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第91話 日和とダーツとしゃぶしゃぶと恋人繋ぎ
しおりを挟むダーツは人生初ということで、出来るか若干不安はあったものの、やってみると案外楽しかった。
序盤は矢が明後日の方向に飛んでいく事もしばしばあったが、見かねた店員さんによる懇切丁寧なレクチャーのお陰でコツを掴み、ある程度形になった。
お互いに大差がつく事なく、良い感じに盛り上がった。
途中、僕の放った矢が隣の的にぶっ刺さり、日和の爆笑を誘発してしまったことは誰も知らなくていい事実だ。
点数を増やしたり減らしたり陣を取ったりと、一通りのラインナップを堪能した後、日和の興味は同じフロアにあったビリヤード台に移った。
これまたお互いに初めてのゲームだった。
最初は見よう見まねでやってみたものの、一向に球弾きゲームの域を出ない様子を見かねた店員さんが再びレクチャーをしてくれて以下略。
これも結構、盛り上がった。
途中、僕が勢いよく弾いたボールが隣の台の穴にホールインワンし、日和の拍手と歓声を誘ったのは知られてもいい事実かもしれない。
ビリヤードも予想以上に白熱し、お互いに穴前を攻略し始めたあたりで日和のお腹が鳴った。
『ラストゲームを取ったほうが、今晩の夕食の決定権を獲得する』という悪魔のゲームを思いついた日和に対し、僕は全力で勝負に臨んだ。
お昼の悲劇を再び繰り返すわけにはいかないと、自分史上、類を見ないほどの集中力を発揮した。
お互いにリードを許さない熾烈な争いが繰り広げられたが、なんとか僅差で制することができた。
珍しく悔しさを露わにする日和に、これまた珍しく僕は得意になった。
こうして無事、夕食の決定権を手にした僕は、歌舞伎町にある有名なしゃぶしゃぶのお店をセレクトした。
以前、家でキムチ鍋をつついた時、僕の好物であるしゃぶしゃぶを「味しないじゃん」と評した日和の認識を改めてもらう意図もあった。
あったけど、そんな目論見がどうでもよくなるくらい、しゃぶしゃぶは絶品だった。
二次元だか三次元だかそんな感じの名前のブランド豚をたっぷりのネギと絡めて、カツオベースのそばつゆにつけて食べるしゃぶしゃぶは、間違いなく僕が今まで食べて来た中で一番美味しかった。
日和も同意見らしく、終始目を輝かせながらしゃぶしゃぶに賛辞を送っていた。
「こんな美味しいしゃぶしゃぶ、はじめて!」
すっかりしゃぶしゃぶの虜になった日和に再び僕が得意になっていると、締めの蕎麦が投入された。
「締めで蕎麦って、珍しいねー」
「鍋だとラーメンとかおじやだけど、しゃぶしゃぶだからね」
「だねー。んっ、美味しい!」
「ほう、どれどれ」
締めの蕎麦も、豚の旨味が溶け込んだツユと絡んで非常に美味だった。
気分を良くした僕たちはデザートのプリンまで注文してしまう。
こちらも想像はついていたけど、美味しかった。
しばらく雑談に花を咲かせてから、会計を済ませる。
外に出ると、凍てつくような冷気と歌舞伎町の喧騒が頬を叩いた。
吐息が凍ってしまいそうなほど、今日は一段と冷え込んでいた。
「ひゃー、さぶいさぶい」
マフラーに顔を埋め、身体をちんまりさせる日和。
僕はポケットから、新しいカイロを取り出し差し出した。
「これ、よかったら」
「ふぇ?」
「朝渡したやつ、もう冷たくなってるでしょ」
「う、うん、確かにそうだけど……もう一つ持ってたの?」
「今晩は冷え込むみたいだったから、一応。といっても、駅までの短い間だけど」
言ってる間に、日和の頬がほんのりと赤らんでいく様が見て取れた。
どうして、と思う間も無く、どこか悔しそうな表情を浮かべる日和が、小さく呟く。
「……ずるいよ、ほんと」
「へ?」
素っ頓狂な声を漏らすと、日和はすぐに表情を様変わりさせた。
口元をふわりと柔らかくして、満面に喜色をたたえて口を開く。
「ありがとう、じゃあ、お言葉に甘えるね」
鈴の音を思わせる、優しい声。
蜜を含ませたような、柔らかい笑み。
普段は見せない、慈愛や愛おしさが溢れ出した笑顔を目にして、心臓が大きく跳ね上がる。
「……別に、大したことじゃない」
「ふふっ、そっかそっか」
受け取ったカイロを、日和はまるで大切な宝物を扱うように包み込んだ。
その仕草がさらに、僕の鼓動を速くする。
「ん、あったかい」
今度は子供っぽさが前面に出た、あどけない微笑み。
──どんな表情も、可愛いな。
思わず口に出してしまいそうになるのを、堪える。
改めて、日和が桁違いの美少女だということを認識した。
こんな美少女と一緒に、ラーメン食べて、展望台に行って、ピアノの演奏を聴いて、ダーツしてビリヤードしてしゃぶしゃぶを食べたのか。
今日あった出来事すべては夢幻か何かじゃないかと、疑ってしまいそうになる。
「ねえねえ」
「ん?」
「カイロ、はんぶんこしようよ」
「はんぶんこ?」
「ほら、こうやって」
カイロを携えた白い掌が、僕のそれに絡められる。
指と指を絡ませる、俗にいう──。
「恋人繋ぎだねー」
はにかむ日和が放った一言には恐らく、深い意図はないのだろう。
僕は何も返さなかった。
正確には、返せなかった。
破裂してしまうんじゃないかと心配になるほど高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。
指を絡ませられた上にそんなこと言われたら、否が応でも意識してしまう。
異性的に好きとかそういうのは関係なく、抗えない本能によって。
しばし無言で、人でごった返す歌舞伎町を二人で歩いた。
熱エネルギーを積極的に生成しているのは繋いだ手の部分だけのはずなのに、なぜか胸のあたりがじんわりと熱を帯びていた。
不思議と、気持ちは落ち着いていた。
大通りの信号に差し掛かる。
ビルの大型スクリーンから流れるミュージックビデオの雄叫び。
途切れること無く走りゆく車両が生み出す排気ガスの匂い。
遠目に見える西新宿の高層ビル群。
それらをぼんやり受け取っていた五感が、日和がぴとりと身を寄せてきたことにより覚醒する。
「今日1日、付き合ってくれてありがとうね」
「なんてことない。……楽しかった?」
「もちろん! すっごく楽しかった。本当に治くんには、感謝しかないよ」
「そんな大層なことはしてないよ。それに」
「それに?」
頬をぽりぽりと掻いた後、ちょっぴり気恥ずかしさを胸に抱いて、本心を言葉にする。
「僕も、楽しかった」
日和は驚いたように僕を見上げた後、感極まったように唇を震わせた。
そして僕の腕にいっそう、甘えるように身を寄せてきてた。
「どうしたの」
「んーん、なんでも」
車道側の信号が赤に変わる。
日和の頬の色と同じだった。
「そっか」
短く応えると同時に、信号が青に変わった。
腕を密着させたまま、僕らは駅へと向かった。
寒空の下、急ぐことも無く、ゆっくりと。
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