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第5章
アニス、奮闘する③
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「アカザさん! ちょっと!」
怒り心頭で工場に乗り込んだアニスは、みなが驚いて注目するのも介せず、野郎づくしの作業員をおしのけアカザに食ってかかった。
「──あ、あなたいったいどういうつもりですか! アオイは……アオイは女の子じゃない!」
「あれ、知らなかった?」
棒つきキャンディをくわえたまま、何食わぬ顔で答えるさまがまた腹が立つ。
「知らなかった? じゃありません! どーいう教育してるんですか! あの子、何も知らないんですよ!」
「いやー、そんなこと言ってもおれ父親じゃねえし──痛ててて!」
ぼりぼりと悠長に頭をかくアカザの耳を引っぱり、アニスは工場の外に出る。
事情を話すと、さすがのアカザも固まった。
「そ、そうか。じゃあ今夜は赤飯でも……」
「アカザさん……」
開口一番、本気か冗談かわからないアカザの態度に、アニスの背後にゆらりと青い炎が沸き上がる。アカザはあわてて謝罪のように片手を上げた。
「い、いや、確かにアオイに関しちゃウチ野郎ばっかだし、気遣いが欠けてた。すまん」
「わたしに謝まるくらいなら、もっとアオイのこと、気にかけてあげて下さい。あの年頃ってデリケートなんですよ」
「まいったな。あんなチビでも、いっちょまえに女だったんだなあ……」
アカザは苦笑しながら、灰色の空を見上げた。
「ここ灰都じゃ、孤児なんてめずらしくねえ。十四年前──おれもまだここに来たばかりで、仔猫の鳴き声がうるせえなと思って見に行ったら、工場の前にアイツが捨てられてたんだよ。放っときゃ、地下のマンホールタウン行きだろ? 生まれたばかりの赤ん坊をみすみす、まつろわぬ民にするのも忍びなくてなあ。しょーがねえから、子育てもしたことのねえ連中で交互に面倒見てよ」
懐かしそうに話すアカザの目はおだやかで、欠けている教育はあれど、ハイイロウサギのみんながアオイを大切に思っていることが、アニスにもわかった。
(元手不要の工場が儲からないのは、きっとみんながこんなふうに、放っておけないひとたちの面倒を引き受けてしまうからかも)
みな、見た目の怖さとは裏腹に情が深い。いったいハイイロウサギとは、どういう集まりなのだろう。
不思議に首を捻るアニスに、アカザが自慢げな目線を投げる。
「でも男手総出で育てたにしちゃ、アオイの野郎、まともに成長したろ?」
「アオイは『野郎』じゃありませんよ。とにかく、ちゃんとケアしてあげて下さいね」
ぴしゃりと釘を刺し工場を出て行くアニスの背を見送りながら、アカザは心中呆れ気味につぶやいた。
「お嬢ちゃんの連れも案外、デリケートなんだがね……」
アニスはアオイの部屋へもどると、痛みをやわらげるカモミールティーやしょうが湯などを処方し、「女の子なら当然のこと」と、時間をかけて言って聞かせた。
学院のませた少女たちに比べると、育った環境が違うとはいえ驚きである。
だが、今朝のアオイの大人びた表情は、やけに印象的でアニスの心に残った。
(好きなひと、かあ……いつかわたしにもできるのかな)
自分に、恋がいつどのように訪れるかなど、天文学的確率のようで想像できない。
(あまい気持ちと苦い気持ちがごちゃ混ぜになって──)
アオイのつぶやきが思い出される。
「そうだ!」
何かを閃いたアニスは、早速工場へもどった。石けんの熟成まで期間はあるものの、こうなるともう、自分でもストップが効かない。
(今のところ、恋より実験みたい)
