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第二章 盾と剣
5 転機 1
しおりを挟むアルバートが鬱憤をハリィにぶつけた翌日、フロリアはカナムの父、ロベルナー男爵の保有領地のゲストハウスに居た。
「フロリア様、フロリア様……一体いつまでお休みなのですか?早く起きて頂かなくては、トルソン様のお見送りに間に合いませんよ」
こうやってカナムは、日に何度か声を掛けていた。しかし、一向に起きる気配の無い彼女に、溜息を溢すと共に連れてきたラナに清拭する様に言い部屋を出て行った。
「フロリア様、早くお目覚めになって下さい。皆、お嬢様のお声を聞きたがっているのですよ」
濡れたタオルでフロリアの腕を拭き、体を拭き終えると新しい服に着替えさせ、その短くなった白金の艶のある髪を撫でた。
「はぁ、お労しい……早く元気なお声をラナにお聞かせ下さい」
ブラシを取り、フロリアの髪を梳こうとした時だった。
「お兄ちゃんと繋がっ……」
淡々とそして滑らかに声を発したフロリアに、ラナはブラシを投げ捨てると肩を揺すり声を掛ける。その声は必死で、何とかフロリアを起こそうとしていた。
「カナム……カナムッ‼︎カナーームッ!」
ダダダッ!ゴンッ!ガタタタッ!ガチャ
「何ですかそんな大声を出して!あぁ痛い!脛を打ったじゃないか」
「フロリア様がっ!フロリア様がお話に」
「えっ!」
カナムはフロリアの顔を覗き込み、その口元をじっと見つめた。しかし、ただすよすよと眠るフロリアに変化は無かった。
「本当なんです!お兄ちゃんと繋がっている。そう言いました!お兄ちゃんってハカナームト神の事ですよね⁉︎旦那様、いやっトルソン様を呼んで!多分天上界にいらっしゃるんですよ!」
「ほ、本当なんですか?その話し……」
「嘘を言って何になります?早くっ!フロリア様が目覚めた時、誰よりもトルソン様にお側にいて欲しいはずです!」
「分かりました。メイヤードさんに連絡を入れます。ラナ、いつでも貴族街の屋敷に戻れる様準備を始めて下さい」
「え、ええ!」
聖騎士団本部は王城敷地と貴族街を隔てる、魔石で出来た背の高い柵門内側のすぐ側にあって、騎士団と共に最も堅固に出来ていた。そして騎士、聖騎士各本部の建物は防壁の役割を担っていた。そしてそれが意味する事は、騎士団、聖騎士団が最終防御ラインに他ならないと言う事だった。その中で、精鋭部隊の聖騎士団員である彼等は日夜、聖騎士団のトップである司令官ダダフォン•ヴォルフの罵声と共に訓練に励んでいる。
「貴様ら!死ね‼︎ハカナームト様の尻に敷かれて圧死しろ!ライネルなんだその剣筋はっ‼︎貴様っ、前線で真っ先に死ね!魔に堕ちてしまえっ!ヨハネス、お前のその攻撃は何だ?そんな弱っちぃ火力で何する気だ。敵に暖でも取らせるつもりか?あ?クズがっ!お前が薪になれっ!火種になって突撃してこい!」
ダダフォンはこの国の英雄と言われる人物だったが、とことん口が悪かった。そしてその訓練で生き残る確率は1割と聖騎士達の中では言われていたが、彼は面倒見の鬼でもあり退団する者は居ない。
「はぁ、今日も口が悪いな」
「何だよケツに敷かれて圧死って」
訓練場の外周は約5キロ。そこを聖騎士達は換装した状態のまま全速力で走る。そして風の音に紛れて愚痴を溢している。
「ガチャガチャ聖装音鳴らしてんじゃねぇぞ!音楽隊かお前ら!サイモン隊腕立て300!レイン、テメェ俺に文句があるなら個別指導だっ!ケツ洗って待ってろ!」
「はいっ!宜しくお願いします!(首じゃねーのかよ!何だよケツって!怖いわっ)」
丁度正午の鐘が鳴った頃、聖歌が聖騎士団、騎士団双方の建物の間にある騎士教会から聴こえ出した。聖歌、それは神へ捧げる祈りであると共に供物、奉納する物であり、聖歌が聴こえると隊員達は立ち止まり黙祷した。
