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第9章
アニス、再び王都へ③
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離れの牢塔への螺旋階段を駆け上っていたツバキとハッカは、足もとに伝わる振動に、アニスたちがタスクを完遂したことを知った。
はるか下方の廊下から、初めてのドームの作動に騒然とする声が聞こえる。風上であるゆえ、降灰はまださほど実感できない。だがふたりは笑みを交わし、自分たちも先を急いだ。
牢塔とはいえ実際使われていたのは数百年前までで、現在は古い建材が山積みになっているただの物置だ。塔のてっぺんも今は向かいの本城にワイヤーロープがわたされ、祝い事のガーランドなどを吊るす用途に使われている。
だが、急にハッカの足が止まる。
「……なあ、おかしくないか? いや、衛兵の数だよ。ここまで登って誰もいないなんてさ」
確かに、大事な人質を幽閉しているというのに見はりがゆる過ぎる。
「ああ、とにかく行ってみよう」
不審に思いながらも最上階の牢まで登ると、扉は開いており、中には毛布をかぶった人物がひとり倒れていた。ツバキは急いで駆けよる。
「おい、大丈──」「ツバキ!」
ハッカのひと声が遅かったら、身に届き致命傷となっていただろう。ふり向きざま抜かれたハオウジュ将軍の剣は、ツバキの軍服の胸をばっさりと切り裂いた。
「!」
「窃盗、誘拐、殺人と悪行三昧の貴様ごときチンピラに、わたしが直々手を下すのも馬鹿らしいと思っていたが、どうしてどうして。やってくれるじゃないか」
ゆっくりと起き上がると、開き始めたドームの口から灰色の空をちらりと見上げ、ハオウジュ将軍は口許をゆるめた。
「おもしろいことをやりおる。王亡き後、ドームを操作できる者はいなかったはずだが」
こんな状況で何が愉快なのか、喜悦をあらわにする上官を、ツバキとハッカは警戒しながら後退る。
「わたしの国で勝手をしてもらっては困るが、手応えのある玩具は歓迎だ。革命軍の噂があったが、やはりお前たちのことだったか」
「何がわたしの国、だ。革命を起こしてるのはそっちだろうが」
妙なことを言うと思ったが、まずは捕虜の安否の確認が先だ。
「王族の方たちはどうした」
「知る必要もなかろう。どうせすぐ、やつらもお前と同じ場所へ逝くのだからな!」
ハオウジュ将軍が先行して斬りかかる。
「ハッカ! ウツギ議員たちを頼む!」
ツバキはハッカを階段へ追いやると、王剣を手に応戦した。相棒の切迫した声が下方からこだまする。
「ツバキ、死ぬなよぉ!」
「フラグやめて!」
狭い牢塔にふたつの刃がひるがえり、金属音が高く響いた。剣と剣がかみあうたび、火花が散る。
先の模範試合でツバキが一本取ったとはいえ、あれは単なるアクシデント(髪)のおかげだ。アカザや父リクドウ卿より大柄なハオウジュは、当然パワーもツバキを上回る。
(ハオウジュ将軍の剣、なんて重いんだ)
ツバキの剣の軌跡は容易く弾かれ、幾度攻撃をくり返してもハオウジュを捉えることができない。リクドウ卿のときのように動きを読まれているのではない、単純に歯が立たないのだ。
相手のその獰猛な剣戟に、ツバキはハオウジュが伊達に将軍の称号を冠しているわけではないことを思い知った。
弧を描くように足を運び慎重に相手を探るが、こちらから仕掛けようにも、一見荒い剣さばきには隙が見えず陽動も通じない。ツバキはなんとか弱点をつかもうと、敵の利き手を確認した。
(右利き、ということは──)
左から攻勢をかける。しかしハオウジュは早業で持ち手を入れ替えると、ツバキの剣を正確に受けた。
「馬鹿め、わたしは両利きだ」
