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春
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しおりを挟むメルは大学の正門前を右手と右足同時に出す様にカクカクと歩きながら、背後にいる大公夫人の存在に緊張している。大公と言えば、現国王の叔父であり恐怖の対象であった。気に食わない者は片っ端から処罰し、現国王すら恐れていた人物で、そんな大公を抑えられる者はいなかったと聞く。メルはそんな大公の夫人である彼女もまた恐ろしい人物なのでは無いかと恐れていた。
「フリンダル、やはり皆さん貴方の心配をしていましたね」
「はい…」
フリンダルは、まだ怒られるかもしれないという恐怖を拭いきれないのかトルケンの背後に隠れる様にして歩いている。
メルお姉さんはとても心配してくれているけれど、本当は怒っていて夫人がいるから怒れないのかしら。怖いな…。
フリンダルはチラチラと背後を気にするメルの視線を意識しつつも、お腹の底に重くのし掛かる様な緊張からか、貸してもらったモスグリーンのケープにぶら下がるボンボンを握りしめ微かに残る薔薇の香りを吸い込んだ。
霞む世界の中に赤、黄色、白、ピンク。
咲き誇る薔薇園の光景が眼前に広がって行く。
薔薇の花の隙間から差し込む光の先には日傘を持った女性の後姿があり、フリンダルは立ち止まり彼女が振り向きその顔を見せてくれないだろうかと思った。
あの人は誰だろう?夫人かしら。
でも夫人よりももっと若くてメルお姉さん位かな。
キラキラしてる、きっと綺麗な人なんだろうな!
「お嬢様っ‼︎」
急に大きな声で呼ばれてフリンダルはハッとして瞬きをした。何が起きたのか皆分からず、トルケンだけが怒りの籠った眼差しをフリンダルに向けている。しかし、当のフリンダルはきょとんとしてまるで事の重要性を理解していない。
「…他人の記憶を読む事はとても無作法な事だと教わっておいでで無い様ですね」
低く心が底冷えする様なトルケンの声に、フリンダルは彼の嫌悪に満ちたその紫の瞳を見上げ、その言葉の意味を知ると疑問を投げかけた。
「私、トルケンさんの記憶を見たの?」
「…意識もせず魔力を使ったのですか。お嬢様は」
「私は魔力が使えるの?人は魔力を使う事が出来ないんじゃないの?」
「そんな事は貴方の先生にでもお聞き下さい」
何がそんなに気に触ったのか?少し先を杖を着き歩いていた夫人も、普段とは違う彼の声に驚き声のする方に体を向けた。しかし、彼女の横を風がふわりと駆け抜けた事で、彼が夫人の横を通り過ぎて行ったのを、相当な怒りを露わにしている事を彼女は知る。
トルケンは一人歩くと主人を差し置き警備室に入って行った。
あら…何事かしら。
あのトルケンが声を荒げるだなんて。
ただでさえ怯えているあの子を更に怯えさせるのは良く無いわね。
フリンダルはどうしているかしら。
もしもこの目が見えたなら…掛ける言葉も選べたかも知れない。
「フリンちゃん?どうしたの…大丈夫?」
先頭を歩いていたメルは、横を通り過ぎたトルケンを見送りつつフリンダルに視線を移す。しょぼくれケープのボンボンを握りしめる彼女の姿に、何があったのかは分からないけど、彼の雰囲気から察するにフリンちゃんの言動が彼を怒らせてしまったんだろうな。そう思った。
項垂れ、上目遣いにトルケンの背を眺めるフリンダルの顔は自己嫌悪に今にも泣き出しそうで、メルは側まで歩み寄ると背中を撫でて慰めた。
「メルお姉さん…私、トルケンさんが嫌がる事をしてしまったみたいなの…今日は悲しい事が沢山ある日だわ」
「…学校に遅れてしまった事は大した事ではないわ。私達が心配したのは何かに巻き込まれて怪我でもしているんじゃないかって思ったからよ?それに、あの人がなんで怒っているか…それを知った所できっとフリンちゃんには関係の無い事の筈だわ…だって今日知り合ったのでしょう?」
「そうなんだけど…」
記憶を勝手に見た。そう言ってた…。
もしこの事をメルお姉さんに相談したら、やっぱり学校にも行けない子だからかしら?そんな事を言われないかしら。
また怖い事が増えちゃった…さっきまでは不思議がいっぱいで楽しかったのに。
そんな事を考えたら、フリンダルの足は根を張った様に地面から動かなくなってしまい、メルや夫人を困惑させた。
私が知る限り、フリンダルは勝手気ままに行動する様な子ではない。定められたルールの中でどう行動すべきかを分かっていて、社会のルールの基本が既に身に付いている。
なのに、今朝は時間になっても学校には現れず家族からの連絡すら無かった。家族からの連絡が無い…もしかしたら、家族すら本当は居ないのではないか?彼女の言う〈親兄弟〉が何らかの雇用関係のある者や孤児院の関係者で、当人達にその意識が無ければ家族と言う形は成り立たない。だから何の連絡も無かったのでは…彼女の身体中の痣、あれはその者達からの虐待の痕で彼女はそれを言えなかった…それで私に嘘を吐いた。そうであれば、私は彼女の無言のSOSを見逃していた事になる。
「どこに居るんだフリンダル…」
フォンラードは広い図書館を全て探したが、フリンダルを探せずに噴水広場のベンチに腰掛けた。
初めて会ったのもここだったな。
あれから彼女は私達の仲間になって、今や彼女は我々の閃きの泉の様な存在だ。何かあったのなら相談して欲しかった…いや、出来なかったのかも知れない。我々は結局の所、己の研究にしか興味の無い人間ばかりだ。彼女を必要としているのはその為だと自分勝手にそう思っていたのでは無いだろうか?