聖歌の聴こえる中、1人の執事らしき男が正門詰所でソワソワしながら門番の黙祷が終わるのを待っていた。何度もベルを鳴らすが、誰も出て来ない為か声を上げた。
「黙祷中申し訳ございません、急ぎ取次をお願い致します!緊急なのです!聖騎士団師団長、アルバート様にお取次を!」
「おい、そこの従者。今、聖歌が聴こえてんのがわかんねぇのか」
「重々承知してございます!しかし、一刻を争うのでございます!お願い致します、お願い致します!」
「名は」
「私は、フェルダーン侯爵家執事長補佐モートレーと申します。至急、旦那様にお取次をお願い致します」
「何があった」
「……それ、は……」
「俺はダダフォン•ヴォルフ。アル坊の上官だ、理由を聞こう」
モートレーは慌てた。流石に、屋敷に戻ってきたフロリアの神力が膨張しているとは言えなかった。
「その、旦那様がお預かりしている方に……クローヴェル神のヴェールが……」
そう、闇の神クローヴェルのヴェールとは死の前触れを意味し、危篤や臨終を表していた。モートレーは内心で、嘘だがこのままでは本当になってしまう。そう叫んでいた。
「分かった。静かにして俺に着いて来い」
「け、結構ですっ!そんな滅相も無い!旦那様の執務室は存じておりますから、お気遣いは結構です」
「今あいつは執務室には居ねぇぞ。騎士団本部で元帥閣下と明日の最終打ち合わせをしている」
「‼︎」
モートレーは頭を下げ、呼んで来ては貰えないかと懇願した。
「だから、ついて来いと言っている。急ぐのだろう?ごちゃごちゃ言ってねぇでついて来い!」
「は、はいっ!」
モートレーは正門を潜ると、ダダフォンの後に着き、2人は足早に騎士団本部の建物へと向かった。
「で、誰が死にそうなんだ?」
「その、お預かりしているお子様で」
「幾つだ」
幾つ?フロリア様の正確な年齢は分かりませんが、4歳、5歳位には成長なさっているでしょうか。
「4歳…だと」
「そうか。嘆かわしいな……男か?女か?」
「お、お嬢様にございます」
何故、ダダフォン様は執拗に当家の事をお聞きになるんだ?この方には関係ない話では無いか。
「ふむ。病気か?」
「いえ、その……」
「言っては困る事なのか」
「色々と事情がございまして、私の口から申し上げるのは憚られます」
「まぁ良い。だが、アル坊が子供ねぇ?なんだ、隠し子か?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるダダフォンに、モートレーはムッとして咳払いをする。
「オホンッ!当家の旦那様は奔放でらっしゃいますが、その様な下手は打ちませぬ」
「がははははっ!そうか、確かにそうだな。ほら、着いたぞ。こっちだ」
騎士団本部の建物に入ると、ダダフォンは階級章を警備隊に見せ、モートレーをツレだと言ってズンズン歩いて行く。モートレーは警備隊員に一礼して後に続いた。
「おいっ!入るぞロヴィーナ」
大きな扉から隊員が出てくる前に、ダダフォンはバンっと扉を開けてズカズカと入って行ってしまい、モートレーは扉の外であたふたしながら部屋の中にアルバートを探した。
「何だい、司令官ともあろう者が!連絡一つ寄越せないのかい」
「うるせぇババァだなっ!声、掛けただろうが」
「ダダフォン、お前さんまた私に絞られたいのかい。良いよ、この後あんたの聖魔力が枯渇するまで吸い取ってやろうかね」
「ぐっ!あぁあぁ!俺が悪ぅございましたよ閣下!」
子供を躾けるかの様に、聖騎士団、騎士団を取りまとめるロヴィーナ•ラヴェントリン元帥はダダフォンを睨み上げ、座っていた椅子から立ち上がった。そして彼の前に立つと、その武人としてアルバートに引けを取らない肉体が、ギュッギュッと隊服を鳴らした。
「で、何だい。今重要な話をしているんだけどね」
