァ……ッ!!」
扉の奥に広がる光景を見て、グシオンは思わず溜め息を吐く。それは自身の予感が的中したことへの、歓喜の表れ。また、現状考え得る限りの最高の救済を手にしたという、言葉に出来ないほど激しい感情のうねりであった。
彼の正面には、狭くこぢんまりとした部屋が存在していた。刑務所の独房よりも面積の小さな空間の中央に、よく高級宝飾店などに置かれている、縦型のガラスケースが設けられている。胸の高さに据えられた台の上には、黄金色に輝くリンゴが一つ、厳かに鎮座していた。グシオンはケースに寄りかかって、ずるりと体を滑らせる。ガラスの表面に貼られたラベルには、ごく簡素な書体で『研究品番号5765 - “不死鳥の心臓”』の文字列が並んでいた。
「ひひ……へへへっ、これだ……!ついに、見つけたぜ……!これが、不死鳥の心臓!!」
確認した途端、彼の口から引き攣った笑いが迸った。彼はゆらりと緩慢に拳を掲げると、力任せに振るってガラスケースを叩き割る。
「うぐっ!?」
残された右手にガラスの破片が無造作に突き刺さり、たちまち激痛が走った。しかし、この程度は取るに足らない、些細な事柄に過ぎない。もうすぐ永遠の命を得るのだから、今更新たに出血したところで、大した影響にはならなかった。
「俺が生き延びるには、これしかない……!!」
不死鳥の心臓が偽物かも知れないという考えなど、彼の頭からすっかり抜けていた。否、たとえそのことを思い出したとしても、グシオンは決して立ち止まらなかっただろう。彼は血に塗れた手を伸ばすと、自身の瞳と同じ金色の光を放つリンゴを鷲掴んだ。ピカピカと輝く滑らかな表面に、赤い指の跡が刻まれるが構わない。彼は果実を持ち上げ目の前に翳すと、じっくりと眺め入る。浅黒い肌に包まれたその顔に、どことなく歪で危険な気配が宿ったかと思うと、みるみる唇の弧が深まっていった。
やがて、彼は凶悪な笑顔を顔中に浮かべると、鋭い犬歯を覗かせて果実に食らい付いた。齧られ抉り取られた果肉から、金色の透明な汁が流れて彼の衣服を濡らす。その湿り気が乾くよりも早く、室内で哄笑が爆発し、細い廊下の隅々にまで響き渡った。
ジルコン地区を離れ、アメジストの中心部へと戻る途中で、ネプチューンがおもむろに口火を切った。彼やムーンたちの乗っている車両は、ひび割れて状態の悪化した道路の上を、ガタガタと左右に揺れながら進んでいく。医師の武骨な手によって腹の刺し傷を処置してもらう傍ら、ムーンは痛みを堪えた表情で、車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
「さぁね。案外、ただの嘘だったのかも知れないよ。あるいは、本当に実在したのかも……いずれにせよ、真相はもう誰にも分からない」
彼はネプチューンが包帯を巻き終わるのを待ってから、感情の読み取れない平坦な調子で答える。その後、傷に障らないよう留意して姿勢を変え、ゆっくりと車内を見渡した。
「SGPとは、近い内に“話し合い”の場を設ける必要があるわね。彼らが何をしようとして、どこまで知っていたのか、全て聞き出さなくちゃ」
両側に取り付けられた無数のモニターを、油断ない目付きで睨んでいたレジーナがふと立ち上がる。彼女は自身の座っていた一際大きな椅子を押し遣り、痩せた身体で堂々たる佇まいを見せる。
彼女の乗っている特別車両MTC2は、通信妨害の魔法を食らった後も、どうにか連絡手段を確立すべく試行錯誤していた。結果、研究所内で迷っていたムーンにメッセージを送り、ネプチューンやガイアモンド共々出口へ導くことに成功。彼女の案内に従った彼らは、無事に施設の裏門まで辿り着き、外へと逃げ出せたのである。そして、すぐ付近の路地で待機していた彼女と合流し、車で走り去った。彼らが脱出した研究所の前には、ようやく事件の匂いを嗅ぎ付けて駆け付けた警察が、続々と到着しているところだった。
「そして、もしも古代遺物の効果が本物なのだとしたら、何としてでも奪い取って、隠さなくてはいけない。永遠の命なんて怪しげなものを、テロリストやその他危険人物に渡すことは出来ないわ。私たちだけで、管理しなければ」