みなぎった力を誇示するようなかまえで嘲笑する。
カッとなったツバキは、その反り返った体勢を速攻で圧倒しようとした。だが逆に突きや薙ぎで間合いをつめられ、回避するしかない。ツバキがいた場所に、激しい斬撃がふりかぶる。
「逃げ足だけは一人前だな」
まともに受ければ、もう加重は跳ね返せない。鋼と鋼がからんではぶつかり、耳障りな音を立てた。
(考えろ、考えるんだ。アニス博士みたいに)
防御に徹しながら、ツバキは瞬時にまわりに視線を走らせた。はっと何かに弾かれ急駛する。
「この狭い牢の中、どこへ逃げる? どうせここがお前の死に場になる」
追いつめたハオウジュが力を溜めるように剣を引いた瞬間、ツバキはすばやく反転して床に転がった。叩きつけるようにふり下ろされた剣は、置き去りの木材に深々と突き刺さる。ハオウジュが剣を抜くのと、ツバキが斬り込んで行くのと同時だった。
だがリーチの差かツバキの剣は届かず、今度は打撃を食らいふっ飛ばされ、したたかに壁に打ちつけられた。
ハオウジュに、ふり返った反動で柄で思い切り殴られたらしい。のどから金臭い唾が込み上げてくる。
「小物感まる出しな浅はかな策だったな。この国に神はおらんが、最期に祈る時間くらいは与えてやろう」
ハオウジュが憐れみと嘲りが混じった笑みでツバキを見下ろし、剣を向ける。肺がひりつくように痛んだが、ツバキは柄をにぎりよろよろと立ち上がった。
「知らねェの? 神はいるんだぜ──緋ノ神がな!」
ツバキが天を指したとたん、ドン! と破裂音が響き、牢塔の窓が明るく照らされた。
「なっ……?」
弾けた花火は、まっ白な城に灰を降らせてゆく。
普段はドームに覆われ、降灰に見舞われないため、みなゴーグルもマスクも常備していない。城の外にいた者たちは城内におしかけ、たちまち城はパニックに陥った。
完璧な要塞であるはずの桜城が、こうも簡単に陥落するとは。
ハオウジュは、目尻をぴくぴくとふるわせツバキを睨んだ。
「リクドウ……何をした」
「なーに、スクラップで灰入り三尺玉を注文しただけさ。ドームの解放を合図に、打ち上げてもらう約束でね」
アニスが、ハイト油脂の工場に頼んだ『お願い』である。ハオウジュが、ぎりりと歯軋りをする。
「貴様、灰にしてここから撒いてやる!」
「その前に、灰桜国の指導者にお客さんみたいですよ、将軍」
ツバキが、ちらと窓の外を見下ろした。見覚えのある顔ぶれが、城の敷地で無数のサンドバイクを噴かしている。
「な、なんだ? あのがらの悪い連中は」
偽ウサギのイチイが、窓からのぞくツバキに気づき叫んだ。
「塔の上にいるぞ、撃て!」
その瞬間、ズン……と足に大きなゆれが走り、ツバキたちの躰はぐらりと傾いた。
「なっ……これも貴様の算段か!」
「──あ、あいつら何をしたんだ?」
確かに、イチイたちにわざと王家の紋章の入った万年筆を見せ、城へ誘き出したのは、ここを混乱に陥れるための作戦である。実際下では、サンドバイクと近衛兵が入り乱れての乱闘となっているが、今の襲撃は予定外だった。
「リクドウ、花火をやつらがそこに仕掛けた! 塔が崩れるぞ、早く逃げろ!」
向かいの城のバルコニーから、ハイト油脂の見知った社員が声を投げた。
彼らが用意した花火のひとつを、イチイたちに奪われたらしい。ツバキはさっと踵を返した。
「待て、リクドウ! 生きてはここから出さんぞ!」
「しょ、将軍、まずは互いの身の安全を確保して……」
苦笑いとともにじりじり後退るツバキに、ハオウジュの剣が襲いかかる。だがそのよどみない攻撃をからくも避けた拍子にバランスを崩し、ツバキの剣は空を薙いだ。
その切っ先には、将軍の髪の毛がまたもや引っかかって──
「あっ、やべっ」
思わず髪を掲げるように剣を立てるツバキに、毛のない頭に手をやりハオウジュはわなわなと刃をふるわせる。
