フリンダルの優しい世界

咲狛洋々

文字の大きさ
上 下
9 / 20

2-2

しおりを挟む

 夫人は庭に面するガラス戸まで車椅子を動かすと、扉からぶら下がる紐を手で探り引っ張った。
紐を辿ると部屋の内側にベルが吊り下げてあり、それがリンリンと鳴った。暫くして、部屋からフォンラードと年齢の近そうな男性が出てきて夫人の腕に手をそっと添えて身体を支えた。

「奥様、お部屋を温めてございます」

「トルケン、馬車の準備をしてくれる?
それとね、私のお客様にレイの子供の頃の
ケープがあったでしょう?それをお渡しして」

「…はい。畏まりました…ですが、恐れ入ります…
こちらのお嬢様は…」


 執事なのか従者なのか。はたまた御者なのか、その男の身なりはまともな貴族に仕える者が身に付ける物とは程遠く、グレーの木綿のパンツに黒の皮ベスト。そして生成り色の皺の寄ったシャツを着ていた。
何よりも、その風貌がまるで誰かに仕える様な人には見えなかった。
腰まであるハニーブロンドの髪は一纏めにされ、その紫の瞳は宝石の様に濁りも無く美しい。
まるで彼は誰かに仕えるのでは無く、従える側の人間の様だった。

 夫人の背後に隠れていたフリンダルは、その人形の様に
美しい男性を少し怖いと思った。
夫人には初めて会ったけど全然怖く無かった…なのに
このお兄さん…とても怖そう。
私が夫人の側に居るのが嫌なのかな?

「トルケン、こちらはね」

夫人がフリンダルを紹介しようと振り返ったが、
その言葉を遮る様にフリンダルが夫人のスカートの
裾を掴み引っ張ってつぶやいた。


「フォルヤード夫人…私一人で行くわ。頑張ってみる」

「フリンダル?どうしたの急に」

「だって…私…」

「?」

チラリとフリンダルはトルケンと呼ばれた男を見上げ、
能面の様なその顔を見て夫人の腰にしがみついた。

「もしかして、貴方トルケンが怖いの?」

「こ、怖く無い!怖くなんてないわ!」

「あははは!うふふっ!ほほほっ」


夫人はお腹を抑えながら、口元をスカーフで隠し
笑っているが、フリンダルは何がそんなに面白いのかが
分からなかった。


「奥様…いい加減になさって下さい」


笑いの止まらない夫人を見て、トルケンは
溜息を吐くと夫人の手の甲を軽く摩るも手を引いて
部屋の中に入れた。


「ふふふふっごめんなさいね。うふふふ!
フリンダル、安心なさい?この人は元々この家の
庭師だったのよ。余りにも無愛想でね、昔から
人には怖がられていたのよ!でも、とても
優しい人だから怖がらなくていいの」

「怖くなんかないわ!ちょっと…びっくりした
だけだもん」

「ふふふ、そう言うことにしておいてあげる。
トルケン、この子は私のお友達なの。優しくして
あげてね?」

「…はい。では馬車とケープを用意致します」


 怖かった。だってこの人凄く無口で何を考えているのか
全然わからないんだもの。だけど、奥様を見ている時だけは
目がとても優しい。でも、初めてだわ…こんなに怖い人を
見るの。私、仲良くなれるかな?


 初めて乗る馬車はフカフカでフリンダルはビロードの
座席を手で撫でた。
とても素敵!それに初めて馬車に乗った!兄さんに自慢しよう!
でも夫人はとても優しいから、兄さんも乗せてくれるかも?

「トルケン、王立大学までお願いね」

「畏まりました」

キョロキョロとしているであろうフリンダルの興奮が夫人には手に取るようにその肌で感じられた。
この子はどこの子なのかしらね?
私が涙を流していると拭ってくれたあの手はとても
優しく甘い香りがして、とても純粋で賢い子だわ。
それに子供の泣き声…懐かしいわね。
私には子供ができなかったけれど、第二夫人の子…レイは
私に懐いてくれてとても幸せだったわ。
あの子は今どうしているのかしら?


 馬車はモンラードの石畳を走った。
普段歩きながら見る景色とは全く違って見えて、フリンダルは興奮気味に夫人の膝を叩いた。

「夫人!聞いて、聞いて!あそこに像が
建ってるんだけどね、いつもは下から見てたから
知らなかったの!アマルマ様、大きな鳥を抱いていたのよ?
知ってる?」

「ふふ、えぇ。それはフェニックスね。
コルと言う名の神鳥でもあるのよ」

「コル?可愛い名前!夫人、あそこに綿菓子屋さんが
あるの。一度、一度だけ兄さんが買ってくれたの
とっっってもとっっても美味しかった」


なんて不思議なのかしら!
いつも見ている公園とは全然違う場所みたい!
不思議!不思議…そう、不思議があったんだった。


「夫人、教えて欲しいの」

「なぁに?フリンダル」

「なんで夫人のお家はいつもは誰もいないの?」

急なプライベートな質問に一瞬驚いた夫人であったが、そう言えば、この子はあの壁の隙間をいつも通っている様な事を言っていたわ。そう思い出すと、色々と過去を思い出す事になるのだろうなと、ハンドバックから扇子を取り出して膝の上に置いた。
フリンダルは夫人の行動に頭を傾げたが、扇子を膝の上に置いて姿勢良く座る姿があまりに美しかったので、フリンダルはそれに見惚れてそんな事はまぁ良いか、そう思ったのだった。

