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望月来夢

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ガイアモンドの反撃

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「はぁ……はぁ、どこだ?」
 バタバタと階段を駆け下り、ステージ付近まで辿り着いたマティーニは、左右を見渡し困惑の声を上げた。
「あそこだ」
 わずかに遅れて追いついたムーンが、息を整えつつ、一方を指差す。見ると、グシオンの茶髪の後頭部が、書き割りの向こうに消えていくところであった。二人は迷いなく鉄柵を動かし、ステージの上へと乗り出した。
「ちょっと誰よ!?きゃっ!」
 喚くヴィラを押し退け、マティーニは一心にグシオンを追う。突き飛ばされた猛獣使いは、バランスを崩し、その場に転倒してしまっていた。彼女の哀れな姿に、観客たちが興奮の吐息をこぼす。
「失礼、お嬢さん」
 ムーンが咄嗟に引き返し、彼女に形だけ手を貸してから、舞台裏へと体を滑り込ませた。
 そこは、二人が想像していたよりも混沌として、雑多な物に塗れていた。広々とした空間を、どぎつい色合いの小物や衣装、古びた舞台装置などが埋め尽くしていて、人一人が満足に通れる隙間もない。裏方たちがかろうじてすれ違える程の狭い通路を、グシオンは巧みに、するすると抜けていった。時折、物陰から顔を出す団員とぶつかりそうになるが、高い身体能力を活かして回避する。彼の背中を見つけたマティー二は、反射的にリボルバーを構え、発砲した。だが、グシオンは機敏な動作で身をかわし、銃弾は何もないところに穴を空けるだけだった。客たちの歓声がなければ、大騒ぎになっていただろう。
 彼らの愚かな行動に、グシオンはかすかな嘲笑を浮かべて、ひた走る。ムーンたちも慌てて後を追うが、中々距離を縮められないでいた。グシオンは猿のように、鉄骨の枠の間をひょいひょいと自在に移動してしまうからだ。立体的な機動を目でなぞるために、正面に注意が割けなくなり、結果団員の一人と思い切り衝突してしまう。ムーンの長身に弾き飛ばされて、団員は転倒し、抱えた木箱を放り出してしまった。長い羽根をつけたサンバ風の衣装や、毒々しい原色のビキニが、雪崩を打って床にこぼれる。二人はぞんざいに謝罪を叫びつつも、それらを踏み付けて、先へと急いだ。
 グシオンは既に、舞台裏から更にその奥へと逃げ込んでいた。眼前には、リノリウム張りの細い廊下が、長々と続いている。出演者の楽屋やリハーサル室、事務所兼団長の専用部屋が、規則的に並ぶエリアだ。入り組んだ廊下の最奥には、裏口へと繋がる倉庫がある。そこに、人質である二人が囚われているはずだった。
 社長の首筋にナイフでも突きつければ、あの二人だって金を払う気になるだろう。そうすれば、団長が留守にしている今夜の内に片を付けて、仲間だけで報酬を山分けにしてしまえる。そうすれば、溜まった借金を少しでも減らせて、解放にもぐっと近付く。一縷の望みでしかないが、縋らずにはいられなかった。
「へ、へへ……まだだ……まだ運は、尽きちゃいない……!」
 彼は弾む息の合間に、そんなことを繰り返し呟いた。
 突如、目の前に黒い物体が突出する。金属と合成皮革で出来た、硬そうな何かだ。それがパイプ椅子だと理解した時には、彼は顔面を強かに打ち付け、もんどり打って倒れていた。視界の隅に火花が散らつき、膝の下から力が抜ける感覚がする。
「イッ……テェな!何すんだてめ」
 彼はぶつけた鼻を押さえつつ、ドスの効いた声音で怒号を浴びせる。だが、その声は最後まで放たれることなく途切れた。襲撃者の姿を確かめて、想定外の事態にポカンと口を開く。