「──ええい、忌々しい! 何もかもお前のせいだ!」
ツバキが身をかまえ直す間もなく一筋の光芒が走り、ハオウジュの剣はツバキの軍服の腹部を突いた。
「……っ!」
腹をおさえツバキがよりかかった壁はひび割れ、梁が軋み出す。ハオウジュは鬼の首を獲ったように高笑いした。
「はーっはっは! 好い気味だ!」
突然、牢塔の窓がぶち破られ、ハーネスを装着した軍服が床に着地した。既視感のあるシチュエーションに、ツバキは呆然と男を見上げる。
「レイチョウ! 貴様、今までどこに……!」
ハオウジュに胸ぐらをつかまれ、男はくわえていた棒つきキャンディをプッと吐き出すと、
「あっ、キャラと小物、間違えちまったわ」
と、ハオウジュの腕を捻り、背負い投げをかけた。
「ツバキ、しっかりしろ」
レイチョウに腕をつかまれ、ツバキは戸惑いながらアカザを見た。
彼の軍服の胸には、少佐の位を示す銀の桜の階級章が光っている。
「あ、あんたなんで……いや、アカザがレイチョウ少佐? どーいうことだよ!?」
ツバキは仰天して、多角度からぐるぐるとレイチョウを見回った。
いつもの無造作なヘアスタイルと違い、栗色の髪はきちんと撫でつけてはいるが、紛れもなくアカザ本人である。
はっと、思い出したようにつめよる。
「だから初めから、おれのこと知ってたのか!」
「……お前、元気だな。腹、平気なのか」
ふと我に返れば確かに痛みを感じない。刺された箇所に手をやると何やら固い感触がして、ぽろりと本がこぼれ落ちた。
「あっ、日記……!」
「呆れたな、そんなもん腹に仕込んでたのか。つくづく運がいいな、お前」
レイチョウはクハっと破顔するとすぐに真顔にもどり、飛んできた上官の剣を早手に切り返した。
ハオウジュがまっ赤になって逆上している。
「レイチョウ、貴様、裏切ったな!」
「裏切ってなど。ハオウジュ将軍こそ、王家を護る近衛兵の務めをお忘れのようでしたので、わたしと下士官が閣下たちを安全なところにお連れしましたよ」
「おのれ……貴様がもしや革命軍か!」
「あなたが国権を掌握したいように、わたしも軍を手に入れたいんですよ、将軍」
レイチョウはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
(うわ、腹黒……)
やはりアカザと変わらぬ中味にげんなりしつつも、王族が無事と聞きツバキはほっと息をついた。
そっと軍服の裂けた腹部に手をやる。
(……王が、護ってくれたのかもしれないな)
安堵したのも束の間、床には亀裂が開き床が落ち始めた。天井から砂埃と石片が容赦なく降りそそぎ、ハオウジュの頭にこぶし大が落下する。
「ぐわっ!」
「脱出するぞ、ツバキ!」
言うやいなや、レイチョウは窓から塔のてっぺんに登る。だが後に続いたツバキの足をがっしとハオウジュがつかんだ。すでに足場はない。
「……生きてはここから出さんと言っただろう!」
底の抜けかけた塔の空洞から血だらけの形相をのぞかせるさまは、あたかも地獄に引きずり落とさんとする亡者のようで、道連れにするまで手を離さない執着を感じる。
その気迫に慄くツバキに、ハオウジュが剣をふり翳した。
しかし、新人であるツバキのおろしたての軍服は躰にそぐわず、軍靴も然り。ハオウジュはすっぽと抜けてしまったツバキのブーツをつかみ、
「わぁぁぁぁ……!」
……塔の奈落へと落ちて行った。
「つかまってろ、ツバキ!」
声が合図のように壁が砕けた。ツバキがレイチョウの腰に飛びつく。レイチョウは剣を収めた鞘をワイヤーロープに引っかけると、そこを支索に城へ向かって滑走した。とたんに塔が崩れ落ちる。片方の軸を失くし、ぴんとはっていたワイヤーロープがゆるみ、
(壁に激突する──!)