「あの家はね、私の隠れ家なのよ?偶にね色々な事に
疲れるとあそこに行くの…楽しい思い出が詰まったあの
家にね」

「ふぅん。だから誰も居ない日があるのね!なら、
ならあの薔薇は?」

「薔薇?」


夫人には思い当たる節は無く、何の事を言っているのかが
分からなかった。だが、花を置くのは彼しか居ないだろうと
思った。けれど、何故薔薇なのか。それだけは夫人にも
分からないと言う。

「彼?彼ってトルケンさんの事?それに薔薇のお花、
夫人は好き?」

「えぇ。もう久しく花も蝶も見えていないけど好きよ?
まぁ、記憶の中で美化された物とは大分違うでしょうけどね」

「美化?」

「えぇ…思い出や…願望によって実際よりも美しい姿に変えて
思い描く事よ」


実際よりも美しい姿?どんな姿かしら。
傷一つない花弁しかない薔薇だったり、
青や茶色、飴みたいに縞々模様なのかしら?
そんな薔薇があれば確かに想像の方が楽しそう。
夫人は目が見えないから形や匂いしか分からない。
もし本当に願った姿で夫人の頭の中に現れるのなら…
それも、

「でも、それも薔薇の本当の姿なんだと思うわ!」


その答えに夫人は微笑み、扇子を握り締める手を緩め
背中を背凭れに預けて軽く息を吐いた。

「えぇ、そうね?えぇそう、本当にそうだわね。
その時はそう見えたのだから…それも本当の姿なのでしょうね」

「トルケンさんは夫人が大好きなのね!」

「え?」

「それにきっと香りがとても良いから薔薇なんだわ!
目が見えなくても香で分かるものね?」

「……フリンダル、その薔薇は何処に置いて
あったのかしら?」

「うんとね?壁の隙間の所から見える窓の所か
お二階のちょっと出っ張った窓の所だよ!」

その言葉に夫人はびくりと肩をこわばらせた。


 モンラードの道を走っていた馬車は大学に着いたのか、
その動きを停めて馬車の扉をトルケンが開けた。


「奥様、お嬢様。到着致しました」

「ありがとうございます!トルケンさん」

「……」


元気にお礼を言うフリンダルとは打って変わり夫人の顔は何処か暗く、トルケンは何かあったのだろうかとフリンダルの顔を見た。
だが、ニコニコと笑う少女からは何か夫人を困らせる様な事を言った。そんな雰囲気は見られない。
どうするか?そうトルケンは思ったが、夫人から何か言い出すまでは黙っていようとフリンダルの手を取り降ろしてやった。
その時だった。


「フリンちゃん⁉︎フリンちゃん!」


トルケンが振り向くと、白衣を着て髪を振り乱した
赤毛の女性が泣きながらフリンダルに向かって駆けてくる。
トルケンは知り合いだろうかと、夫人の手を取りながら
その女性に目を向けた。


「…メルお姉さん」


フリンダルは怒られる。そう思いトルケンの
足元にしがみつき顔を隠した。
まさか、自分を苦手としている少女が抱きついて
来るとは思いもしなかったトルケンは慌てている。


「フリンちゃん!大丈夫⁉︎何があったの?」


涙目のメルの顔はぐちゃぐちゃで、余程心配していた
のか口紅やマスカラが剥げていた。
フリンダルはその顔に、自分の所為で皆に心配を
掛けてしまった。そう思い更に体をグイグイと
トルケンの股座に押し込み隠れようとしている。


「…ごめんなさい」

「お嬢さん、お話し中ごめんなさいね」


身動きの取れないトルケンはどうしたら良いかと、
あたふたしたが、夫人は杖を出すと声のする方に手を
伸ばして挨拶をした。


「初めまして。私、アイリーン•ロゼット•フォルヤード太公夫人と申しますの」

「あ、はい!どうもフォルヤード大公夫人…え?大公夫人⁉︎あっ、えと、どうするんだっけ…えと、おっお初にお目に掛かります!王立大学魔法学科魔法学応用研究室主任研究員のメル•マクラールと申します」


ギクシャクとカーテシーで挨拶をするメルは混乱していた。
朝からフリンちゃんが来なくて、先生も皆んなも誰も
フリンちゃんの家や連絡先すら知らないから、
何かあったんじゃ?そう思って探し回ってる。
先生は授業を休講にして図書館に探しに行っているし、
リアムやヨルヒムも街に出て探してる。なのに…
何でーー⁉︎大公夫人と一緒なの?え?大公夫人って言えば
かなり前にリーン領にお下がりになった筈では?
どうしよう…どうしたらいいの?



















 















 
 





















しおりを挟む

処理中です...