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第三章 魔法と神力と神聖儀式
3 それは願いを叶えること 〜もしも目覚めたのが聖なら
しおりを挟むフロリアの覚醒により、この世界で生まれた意識や感情は深い眠りに落ちていた。一年で育ったそれは夢を見る事も無くただ混々と眠っている。その代わりに、揺蕩う波に起こされる様に過去の聖としての意識が目覚め始めていた。
アルバートの屋敷に戻ったハリィは、眠るフロリアの側でただじっとその寝顔を見つめている。
「貴女が大きくなったらこんな風に成長するのですね。これでは気軽に外出などさせれそうにありませんね」
ハカナームトに言われた言葉が頭から離れないでいるハリィ。やっと家族になれると思っていたが、その養育権はフェルダーン家に与えられた。勅令に背く事はできず、またそれに異を唱えられるだけの理由を彼は見つけられなかった。
「はぁ……貴女を皇女にですか。ましてや契りの結だなんて。早く元のフローに戻ってください。でなくてはあっという間に結を求める輩が殺到しそうで嫌ですよ。パパはまだ殺人犯にはなりたくありませんからね」
緩やかに弧を描く丸みのある額にそっと触れ、ハリィは溜息を吐く。何故愛しいのかと問われても答えは出ない。フェリラーデの加護を持つからだと言われて終えば反論も出来ない程、彼の意識の全てはフロリアに向かう。
「逃げていれば良かった。さっさとマリーナとの結を解いて退団していれば良かった。私は最低です……あの女との結を解く事など容易な筈なのに、少しでも貴女に見合う父でありたくて爵位に未練を持ったのも事実なのです」
フロリアの眠るベッドの端に頭を預け、ハリィは緩やかにカーブする赤く染まった毛先を指に絡ませた。つるんと指から逃れる様に解けた毛先。掴みたいのに掴めない、そんな焦燥感が胸に溢れていた。
「……そんな事思ってたの?」
「フロー?目覚めたのですね!あぁ、良かった。あのまま女神として私の側から離れて行くのかと怖かったんですよ?」
「ハリィ?……ねぇ、私ならどこでも生きて行けるよ?爵位なんてなくても、私だってお金稼ぐし、ハリィならどんなお仕事も出来るでしょ?大丈夫だよ、2人でもなんとかやって行けるよ」
どこまで聞いていたのでしょう?聞かせたく無い大人の弱音を聞かれてしまいましたね。可愛い兎が狸だったなんて。参りましたよ。
「そうもいかなくなってしまいました。当分ハカナームト神のお許しは出なそうです」
「何で私達が家族になるのにお兄ちゃん達の許可がいるの?私が決める事なのに」
フロリアはまだ戻らない姿のまま、半身を起こすとハリィの顔を覗き込んだ。乳白色だった瞳は透き通った薄いピンクの色に、7色の虹彩は金色に変わっていた。その清純でいて妖艶を匂わせる起きたフロリアの姿にハリィはドクンと胸が鳴る。ついさっきまで赤ちゃんで、子供で私の愛しい娘だったのに。まるで知らない女性の様だと焦りが生まれた。
「美しくなった貴女を守るためですよ」
優しく頬を撫でるその手は、以前の様に大きく包み込む物ではなく、今のフロリアの輪郭にピッタリと合う手だった。
「あ、何これ。体が大きくなってる」
「えぇ、一時的に覚醒したようです」
「覚醒?」
「祝福をしたのですから神魂が解放されたのでしょう。これが本来の貴女の魂の姿なのでは無いでしょうか」
「なんだろう。体が小さい時は全部が楽しくて、ワクワクして、誰かに縋らないとと思ってたのに」
「……精神が幼くなっていた分、大人に戻って戸惑っているだけですよ。元々貴女の魂は成人していた訳ですから」
「それは……何と言うか。寂しいな」
いつもであれば目覚めたならすぐにでもハリィに飛び付いていただろう。しかし、フロリアは身嗜みを整える様に髪を纏めて背中に流す。そしてラナが着替えさせたのだろうシルクのガウンの乱れに気付き胸元を手繰り寄せた。
「……レディには失礼でしたね。私は少し出ていますから、着替えが済んだら、外に食事にでも行きましょうか」
「うん」
何故なんだろう。パパさんはあんなに男の人だっただろうか?私にとってハリィは甘え縋れる大人で、安心出来る逃げ場だった筈。なのに、今の私には彼がただ優しい青年に見えた。急に目に見えない何かが私と彼の間に線を引いた様で、生まれたこの距離に戸惑っている。愛してるって、大好きって言いたいのに、言ってしまえば何かが変わる気がした。