だが恐らく、地元警察風情にSGPの闇を暴くことは出来ないだろう。彼らの頂点に君臨する所長代理なる独裁者の弁舌で、巧妙に丸め込まれ誤魔化されてしまうに違いなかった。いずれにせよ、セイガ一人を退けただけでは、単なる問題の消極的解決にしかならないのだ。いつか“不死鳥の心臓”を巡って繰り広げられるはずの、大戦争の勃発をわずかに引き延ばしたに過ぎない。
「じゃあ、ワタシたちの任務は、まだ終わってないってことかしらン?」
すぐさま臨戦体勢を取って腰を浮かせる戦闘狂を、レジーナは首を振って片手で押し留める。
「いいえ。ひとまず、今回の仕事はこれで完了よ。よくやってくれたわね、ムーン、ネプチューン。一つ残念なのは、セイガを生け捕りにするんじゃなくて、射殺してしまったことだけど……社長を守るためだったのなら、仕方ないわ」
彼女の珍しい称賛を、ムーンは素直に受け取ることが出来なかった。何故なら、セイガを殺害した理由について、彼が伝えたのは嘘偽りだったのだから。確かに、ガイアモンドを守るためという表現も一部真実ではある。直接命を救ったわけではないものの、ムーンは彼に殺人行為を経験させないことによって、心を助けたのかも知れなかった。
とはいえ、彼がセイガを殺そうとした事実を打ち明ければ、レジーナはきっと動揺するに決まっている。おまけに尊敬する彼の犯した恥ずべき失態を、無闇に他言するという無礼は絶対に働けなかった。そのため、ムーンとネプチューンは困り果てた表情で、互いを見交わすだけに努める。幸い、レジーナはあまり疑問を抱かなかったらしく、速やかに話を続けてくれた。
「犠牲者を出してしまったのは、本当に胸が痛むけれど……悲しみは、それぞれの力で乗り越えるべきものだわ」
彼女は胸に手を当てると、沈痛な面持ちで追悼の意を示した。彼女の視線が注がれる車内の最後尾には、蒼白な顔で床に座り込んでいるガイアモンドの姿がある。彼の眼前には、大きな布で包まれたアデレードの身体が安置されていた。
「あなたたちには、しばらく休暇を与えます。緊急の任務も他の特急エージェントに優先して回すから、二人はこのまま家に帰って、ゆっくり休んで」
しばし無言の時間が流れた後。レジーナは再びムーンたちの方を見遣り、端的に事務連絡を告げる。予備の眼鏡をかけ、フレームにかかった前髪を払ったムーンは、一度だけかすかに頷いた。
「もちろんだ。休息を取って、次に備えなくてはならないからね。もし、彼が本気でインペラトルとの対決を望むなら……今まで以上に、過酷な戦いになる」
彼の眼差しは、未だ本心の分からない無表情で固まっているガイアモンドを捉えている。
「ワタシたちと奴らの、どっちが生き残るか勝負ってことネ。上等だわ!腕が鳴るじゃない……!!」
隣にいるネプチューンが、筋骨隆々とした逞しい腕を回し関節を鳴らした。自信に満ちた好戦的な口調で語る彼を、ムーンはちらりと眺めて苦笑を浮かべる。
「あぁ、その通りだね」
* * *
「ハァ……ハァ……」
薄暗い空間を、一人の男がよろめきながら歩いていく。彼が一歩を踏み出す度、その身体から滴った血が点々と染みを作り、彼の辿った道程を床に記した。時折、どす黒い体液に濡れた細かな肉片までもが、足元に落ちてべちゃりと嫌な音を立てる。乾燥した唇を割って、低く掠れた声が溢れ出た。
「……に、たくない……死にたくない」
彼は途切れ途切れに呻きつつ、覚束ない足取りで茫洋と進み続ける。彼の口はひっきりなしに開閉し、決して絶えることなく同じ独り言を紡いでいた。
「俺はまだ……死にたくない……!こんなところで……!!」
無限の呟きを繰り返して、彼は何とか非常灯の灯っている真下へと行き着いた。
その時、頼りなさげに降り注ぐ電灯の明かりによって、男の全身像がはっきりと照らされた。光の中に描かれた彼の姿は、直視するに耐えないグロテスクな化け物のようだった。まず、左腕は完全に消失し、肩の辺りから先がぶつりと不自然に途切れている。同様に左足も損傷していたが、こちらは皮膚や肉だけが削ぎ落とされて、真っ白な骨が垣間見える状態になっていた。しかし、傷口にはどちらも刃物で切断された形跡はない。というよりも、一度冷凍された肉が強い衝撃を加えられて、砕け散った時の形状に似ている。その仮説を補強すべく、彼の胴体には薄い氷の膜が張って、折れた肋骨や破裂し損傷した内臓の痛みを軽減させていた。
