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しおりを挟む「本当に?」
「えぇ、お納めください」
目の前に積み上げられた札束の山。
銀行の帯付きが、一個、二個、……いっぱいだ。
どうやら健司からの慰謝料が100万、立替金と金利で100万、心愛から慰謝料で80万、店のオヤジさんから慰謝料100万円、旅行同好会のメンバーたちからそれぞれ慰謝料20万(どうやら健司の為に立て替えた酒代の内の幾らかは彼らの飲み代だったそうだ。ただしそれについては健司に言われて莉子が立て替えたモノとして健司が支払い、各々で健司に返済することになったらしい)、そして何故か健司のご両親からの200万は愛する跡取り息子を犯罪者にしない為のものらしい。
「くれるって言ってるものは、貰っておけばいいですよ」
そう八幡はあっさりと言うけれど、年収320万の中堅社畜としては、躊躇するものがある。
「あちらへは、ウチの法律事務所から預かり証を出してあります。莉子さんが納得できるならば示談書にサインしてください。あ、きちんと読んでからにしてください。分からない部分があれば何度でも説明するので言ってくださいね」
やさしげに、けれどどこか無機質に聴こえる声だった。
ブランド物のスーツを着こなし、きちんと前髪を上げている。
あの夜のTシャツとジーンズ姿をした、不埒で不遜な男とはまるで別の男だ。
当たり前だ。今、莉子の目の前にいるのは弁護士の八幡真弦先生なのだから。その当たり前なことに、胸がちくんと痛んだ。
小さな文字を懸命に読み直し、法律用語なのだという甲とか乙を使ったややこしい文章について、細かく説明を受けて納得した莉子は、何枚もの書類に、震える手で、サインしていった。
「これで、ようやくあの日のことにケリがついて、あなたは本当に自由になりました」
あの日、とてもラフな格好で吞みに来ていたのは、近所にあるご両親が入居し始めた介護付き老人ホームへ面会に来た帰り道だったそうだ。
いろいろとやりきれない気持ちになって彷徨うように吞み歩き、あと一杯吞んだら帰ろうと入ったのが、あの店だったそうだ。
「やたらと下種な打ち合わせが始まったのが耳に入って。けれど酒の席の下品な妄想の可能性かもしれないと思ったのですが、本当にやるなんて。それで思わず介入しました」
深く頭を下げられて、莉子は恐縮した。
「いいえ。謝るのはこちらの方です。ありがとうございました。八幡弁護士が居合わせて下さらなかったら、きっと死にたくなってました」
悪縁を断ち切って貰えたことに感謝さえした。
あの夜、八幡は莉子が停めていた車まで莉子を運んでくれた後、「このままここに車を置いておくのも危険だし、自宅に帰るのもお勧めしない」と実家に帰るか簡単に彼らに探し出されないような離れた土地にあるホテルへの宿泊を勧めた。
莉子が実家へ帰ることを選択すると一緒に着いてきてくれて、弁護士を名乗り、あの店であったことを両親へ説明してくれたのだ。
そうして、「女性の稼ぎを目当てに婚約して、貯金が尽きると切り捨てる。質の悪い結婚詐欺です」と、健司たちのした事を悪質な犯罪行為だと言い切ってくれたのだ。
「詐欺師は、騙すことに秀でています。騙されたことを責めるより、借金を背負わされる前に逃げ出せたことを喜ぶべきです。そして、やられっぱなしでいないよう、叩きのめすべきだと私は考えます」
婚約破棄されたと伝えた莉子を責めようとする両親から莉子を守り、一緒に戦う選択を勧めてくれた八幡には感謝しかない。
「もう大丈夫です。ちゃんと1人で立てます。あいつ等がまたケチをつけにやってきたら八幡弁護士、八幡先生が作ってくれた示談書を見せて『今度こそ告訴する』って言ってやればいいんですよね!」
八幡が作ってくれた示談書には接近禁止の条項も入れられていた。
『どんな形であれ、加害側から被害者へ接触を持つ、持とうとした場合は、過去の詐欺に関して告訴する』
詐欺罪は親告罪ではないので、時効が存在しない。
「あまりやり過ぎても逆上させてしまう可能性が発生します。でも、立場はきちんと思い知らせておくことは必要でしょう」
詐欺罪が成立するかは正直微妙だろう。莉子だってそう思う。
借用書が存在する訳でもないし、売上票の控えのことだって、莉子が捨てたと言われてしまえばおしまいだ。
それでも、彼らは一生、莉子から告訴されるかもしれないと怯えて暮らす事となる。それだけで十分抑止にはなるだろう。
「切り札を頂いただけで十分です。ありがとうございました」
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