「パパだったのにな。ハリィって呼ぶ方が正しい気がしてなんか嫌だな」
「失礼致します」
部屋の扉を開けてラナが現れた。そしてその背後には10名ほどの側使えやメイド達が立っている。
「ラナさん!何だかすごく久しぶり!」
「えぇ、フロリア様。3日ぶりでございますが、私もそれ以上にお会いする事ができなかった気持ちでございます」
まだベッドの上に居るフロリアに近付くと、ラナはフロリアの手を取りベッドから降ろしてやった。そしてその顔を悲しげに見つめた。
「何だかラナは寂しいです。あの頃のフロリア様がもう何処にもいらっしゃらない様で」
「うん。私も変な感じで、寂しい気持ちなの」
「そうでしたか」
「親友がいなくなった様な、独りぼっちになった感じ」
「何を仰います。今日からは私だけでは無く、専属メイドと専属の側使えを付かせて頂く事になりますから、寂しいとは無縁でございますよ」
「専属?ラナさんは何処かに行っちゃうの?」
「私はこのままフロリア様の筆頭側使えとしてお仕えする事になりました。そしてもう一名、側使えとしてロア•シャークスターをお側に控えさせて頂きます。ロア、こちらへ」
扉の外に控えていた銀髪に褐色の肌をした、まるで武人の様な女性が入ってきた。眼光鋭くまるで犬鷲の様なその相貌に、フロリアは目を見開き驚いた。
「え?護衛の間違いじゃないの?」
「ふふっ、元々ロアは旦那様のお母様、セイラ様の護衛騎士でしたが、この度フロリア様の側使え兼護衛としてお仕えする事になりました」
「そ、そう。ロアさん、初めまして。フロリア•トルソンです、宜しくお願いします」
フロリアの言葉に、一瞬ロアもラナも目を見張ったが、何も言わずに跪き頭を下げた。
「初めてお目に掛かります、ロア•シャークスターにございます。何分側使えとしての任務は初めてで御座いますので、ご不快な点もあるかとは存じますが、何卒宜しくお願い致します」
固い。それが私の彼女への第一印象だった。けれど、誠実そうなその目に、私は好感を持った。
「私も、誰かに仕えられたりするのは初めてで、ラナさん同様に迷惑を沢山掛けると思いますが、こちらこそ宜しくお願い致します」
ロアは、フロリアの差し出した手の意味が分からずラナに目をやった。
「握手です。私は主従という関係性を誰かと結ぶのが嫌なので、これからは友人の様に仲良くなれればと思います。ロアさんも、私に忠実でなくてはとか、命を賭けても……なんて事は思わなくて良いですから。お仕事をきちっとなさって下さればそれだけで結構ですから」
ロアは、そんな事を言う主人を見た事が無く、驚きどうしたら良いのかと戸惑った。
「私は、対価があっても誰かに自分の人生を捧げるという事に違和感を感じていてですね、なので、まずはお仕事として私を守ってくださるとありがたいです。その中でお互いに信頼できる様に頑張りましょう」
憮然としている彼女は、良く分からない人に使えることになった。そう思いながらも頭を下げた。
「お気遣い頂き感謝致します。これよりラナ殿と共にお仕えさせて頂きます」
「はい。宜しくお願いします」
急に落ち着いてしまったフロリアにラナは戸惑ったが、ハリィが買い揃えたベージュゴールドのドレスを着せて、髪を結いあげた。
「お綺麗ですよ、フロリア様。本当に女神様なのですね……」
「?」
「審問会での事、メイヤード執事長から聞きました。ユミエールナ様の事も……」
あぁ、そうか。ここの人はみんな彼女を知っているから、私が成仏させた事や良く分からないけれど、祝福を与えたらしい事を知っているのか。
「戻れるかな?ここで生活していた私は……こんなんじゃ無かったのに」
「フロリア様、思い悩む必要はございませんよ。直に元の御姿に戻られると伺っておりますから」
「本当⁉︎よ、良かったぁー!このまま……ハリィをパパとは呼べないまま聖女をしないといけないのかと思った」
「まぁ!そんな事をお思いだったのですか?でも、確かにトルソン様がフロリア様を抱いてお戻りの時、先触れで事情は分かっておりましたけど、まるで一枚の恋人を描いた絵の様でいて、ふふっ、皆うっとりとしていましたもの」
アイドルを見た様な目をしてるよラナさん!この世界、そうそう浮かれる様なゴシップが無い分勝手に煙を立てるんだろうけど、勘弁して欲しい。