ツバキがぎゅっと目を閉じた瞬間、レイチョウの手が鞘を離れ、ふたりはそのまま堀に突っ込んだ。
はるか下方の廊下から、初めてのドームの作動に騒然とする声が聞こえる。風上であるゆえ、降灰はまださほど実感できない。だがふたりは笑みを交わし、自分たちも先を急いだ。
牢塔とはいえ実際使われていたのは数百年前までで、現在は古い建材が山積みになっているただの物置だ。塔のてっぺんも今は向かいの本城にワイヤーロープがわたされ、祝い事のガーランドなどを吊るす用途に使われている。
だが、急にハッカの足が止まる。
「……なあ、おかしくないか? いや、衛兵の数だよ。ここまで登って誰もいないなんてさ」
確かに、大事な人質を幽閉しているというのに見はりがゆる過ぎる。
「ああ、とにかく行ってみよう」
不審に思いながらも最上階の牢まで登ると、扉は開いており、中には毛布をかぶった人物がひとり倒れていた。ツバキは急いで駆けよる。
「おい、大丈──」「ツバキ!」
ハッカのひと声が遅かったら、身に届き致命傷となっていただろう。ふり向きざま抜かれたハオウジュ将軍の剣は、ツバキの軍服の胸をばっさりと切り裂いた。
「!」
「窃盗、誘拐、殺人と悪行三昧の貴様ごときチンピラに、わたしが直々手を下すのも馬鹿らしいと思っていたが、どうしてどうして。やってくれるじゃないか」
ゆっくりと起き上がると、開き始めたドームの口から灰色の空をちらりと見上げ、ハオウジュ将軍は口許をゆるめた。
「おもしろいことをやりおる。王亡き後、ドームを操作できる者はいなかったはずだが」
こんな状況で何が愉快なのか、喜悦をあらわにする上官を、ツバキとハッカは警戒しながら後退る。
「わたしの国で勝手をしてもらっては困るが、手応えのある玩具は歓迎だ。革命軍の噂があったが、やはりお前たちのことだったか」
「何がわたしの国、だ。革命を起こしてるのはそっちだろうが」
妙なことを言うと思ったが、まずは捕虜の安否の確認が先だ。
「王族の方たちはどうした」
「知る必要もなかろう。どうせすぐ、やつらもお前と同じ場所へ逝くのだからな!」
ハオウジュ将軍が先行して斬りかかる。
「ハッカ! ウツギ議員たちを頼む!」
ツバキはハッカを階段へ追いやると、王剣を手に応戦した。相棒の切迫した声が下方からこだまする。
「ツバキ、死ぬなよぉ!」
「フラグやめて!」
狭い牢塔にふたつの刃がひるがえり、金属音が高く響いた。剣と剣がかみあうたび、火花が散る。
先の模範試合でツバキが一本取ったとはいえ、あれは単なるアクシデント(髪)のおかげだ。アカザや父リクドウ卿より大柄なハオウジュは、当然パワーもツバキを上回る。
(ハオウジュ将軍の剣、なんて重いんだ)
ツバキの剣の軌跡は容易く弾かれ、幾度攻撃をくり返してもハオウジュを捉えることができない。リクドウ卿のときのように動きを読まれているのではない、単純に歯が立たないのだ。
相手のその獰猛な剣戟に、ツバキはハオウジュが伊達に将軍の称号を冠しているわけではないことを思い知った。
弧を描くように足を運び慎重に相手を探るが、こちらから仕掛けようにも、一見荒い剣さばきには隙が見えず陽動も通じない。ツバキはなんとか弱点をつかもうと、敵の利き手を確認した。
(右利き、ということは──)
左から攻勢をかける。しかしハオウジュは早業で持ち手を入れ替えると、ツバキの剣を正確に受けた。
「馬鹿め、わたしは両利きだ」
みなぎった力を誇示するようなかまえで嘲笑する。
カッとなったツバキは、その反り返った体勢を速攻で圧倒しようとした。だが逆に突きや薙ぎで間合いをつめられ、回避するしかない。ツバキがいた場所に、激しい斬撃がふりかぶる。
「逃げ足だけは一人前だな」