「は……?な、何で……どうやった?」
 彼の正面には、人質ガイアモンド本人が、仁王立ちになって構えていた。よく見るとその背後には、カルマも隠れている。彼女を庇う位置に立って、ガイアモンドは皺の寄ったスーツと同じくらい、眉間にも深い渓谷を刻んでいた。グシオンを殴り付けたらしきパイプ椅子が、乱暴に床に放り出される。
「ふ、ふん、あまり僕を舐めてもらっちゃ困るね。何たってこの僕が、君らみたいな三下の小悪党に、いつまでもいいようにされてるわけがないだろう?」
 彼は形のいい顎をツンと上げて、取って付けたような高飛車な振る舞いをした。勝ち気な口調だが、消しきれない恐怖に声をかすかに上ずらせ、指先も小刻みに震えている。
「ガイアモンド!」
 追い付いてきたムーンが、軽く息を切らしながら彼の名前を呼んだ。彼の後ろから、マティーニも顔を覗かせる。
「遅いぞムーン!何故もっと早く助けに来ない!」
 ガイアモンドは途端に声を荒げ、拳を振り上げんばかりの勢いで、彼らを睨み付けた。
「こいつらのせいで、僕は大変な目に遭ったんだぞ!暗くて汚い倉庫に閉じ込められて、縛られて、放置された!おまけに寒いし!全く……昨日から散々だ!」
「まぁまぁ、いいじゃないか。とにかく、君が無事で良かったよ……カルマも、無事で良かった」
「僕が助けたんだ!!」
 ムーンは両手を上げて彼を抑え、適当な言葉で宥めた。あしらわれていると分かったのか、ガイアモンドは余計に煩わしく、キャンキャンと吠え立てる。彼の手首には、赤い跡が残っている。恐らく、何らかの魔法でも使って、ロープを切ったのだろう。他に目立った怪我はなく、痛めつけられた様子もなかった。
 しかし、昨晩に続き今日までも、立て続けに襲われるとは、つくづく可哀想な男だ。立場がそうさせるのか、生来の悪運が不幸を招いているのか。どちらにせよ、毎度のように危機的な目に遭わされる彼を、ムーンは密かに憐れんだ。
「くそぉ……!!」
 一方のグシオンは、計画が失敗に傾き出していることを悟り、ギリギリと歯を軋らせていた。これだから、あの仲間たちは信用出来ないのだ。他人の上手い話に乗っかるばかりで、自分では何一つ考えようとしない。大金に目が眩んで、肝心なところでミスをする。いや、詰めが甘いのは自らも同じだ。逃げられる心配がないか、この目でしっかりと確認しておくべきだった。義務を怠ったために、自由のチャンスを逃したのだ。
「く……っ!」
 だが、頭では分かっていても、簡単には受け入れられない。彼は衝動的に、拳を握り締め立ち上がっていた。もはや自棄でも起こして、悪あがきしなければ治らない。彼は一足飛びに距離を詰め、瞠目する元人質の頬に殴打を食らわせようとした。
 狙われたガイアモンドは、咄嗟に目を見開き、硬直してしまっていた。ムーンが彼を庇うように、さっと進み出て瞬時に引き金を引く。乾いた音と共に弾丸が射出され、グシオンの左耳を掠めた。
「っ!?」
 風切りの感触と同時に、背後の壁に黒い穴が空けられる。この至近距離で撃たれれば、さっきのように回避することは出来ない。流石のグシオンも肝を冷やし、その場に尻餅をついた。
「ここは人目がない。表が騒がしいから、銃声も届かないだろう。もしも撃たれたいと言うのなら、遠慮なく叶えてやれるがね?」
 硝煙の漂う銃を見せて、ムーンは薄い瞼をわずかに持ち上げる。獰猛な赤い瞳が、冷淡に彼を捉えた。今更一人の命を奪うことくらい造作もないと言わんばかりの、無機質な表情だ。グシオンはしばらくの間、鋭い目付きで彼を見返していたが、やがて唐突に声を張り上げた。
「わ、分かった!降参する!」
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