フリンダルの優しい世界

咲狛洋々

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「レイビンスリーも魔術師なの?」

「そうだ。昔は至る所に魔術師は居たと聞く…だが真の魔術師は彼だけだった」


 500年程前。消化されず瘴気と化す魔力が世界に満ちていた時代があった。そして魔術は現代の様に理論化されておらず、神秘的な神の力の一端なのだと考えられていた。
魔力量の多い者、制御が出来ぬ者が力を込めるだけで魔術は簡単に発動し、それが戦争の火種となる事はしばしばあった。誰もが魔術を己の力だと驕り、力無き者は淘汰される時代。その時代に生きる者は荒ぶる魔力に心まで汚染された者か、闇にひた隠れていた者だけであった。
 そんな時代に一人の偉大な魔術師が誕生する。
今や魔術の祖と言われているミャコル・レイビンスリーである。
ヒーライド王国の片田舎ハルモンドの農夫ヤルダ・レイビンスリーの5番目の息子として生を受けた彼は、生まれつき真っ白な体に、白銀の髪と赤い瞳を持っていて、誰もが彼を神の生まれ変わりだと言った。
彼が望めば大地は潤い、草木に花を咲かせる事など造作でも無かったと記されている。
しかし、誰も彼の言動が理解出来なかった。

「父さん。嵐がよ」

「嵐が?ミャコル、そういう時は<来る>と言うんだ」

「違うよ父さん。が正しいよ」

多くの偉人がそうであった様に彼の言動は多くの誤解とすれ違いを産むが、それが正しい事であったと証明されるのはいつも亡くなった後の事である。

 彼は魔力による事象<魔術>に夢中になった。
作物の育成も、人々の成長すらもこの<魔術>による影響を多大に受けている。その事に気が付いたミャコルはまず水に興味を持った。水はどうして水となるのか、水に触れその姿を脳裏に思い描くと二つの塊が浮かんだ。その白と黒の靄は体の中で丸い塊となると体の中を巡り血液中の魔力に引っ張られる様に消えてゆき、魔力は色を変えた。
その途端に乾いた喉が潤うのを感じたミャコルは『今水が生まれた』と呟いたと本には書かれている。


「そうやって彼は魔術の軌跡を探求して、そこには決まった法則がある事に気が付いたんだ」

「そうなのね!それでレイビンスリーの法則は生まれたのね?」

「いや、法則を見つけ独自の理論を公式として加えたのがレイビンスリーの法則だ。魔力の根本原理は単純で、そこから生まれる魔術の精度はそこまで高くない。誰もが喉が潤せる水分量を体内で生成するには魔術の力が足りない。だから水を飲むんだ…だが、レイビンスリーの法則はそれを補える公式が組み込まれている」

「レイビンスリーさんはすごい人ね!」

「あぁ。凄すぎたんだ」

「凄すぎたら駄目?」

 時の国王テュルケーはレイビンスリーの能力を恐れた。神の力と言われる魔力、魔術を自由に操り天気すらミャコルの手に掛かれば雪にも嵐にもなったからだ。

「だからレイビンスリーは異端審問に掛けられ死刑になった」

「そんなの酷いわ!」

「あぁ。無知であるという事、思い込みの恐ろしさはそこにある。だが、隣国との戦で飢えに苦しむ国民を助けるにはレイビンスリーの残した高度な魔術を使うしかなかった。だから国王は救国の魔術師であったとその地位を回復して広く彼の魔術原理や法則を広めたんだ」

「そう…レイビンスリーさんが生きてたらそうならなかった?」

「ならなかっただろうな。お前も生まれて直ぐに拘束されて殺されていただろう」


 フリンダルは本の表紙を撫でて涙をこぼした。一人の犠牲による時代への警鐘と教訓が現在の彼女を生かしている事に、感謝と懺悔したい気持ちがごちゃ混ぜになっていたからだ。
ビクトールはフリンダルの頭を撫でると言った。

「お前は今のままで良いんだ。変わらなくて良い、知りたい事を知り、なりたい自分を探せばいい」

「私…レイビンスリーさんみたいになりたい訳じゃないの」

「どんな大人になりたい」

「先生みたいに優しくて、婦人の様な真っ直ぐな人になりたい。それに、ビクトールのおじちゃんみたいに誰かを助けられる人になりたいわ」

フリンダルは頭に置かれた、武骨で繊細な指に触れるとニコリと笑ってビクトールを見上げた。ビクトールも釣られて笑うと溜息と共に言った『俺はやめておけ』と。


 私には誰にも言えない秘密がある。
それは私も『魔術師』であるという事…それは些細な事だった。
学校で学んだ術式を何気なく頭で考えた公式と組み合わせてしまい、暴走した魔術が空気中の公式を私の脳に刻んだ。それからと言う物、喉が渇いたと思えば勝手に体が水を生み出し、危うく溺れ死ぬ所だった。幸いか、フリンダル程の力では無いし、歳と共にその公式は剥がれ落ちて、今ならフォンラード伯爵より魔術を使う事が下手だろう。だけど、この事を知った時の絶望と恐怖は今も私を蝕んでいる。
誰にも言えなかった。ただ一人夫だけがこの事実を知っていたけれど、彼はその事を知っても『制御出来ず自在に扱えぬのなら無いのと同じだ』と言ってくれた。その時、私は初めてあの人を愛したのだと思う。