まともに受ければ、もう加重は跳ね返せない。鋼と鋼がからんではぶつかり、耳障りな音を立てた。
(考えろ、考えるんだ。アニス博士みたいに)
防御に徹しながら、ツバキは瞬時にまわりに視線を走らせた。はっと何かに弾かれ急駛する。
「この狭い牢の中、どこへ逃げる? どうせここがお前の死に場になる」
追いつめたハオウジュが力を溜めるように剣を引いた瞬間、ツバキはすばやく反転して床に転がった。叩きつけるようにふり下ろされた剣は、置き去りの木材に深々と突き刺さる。ハオウジュが剣を抜くのと、ツバキが斬り込んで行くのと同時だった。
だがリーチの差かツバキの剣は届かず、今度は打撃を食らいふっ飛ばされ、したたかに壁に打ちつけられた。
ハオウジュに、ふり返った反動で柄で思い切り殴られたらしい。のどから金臭い唾が込み上げてくる。
「小物感まる出しな浅はかな策だったな。この国に神はおらんが、最期に祈る時間くらいは与えてやろう」
ハオウジュが憐れみと嘲りが混じった笑みでツバキを見下ろし、剣を向ける。肺がひりつくように痛んだが、ツバキは柄をにぎりよろよろと立ち上がった。
「知らねェの? 神はいるんだぜ──緋ノ神がな!」
ツバキが天を指したとたん、ドン! と破裂音が響き、牢塔の窓が明るく照らされた。
「なっ……?」
弾けた花火は、まっ白な城に灰を降らせてゆく。
普段はドームに覆われ、降灰に見舞われないため、みなゴーグルもマスクも常備していない。城の外にいた者たちは城内におしかけ、たちまち城はパニックに陥った。
完璧な要塞であるはずの桜城が、こうも簡単に陥落するとは。
ハオウジュは、目尻をぴくぴくとふるわせツバキを睨んだ。
「リクドウ……何をした」
「なーに、スクラップで灰入り三尺玉を注文しただけさ。ドームの解放を合図に、打ち上げてもらう約束でね」
アニスが、ハイト油脂の工場に頼んだ『お願い』である。ハオウジュが、ぎりりと歯軋りをする。
「貴様、灰にしてここから撒いてやる!」
「その前に、灰桜国の指導者にお客さんみたいですよ、将軍」
ツバキが、ちらと窓の外を見下ろした。見覚えのある顔ぶれが、城の敷地で無数のサンドバイクを噴かしている。
「な、なんだ? あのがらの悪い連中は」
偽ウサギのイチイが、窓からのぞくツバキに気づき叫んだ。
「塔の上にいるぞ、撃て!」
その瞬間、ズン……と足に大きなゆれが走り、ツバキたちの躰はぐらりと傾いた。
「なっ……これも貴様の算段か!」
「──あ、あいつら何をしたんだ?」
確かに、イチイたちにわざと王家の紋章の入った万年筆を見せ、城へ誘き出したのは、ここを混乱に陥れるための作戦である。実際下では、サンドバイクと近衛兵が入り乱れての乱闘となっているが、今の襲撃は予定外だった。
「リクドウ、花火をやつらがそこに仕掛けた! 塔が崩れるぞ、早く逃げろ!」
向かいの城のバルコニーから、ハイト油脂の見知った社員が声を投げた。
彼らが用意した花火のひとつを、イチイたちに奪われたらしい。ツバキはさっと踵を返した。
「待て、リクドウ! 生きてはここから出さんぞ!」
「しょ、将軍、まずは互いの身の安全を確保して……」
苦笑いとともにじりじり後退るツバキに、ハオウジュの剣が襲いかかる。だがそのよどみない攻撃をからくも避けた拍子にバランスを崩し、ツバキの剣は空を薙いだ。
その切っ先には、将軍の髪の毛がまたもや引っかかって──
「あっ、やべっ」
思わず髪を掲げるように剣を立てるツバキに、毛のない頭に手をやりハオウジュはわなわなと刃をふるわせる。
「──ええい、忌々しい! 何もかもお前のせいだ!」
ツバキが身をかまえ直す間もなく一筋の光芒が走り、ハオウジュの剣はツバキの軍服の腹部を突いた。
「……っ!」