自分を納得させるように苦笑いすると、アニスは割烹着の紐を結び直した。
熟成が終わり、ようやくアニスの石けんが完成した。お披露目会では、男たちが揃って手を洗ったり顔を洗ったりと、めいめいが使用感を試した。
「これならコミューンのホテルにも納品できるぞ」
「『丘』にだって出せるぜ!」
豊かな香りとなめらかな泡立ちに、部長のヒノキを初め工場の作業員は大絶賛だ。
「あと、バリエーションも増やしてみたんです。試してみて下さい」
アニスが、これまでの無味乾燥なハイト油脂の箱とは違う、しゃれたパッケージをさし出す。試作のオレンジとはまた異なった香りに、みな興味深げにくんくんと鼻を鳴らした。
「これは花……? こっちはあまい匂いがするな」
「あ……これ、チョコだ!」
「はい、チョコレートを混ぜて作りました。もうひとつは、工場裏に群生していたハーブです」
アニスが、ツバキに分けてもらった板チョコとカモミールを見せる。
「すげえなあ。チョコなんてどっから思いついたんだい」
「アオイがヒントをくれたんです」
まさか、「あまい気持ちと苦い気持ちがごちゃ混ぜになった」自分の恋心が香りに使われているとは知らず、当の本人はきょとんと不思議そうに首をかしげる。
これまで黙って商品を試していたアカザは、新しいパッケージのデザインに気づきアオイを見た。
「これ、お前が描いたのか?」
「うん、どうかな」
繊細なタッチで箱に描かれた、カカオやカモミール。
「素敵でしょ? アオイは絵がとっても上手いんです。こんな才能、活かさないなんてもったいないわ。適材適所って言うじゃありませんか」
自分のことのように得意げに話すアニスに、アカザは肩をすくめた。
「──やれやれ、お嬢ちゃんには驚かされるな」
「アカザさま、ぼくが描いた絵、どう? これ売れる?」
「ああ、売れるぞ。お前はいいもん持ってるな」
アカザにぐしゃぐしゃとと頭を強くなでられ、アオイは照れくさそうに笑う。
唐突に、ヒノキがアニスに申し出た。
「あんた、どこかに行く途中だったんだろうが、あの怪我人の連れといい訳ありだろう。いっそここで働いたらどうだ?」
「それいいな」
「ぜひ、そうしてくれよ」
ヒノキの提案に口々に作業員が賛成する中、工場の扉が勢いよく開いた。
「ちょっと待ったァァ!」
またか、という顔でアカザがうんざりとふり返る。
「なーにがここで働いたら、だ。勝手に決めてもらっちゃ困るぜ」
松葉杖をつきつつも、ツバキがどかどかと工場へ入って来る。アニスは驚いて目を開いた。
「リクドウさん、ギプス取れたんですね」
「まあなァ、知らなくて当然だよな。同じ敷地内にいながら、お互い顔を見るのも久しぶりだしな」
アニスへの皮肉に続いて、ツバキは荒んだ表情でアカザへ向き直る。
「初めに言っただろうが。おれらは仕事があるってよ。何おれに無断で、こいつスカウトしてんだよ」
「ほう、アニスはお前の所有物なのか?」
「そーいうこと言ってんじゃねェ!」
本気の怒号に、アニスはおろおろとツバキをなだめた。
「落ち着いて下さい、リクドウさん。わたし、ここにずっといるつもりは……」
「あーそうかい。だいたいあんた、石けんなんて作ってる場合じゃないだろ。何しにコミューンを出たんだよ」
「だから、それはリクドウさんの怪我が治るまでの間……」
「まったく、小せえ男だなあ」
アカザはゆらりと腰を上げると、ツバキの前に立ちはだかった。
平均より背は高いほうのツバキでも、その見上げるほどの高身長にたじろぐ。
「このお嬢ちゃんはな、おとなしく見えて知力も行動力もある。だがお前は、彼女を己に釣りあったレベルに引き止めておきたいんだろう。なにしろ、自分に自信がないんだからな」
「そんなんじゃ……!」
