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第1章

なぜ整理整頓が必要なのか?

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他人には簡単にできそうに見えることでも、本人にとっては精神的なゆとりもなく、とてもやりきれない仕事のように感じるものです。

著者もかつては整理整頓が全くできない人間でした。

子供の頃に学校で受け取った通知表にはいつも先生からのコメントとして「整理整頓をしましょう」と、かわいらしく見えるように工夫されて書かれていたものでした。

それでも直らずに子供のころの著者は学校の机の中はぐちゃぐちゃ、家の部屋も同様に常にぐちゃぐちゃな状態でした。

ある日担任の先生はみんなの目の前で著者の机の中のものを全て床に落とし、それを拾うように言いました。

多分堪忍袋の緒が切れたのでしょうね。
 


そのときの屈辱感は今も忘れることができません。


母にもよく注意されたものです。

ただ母はそこまで残酷なことはしませんでした。

母はあまりにも部屋の状態がひどい時には、著者の代わりに部屋の掃除をしてくれていました。

担任の先生も母も結局は著者に整理整頓のできる子供になって欲しかったのでしょうが、どちらも全く効果はありませんでした。

担任の先生はショック療法で著者を治療しようとしましたが、かえって腹立たしいばかりで効き目はありませんでした。

母は著者にやらせなかったということで、やはり母のやり方も効果はありませんでした。


子供のころ読んだ童話に、風の神と太陽の神がどちらが旅人のコートを脱がすことができるかを競い合う話がありました。

その童話の中ではまず風の神が先攻で旅人に風をびゅうびゅう吹きつけ、コートを脱がそうとしました。

しかし風が吹きつけると旅人はかえってコートをしっかり抑えるので、脱がすことはできませんでした。

ところが次に太陽の神が暖かいポカポカした日差しを降り注ぐと、身体が暑くなってきた旅人は自分でコートを脱いでしまいました。

この話に例えると子供時代の著者の机の中のものを全て床に落と し、それを拾うように命じた先生は風の神で、ぐちゃぐちゃになっている部屋を黙って掃除してくれた母親はさしずめ太陽の神でしょ
 

うね。

しかし童話と違って母親の太陽のような暖かい心も、子供時代の著者のコートを脱がす(整理整頓をさせる)ことはできなかったわけです。


そもそも整理整頓というのははたから見ればぐちゃぐちゃで汚らしくても、当の本人にとってはそれほど気にならないものです。

あなたの職場などにも多分1人や2人は整理整頓が全くできない人がいると思いますが、まわりの人がいくら顔をしかめていても本人は全然気にしていないのではないでしょうか?

ましてや著者の場合はまだ子供でしたからなおさらです。

整理整頓ができるようになったのは大人になって片付けの方法に気づいたからであり、片付けの重要性を理解し、著者の子供たちにもその方法を教える必要性があったからです。

子供は親の背を見て育ちますので、親ができないことを子供に言っても聞くわけがありません。

だからまず自分が整理整頓のできる人になろうと考えたのです。


本書の目的は第一に家の中や学校の机の中の片付け方を学んで、物を見つけやすい状態にすることです。

第二には生活を整理整頓し管理しやすくすることで、気持ちに余裕を持てるようにすることです。

著者の経験では重要書類の整頓方法や家の中を整理してきれいに保つ方法を学んで、それらが容易にできるようにはなった後も、それだけではなぜか毎日精神的には追い詰められていました。
 