 夫の子が望めず絶望した時、そして病に倒れたあの日。
私は私を憎んだ…何故『魔術師』である事に目を背け続けたのかと。
もしも私がその事を受け入れ罰を受けても学んでいれば、彼を救えたかもしれないのに。だから…私の心は永遠に涙を流し続けるのでしょうね。

 そして、私だけが知っているもう一つの秘密。それはトルケンが夫の隠し子であるという事。トルケン自身もその事は知らないでしょう。
私が26歳で彼が10歳の時、夫は庭師の見習いとしてあの子を連れてきた。彼の顔を見て私は直ぐに分かった。あぁ、やはり夫は他所で子供を作っていたかと。
 それから私は第二夫人、第三夫人を夫に娶らせた。抵抗も、くやしさも当然あったけれど、何よりも彼には跡取りが必要だったし、他所の知らない女の子供をまた連れて来られるよりはましだと思った。
成長したトルケンは彼に良く似ていた。
30を過ぎ、魔力汚染によって潰れたこの瞳がその姿を映せなくて幸いだと思う。
彼を憎んだりはしていない。私なんかに良く尽くしてくれて側に居てくれるあの子をどうして憎めるだろうか?だけど、目が見えてその姿を見たなら…。未だ燻る見知らぬ女への嫉妬と憎悪で苦しんでいただろう。

 フォルヤード夫人は逡巡する。トルケンを本家へと戻し、フリンダルをどうにかして養子にする方法は無いか、またはトルケンの言うように法に則り一定の裁きを受けさせ引き取るか。
部屋で一人考えていた夫人の耳に、フォンラードの話し声が聞こえた。

「トルケンさん、貴方はフリンダルが憎いのですか?」

「憎い?まさか」

「なら何故そこまで彼女を否定するんです」

「…いずれ苦しむからです」

「そうなると何故分かるんです?きちんと制御出来ればそんな事…」

フォンラードが言い終わる前に、トルケンは呟いた。
苦し気に、痛まし気に誰かを想っているかの様に言った。

「力を使う使わないでは無いんです。他者と違う事に苦しむんです…魔術師は誰かを傷付け苦しむのではない…自身を傷付け苦しむ。貴方様も、奥様も、彼女を大切に思ってらっしゃる…なら、彼女の傷は貴方様方の傷になるのです」

「…言っている事が良く分からないな。君はフリンダルを犯罪者だと言った」

「…あれは…言い過ぎた言葉だと謝罪致します。ですが、魔術師の多くは無意識に誰も知らない魔術師を作り使う…本人すらもどんな効果になるかも知らずにです…それを誰が救えますか?誰かを傷付けた後に待っているのは後悔と恐怖、苦悩の日々です」

「…君の身近にいるのか?そういう魔術師が」

「いえ…そんな事は…」


 夫人はソファの背凭れに頭を預け、ぼんやりと全てが無駄な事であったと思った。

 トルケン、貴方知っていたのね?私が魔術師である事、苦しんでいた事を…。それでも側にいたのね?何故私なんかの側に居続けたの。夫が亡くなった時、本家に行けたのにそれを断りあんな田舎の領地に私と共に隠居生活の様な暮らしをしている。
まだ貴方は若いのだから、愛する人を見つけて自由になってくれて良いのに。


「私は…裁きを受けたからと言ってお嬢様が死刑となるとは思っていません…今ならまだ間に合う。教会に調べてもらい、裁判を受けてきちんと認められたなら…誰も彼女を否定しない。違いますか?」

「その通りだと思うよトルケンさん。だが、君の言い方は良くないな…言葉を学ぶ必要があるよ?きちんと君の考えや想いを相手に理解して貰えるように伝えないと…夫人や私の様に君を誤解するだろうね」

その言葉に、トルケンは眉を下げて笑った。

「旦那様にも良く言われていました…」

「そうか…さて、どうしようかな。フリンダルを探しに行かなくては…きっと今頃何処かで泣いている…あぁ、あの子を笑顔にしたくて研究室に呼んだが…今となっては申し訳ない事をした」


フォンラードは、フリンダルの太陽の様な笑顔を思い出した。
守りたいと強く思うこの気持ちを私もそろそろ認めよう。
私も夫人同様に、彼女を娘として迎えたい。私なら、彼女の手を離さず共に歩んでいける筈だ。フリンダル…君は私を父と呼んでくれるかな?







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