レベルどころか身分すら違うかもしれぬ相手に、そんな考えを抱いているはずがない。
ツバキはカッと赤くなり、松葉杖をアカザにふりかぶった。
「おーっと」
からかうようにひょいと避けるアカザ。だがふたりは気づかなかった。
杖が弧を描くその先に、劇薬の陳列棚があることに。
「アカザさま!」
小さな躰のどこにそんな力があったのか、アオイは、自分の倍以上の重量のアカザを突き飛ばし、落ちてきたボトルの劇薬をかぶった。
「アオイ!」
倒れた少女は左頬から首にかけ、ひどい火傷を負っている。アカザはみるみる青ざめ、ツバキの胸ぐらをつかみ、殴りかかろうとした。
「──貴様!」
「やめて! そんなことやってるひまがあったら、救急車を呼んで下さい!」
アカザを叱咤し、アニスはアオイの患部を流水につけ応急処置を始める。
「知ってますよね、水酸化ナトリウムの化学熱傷は普通の火傷より破損力が強いんです。ここでは治療できません」
「……ああ。アオイ、待ってろよ。すぐ医療院に連れてってやる」
やがて緊急車両のサイレンが鳴り響き、アカザが同乗すると、救急車は街の中へ消えて行った。
(──手術になるだろうな)
(あれじゃ、痕が残るんじゃ……)
騒然とする作業員たちをヒノキが制する。
「とりあえず、こぼれた薬を片づけろ。ほかのみんなは持ち場へもどるんだ」
ぺたんと床に腰をつき放心状態のツバキを起こし、カシが黙って肩を貸す。病室へもどる二人に、アニスも松葉杖を持って急いでついて行った。
「おれのせいだ……」
悄然とうつむいたままのツバキに、アニスはかける言葉が見つからなかった。様子を伺いに来たカシも、いつものように黙ったまま横に控えている。
「アニス博士を警護すると言っておきながら、着いた先はスクラップだ。あまつさえ、何も悪くねェチビまで傷つけてよ……」
「あれは条件が整ったがゆえに起きたことだ。お前だけのせいではない」
寡黙なカシが唐突に発した言葉に、驚いてふたりは顔を上げた。
「アカザさまも本当はわかっている。後はアオイが退院して償えばいい」
挑発したアカザにも責任はある。だから誰もツバキを責めなかった。
元凶を突きつめるより、起きてしまったことへの対処を優先するのが、誰ともなく無意識に掲げているこの工場のスローガンなのだ。
(あのときと同じ。わたしが変更を伝え忘れたときと──)
広がる安堵をかみしめるアニスに、カシが改めて向き直った。
「そもそも、部長がお前をスカウトしたのには理由がある」
「理由、ですか?」
「実はハイト油脂は今、乗っ取りの危機にある。買収されれば、クビになり路頭に迷う者も出て来るだろう。これを奪回するには、新商品の開発達成が必要なのだ」
「──香りとか小手先の変化じゃない、新しい石けんが必要なんですね」
アニスが深刻な顔でうなずいた。
「そうだ。だがこれは強制ではない。お前は十分ウチに貢献した。協力するもしないも、またここを出て行くのもお前たちの自由だ。検討してくれ」
端的に言うと、カシはふり返りもせずのしのしと病室を出て行った。
しばし無言の後、ふたりはお互い顔を見あわせる。
「あの……」「あのよ」
第一声がハモってしまい、ツバキはぼそりとつぶやいた。
「……やりてェんだろ? 新商品」
「……わからないんです」
アニスは困惑した顔でツバキを見た。
「開発はやってみたいです。でも、工場を救える商品なんて……」
「やれよ。ここで逃げちゃ、おれも後味悪いしよ。脚もそろそろ治って来てるし、おれにできることなら協力するからよ」
「リクドウさん……」
初めて頼るような目ですがられ、ツバキの手が思わずアニスの肩にのびる。
「──あ、明日にでもチビの見舞い、行くか」
「ほう。脚を折っても手は早いのな」
──ガタタッ!