腹をおさえツバキがよりかかった壁はひび割れ、梁が軋み出す。ハオウジュは鬼の首を獲ったように高笑いした。
「はーっはっは! 好い気味だ!」
突然、牢塔の窓がぶち破られ、ハーネスを装着した軍服が床に着地した。既視感のあるシチュエーションに、ツバキは呆然と男を見上げる。
「レイチョウ! 貴様、今までどこに……!」
ハオウジュに胸ぐらをつかまれ、男はくわえていた棒つきキャンディをプッと吐き出すと、
「あっ、キャラと小物、間違えちまったわ」
と、ハオウジュの腕を捻り、背負い投げをかけた。
「ツバキ、しっかりしろ」
レイチョウに腕をつかまれ、ツバキは戸惑いながらアカザを見た。
彼の軍服の胸には、少佐の位を示す銀の桜の階級章が光っている。
「あ、あんたなんで……いや、アカザがレイチョウ少佐? どーいうことだよ!?」
ツバキは仰天して、多角度からぐるぐるとレイチョウを見回った。
いつもの無造作なヘアスタイルと違い、栗色の髪はきちんと撫でつけてはいるが、紛れもなくアカザ本人である。
はっと、思い出したようにつめよる。
「だから初めから、おれのこと知ってたのか!」
「……お前、元気だな。腹、平気なのか」
ふと我に返れば確かに痛みを感じない。刺された箇所に手をやると何やら固い感触がして、ぽろりと本がこぼれ落ちた。
「あっ、日記……!」
「呆れたな、そんなもん腹に仕込んでたのか。つくづく運がいいな、お前」
レイチョウはクハっと破顔するとすぐに真顔にもどり、飛んできた上官の剣を早手に切り返した。
ハオウジュがまっ赤になって逆上している。
「レイチョウ、貴様、裏切ったな!」
「裏切ってなど。ハオウジュ将軍こそ、王家を護る近衛兵の務めをお忘れのようでしたので、わたしと下士官が閣下たちを安全なところにお連れしましたよ」
「おのれ……貴様がもしや革命軍か!」
「あなたが国権を掌握したいように、わたしも軍を手に入れたいんですよ、将軍」
レイチョウはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
(うわ、腹黒……)
やはりアカザと変わらぬ中味にげんなりしつつも、王族が無事と聞きツバキはほっと息をついた。
そっと軍服の裂けた腹部に手をやる。
(……王が、護ってくれたのかもしれないな)
安堵したのも束の間、床には亀裂が開き床が落ち始めた。天井から砂埃と石片が容赦なく降りそそぎ、ハオウジュの頭にこぶし大が落下する。
「ぐわっ!」
「脱出するぞ、ツバキ!」
言うやいなや、レイチョウは窓から塔のてっぺんに登る。だが後に続いたツバキの足をがっしとハオウジュがつかんだ。すでに足場はない。
「……生きてはここから出さんと言っただろう!」
底の抜けかけた塔の空洞から血だらけの形相をのぞかせるさまは、あたかも地獄に引きずり落とさんとする亡者のようで、道連れにするまで手を離さない執着を感じる。
その気迫に慄くツバキに、ハオウジュが剣をふり翳した。
しかし、新人であるツバキのおろしたての軍服は躰にそぐわず、軍靴も然り。ハオウジュはすっぽと抜けてしまったツバキのブーツをつかみ、
「わぁぁぁぁ……!」
……塔の奈落へと落ちて行った。
「つかまってろ、ツバキ!」
声が合図のように壁が砕けた。ツバキがレイチョウの腰に飛びつく。レイチョウは剣を収めた鞘をワイヤーロープに引っかけると、そこを支索に城へ向かって滑走した。とたんに塔が崩れ落ちる。片方の軸を失くし、ぴんとはっていたワイヤーロープがゆるみ、
(壁に激突する──!)
ツバキがぎゅっと目を閉じた瞬間、レイチョウの手が鞘を離れ、ふたりはそのまま堀に突っ込んだ。
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