上 下
23 / 30
第8章

アニス、地下街へ行く②

しおりを挟む
 叛乱の起きた城へ単身で向かい、「わたしが王女かもしれません」と自己申告するなど、正気の沙汰ではない。
(朝一番に出たとしたらもうコミューンへ到着する時間だ。間にあってくれ)
 ツバキはアクセルを全開にし、フルフェイスのヘルメットの中で少女の無事を祈った。
 
 ところが当のアニスはというと、未だスクラップを出ていなかった。
 アニスに交通費の持ちあわせがあるはずもなく、スクラップへ来たときと同様、灰を積んだトラックの荷台にこっそり忍び込んで来たのだ。
「あれ。ここ、どこ……?」
 荷台から降り立ったアニスは、灰混じりの風にくしゃみをした。ゴーグルは持って来たが、マスクの準備を忘れていた。
 
 きょろきょろとこうべを巡らせば、見わたす限りの灰の山。砂漠と違うのは、砂丘が海に面していることくらいだ。
 アニスが乗って来たトラックは、灰の埋立地行きだったのだ。ぽつぽつと遠くにガソリンスタンドや社屋は見えるものの、現在地はさっぱりわからない。
(考えてみれば、降灰収集のトラックが『丘』へ行くわけがないんだ)
 どんなに学力が高くても、肝心な部分の思考が抜けている自分の浅はかさに情けなくなる。それを笑う声も説教をする者も、今はいない。
 十六年の間で、まったくのひとりになったのは初めてだった。
 
 ずっと護られて生きてきた。寄宿舎ではシスターたちに、学院を出てからはツバキに。
 護られるのは悪いことではない。ただ、となりに誰もいない心細さにドキドキするだけだ。博士号など、ここではなんの役にも立たない。
 背のびをしてもう一度見わたせば、遠くに線路が見える。
(迷子になったら、その街の駅を目指すこと)
 それは、ツバキとの約束事。
(あれを伝って行こう)
 不安を払拭するように頭をふると、ざくざくとした灰の小山をアニスは歩き出した。

「あっ、また……」
 立ち止まっては、スニーカーを脱ぎひっくり返す。すぐに灰が入ってくるのだ。ブーツや軍靴でないので進むたび靴が埋まり、とかく砂地は歩きにくい。
 朝から飲まず食わずでかれこれ二時間以上は歩いているので、そろそろ息も荒くなってくる。
「人間の平均時速はおよそ五キロだから、十キロは歩いたかも……」
 計算で気を紛らわせようとするが、きついものはきつい。
 
 ようやく線路の道床に入るも、方向がまったく定まらなかった。磁石を持って来るべきだったと思いつつ、風向きで決める。風上が『丘』方面だろう。
 海沿いの線路はレールも錆び、枕木もほぼ朽ち果てていた。いったいどこへ向かう路線なのか。標べのないルートを行くのは、数式であっても実際の歩みであっても、アニスにとって意味を成さない行為であった。
(でも、わたしが王女だって証明されれば、リクドウさんの役に立つかもしれないんだ)
 その思いだけが、アニスを先に進ませる。
 
 ツバキにほめてほしい、喜んでほしい、笑ってほしい。
 アニスは、彼が心から楽しそうに笑った顔を見たことがない。
 いつもつまらなそうに、それか照れたように、下を向いて控えめに笑う。
 それは粗野で言動も荒いツバキのイメージとはかけ離れていて、思い出すとアニスは少し切なくなる。
 
 そんな彼の笑顔を拠りどころに歩いていたが、唐突に線路は終わりを迎えた。
 小さな駅舎の先に、列車が走る道はなかった。ただでさえ経営の苦しいスクラップでは、第三セクター鉄道の事業を廃止せざるを得なかったのだろう。線路は地底に続くかのように、その先が灰に埋もれている。
 これでは、どこにも辿り着けない。
「そんな……」
 
 自分の望みも断たれた気がして、アニスはやりきれなかった。途方に暮れて、海岸線から海を見下ろす。
 海面へと続く長い階段を、ひとりの男が降りて行くのが見えた。だが今は満ち潮、眼下の砂浜には下りられないはずだ。
 不思議に思い、自分も階段を伝って行くと、なんと壁に横穴が空いていた。
「こんなところに通路があったなんて……」
 横穴からはちょろちょろと水が滴っており、初めは地下水路カレーズかと思ったが、どうも下水道のようだ。ここを辿って行けばグレーターへ着くのではという期待は萎えたものの、何があるのかどうしても奥が気になる。