「彼女の住所すら知ろうとしなかったなんて」
研究以外に興味がない。
この言葉はフォンラードの研究室に所属する全員に当てはまっていて、その環境の中に居て己が先陣を切ってそれを良しとしていた事にフォンラードは頭を抱えた。
住所も知らず、連絡手段すら無い…勿論、学校には彼女が飛び級の可能性を秘める逸材である事を報告して研究室に席を置く事を許可して貰っているが、それでもいつも彼女はゲストパスで入館していた。
それは彼女を学校関係者として登録する事が私にとって不名誉となる可能性があったから。…あんな年端も行かない子供をアシスタントにするなど頭がおかしくなった。そう言われると思った。
そう。私はある種の実験を行っていたんだ。
青年期では無く、幼少期から魔術の適性を開花させ魔術師を生み出すという実験。そして、教員として己の指導方法の正当性を訴えたかった…そうなのかもしれない。ライルの事だってそうだ。結局ビクトールに押し付けている。
「駄目だな…私は。最低だ」
今日は仕事が手に着きそうに無い。
もう何だって良い。彼女さえ無事なら。
…いつの間にあの子がこんなにも大切な存在になっていたんだろう?
あの穢れの無い存在を、いつから私は。
「フォンラード?何してるんだ。今は学校じゃ無いのか?」
声を掛けられ、フォンラードは振り返る。
そこには、いつもならその美しい銀髪をぐしゃぐしゃにしてだらしの無い格好をしているビクトールが立っていた。
だが、今日は珍しく頭を引っ詰めリボンで髪を纏め、正装姿でそこにいる。
「ビクトール…」
「どうした。珍しく落ち込んでいるのか?」
「あぁ。己の汚さに嫌気がさしてしるところさ」
私は事の仔細をビクトールに話して聞かせた。
この男は我々貴族が足を向けない様な場所にも気軽に出歩いているから、きっと良いアドバイスをくれるだろう。
「お前…本当に抜けているな。その子の事を何も調べなかったのか」
「あぁ…聞くべきでも探るべきでも無いと思ったんだ」
それは本心だ。だが嘘でもある。
私は心のどこかで怖かったんだ。
彼女を知り、面倒な事だと分かると差し伸べたその手を彼女が傷付くと分かっていても、引っ込めてしまいそうだったから。
「はぁ…そうか。でも、案外慌てて学校に来ているかもしれない。なんたってまだ6歳だろ?寄り道して動物を見つけたとか、その不思議な事に意識が向いて時間を忘れた。大方そんな所ではないのか?」
ビクトールの言葉に、フォンラードは驚き口元に手を当てた。
確かに!冷静になって考えればそうかもしれない。
あの子は脳の片隅に鳴った小さな音を聞き漏らさないから、我々大人が見失う小さな事に気が付き拾い上げるんだ。
そうか、そうだな。いや、きっとそうだ!
「流石我が親友!確かにそうだな!助かったよ。学校に戻ってみる」
「くくくっ。あぁ、そうしろ」
「何か面白いか?」
「あぁ。人に興味の無いお前がここまで狼狽えるなんて、そう思ったらな…面白い。なぁ、俺も一緒に行ってもいいか?見て見たい」
「構わないが、その。フリンダルに会いたいのか?」
「是非」
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