M00N!!

望月来夢

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スターたる資格

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「う……っ」
 ガイアモンドの意識が、ゆっくりと浮上した。彼は数回瞬きをして、項垂れていた頭を持ち上げる。負荷のかかった首が、ずきりと痛んだ。
「いつつ……何だ、ここは……どうなってる?」
 一体いつから気を失っていたのだろう。未だ覚醒途中の脳を懸命に働かせて、周囲を見回す。彼の体は、麻のロープで幾重にも拘束され、安っぽいパイプ椅子に括り付けられていた。少し身動ぎをする度に、縄が軋んでスーツに繊維がつく。同時に、辺りを漂う埃っぽい空気が、彼にくしゃみをもたらした。
 彼が放置されていたのは、がらんとした倉庫らしき場所だった。長年掃除も整理もされていないらしく、酷く散らかって汚らしい。片隅に積み上げられた段ボール箱の山が、崩落して中身をこぼしていた。壁際に並んだラックは、錆が浮いたり傾いたりして、棚が一部歪んでいるところもある。床には埃以外にも、まとめられていない鉄パイプや、目的のよく分からない部品、その他小道具が転がされていた。異臭に気付き発生源を探すと、中身の半分ほど残った灯油タンクが発見出来た。横には、所々破れたブルーシートに覆われた、大きめの物体が佇んでいる。シートが一部破れて、劣化したフォークリフトの姿を覗かせていた。何年も置きっ放しにされているのか、フォークの部分が片方折れて、車体のプラスチックもヒビを刻んでいる。まるで倉庫の中全体が、時間の流れを堰き止められて、停滞させられているような雰囲気を放っていた。
「た……たすけて!」
 すぐ隣から、少女の声が聞こえてきた。首を捻って目を向けると、同じく椅子に縛られたカルマが、横倒しになっている。
「ほどこうとしたら、ころんじゃったの。たすけて」
 あどけない口調ではっきり助けを求められ、ガイアモンドは慌てた。そうは言っても、彼とて囚われの身である。誰かに手を差し伸べることはおろか、自力で立つことも出来ないのだから、どうしようもない。
「待っていろ、すぐに何とかする……」
 子供の前だからと強がってはみたが、結局もがいてももがいても、無駄な足掻きにしかならなかった。彼は次第に息を切らして、ロープの中でぐったりと脱力する。
「はぁ……」
「あの……むりは、しないでね。だれかにみつかったり、けがしちゃうから」
 むしろカルマの方に、宥められる結果となってしまった。醜態を晒した己に憤慨しつつ、ガイアモンドはぼやく。
「全く、どうなってるんだ。奴らは何だ!何故僕が狙われる!?」
「わからない……パパが、わたしをさがすのなら、わかるんだけど」
 カルマがかすかな声で呟いて、悲しげに目を伏せた。彼女は自分のせいで、ガイアモンドたちを危険に巻き込んでしまったのではないかと案じていたのだった。だが、メレフがあの誘拐犯たちのような男と、接しているところは見たことがなかった。彼らも、彼女よりはむしろガイアモンドに興味を持っていたし。
 彼女の返事を聞いて、ガイアモンドはふと、尋ねなければならなかったことを思い出す。状況が状況だっただけに、それまで意識の外に追いやってしまっていたことだ。
「君のパパは、本当に世界の滅亡を企んでいるのか?」
「そうよ。せかいをいちどこわして、もっといいものをつくる。それがパパのもくてきなの。わたしはパパにとって、”てきかくしゃ”なんですって」
 カルマは淡々と、彼の疑問に答える。聞き馴染みのない単語を、ガイアモンドは訝しみ、聞き返した。
「適格者?」
「滅びの歌を、いちばんじょうずにうたえるらしいわ。わたしのために、パパはたくさんのおんなのひとをジッケンして、うたをつくってるの」
 恐らく、本人は正確な意味を理解していないのだろうが、彼女の紡いだ言葉は非常に恐ろしいものであった。ガイアモンドはどうにか冷静さを保ちながら、話を続ける。
「なるほど……歌が完成するのは、いつだ?」
「わからない。でも、パパはもうすぐだって」
「……分かった。いつまでも、ここでのんびりしてはいられないな」
 あえて軽快に発した彼は、両腕に力を入れて、魔法を発動した。魔法下手の彼にも使える、簡単なそれだ。射出された小石が、角張った端でロープをスッパリと断ち切り、彼を自由にする。
「忘れるところだったよ。僕は魔法が使えるんだ。さぁ、行こう、カルマ」
