M00N!!

望月来夢

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風見鶏は浮き世を渡る

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「……えぇっ?」
 彼は両手を胸の前に掲げ、呆気なく降伏を認める。あまりの潔さに困惑したマティーニが、頓狂な顔をして驚愕した。
「降参します!俺が悪かった!どうか許してくれ……!お願いします」
 グシオンはおもむろに居住まいを正し、蹲ってぺたりと額を床につける。ガイアモンドが眉根を寄せて、上唇に指先を当てた。
「い、意外に素直なんだな……もっと往生際が悪いかと思っていたよ」
「そんなことしない。こっちだって命が惜しいんだ。銃を持ってる相手に、立ち向かうほど馬鹿じゃねぇよ」
 グシオンはひれ伏したまま、ふるふると首を振る。
「賢明な判断だ」
 ムーンは淡々と発して、彼の前にしゃがみ込むと、パーカーのフードを乱暴に鷲掴んだ。ぐいっと力任せに引き上げて、無理矢理目線を合わせる。グシオンの金色の瞳には、一見怯えと服従の色が宿っているように思われた。だがそれが本心なのか、使役され慣れた故の演技なのか、判別はつかない。
「おい、ムーン。殺すなよ」
 後ろから、腕組みをしたマティーニが忠告を投げかける。ムーンはただ頷いて、分かっていると示した。すると、グシオンの瞳にギラリと一抹の鋭さが過ぎる。生殺与奪権を握られた、俎上の鯉の状態に、反発心を掻き立てられたのだろう。ムーンは機敏にそれを察知して、先手を打った。
「大人しくしている方が身のためだぞ?」
「っ……」
 顎の下に銃口を押し当て、直接的な脅しを吐く。グシオンは再び息を飲んで、硬く目を瞑った。膝の上に乗せられた拳が、わなわなと震えている。ささくれや擦り傷の目立つ、乾燥した手だ。さっきは衝動的に殴りかかってきたが、本来は暴力になど慣れていないことが一目で分かる。日々の暮らしや仕事で精一杯で、喧嘩をする体力も残らないのだろう。彼を支えているのは、劣悪な環境に押し込められている状況への、鬱屈した怒りや意地。たったそれだけのために、否、だからこそ、命がけの一大計画を実行する度胸を発揮した。そして、劣勢を悟るなり即座に態度を翻す。情けないという見方もあるが、器用でもあるようだ。無謀に飛び込む勇気と胆力もありながら、引き際を見極める知恵も回る。
「それで?君たちの目的は何だ?」
「だから金だって。さっきからそう言ってんだろ?おたくの社長さんを捕まえりゃ、相当の大金を掻っ攫えると思ったんだよ。そこのお嬢ちゃんは、隠し子か何かかと」
 銃を構えたまま問いかけると、グシオンは疲弊気味に答えた。ムーンはわずかに目を開けて、その言が真実かどうかを見極める。
「嘘……をつく必要はないか。誓って、本当のことだと?」
「当たり前だろ!?」
「なら、計画が失敗に終わって残念だったね。ついでに、出口がどこにあるか教えてくれ。出来れば、人目につかない方を」
 ムーンの皮肉にグシオンは眉を寄せたが、かといって公然と反論も出来ない。彼はしばし考えた後に、説明を始めた。
「あー、この先を左に曲がって、二番目の角を右へ、半地下に続く階段を降りて、左の廊下を真っ直ぐ」
「分かった。案内してくれ」
「え」
 長ったらしい解説をぶった切り、端的に命じると、グシオンの顔が強張る。その表情から、彼が何かを企んでいたらしきことは明白であった。ムーンは彼に一歩詰め寄り、至近距離で目を合わせて、再度告げる。
「案、内、してくれ。それとも、僕らを袋小路に追い込んでリンチするつもりだから、同行は出来ない……とでも?」
「そそそ、そんなことしねぇって!頼むから撃たないでくれよ!」
 試しにカマをかけると、彼は分かりやすく動揺した。首を千切れそうなほど激しく左右に振り、濡れ衣だと訴える。尤も、半分くらいは本気で考えていたことなのだろうが。
「それは、君次第だね」
 阻止し得た今、疑っても意味はない。ムーンは判断を下すと、尋問用の高圧的な口調を引っ込め、元の柔和な話し方に戻した。グシオンを立ち上がらせ、背筋に銃口を押し当てる。そのまま強く突いて押し出すと、彼はぶつくさ言いながら歩き出した。
「ったく……こっちが下手に出りゃいい気になりやがって、間抜けめ!覚えてやがれ……」
「ん?今すぐ涅槃に入って、即身仏になりたいって?」
「いえ、何でもありませんッ!」
