苺のクリームケーキを食べるあなた

喜楽直人

文字の大きさ
12 / 50
本編

第十一話 暗雲

しおりを挟む



「旦那様、どうされたのです!」

 見送ったばかりの筈の馬車が戻ってきたと知って、慌ててトーマスが玄関ホールまで走って出てきた。

「学園へ遅刻すると連絡を入れて欲しい。高等部秘書科のサリ・ヴォーンの分もだ。それと侍女を呼んで彼女の世話を頼む。泥だらけなんだ」

 実際には泥だらけという訳ではなかったが、涙で濡れた顔や胸元に大通りの土埃がこびりついて、フリッツからすれば泥だらけも同然の令嬢らしからぬ様相にしか思えなかった。

 トーマスが「承りました」と頭を下げ、後ろに集まってきていた他の使用人たちに視線で指示を送る。
 しかし当のサリは、フリッツの言葉を遮るように懇願の声を上げた。
「いいえ、それよりも話を聞いて」
 重ねて懇願しようとするサリを、フリッツは片手で制した。
「君、自分が今どんな状態なのか、ちゃんと把握したまえよ。見るに堪えない様相だ。馬車に乗せてきただけでも感謝して欲しいね。我が屋敷の居間にそのまま上がり込もうなど、余りに礼を失した状態だと自覚しなさい」

 爪先から頭の天辺まで。蔑みの視線を向ければ、青白かった顔にサッと朱が差した。

 恥ずかしそうに俯いて両手をスカートの前で捩じり合わせた。

 サリは、侍女から小さく震える肩を抱き寄せられるようにして客室へと誘導されると、大人しくついていった。

 何故か、振り返るその瞬間、その侍女から睨まれたような気がしたがほんの一瞬のことであったので気のせいであろう。



*******
 

「落ち着いたかね」

 この不愉快な話し合いを早めに切り上げるべく、フリッツは侍女の案内で居間へと入ってきた少女に向かって早々に声を掛けた。
 
「ハイ。ありがとうございます、教授プロフェッサー。ご面倒をお掛け致しました」

 緊張した面持ちではあるものの、少女は淑女の礼を取った。
 スカートの裾を摘まんで腰を落としたその姿は、初めて彼女と出会ったあの日のものよりずっと洗練されていた。
 記憶にあるより、痩せただろうか。
 さきほどよりは幾分かマシではあるものの、やはり顔色がすこぶる悪い。

 真っ白な顔の中で、大きな菫色の瞳だけが、爛々と輝いて見えた。

 あぁこの色だ、とフリッツはぶるりと身体を震わせた。

 感情が高ぶればこの色を帯びるのかと思っていたが、馬車に走り込んできた時の蒼褪めた顔にあったのは昏い青い瞳だった。

 どうやら彼女の瞳の色は怒りと共に、この美しい菫色となるようだ。

 興奮状態にあるせいだろう。瞳孔が開いたその瞳は常よりずっと光り輝いているた。

「それで? 君のせいで、僕は学園に遅刻だ。忙しい僕を遅刻させてまで、君は何を望んでいるんだ」

 峻厳たる態度を崩さないよう心掛けながら、フリッツは問い掛けた。
 このまま見つめていたら、自分が何を言い出してしまうかわからない気がした。
 一刻も早く用件を聞きだして、この娘を追い出さなければならない――それが、フリッツの命題な気がした。

「父をお助け下さい、偉大なる魔法使いウィザード様。商談へ向かう道すがら、昨夜の雨で行く手を塞がれてやむなく野営をした我がヴォーン商会のキャラバンが野盗に襲われました。護衛も雇っておりましたが、何分雨が酷くて気付くのが遅れたそうです。そうして、使用人のひとりを庇った父が……父の腕が……」

 おもむろにフリッツの前へとひれ伏して、少女が訴えた。

 いつも眠そうな顔をしているばかりの侍女の手によるものなのか、綺麗に櫛梳られ、付いていた泥汚れを綺麗に落として貰ったスカートが再び汚れるのも構わない様子だ。
 ミルクティ色の前髪から覗く、菫色の瞳に、不機嫌そうな顔をしたフリッツ自身が映り込んでいた。

「なるほど……それで? 僕にどうしろっていうんだい」

 話の続きは想像できたが、察してやる筋合いはないだろう。
 フリッツはできるだけ傲岸に、苦くて不味い珈琲を口元へ運んだ。

 あぁ、不味い。

「お願いです、魔法使いウィザード様! 王太子殿下の腕を見事に治されたという奇跡の御業で、父をお救い下さい。どれほどの額を請求されたとしても、私が、必ずお支払い致します。何年掛かろうとも、絶対に最後までお支払いしてみせます。お願いします。お願いします、魔法使いウィザード様。父を助けて下さいませ」

 必死になって身を捩り訴えてくる少女を視界から外し、不味い珈琲の入ったカップへ視線を移す。
 鼻孔を擽る香りすら苦みを感じさせるだけの、泥水の様な珈琲だ。
 あのカフェではいつも紅茶を頼んでいたが、きっと珈琲を頼んだとしてもこんな泥水のような珈琲が提供されることは絶対にあり得ないだろう。

「僕はもう、金なら使い切れないほど持っているさ」

 目を閉じてそう口にしながら、頭の中では『あのカフェにも二度といけないし、高級品を買う事はできなくなったから、余計にだ』と付け加えてしまった自分に腹を立てる。

「では、……では、どうすれば。何をすれば父を助けて戴けますか? 何でもします。何でも、どんなことでも、仰って下さい!!」

「なんでも、ね」


 フリッツの瞳が、剣呑に輝いた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...