「あぁ、おいアル!お前に客だ」
その言葉に、ロヴィーナの机の前に直立不動で立っていたアルバートは振り返った。
「モートレー?」
「お忙しい中、お邪魔致しまして大変申し訳ございません」
深々と頭を下げるモートレーは、どっと体中から汗が吹き出し、バクバクと鳴る心臓の音が彼を更に緊張させていた。
「うん?急ぎの様だね、アルバート。もう良いよ、下がりなさい」
「ですが……」
アルバートは、ロヴィーナの後ろ姿を見つつ、隣に立つ聖騎士団事務次官の顔を見た。事務次官は、苦笑いしながら顎で「行け」と合図している。
「そもそも、今行なっているのは各司令官、事務次官による最終確認と斥候報告の検討会だ。師団長会議に続いて出席しているのは君だけだよ、悪いね。不出来な上司しか配してやれなくて。だが、もうそろそろ君もこの部屋に椅子が出来る。早く登っておいで」
ソファにダラリと寝そべるダダフォンをチラリと見下ろし、齢70になる女性初の騎士団元帥ロヴィーナは、暗にしっかりしないとアルバートに司令官を任せてしまうぞ、そう脅した。しかし、ダダフォンはどこ吹く風で、耳を掻き爪にふっと息を吹きかけていた。
「私にはまだシャナアムトの瑞風の訪れは遠い様です。今はその御髪を見送らせて頂きます。では、失礼しましてこちらで退出させて頂きます。司令官、後程報告書を提出致します」
「あぁ?良いよそんなの。お前に任せる!」
「……はい、畏まりました。では、聖騎士団第一師団、師団長アルバート•フェルダーン、こちらで失礼させて頂きます」
「うん。ご苦労様……それと、アルバート。今夜君の屋敷に伺わせて貰っても構わないかい?」
唐突な言葉に、アルバートとモートレーはドキリとして目を合わせた。何故、元帥が屋敷に来たがっているのか。その理由を探れずにいた。
「お、なら俺も行こう!そのお嬢様とやらに、俺の癒しでも施してやろうか」
「「……」」
狼狽するアルバートとモートレー。だが、ロヴィーナの瞳は全て知っている。そう言っている様で、アルバートは目を瞑ると「お待ち申し上げます」と言って部屋を出た。
「旦那様!申し訳ございません!」
アルバートとモートレーは早足で階段を駆け下りながら、人気の無い教会の裏庭へと向かう。そして、木陰に身を隠すとアルバートはモートレーに詰め寄った。
「なんだ、何があった!お前がこんな所まで来るって事は聖に何かあったんじゃないのか?」
「神力が、本館を包み入れないのです!それに、その力はどんどん膨張していて、既に東館と正門エントランスが」
「何で連れ帰った!」
「一瞬、目覚められたのです。その為、もしかしたら今日にでも目覚めるのではないかとカナムとラナが戻って来たのです」
「くそっ、ハリィは今黒騎士に居る。おいモートレー、この紋章を持って王城に上がれ。そしてハリィを呼んで来い、終わりが始まると言えば分かる」
そう、あの日ハリィとぶつかった時に話した国の終わりを意味していた。神力の膨張、それがどこまで広がるかは分からないが、魔力でも抑えられない力が弾けたなら、物質的な衝撃がどこまでこの世界に影響を及ぼすのか。アルバートにも、ハリィにも分からなかった。
「今すぐ行けっ!俺は執務室の転移魔法の準備をする」
「はいっ!」
それから40分程して、ハリィを連れてモートレーが戻ってきた。2人とも汗だくで、王城から距離のある聖騎士団本部まで休む事なく走って来たと、モートレーはゼェゼェと息を荒げ、アルバートに渡された水をゴクゴクと飲み干した。
「アルバート、昨日はすみませんでした。私の浅はかな言動で嫌な事を言わせてしまいました」
「ハリィ、そんな事は俺達の仲じゃ瑣末な事だ。俺は謝らない、家族同然だからこそ周りを見ろと言いたかっただけだからな」
「ありがとうございます。アル……いえ、今は勤務中でしたね師団長」
「どっちでも良い。急ぐぞっ!」