つまり自分の周囲の物理的な整理整頓はできても、心の中の整理整頓の仕方は学んでいなかったのです。


当時子供たちは様々な活動に参加しており、四六時中著者は学校関連の行事に呼び出され、同時に家事も仕事もしなければなりませんでした。

その時の状態はまるでかごの中に飼われて、毎日くるくる回る車輪の上を走っているねずみのような状態でした。

常になにかに追われているようで、心の中は全く落ち着くことがありませんでした。

しかしそれからまもなくして、仕事場や家の中ばかりでなく心の整理整頓方法も学ぶことができました。


整理整頓は心身共に健康な生活を保つために必要なことです。しかし我々はロボットではなく人間です。
そして予測不能の事態は誰にでも発生します。

ですから常にきちんと整理整頓しておきたいとは思うけれども、心にゆとりがなくなるほど厳格にはなりたくないものです。

整理整頓はなんのためにするのかを考えてみてください。

整理整頓は仕事や勉強などの段取りを良くするためにするもので、整理整頓はそのための手段のひとつです。

目的は仕事や勉強をすることです。

ですからまるで整理整頓が目的化したように強迫観念にとらわれたら、それは本末転倒です。


神経症の一つに「潔癖症(不潔恐怖症)」と呼ばれる症状があります。

この症状になると部屋に紙屑が一切れ落ちているだけでも気になって、仕事や勉強が手につかなくなると言います。

また外出しても他人が使った食器に入ったレストランの食べ物は食べられなくなります。

整理整頓が強迫観念のようになるとこの潔癖症に近い症状になりますので、整理整頓はあくまでもなにかをするための手段であることは忘れないようにしましょう。

そうすれば自分の身の回りをどこまで整理整頓すれば良いのかが、おのずから分かってきます。
 

いろいろ申し上げましたが、ただ整理整頓が大事なことであることには変わりありません。


整理整頓ができるようになれば自然に自分が整理整頓できる人物であることが自覚できるようになり、毎日の生活の中で上手く生活が回っていっていると実感することもできるでしょう。

周囲の環境が快適になり、家庭内に調和も生まれるようになります。そのためには生活の中に整理整頓術を少し取り入れてみましょう。

簡単な整理整頓術を身に付けることによって、あなたは変わることができます。

あなたは健康な精神状態を保ち、仕事の効率を上げ、生活や自分の身の回りの秩序を保つことができるようになります。

現状ではどれほど整理整頓ができない状態であっても、整理整頓の秘訣を知ることで、整理整頓の基礎を身に付けることができるようになります。


勉強を始める最初の段階では、すぐに精神的に追い詰められない自分を作ることを意識しましょう。

まずは心の整理整頓ができるように、心の中には常に余裕がある状態を作りだすのです。

もちろんこれはその人の性格にもよりますが、決して簡単なことではありません。

その状態に到達するには数ヶ月、あるいは数年、もしかしたら一生かかるかもしれません。
 

しかし自分の家が破産しても、子供たちが全エネルギーを自分から吸い尽くしても、飼い犬が家で四六時中事故を起こしても、一つのプロジェクトを飛ばしてしまったことで仕事が混乱状態になってしまっていても、自分に起こる全てのことは何とかなるものです。

ですから直ぐに追い詰められないことが重要です。

どんなに深刻な問題が起きても、命まで失いかねないような問題はめったに起きるものでは無いのです。

腹を決めてある程度は図太く生きて行きましょう。


自分に起こったことを何とか取り戻すための秘訣は、最初から少しずつステップを踏んで物事を行うということです。

整理整頓も同じことです。

今まで好き放題に散らかしていたものを一度に整理整頓しようとすると、気が遠くなりそうになるのではないでしょうか?

だからこそ整理整頓する際には、著者の父親が良く言っていた古い格言を覚えておく必要があるのです。

「象はどうやって食べるのか?」答えは「一口ずつ」です。
整理整頓をする時もこの格言通り「一つずつ」すれば良いのです。今日できなければ明日も明後日もあります。
だから決して焦る必要は無いのです。

但し、一つだけは頭に入れておいてください。
 

それは「今日できることを明日に延ばさない」ということです。

「明日も明後日もある」というのは、今日はなにもしなくても良いという意味ではありませんので、その点は誤解の無いようにしてください。


それではこうしたことを念頭に本書をお楽しみください。 あくまでも整理整頓術は少しずつ習得することが重要です。
「塵も積もれば山となる」の精神でゆっくりじっくり取り組みましょう。

誰でもできる簡単な方法で、生活も、家庭も、仕事も上手く片付けることができるようになるはずです。
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