要するに、本来ならとっくに死亡していてもおかしくない容体だ。にも関わらず、彼が未だに生きているのは、ひとえに体を侵食する氷のおかげに相違ない。血管が凍り付いたことで出血が防がれ、凍傷により神経が麻痺したため、苦痛を感じにくくなっている。だが裏を返せば、この氷が溶けた時点で、彼の命が尽きるという意味でもあった。実際、彼に魔法の氷を撃ち込んだ人物は、今し方額に風穴を空けられ事切れたばかりである。
己に巣食う魔法が解除され、体内の氷が次第に消滅していくのを、グシオンは明確に把握していた。だからこそ、刻々と迫ってくる死の時を逃れたい一心で、意味もない逃避行を試みていたのだった。
「嫌だ……死にたくない、死にたくない……!!」
彼はもはや泣き声すら漏らして、特にどこを目指すというのでもなく、施設内を彷徨っていた。
唐突に、視界の端に眩い光が飛び込んでくる。数メートル前方に扉があり、わずかに開いた隙間から青白い明かりがこぼれていた。グシオンの胸に、表現の術がない漠然とした喜びが込み上げてくる。何故かは分からないが、あの光こそが彼にとっての希望であると瞬時に直感した。
「くっ……!うっ」
彼は骨が剥き出しになった足で、不安定な前進を続行する。同時に腹の底から湧いてきた赤黒い血が、顎を伝って喉や首、胸元に付着した。気道に粘っこい液体がこびりつき、スムーズな呼吸を阻害しているが、どうすることも出来ない。もはや彼には咳をする体力もなく、ヒューヒューとかすかな異音と共に息を吸うのが精一杯だった。
それでもやっとの思いで、彼は開け放たれた扉を潜り抜ける。もし、落下した際に打ち付けたのが右半身だったら、きっとここまで辿り着くことは不可能だったろう。凍り付いた分左側の重みが増していたからこそ、数秒意識を失っただけで、再び起き上がれるようになったのだ。もちろん、自分が砕ける感触を味わったのだから、全く楽な気持ちにもなれなかったけれど。
「ハァ……ッ!!」
扉の奥に広がる光景を見て、グシオンは思わず溜め息を吐く。それは自身の予感が的中したことへの、歓喜の表れ。また、現状考え得る限りの最高の救済を手にしたという、言葉に出来ないほど激しい感情のうねりであった。
彼の正面には、狭くこぢんまりとした部屋が存在していた。刑務所の独房よりも面積の小さな空間の中央に、よく高級宝飾店などに置かれている、縦型のガラスケースが設けられている。胸の高さに据えられた台の上には、黄金色に輝くリンゴが一つ、厳かに鎮座していた。グシオンはケースに寄りかかって、ずるりと体を滑らせる。ガラスの表面に貼られたラベルには、ごく簡素な書体で『研究品番号5765 - “不死鳥の心臓”』の文字列が並んでいた。
「ひひ……へへへっ、これだ……!ついに、見つけたぜ……!これが、不死鳥の心臓!!」
確認した途端、彼の口から引き攣った笑いが迸った。彼はゆらりと緩慢に拳を掲げると、力任せに振るってガラスケースを叩き割る。
「うぐっ!?」
残された右手にガラスの破片が無造作に突き刺さり、たちまち激痛が走った。しかし、この程度は取るに足らない、些細な事柄に過ぎない。もうすぐ永遠の命を得るのだから、今更新たに出血したところで、大した影響にはならなかった。
「俺が生き延びるには、これしかない……!!」
不死鳥の心臓が偽物かも知れないという考えなど、彼の頭からすっかり抜けていた。否、たとえそのことを思い出したとしても、グシオンは決して立ち止まらなかっただろう。彼は血に塗れた手を伸ばすと、自身の瞳と同じ金色の光を放つリンゴを鷲掴んだ。ピカピカと輝く滑らかな表面に、赤い指の跡が刻まれるが構わない。彼は果実を持ち上げ目の前に翳すと、じっくりと眺め入る。浅黒い肌に包まれたその顔に、どことなく歪で危険な気配が宿ったかと思うと、みるみる唇の弧が深まっていった。
やがて、彼は凶悪な笑顔を顔中に浮かべると、鋭い犬歯を覗かせて果実に食らい付いた。齧られ抉り取られた果肉から、金色の透明な汁が流れて彼の衣服を濡らす。その湿り気が乾くよりも早く、室内で哄笑が爆発し、細い廊下の隅々にまで響き渡った。
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