 強張った肩をぐるぐると回しながら、ガイアモンドは立ち上がった。カルマを戒める縄も解いてやり、二人して倉庫の出口を目指す。道中何か武器になる物を探し、ガイアモンドは自身が座っていたパイプ椅子を掴み上げた。
  *  *  *
 カーニバル・サーカス団は、ここ数年アイオラ地区で興行を続けている、比較的規模の大きな一座である。演目はごく一般的な、玉乗りや綱渡り、空中ブランコといった曲芸、ピエロによる手品など。だが、元々あまり裕福でなく、辛い生活を送る者が多かった地区においては、唯一にして最高の娯楽となり得た。この地を拠点と定めて以降、観客動員数は増加の一途を辿り、従って利益も急上昇を続けている。
 彼らの仮設テントは、同地区内でも一番の面積を持つ広場にあった。安居酒屋やチェーンの飲食店、その他怪しげな雑居ビルが立ち並ぶ、ごみごみした大通りの終着点だ。円形の広場の中央に、赤と青と黄色の三色に彩られた、巨大なテントが聳えている。周囲に張り巡らされたロープには、電飾や色とりどりの旗が取り付けられ、あちこちに置かれたスピーカーから、音割れしたファンファーレが流れていた。
 公演にはまだ時間があるというのに、既に辺りは人の海と化していた。どこを向いても、頭、頭、頭。ぎっしりと密集した人々に遮られて、真っ直ぐ歩くことさえ難しい。稀にぽっかりと隙間が生じているかと思いきや、そこでは呼び込みに駆り出された団員たちが、精一杯パフォーマンスを披露していた。ムーンの横を、一輪車に乗ったピエロが七本のナイフを器用に扱い、ジャグリングをしながら通り過ぎていく。彼らは皆作り物めいた笑顔を貼り付けて、奇抜な衣装と分厚い化粧とで武装していた。しかしどんなに繕っても、安過ぎる賃金と過酷な労働条件がもたらす、疲弊と嫌悪の情は隠しきれない。激しい労働と人の熱気で汗ばむ彼らの頭上を、暗渠やドブ川からの悪臭が混じった、冷たい風が吹き抜けていった。
「どうやら、相当劣悪な環境のようだね」
 ムーンは脱いだジャケットを片手に持って、呟く。隣には今にも鼻を摘みたそうに顔を顰めた、マティーニが並んでいた。
「あぁ……さっさと済ませて帰ろう。こんなところにいたら、茹で上がりそうだ」
「それに、もうすぐタイムリミットだ。早く二人を取り戻さないと」
 昼間、社長室に侵入した男たちは、ガイアモンドとカルマを攫い、ヘリコプターで逃走した。彼らが使ったヘリは病院から盗まれたもので、事件発生から数時間の後、アイオラ地区の近隣に不時着したと判明した。そして周辺の防犯カメラの映像から、彼らが人質を伴い、サーカスの拠点に戻ったことが発覚したのである。
 これはれっきとした犯罪行為だ。警察に届け出れば、速やかに捜査が開始されるだろう。しかしながら、通報したことが犯人たちに伝わった場合、人質二人の身に危険が迫る。特に、ガイアモンドは立場上、街の治安を左右する重要な人物と言えた。彼という指導者がいなくなれば、社会は混乱に包まれ、今まで押さえ付けられてきた多くの悪事が噴出する可能性がある。だからこそ、レジーナは社長に成り代わって、ALPDや報道機関に根回しをした。ヘリコプターの件は自分たちで追求する故、しばらくの間情報を秘匿していてほしいと、嘆願したのだ。更にムーンたちには、彼らが約束を違える前に、一刻も早く社長を取り戻せと命令を下した。もちろん、身代金の支払いという選択肢もないではなかったが、額が額なだけに、当日中に手配することは出来ない。また、誘拐犯たちのレベルを鑑みれば、必要のない行いでもあった。
 彼らは正確なタイムリミットも、金の受け渡し場所も指定していない。移動手段だって武器だって、悉くが現地調達の寄せ集めだ。行き当たりばったりで、計画性は皆無。単なる勢いと、生存のためという非常に切羽詰まった背景があっただけに過ぎない。ならば、独立諜報機関ヘリオス・ラムダが遅れを取る理由はどこにもなかった。
 とはいえ、全てがミスリードという場合もあり得なくはない。それに、犯人たちの中には一人だけ、警戒に値する人物がいることも事実である。杞憂に終わることを期待しながらも、ムーンはあまり視野を狭めないよう意識していた。あらゆる可能性を想定し、思い込みを抱かないことが、エージェントとして長生きするコツだ。
「さぁさぁ、お立ち会いお立ち会い!公演開始まであと三十分を切りましたー!チケットもう残りわずか!買うなら今です!」
 ふと気が付くと、二人の前方、数メートルほど離れた位置に、一人の男が立っていた。
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