「やめてよ、そんなのハリィが可哀想だよ」
そう、余りにも可哀想だ。自分の幸せを得る事も無く、子供を、しかも赤の他人を世話するだけの人生なんて送らせたくない。それに、父親として見ていた人を恋人にする?そんなの無理でしょ。
「何故でございますか?とてもお似合いでしたし、何よりお二人は深く想いあっておいでではありませんか」
「ラナさん、貴女実の親と結婚しろっていわれて出来ます?」
「……そう、ですね。それは無理ですね」
「私にとってハリィは幸せになって欲しい家族なんです。マリーナとか言う奥さんじゃなくて、もっと人を大事に出来てハリィを心の底から大切にしてくれる人をお母さんと呼びたいんです」
「それはまた、難題でございますね」
「何故?」
「そもそも、ハリィ様はご家族を欲しているのでは無いのだと思いますよ」
「嘘だよ。アルバートさんも言ってたけど、家族や家族愛に縁遠いって。だから子供の世話をする事で擬似体験してるんだよ。自分にも家族を愛せるだけの愛情があるんだって安心したいんじゃ無いかな。だから、私はハリィには本当に好きな人と家族を持って、自分の子供を作って欲しい。ユミエールナさん達を見てそう思ったの……本当の望みを間違えないで欲しいって」
もしも、ユミエールナさんが自分の心に正直だったなら、アルバートさんに抱いた憧れの様な初恋を愛だとは思わなかっただろうし、国王さんの全てを捨ててもいいと尽くした愛こそが愛なんだと分かった筈だ。それを思えば、私は彼等の様な感情でハリィに接してはいない。
「だからこそですわ」
「?」
「トルソン様は本当の愛がお分かりではありません。フロリア様にお尽くしになる御姿を、どう見方を変えても子供を想う親の愛とは思えませんもの。トルソン様は心から愛せる人をお求めなのでは?」
「えぇ?どうみても慈愛でしょ?」
「親の愛とは、離れた所から見守り、戻る場所であり続ける事ですわ。ハリィ様の様に常にお側にあって、お二人の時間を邪魔される事を嫌悪する様なご様子は間違っても家族愛ではありませんもの」
「はぁ……家族を知らないから、間違ったやり方でもこんな風に愛されたかったって願望を私にしてくれているだけだよ。実の子が産まれたらやり方が違う事に気がつくよ」
そう、私だって馬鹿じゃ無い。実の親が時間のある限り側にベッタリくっついて、叱る事もせずただ可愛い可愛いと言い続け過ちを正さないなんて事は間違っている。この前のビンタは親っぽかったけど、あの状況なら恋人でもああするだろうし。ただわかって無いんだろうなと思う。
「ですが、フロリア様は既にトルソン様をパパとは呼べないでは無いですか。急に意識されたからでは?」
「そんなんじゃ無いよ。ただ、急に家族じゃない、他人なんだと思えて……以前の様に甘えるのは違う気がするだけ」
「困りましたわね。それでは御二方様の本当に望む物が見えなくなってしまいますわね」
「……私も、ハリィも家族に幻想を抱きすぎてたのかな?どうしたいんだろう」
コンコン
「フロー?準備は済みましたか?」
「うん、今から行くね」
フロリアは椅子から立つと、ラナの肩に頭を乗せた。
「戻りたい。素直に裏表ない単純な感情で大好きって言えた昨日に」
「フロリア様こそ、無理に距離を取らなくても良いのですよ。思うまま、トルソン様をお受け入れなされば良いと思います。どちらに転んでもフロリア様を愛しておられる事に変わりないのですから」
「ラナさんが変な事言うからこんな気持ちになったのに!結局受け入れろなんて酷い!」
「ふふふっ、これは大変失礼致しました。では、いってらっしゃいませ、フロリア様」
「はぁ……行ってきます」
扉を開けると、そこには上位団員に支給される深緑の隊服に身を包んだハリィが立っていた。肩章が付いていて、階級章がロヴィーナには劣る物の沢山ついていた。
「わぁお!ハリィのおめかし素敵だね!びっくりしちゃった!」
「ふふ、フローはこういうのがお好みなのでは?」
「分かってるね!パ……ハリィ」
ギクシャクとしながら、フロリアはハリィの横に並ぶ。
「……行きましょうか」
すっと差し出された左腕を見て、フロリアはキョトンとしていた。ハリィはクスリと笑うと、そんなフロリア右手を取って腕を絡めた。