入り口のドアによりかかる、キャンディをくわえた長身が視界に入り、ツバキはベッドから落ちそうになった。
体勢を崩したツバキには気づかず、アニスがアカザに走りよる。
「アカザさん、アオイの容態は?」
「ああ、すぐに退院はできるってよ」
「そう、よかった」
アニスがほっと胸をなで下ろし、ツバキも肩で息をついた。だがアカザはいつもの意地悪な口調にもどり、ベッドのツバキにずいとキャンディを近づける。
「──アオイはなあ、完治には高額な治療費がかかるんだと。いいか? ツバキ。アオイが火傷を負ったのはおれたちの責任だ。金はおれとお前で折半だ、いいな」
凶悪な顔をして部屋を出て行くアカザを、不審な顔でツバキは見送った。
「──おれ、あいつに名前言ったっけ?」
怒り心頭で工場に乗り込んだアニスは、みなが驚いて注目するのも介せず、野郎づくしの作業員をおしのけアカザに食ってかかった。
「──あ、あなたいったいどういうつもりですか! アオイは……アオイは女の子じゃない!」
「あれ、知らなかった?」
棒つきキャンディをくわえたまま、何食わぬ顔で答えるさまがまた腹が立つ。
「知らなかった? じゃありません! どーいう教育してるんですか! あの子、何も知らないんですよ!」
「いやー、そんなこと言ってもおれ父親じゃねえし──痛ててて!」
ぼりぼりと悠長に頭をかくアカザの耳を引っぱり、アニスは工場の外に出る。
事情を話すと、さすがのアカザも固まった。
「そ、そうか。じゃあ今夜は赤飯でも……」
「アカザさん……」
開口一番、本気か冗談かわからないアカザの態度に、アニスの背後にゆらりと青い炎が沸き上がる。アカザはあわてて謝罪のように片手を上げた。
「い、いや、確かにアオイに関しちゃウチ野郎ばっかだし、気遣いが欠けてた。すまん」
「わたしに謝まるくらいなら、もっとアオイのこと、気にかけてあげて下さい。あの年頃ってデリケートなんですよ」
「まいったな。あんなチビでも、いっちょまえに女だったんだなあ……」
アカザは苦笑しながら、灰色の空を見上げた。
「ここ灰都じゃ、孤児なんてめずらしくねえ。十四年前──おれもまだここに来たばかりで、仔猫の鳴き声がうるせえなと思って見に行ったら、工場の前にアイツが捨てられてたんだよ。放っときゃ、地下のマンホールタウン行きだろ? 生まれたばかりの赤ん坊をみすみす、まつろわぬ民にするのも忍びなくてなあ。しょーがねえから、子育てもしたことのねえ連中で交互に面倒見てよ」
懐かしそうに話すアカザの目はおだやかで、欠けている教育はあれど、ハイイロウサギのみんながアオイを大切に思っていることが、アニスにもわかった。
(元手不要の工場が儲からないのは、きっとみんながこんなふうに、放っておけないひとたちの面倒を引き受けてしまうからかも)
みな、見た目の怖さとは裏腹に情が深い。いったいハイイロウサギとは、どういう集まりなのだろう。
不思議に首を捻るアニスに、アカザが自慢げな目線を投げる。
「でも男手総出で育てたにしちゃ、アオイの野郎、まともに成長したろ?」
「アオイは『野郎』じゃありませんよ。とにかく、ちゃんとケアしてあげて下さいね」
ぴしゃりと釘を刺し工場を出て行くアニスの背を見送りながら、アカザは心中呆れ気味につぶやいた。
「お嬢ちゃんの連れも案外、デリケートなんだがね……」
アニスはアオイの部屋へもどると、痛みをやわらげるカモミールティーやしょうが湯などを処方し、「女の子なら当然のこと」と、時間をかけて言って聞かせた。
学院のませた少女たちに比べると、育った環境が違うとはいえ驚きである。
だが、今朝のアオイの大人びた表情は、やけに印象的でアニスの心に残った。
(好きなひと、かあ……いつかわたしにもできるのかな)
自分に、恋がいつどのように訪れるかなど、天文学的確率のようで想像できない。
(あまい気持ちと苦い気持ちがごちゃ混ぜになって──)
アオイのつぶやきが思い出される。
「そうだ!」
何かを閃いたアニスは、早速工場へもどった。石けんの熟成まで期間はあるものの、こうなるともう、自分でもストップが効かない。
(今のところ、恋より実験みたい)