「こんなことをしてる場合じゃないけど……でもあのひとに『丘』への行き方を聞けばいいわ」
 アニスは自分に言い聞かせ、男の後をこっそりついて行った。
 横穴のトンネルは天井が低く、アニスの身長でぎりぎり通れる高さである。男はかがんだ姿勢で、そろそろと注意深く歩いてゆく。
(どこまで行くんだろう)
 いくつか角を曲がり、もとの場所にひとりでもどれるだろうかと、アニスは心配になった。ふと顔を上げると、追いかけていた男が見当たらない。こうなった場合を想定しておらず、アニスはどっと不安に襲われた。
 
 トンネルの中は、あちこちに電気の配線が通りまったくの闇ではないが、下方は見えない。足もとをすり抜けるドブネズミに驚いて、アニスはしりもちをついた。
ったあ……」
 突然、ライトで顔を照らされ、まぶしさに思わず目をつぶった。
 気がつくと、気の荒そうな数人の男たちがアニスを囲み、怪訝に見下ろしている。目が慣れてくると、老若男女いろんな層の人間が十数人、遠巻きにアニスを見ているのがわかった。
 
 みな、汚れた顔に古びた服を纏い、武装している者もいる。希望通り奥に入れたとはいえ、どう見ても無事に帰れそうにはない。
 刺客や偽ウサギたちのような殺意や悪意は感じないものの、わかりやすい敵意は感じる。話が通じる連中とも思えず、アニスはカタカタとふるえ出した。
「……お前、どっから来た。西のもんか?」
 浅黒い顔のリーダーらしき男が、配管を肩に掲げながらアニスを睨んだ。
 二十代ほどの大男で、素肌にモッズコートを羽織り、桜柄のネッカチーフを首に巻いている。
「に、西? い、いえ違います。わたし、中がどうなっているのか気になって……」
「下水が気になってわざわざ入った? 何を企んでいる、貴様。そんなやついるか!」
 脅すように配管をこちらに向けられ、アニスがひっと肩を上げたとたん、集団の中から涼やかな声がした。

「いたよ、『そんなやつ』」
 ひとりの少年が、バスタオルをショールのようにかけ、歩み出る。
 色白で華奢で、アオイと同じくらいの男の子だ。威嚇気味のリーダーの声質がくるりと変わった。
「その通りだな、クコ」
 クコと呼ばれた少年はぺたぺたと裸足でアニスに近づくと、自分もちょこんとすわり、アニスの顔をじっと見て笑った。
「──やっぱり、あのときのお姉さん。助けてくれてありがとう」
 
 通路の奥は広がりがあり、ソファやテーブルが置かれたそこは、用途で言えばラウンジだった。テレビや冷蔵庫、今ではお目にかかることのない旧型のラジカセもある。
 彼らは、地下にはり巡らされた下水道、通称マンホールタウンで暮らす、まつろわぬ民と呼ばれる共同体コミュニティだった。
 それは孤児だったり、組織や社会に適合できずドロップアウトした者だったりと、さまざまである。
 アオイも、工場のみんなが面倒を見てくれなかったら、ここに行き着いていたのかもしれない。

「要は、不要とされた者の集まりってことだ」
「違法ってのもわかってるッス。でも働き口も住むところもなくて、しょうがないんスよ」
 前歯の抜けた男が投げやりな口調で、ブリキのコップをアニスにさし出す。ただのお湯で溶いただけのインスタントコーヒーだが、アニスはようやくほっとして口をつけた。
 
 あの砂嵐の日、防具を盗られ行き倒れ寸前だった少年は、自分を助けてくれたアニスの顔を、おぼろげながら憶えていたのだ。
 仲間の恩人をみな歓迎して受け入れてくれ、リーダーも清廉と頭を下げた。
「クコは大切な弟だ。助けてくれて礼を言う」
 親子ほどの年齢差があるうえ、遺伝子の欠片も共有していないような二者に、アニスは笑顔が固まるが、リーダーは申し訳なさそうに続ける。

「さっきはすまん、西のやつと間違えたのだ」
「西?」
「スクラップの地下住民は東と西に分かれててな、抗争が耐えない」
 聞けば、昔は住処が違うだけで、食料も分けあったりしていたという。ここまで関係が悪化したのは、最近のことらしい。
「互いのテリトリーに足を踏み入れれば、どちらもただじゃすまさねえッス」
 歯抜け男が悪い笑みを作るが、アニスはノラ猫の縄ばり争いみたいだな、と胸中思った。

「でも、どうして仲が悪くなったんですか?」
「初めに仕掛けてきたのは、西のやつらッス。ウチのバッテリー壊しやがった。それから度々、食材をめちゃくちゃにしたりとケンカ売ってきやス。こないだなんか飲み水全部、下水に流しやがったんスよ」
「どれもおれらにとっては、なくなりゃ死活問題だ。絶対に許せない」
 怒りの代弁のように、リーダーが配管を床に打ちつける。
 だがアニスは、不思議な顔で周りに尋ねた。

