スノードーム

SAGIRI

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始まり

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あの日から武内奈子は人生の階段を踏み外し始めたのかもしれない。

2014年5月
「武内ーゴルフ始めたんだって?今度一緒に練習行こう。」
 毎朝9時からカタカタとパソコンに向かい、電話が鳴れば応対し、来客があれば店頭へ。保険会社に勤めて良かったことは、土日休みで有休がきちんと取れることだけだった。そんな会社で働き出して、もう8年目。お局寄りの中堅だ。
変化のない毎日の中、突然来た社内メールだった。
 送信元は別部署の上司、矢野奏太。45歳、既婚者。
…4月の飲み会で隣の席になったのがきっかけだった。彼はお酒が好きで、いつもムードメーカーでおちゃらける人。全く年齢を感じさせることのない、元気で明るい45歳だ。
 「お久しぶりです。まだまだ駆け出しなので全く上手くないですよ、それでも良ければ是非お願いします。 武内」
 当たり障りのない、万が一誰かに見られたとしても問題のない文章。これで不倫なんか疑われたらたまったもんじゃない。そんな気なしの素っ気ない業務的な返信をした。
 すると5分後、
「え!良いのー楽しみです。そういえば俺、武内の連絡先知らないからこのIDにLINEしてーsota.yanono」
三度見した。IDを奈子は三度見した。
完全な打ち間違いなのか、新手のナンパ術かなんかで、話を広げるための策なのか。奈子はメールを見ながらくすっと笑った。良い歳したおじさんが、やののって。

 その晩、奈子は彼にLINEをした。
「今晩は、武内です。今日はお誘いありがとうございました。お忙しいと思いますので、お時間出来たらお誘い頂ければと思います。」
彼からの返信は無かった。
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