自分を納得させるように苦笑いすると、アニスは割烹着の紐を結び直した。
熟成が終わり、ようやくアニスの石けんが完成した。お披露目会では、男たちが揃って手を洗ったり顔を洗ったりと、めいめいが使用感を試した。
「これならコミューンのホテルにも納品できるぞ」
「『丘』にだって出せるぜ!」
豊かな香りとなめらかな泡立ちに、部長のヒノキを初め工場の作業員は大絶賛だ。
「あと、バリエーションも増やしてみたんです。試してみて下さい」
アニスが、これまでの無味乾燥なハイト油脂の箱とは違う、しゃれたパッケージをさし出す。試作のオレンジとはまた異なった香りに、みな興味深げにくんくんと鼻を鳴らした。
「これは花……? こっちはあまい匂いがするな」
「あ……これ、チョコだ!」
「はい、チョコレートを混ぜて作りました。もうひとつは、工場裏に群生していたハーブです」
アニスが、ツバキに分けてもらった板チョコとカモミールを見せる。
「すげえなあ。チョコなんてどっから思いついたんだい」
「アオイがヒントをくれたんです」
まさか、「あまい気持ちと苦い気持ちがごちゃ混ぜになった」自分の恋心が香りに使われているとは知らず、当の本人はきょとんと不思議そうに首をかしげる。
これまで黙って商品を試していたアカザは、新しいパッケージのデザインに気づきアオイを見た。
「これ、お前が描いたのか?」
「うん、どうかな」
繊細なタッチで箱に描かれた、カカオやカモミール。
「素敵でしょ? アオイは絵がとっても上手いんです。こんな才能、活かさないなんてもったいないわ。適材適所って言うじゃありませんか」
自分のことのように得意げに話すアニスに、アカザは肩をすくめた。
「──やれやれ、お嬢ちゃんには驚かされるな」
「アカザさま、ぼくが描いた絵、どう? これ売れる?」
「ああ、売れるぞ。お前はいいもん持ってるな」
アカザにぐしゃぐしゃとと頭を強くなでられ、アオイは照れくさそうに笑う。
唐突に、ヒノキがアニスに申し出た。
「あんた、どこかに行く途中だったんだろうが、あの怪我人の連れといい訳ありだろう。いっそここで働いたらどうだ?」
「それいいな」
「ぜひ、そうしてくれよ」
ヒノキの提案に口々に作業員が賛成する中、工場の扉が勢いよく開いた。
「ちょっと待ったァァ!」
またか、という顔でアカザがうんざりとふり返る。
「なーにがここで働いたら、だ。勝手に決めてもらっちゃ困るぜ」
松葉杖をつきつつも、ツバキがどかどかと工場へ入って来る。アニスは驚いて目を開いた。
「リクドウさん、ギプス取れたんですね」
「まあなァ、知らなくて当然だよな。同じ敷地内にいながら、お互い顔を見るのも久しぶりだしな」
アニスへの皮肉に続いて、ツバキは荒んだ表情でアカザへ向き直る。
「初めに言っただろうが。おれらは仕事があるってよ。何おれに無断で、こいつスカウトしてんだよ」
「ほう、アニスはお前の所有物なのか?」
「そーいうこと言ってんじゃねェ!」
本気の怒号に、アニスはおろおろとツバキをなだめた。
「落ち着いて下さい、リクドウさん。わたし、ここにずっといるつもりは……」
「あーそうかい。だいたいあんた、石けんなんて作ってる場合じゃないだろ。何しにコミューンを出たんだよ」
「だから、それはリクドウさんの怪我が治るまでの間……」
「まったく、小せえ男だなあ」
アカザはゆらりと腰を上げると、ツバキの前に立ちはだかった。
平均より背は高いほうのツバキでも、その見上げるほどの高身長にたじろぐ。
「このお嬢ちゃんはな、おとなしく見えて知力も行動力もある。だがお前は、彼女を己に釣りあったレベルに引き止めておきたいんだろう。なにしろ、自分に自信がないんだからな」
「そんなんじゃ……!」
レベルどころか身分すら違うかもしれぬ相手に、そんな考えを抱いているはずがない。
ツバキはカッと赤くなり、松葉杖をアカザにふりかぶった。
「おーっと」
からかうようにひょいと避けるアカザ。だがふたりは気づかなかった。
杖が弧を描くその先に、劇薬の陳列棚があることに。
「アカザさま!」
小さな躰のどこにそんな力があったのか、アオイは、自分の倍以上の重量のアカザを突き飛ばし、落ちてきたボトルの劇薬をかぶった。