「あの、西のひとが壊すのを、誰か見たんですか?」
 みな顔を見あわせるが、挙手もなく、どこからも声があがらない。アニスはラウンジを見回した。
「わたし、海沿いの入り口から入る人物を見て追って来たんですけど、そのひと、ここには見当たらないんです」
「そいつがきっと西のもんだ」
 リーダーが忌々しげに顔をしかめる。
「それともうひとつ。西のグループっていうのは、物資には恵まれているんですか?」
「そんなわけはない。同じ環境、こっちと似たようなものだ。何が言いたい?」
 アニスの問いの意図がわからず、リーダーはイライラとひざをゆすった。

「いえ、ここ東のグループにとっても大切な物資なら、西にとってもそれ、必要なものですよね。どうしてわざわざ壊して行ったのかなって。食材や飲料水だって、使いものにならなくするくらいなら持って行けばいいのに」
「そりゃ、あいつらのいやがらせで……」
「死活問題ですよ。そんないやがらせする余裕あるでしょうか」
「どういうことだ?」
「つまりですね。それ本当に、西のグループの仕業なのかなって」
 アニスの投げかけた疑問に、共同体コミュニティ全員が考え込んだ。
 
 沈黙する集団の中、リーダーが配管をかかえ、やおら立ち上がる。
「よし、わかった。西エリアへ行こう」
 アニスは、話しあいを促したつもりだった──のだが、
「ちょ、ちょっと待って下さい! 西のグループがやったとはまだ……」
「だからその男のことを訊きに行くんだ」
 リーダーを初め、男たちは続々と武器を装備している。
「訊きに行く格好じゃないじゃないですか!」
 
 アニスの話を訊き、考えるのがまどろっこしくなったのだろう。完全武装で身を固め、抗争する気満々だ。
 しかし、こちらには子どもや老人もいる。最前線の男性陣に何かあったら、クコだって今度こそ無事ではいられない。
 そもそも、『丘』を目ざしていたにもかかわらず、自分が興味本位で下水道に足を突っ込んだせいでこんな展開になった──ような気がする。
 少なからず責任を感じたアニスは、半ばやけくそ気味に声をあげた。

「わかりました、わたしが訊きに行きます!」
「あんたが? 無理に決まっている。こちらにもどるどころか、二度と地上に出られないぞ」
 リーダーがアニスを鼻で笑う。だがそんなふたりの間に、クコがするりとすべり込んだ。
「じゃあ、ぼくがいっしょに行く。西エリアに案内するよ」
「な……だめだだめだ、クコ! お前にそんなことはさせられん! また、こないだみたいに何かあったらどうするんだ!」
 顔色を変えて反対する兄を、クコはきらきらとした上目遣いで見上げた。
「兄さん、お願い。ぼくもみんなの役に立ちたいんだ」
「ぐぬ……では『土雲』を連れて行け」
 
(……どうして、こうなったんだろう。いや、わたしが言ったんだけど)
 曇った鏡に映る灰色の自分の姿を見て、アニスは深くため息をついた。
 地下住民になりきるにはと変装を強いられたのだ。
 顔は薄墨で塗られ、髪や服もあえて灰でまぶされ、まるで薄汚れた捨て猫のようである。シスターたちが見たら、卒倒しそうな装いだ。
 
 リーダーはアニスに、小型の機器をわたした。電波の届かない地下ではGPSではなく、このビーコンが活躍する。
 さらにリーダーは、出発までクコにくどくどと言い聞かせていた。
「いいな、クコ。お前が行くのは、西エリアの入り口までだ。その先は、危険だからアニスに任せるんだぞ」
(えぇ……)
 弟がかわいいのはわかるが、こちらも少しは心配してほしい。あからさまな差別に意欲の萎えたアニスであったが、自分から言い出した手前、やめるわけにもいかない。

「じゃあ、しっかりぼくについて来てね」
 クコに促され、配線の通っていないまっ暗なトンネルを進み出した。
「灯りのない通路を行けるのは、地下住民だけなんだ」
 クコはなんの躊躇もなく何度も角を曲がり、鉄梯子を上ったり下ったりと、道筋を完全に把握している足取りである。
 だがアニスから見れば、マンホールタウンは迷路だった。いったん迷子になったら、リーダーの言う通り二度と出られないだろう。クコがついて来てくれてよかったと、アニスは思った。

「でも、お兄さんには心配かけちゃうわね」
「最近ますます煩わしいんだ。かわいくお願いすれば、だいたい言うこと聞いてくれるけどね」
 なかなかしたたかである。
「でもほんとのこと言うとね、ほんとの兄弟じゃないんだ。びっくりした?」
 言いづらそうに告白するクコに、アニスは真顔で答えた。
「ううん、それほどは」
 