「「はいっ!」」
アルバート達が転移魔法でフェルダーン侯爵邸の私室に転移すると、途端に体が床に押しつけられた。ドサっと3人は床にひれ伏す様に倒れ、ぐっと言葉を漏らした。
「「‼︎」」
「ハ……リィ、これをっ!」
アルバートは握りしめた魔石の入った皮袋を渡すと、フロリアの元へと行けと叫んだ。
ハリィはズリズリと這いずりながらフロリアの部屋に向かう。そして、魔石を一つ取るとその魔力を吸い取った。空になった魔石は神力を吸い取り七色に色付いて行く。
「はっ!はあっ!」
更に魔石を取り出し魔力を吸収し、ハリィはそれを床にばら撒いた。半分程使い切った所で、やっと立ち上がる事が出来る様になった。
「魔石!何で思いつかなかったんでしょうか!後で寮に取りに行かないと」
神力が薄くなり、アルバート達や本館から閉め出されていた者達が集まり出した。
「ハリィ、上手く行った様だなっ」
「はい!」
「聖の所へ向かうぞ」
3人はフロリアの部屋に入る。そこには、眉間に皺を寄せつつ頬に拳を当てて、考え込んでいる様な寝顔のフロリアがいた。
「フロー!」
ハリィは駆け寄ると、覆い被さる様にしてフロリアの顔を覗き込む。そして、魔石をフロリアのまだ小さな手に握らせたりその周囲に置いた。
「で、コイツはどうなってるんだモートレー」
「カナムの報告では、どうも夢の中でハカナームト神と会って居るのではないかと」
ハリィは振り返ると、怪訝な顔をした。アルバートは大きく息を吐き、そんな事でここまでになるのか?と言いながら椅子を引き寄せ腰を下ろした。
バタバタと足音が近付き、メイヤード、カナム、ラナ、フリムが部屋に入って来た。
「「フロリア様!」」
皆慌てた顔で部屋に突入して来たが、そこにアルバートとハリィ、モートレーが居て、一瞬驚いた顔をしたがすぐに姿勢を正し一礼する。
「ラナ、何があった。正確に報告しろ」
「はい。本日午前、清拭を致しました所、フロリア様がお兄ちゃんと繋がっている、そう仰ったのです。その後、一瞬目を開けられて、どうする?と聞かれたのです」
ハリィとアルバートは、互いの顔を見て首を傾げるとフロリアに目をやった。しかし、未だぷすぷすと口から寝息が漏れているだけで、何の変化も無い様に見えた。
「で、何でこんなに神力が漏れているんだ」
「先日もあったのですが、何度もこう……腕を上げ下げなさっておいでで。その後でしょうか?ぐっと力が屋敷に充満しました。屋敷に戻ってから一度だけそれをなさったのですが、それが原因でしょうか。誰も本館に入れなくなってしまって」
「分かった。それと、今晩司令官と元帥が屋敷に来る」
その言葉に、その場に居た誰もが息を呑み固まっていた。そしてアルバートは大きく息を吸うと「もう無理だ。元帥達をこちらに引き込むぞ」と言った。
「明日出立なのにですか⁉︎何でこのタイミングなんでしょう」
「申し訳ありません。私が無理に旦那様へ取次を頼んだ所為です」
モートレーは頭を下げたが、アルバートは彼の腰をバシンと叩くと立ち上がり、フロリアのベッドの天幕をそっと閉じた。
「いや、良いタイミングだと思おう。正直、これ以上俺達だけで隠し通しつつあの馬鹿を聖女とするのは困難だと思っていた……」
「師団長、やはり聖女にするのですか⁉︎私の娘ではならぬのですか?」
「ハリィ。お前の気持ちはわかる、だがハカナームト神の忠告をお前は無視出来るのか?国を捨てても、神に国境はないんだぞ」
「……夢は、やはり夢のままなのですね」
「だが、俺に一つ考えがある。それが上手く行けば、お前が養育者となれる」
「‼︎」
アルバートは、その為には今晩訪れるロヴィーナとダダフォンを味方にせねばならないと言った。
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