 小さな声で呟かれた文句を、ムーンは耳聡く聞き取って、大袈裟に聞き返した。途端にグシオンは背筋をぴしりと伸ばし、軍人のような調子で弁明する。これ以上逆らっても無駄と悟ったのか、彼はやけに大人しくなって、一行を導いた。
 どこからか吹き込んでくる隙間風が、首筋や頬を冷たく撫でる。グシオンは寒そうに身を竦め、肩を怒らす傍ら、キョロキョロと辺りを見回して逃げる機会を窺っていた。必死に誤魔化しているようだが、ムーンの優れた観察眼は欺けない。彼はパーカー越しの微細な筋肉の動きや、相手の体から放たれる気配のようなものから、それを機敏に感じ取っていた。故に、押し当てた銃を頻繁に捻り、こちらの警戒心を彼に伝える。
「おい、どこまで行くんだ?」
 流石に訝しさを抱いたのか、ガイアモンドが胡乱げな声を上げた。歩く間に少し平静を取り戻したグシオンは、泰然と笑う。
「そう急かさないでくださいって。もうすぐですよ……ほら」
 五段程の階段を降り、角を曲がると、似たような金属扉が並ぶ廊下を手で示す。最奥の一枚に掌を触れさせ、くるりとこちらを向いて、一方の肩を扉に預けた。
「開けてくれ」
 ムーンが銃を振って指示するも、彼はゆっくりと首を横に振る。
「それは……無理な話だ」
 一瞬、その場を沈黙が満たした。
「俺にはこの扉を開けられない。鍵を管理してるのは別の仲間でね」
「何だって?」
 のうのうと宣うグシオンに、食ってかかったのはガイアモンドだった。彼はムーンを押し退けて、堂々と佇むグシオンに詰め寄る。突き飛ばされたムーンは、マティーニに目配せしてわざとらしく肩を竦め、銃を懐に仕舞った。
「どういうことだ。ここまで連れてきて、出来ないだと!?罠にでもかけたつもりか!?」
「仕方ないだろ?俺は裏口への道順を聞かれたから答えただけで、鍵まで開けられるとは言ってな~い。あんたらで好きにやってくれよ、腕づくでぶち破るとかさー」
 ガイアモンドの怒号にも、グシオンは微塵も狼狽を見せない。爪の間のゴミに注意を割きながら、呑気な口調で喋っていた。舐め腐った態度に、ガイアモンドの頬が朱に染まる。
「あ、でも待てよ?確か……」
 その反応を待っていたかのようなタイミングで、グシオンは口を開き、ゴソゴソとジーンズのポケットを漁った。出てきた何かの道具を、扉に貼り付け、取っ手の部分をくるくると回す。
「へぇ、君がそんなものを持っているとは、驚いたな……ってそれ!!」
 彼の体で隠れて、ムーンにはよく見えなかったが、ガイアモンドには分かったらしい。彼は端麗な顔立ちを驚愕に歪めて、グシオンの手からそれを引ったくった。金属製の、小さなクランクハンドルだ。先日ムーンの懐から、彼に盗み出された物である。
「これ、僕が命じて開発させたやつじゃないか!どうして君が!?」
 事情を知らないガイアモンドは、ハンドルを凝視して、目を瞬いていた。どう説明したものかと、ムーンは頭を悩ませる。マティーニも白を切り通したくて、さりげなく視線を逸らした。
「あー……ガイア、これには訳があってね」
「ちょっくら借りたのさ。この、エセ紳士さんからね」
 ムーンの拙い言い訳を、グシオンが遮る。彼はムーンを親指で示し、本人に向き直って真相を打ち明けた。
「実は、あんたのことは前から知ってたんだ。団長の女を送り届けた時、ライフルを綺麗~にブッ放して、暴走車を食い止めた奴を見てな」
 サファイア地区での銀行強盗の一件だと、ムーンはすぐに思い当たる。ガイアモンドに命じられたちょうどその瞬間、眼前を通っていった改造車の、派手に爆走する姿が脳裏に浮かんだ。彼は車を、お得意の狙撃技術でパンクさせ、犯人らの逃走を防いだ。その一連の騒動を、グシオンは目撃していたとのことだ。だからもっと目立たぬように活動すべきなのだと、ガイアモンドは湿度のある眼差しで彼を睨む。
「驚いたぜ~?だってあの後数日も経たない内に、俺ん家の近くでバッタリ再開するんだもんよ。財布やスマホの一つくらい、記念に掏りたくなんだろ?普通」
「スリ……?じゃあ、お前、盗んだのか!?この泥棒!!」
 ガイアモンドに声高に非難されても、グシオンは憤る気配すらない。茶目っ気ぶってペロリと舌を出し、平然とおどけた仕草をしてみせた。それから、ハンドルを使って扉の鍵を開ける。
「さ、開いたぜ~」
 かすかな音を立てて引かれたドアの隙間から、ムーンは体を滑り込ませて室内に侵入した。
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