 クコは先代のリーダーの息子で、親は警察軍と抗争の際亡くなったという。そのため現リーダーが面倒を見ているそうだが、彼が過剰にクコにかまうことを除けば、アオイとアカザの関係性に似ているとアニスは思った。
 ハイト油脂にしても東の共同体コミュニティにしても、そこで暮らす者たちには絆がある。
(うらやましいな。もしもわたしが王さまの娘だったとしても、もう家族はいないんだもの)
 しかし今は、そんな泣き言を言っているひまはない。
 先を行くクコがぴたりと止まったかと思うと、アニスをそっとふり返った。
 下方を見ると、少ホールほどの広がりに、固まる物々しい集団がある。東エリアだ。
 
 アニスは、忍び入るチャンスをじっと待った。外から来たふりをして、東のグループに入れてもらおうという作戦だ。高みから様子を窺い見る。だが彼らは話あいの最中のようで、なかなか散らなかった。
『……が、また壊された』
『飲み水も下水に……』
『東のやつらが……』
 既視感のある会話に、アニスは首を捻った。
「ねえ、これって、西も同じ──」
 そうクコにささやいた瞬間、アニスの持っていたビーコンが、少ホール目がけて落ちていった。
「しまっ……!」
 
 コーンコーン……
 集団の目が、いっせいに上方へ向けられる。
「ひ……東のやつらだあ!」

 あっという間にアニスとクコは捕まり、少ホールの中央にまとめて縛られた。東のグループに負けず劣らず物騒な連中が、険悪な目で睨んでいる。
「あ、あの、違うんです。わたしたち、外から来て……」
「嘘をつけエ! お前らが配線の通っていないルートから来たのが、何よりの証拠じゃ! 外の人間は灯りなしでは地下を歩けんからな!」
 西のリーダーは着流しに日本刀を携え、今にも抜刀しそうな勢いだ。縄目の痛さにクコはもぞもぞと首を傾け、うるんだまなざしでリーダーを見上げた。

「これ、解いてほしいな」
「何、馬鹿なこと言っとるんじゃ」
「……だめだアニス、このひとお願いが効かない」
「当たり前でしょ!」
 場違いな応酬に一触即発の西の集団の中、部下がリーダーに耳打ちする。
「頭目、今まで物資をめちゃくちゃにしたのはこいつらじゃ……」
「違うよ! ぼくたち犯人を見つけに、東から来たんだ!」
「さっきと言うとること違うやろ!」
 
 クコの発言にもう作戦が破綻したと感じたアニスは、すばやく西のグループを見わたした。やはり、海沿いの入り口で見た男は見当たらない。
(やっぱりこれは……)
 そうこう考えている間に、ふたりはずるずると奥へ引きずられてゆく。
「頭目、こいつらどうしましょう」
「死ぬまでここでこき使え」
「そ、そんな! わたし『丘』へ行かなきゃならないんです!」
 
 そのとき、ざわざわと壁を這う不穏なざわめきが聞こえたかと思うと、小ホールのほうから悲鳴があがった。
「ぎゃああぁ! 何だこいつら!」「助けてくれ!」
 なんと西の集団を、ドブネズミほどもある『蜘蛛』が襲っている。見たこともないグロテスクな物体に、アニスは驚愕して固まった。
「な、何あれ……!」
「土雲だ! ぼくたちの護衛について来た蜘蛛型のドローンだよ!」
 
 ガシャガシャと人体を襲う小型の機械に、西のグループはパニックに陥った。リーダーも半狂乱になって刀を抜刀する。
「止めさせろ! 止めないとお前らを斬るぞ!」
 だがふり上げられた日本刀は、鈍い音とともに配管で遮られた。
「き~さ~ま~! 弟に刃を向けたな~!」
 東のリーダーが、鬼のような形相で立っている。後からやって来た歯抜け男が、ふたりの縄を解いてくれた。
 しかし場はすでに、両グループ入り乱れての大乱闘だ。

「ちょっと、みなさん止め……」
 誰も、アニスの言うことなど聞く耳を持たない。
「──クコ、灯りの配線を切って!」
「いいけど、どうして?」
「暗くなればわかるわ!」
 ぶつん、と地下は闇に覆われ、驚いた集団の戦いの手がはっと停まった。
 そのほんの一瞬を突いて、アニスが叫ぶ。
「──物資を壊したのは東西どちらでもないわ! ここから逃げようとする者が犯人です!」
 
 アニスの指南に、東のリーダーはドローンの指揮を変えた。すぐに、土雲に追われ、暗闇であわてふためき縺れる足音がした。
 西のリーダーの言う通り、外の人間は灯りなしでは地下を歩けない。
 ぼちゃんと下水に落ちた人物を捕えたとき、ふたつのグループはすべてを理解した。
 この騒ぎを、ずっと嗤って見ていた別の者がいたことに。
しおりを挟む

処理中です...