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第11話 彼女の再訪問

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「お邪魔しまーす!」

 遠慮のない声が我が家に響き渡る。
 僕が部屋の電気を点けている間に、彼女は家主よりも先にリビングへと足を踏み入れた。

「わっ、相変わらず凄い部屋。地震が直撃した図書室みたい」
「それは言い過ぎだよ。前よりかはスッキリしたはず」
「これの? どこが?」

 詰めるような視線を向けられ思わず目を反らす。
 僕は土日に行った作業を端的に明かした。

「本を端っこに移動させた」
「床の面積変わってないじゃん!」
「僕はこの空いたスペースで生活できるから良いんだよ」

 週末の頑張りをバッサリと切り捨てられ微かに寂寥感が湧く。
 やはり本棚を買うしかないかと出費を計算し始める僕をよそに、彼女はさっさと買い物袋を置いて断りもなくキッチンを物色し始めた。

「さー、望月家の食卓をご拝見」
「食卓じゃなくてキッチンじゃ」
「細かい事はいいの。おっ、良い包丁」
「調理器具はそれなりに良いの揃ってると思う」
「本当だ。それに、どれも新品同然」
「一回も使ってないから新品だね」
「えっ、なんで買ったの?」
    
 彼女がまんまるくした目を向けてくる。

「自炊をしろという指令とともに実家から送られてきた」
「ふんふんそれで?」
「そして一度も使わなかった」
「なんて親不孝!」
「料理という重労働から解放されるのなら親不孝のままで良い」
「凄い開き直り。でも、これだけ器具が整っていれば色々と作れそう。あとは調味料ね」
「調味料はない」
「はっ?」

 張り切る彼女の表情が、氷水に浸けられたかのように固まる。

「みりんは?」
「ない」
「醤油は?」
「ない」
「しおこしょ……」
「だからないんだって」
「一人暮らしの家に塩もないってどういうこと!?」

 なかなか耳に痛いことを言ってくれる。
 彼女の言葉には薔薇が巻きついているのかもしれない。

「自分の性格的に、自炊し始めても最初の一週間で止めるだろうって予想がついていたから、あえて最初から買わなかった」
「ほとんど外食?」
「あとカップ麺」
「知ってる」
「それに」
「それに?」
「上京する前に地元で飲食のバイトをしてたわけだけど」
「へぇ、意外。どこで?」
「焼肉屋と牛丼チェーンと、個人経営の居酒屋と……」
「ちょっと待ってちょっと待って、そんなに?」
「全部で5店舗で働いた。その結果」
「結果……?」

 彼女がゴクリと生唾を飲む。
 推理映画の種明かしを待っているかのようだった。
   
 たった一つの真実を、口にする。

「僕は料理に向いていない事がわかった」

 わはははっと、彼女は腹を抱えて笑った。
 どうやらツボにジャストインしてしまったらしい。

「5店バイトして回って気づくって……ひー、面白い、死ぬ」
「いや、1店目で気づいたんだけど、少しは上達するかなと思って数をこなしてただけ」
「なるほどね! でも君、理屈っぽいからレシピを完全再現とかしそうなのに」
「塩を少々とか、中火でじっくりとか、曖昧な項目が出てきたらアウト」
「あー、なるほど」

 あるあるだねぇと、また彼女は笑う。

「で、どうするの? 調味料、言ってくれれば買って来るけど」

 流れを断ち切って尋ねる。

「大丈夫! 私が部屋から持って来るよ!」

 彼女は表情を切り替えてビシッと手を挙げた。
 そうか、部屋が隣同士だとそういう事ができるのか。

「それが効率的か。お金は後で渡すよ」
「え? いいよ、それくらい」
「そうはいかない。こういうのはちゃんと清算しないと」
「んぅー、そう? じゃあ、材料費だけ割り勘で!」
「いや、手間賃も考えたらもう少し……」
「いいていいってー。望月くんには今度、とびきり美味しいお店を紹介してもらうんだし!」
「ちょっとちょっと、あんまりハードルを上げないでよ」
「楽しみにしてるよ?」

 後ろに手を結び、可憐な表情を向けてくる彼女。
 その不意打ちに、僕の心臓がぴょんと跳ねた。

「それじゃ、取って来るね!」

 見送る間も無く、彼女は長い髪を翻して部屋を出ていった。
 静かになった自室で、僕はリビングのソファにどっかりと座り込む。

「疲れた……」

 心労を被ることは承知の上だったが、部屋で美少女と二人きりというシチュエーションは気を張ってしょうがない。
 なるべく意識しないようにしているが、精神的な何かが否応無く削られている気がする。

 明日の仕事に支障が出ないか、一抹の不安を覚えた。
 そうならないよう、彼女が帰って来るまで体力の回復に努めることにした。

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