「いつか、大人になった貴女とこうやって歩きたかったんです。夢が叶ってしまいましたね」
「他に願いは?」
「そうですね。貴女に似合う宝飾品を探しにでかけたり、ドレスを誂えに行ったりして、帰りにカフェでお茶をするんです。馬車を使わず歩いて……ガーデンを通って帰るんです」
「それはフロリアと言う1人の娘としたいこと?それとも女性としての私としたい事なの?」
「……どうしたんですか?そんな事を言い出すなんて」
「んー。なんでだろう?ハリィの言動って娘に向けてする物じゃ無い様な気がして」
しまった。私はなんて事を口走ったんだろう。今更、冗談だなんて言葉で誤魔化せ無い雰囲気になってしまった。はぁ、藪蛇。どちらを答えられてもショックな癖に。
「私はやはり父親には向きませんか。ははっ……参ったな」
「ごめん。変な事言った!向いてない訳が無いよ。目覚めて一番最初に何を思ったか分かる?」
「何を思ったのですか?」
「どうして実の娘に生まれなかったんだろう。本当の娘ならハリィに沢山愛してるって言っても混乱しなかったのにって思った」
馬車に乗り込み向かい合う2人。ハリィは窓の外を眺めていたが、フロリアはずっと瞳を逸らさずハリィを見ていた。
「分からないのです」
「そうだね。私も分からない」
「今、とても美しい貴女を前にして、私の抱いているこの感情が娘への愛なのか、それとも1人の女性への想いなのか。分からないんです……もしも1人の女性として貴女を愛しているとするなら、つい先程までの私の愛は何だったのでしょう?」
聖は何故か泣きたくなった。
神魂は神の魂であり源、そして意識でもある。だが、下界の神体が命を得るには人の魂が必要で、そこに呼ばれたのが聖であった。下界に生まれ落ちて、聖と神魂は融合し、ある意味もう一つの人格を生み出したと言っても良かった。それを本人もハリィも神々ですらフロリアと呼んだ。
聖を愛しているんじゃない、フロリアを愛しているんだ。だったらそれはやはり親子の情なんだろう。残念。
「パパ、早く元に戻りたいな」
「フロー?」
「きっと私の初恋はパパだよ、次に起きたらきっと聖はもう出てこないから、安心してね」
「?な、何を言っているのか分かりませんよフロー」
「私はフロリア(神魂)と聖で出来てるの。パパが私を娘として愛しているなら後はフロリアに任せるよ」
「え?」
フロリアは座席から立ち上がると、ハリィの開いた両足の間に入り込むと、ぎゅっとハリィの頭を抱え込んで額に口付けをした。
「ハリィ、バイバイ」
涙が溢れて止まらないのは、聖としてハリィにいつの間にか恋をしたからだろうか。それとも、家族愛だと言い続けなければ、嘘が嘘のまま自分の本心になってしまいそうだったからだろうか。聖は目を瞑る。そしてフロリアの名前を呼んだ。
—フロリア、あんたがいいんだって。ハリィが待ってるから、起きて。
「はっ‼︎‼︎」
がばりと起きたその時間は明け方近くで、フロリアはぼろぼろと溢れる涙を手で拭った。
「怖っ!いやいやいや、夢だよね?パパさんに恋とか無いから!ってか恋に落ちる要素がどこにあった?ナレーション生々しっ!」
手を見ると、小さな手のひらにぷにぷにとした手の甲。フロリアはホッとしてベッドから起きると、カートの上に置かれた水差しを取ろうと背を伸ばした。
「ん、んんっ、おもっ!」
「フロー、私が取りましょう。貸して」
「ぎゃ!」
「喉が渇いたのでしょう?寝ながらずっと泣いていましたよ。起こしても起きないし、不安で私はここに泊まる事にしたんです」
「……あ、あのっ、」
「?」
フロリアは動揺した。
夢か現実なのかが分からない。あれはもしかしたら現実だったのでは?だとしたら告白したにも等しいあの状況を過去世の聖はフロリアに丸投げして眠りに付いたことになる。勘弁してよ!
「お、お腹っあ、あのっ、お腹が」
「お腹が空いたのですか?それもそうですね。お昼から何も食べていませんし、お腹も空きますよね。何か持ってきましょう」
「あっ、あーー!うんっ!食べるー!」
良かった。良かった。本当に良かった……夢オチ感謝!
「フロー」
「ん?」
「娘というのは父親が初恋というのは本当ですか?」
のおぉぉぉぉぉーーーーーーー!!
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