「アオイ!」
倒れた少女は左頬から首にかけ、ひどい火傷を負っている。アカザはみるみる青ざめ、ツバキの胸ぐらをつかみ、殴りかかろうとした。
「──貴様!」
「やめて! そんなことやってるひまがあったら、救急車を呼んで下さい!」
アカザを叱咤し、アニスはアオイの患部を流水につけ応急処置を始める。
「知ってますよね、水酸化ナトリウムの化学熱傷は普通の火傷より破損力が強いんです。ここでは治療できません」
「……ああ。アオイ、待ってろよ。すぐ医療院に連れてってやる」
やがて緊急車両のサイレンが鳴り響き、アカザが同乗すると、救急車は街の中へ消えて行った。
(──手術になるだろうな)
(あれじゃ、痕が残るんじゃ……)
騒然とする作業員たちをヒノキが制する。
「とりあえず、こぼれた薬を片づけろ。ほかのみんなは持ち場へもどるんだ」
ぺたんと床に腰をつき放心状態のツバキを起こし、カシが黙って肩を貸す。病室へもどる二人に、アニスも松葉杖を持って急いでついて行った。
「おれのせいだ……」
悄然とうつむいたままのツバキに、アニスはかける言葉が見つからなかった。様子を伺いに来たカシも、いつものように黙ったまま横に控えている。
「アニス博士を警護すると言っておきながら、着いた先はスクラップだ。あまつさえ、何も悪くねェチビまで傷つけてよ……」
「あれは条件が整ったがゆえに起きたことだ。お前だけのせいではない」
寡黙なカシが唐突に発した言葉に、驚いてふたりは顔を上げた。
「アカザさまも本当はわかっている。後はアオイが退院して償えばいい」
挑発したアカザにも責任はある。だから誰もツバキを責めなかった。
元凶を突きつめるより、起きてしまったことへの対処を優先するのが、誰ともなく無意識に掲げているこの工場のスローガンなのだ。
(あのときと同じ。わたしが変更を伝え忘れたときと──)
広がる安堵をかみしめるアニスに、カシが改めて向き直った。
「そもそも、部長がお前をスカウトしたのには理由がある」
「理由、ですか?」
「実はハイト油脂は今、乗っ取りの危機にある。買収されれば、クビになり路頭に迷う者も出て来るだろう。これを奪回するには、新商品の開発達成が必要なのだ」
「──香りとか小手先の変化じゃない、新しい石けんが必要なんですね」
アニスが深刻な顔でうなずいた。
「そうだ。だがこれは強制ではない。お前は十分ウチに貢献した。協力するもしないも、またここを出て行くのもお前たちの自由だ。検討してくれ」
端的に言うと、カシはふり返りもせずのしのしと病室を出て行った。
しばし無言の後、ふたりはお互い顔を見あわせる。
「あの……」「あのよ」
第一声がハモってしまい、ツバキはぼそりとつぶやいた。
「……やりてェんだろ? 新商品」
「……わからないんです」
アニスは困惑した顔でツバキを見た。
「開発はやってみたいです。でも、工場を救える商品なんて……」
「やれよ。ここで逃げちゃ、おれも後味悪いしよ。脚もそろそろ治って来てるし、おれにできることなら協力するからよ」
「リクドウさん……」
初めて頼るような目ですがられ、ツバキの手が思わずアニスの肩にのびる。
「──あ、明日にでもチビの見舞い、行くか」
「ほう。脚を折っても手は早いのな」
──ガタタッ!
入り口のドアによりかかる、キャンディをくわえた長身が視界に入り、ツバキはベッドから落ちそうになった。
体勢を崩したツバキには気づかず、アニスがアカザに走りよる。
「アカザさん、アオイの容態は?」
「ああ、すぐに退院はできるってよ」
「そう、よかった」
アニスがほっと胸をなで下ろし、ツバキも肩で息をついた。だがアカザはいつもの意地悪な口調にもどり、ベッドのツバキにずいとキャンディを近づける。
「──アオイはなあ、完治には高額な治療費がかかるんだと。いいか? ツバキ。アオイが火傷を負ったのはおれたちの責任だ。金はおれとお前で折半だ、いいな」
凶悪な顔をして部屋を出て行くアカザを、不審な顔でツバキは見送った。
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