苺のクリームケーキを食べるあなた

喜楽直人

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本編

第十八話 叶わぬ恋と婚約の成立

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 フリッツがサリの願いを叶えるべく、朝から晩まで患者の生死と向き合っている間に、遅れて王都を発ったサリを乗せた馬車も、村へと到着していた。

 しかし「菌を持ち込みたくない」と言い切るシーラン医師の意向に従い、医師にも患者にも面会できないままだった。

 これはフリッツが到着してからずっとなので、ダルの妻アエラも息子ロイドも同じ扱いを受けていた。

「毎朝のご挨拶くらいとは思うけれど」
 そう憂うアエラをサリは宥め諭した。
「それだけ本気でお父様へ全身全霊を掛けて救おうとして下さっているのだもの。それに、私達の挨拶を受ける暇があったなら、私は教授に休憩を取っていただきたいわ」

 そんな訳で、ヴォーン家の人々は時間を持て余すことを善しとせず、就労につく前の年齢の子供たちを預かることにしたのだ。
 勿論単なる子守りではない。預かっている時間を使って、文字や簡単な計算を教えることにした。
 本格的な授業を行う訳ではない。

 それぞれ求められるままに、自分の名前や村を書けるようにお手本を見せ、ひとつひとつの文字の書き順を教え、綺麗なバランスになるように書けるように指導していく。
 数え歌を教えて算術の基礎に触れさせ、素質の在りそうな者にはサリが掛け算や割り算などを教える。そんな程度だ。

 紙もインクもペンも貴重である村において、広場の土に木の枝で文字を書いて教えていく。
 村にも文字を教える為の教本自体はあったが、書き順までは書いていないものであった為、見様見真似で書き写しただけの彼等の文字はどこか歪で、自分の名前がようやく書ける程度だった。

「そうね、上手よ。でもこの点の位置がこの線と等位置にあったなら、もっと素敵だわ」
「ステキー?」
「えぇ、とっても」
「次はステキに書くね!」

 なんとなく始まった青空教室であったが、いつの間にか年端のいかない子供たちだけでなくそれなりに働く年齢層になった歳上の子や、昔こうしてヴォーン商会から同じように名前の書き方を教わった事のある大人までもう一度学び直したいと混じるようになっていた。

 村人たちが入れ代わり立ち代わり広場にしゃがみ込み、たまに歓声が上がったり上げたりしながら木の棒で文字を練習していく姿はどこか呑気で平和そのものだ。

 村長の家の中で張り詰めた空気とはまるで違う。

「そろそろ休憩にしませんか」
 広場の土が文字でボコボコになってきたところで、村長から声が掛けられた。

 その言葉に、サリと周囲にいた子供たちが視線を上げ振り返る。


 その後ろに、サリがずっと待ち望んでいた待望のその人が、立っていた。

 最後に会ってからまだそれほどの月日が経っている訳でもないのに、まるで別人のようだった。
 頬はこけ、いつも綺麗に整えられていた髪が乱れて額に掛かっている。
 だが、サリを憎々し気に睨んでいたキツいばかりの眼差しばかりであった灰色の瞳が、いまはどこか違って不思議な煌めきをもってサリを見つめていた。

 大きな手が、額に掛かっていた前髪をさっと掻き上げ、唇の口角が上がった瞬間、サリはその場に膝をついた。

「ありがとうございます、偉大なる魔法使いウィザード様」

 胸の前で両手を組んだサリが、震える声で感謝を告げた。

 まだ彼から父の状態を聞かされたわけではなかったが、その自信に溢れた表情から、父が助かった事を確信していた。

「まだ僕は何も言ってない」

「失敗されたのですか?」

 こてん、と首を傾げながらサリが問い掛ける。
 その青い瞳はどこか面白がっているようで、それでいて信頼と尊敬に溢れていた。

 サリの言葉に、教授はすぐに返事をせずにまじまじとサリの瞳の中を見返してきた。

 サリが見上げるその灰色の瞳の中に、サリ自身が映り込んでいる。

 その瞬間、サリはすべてを理解した。

 自分が、何故あれほど必死になってこの人の誤解を解きたいと願ったのかを。
 何故、父が野盗に襲われるという恐ろしい目に遭い、命の瀬戸際にいる時に、疎まれていると理解していながらも、彼の手を求めたのかも。

 この灰色の瞳が甘く蕩けて、苺のクリームケーキを見つめる幸せそうな姿をふたたび見たいと願った理由も。

 すべて。

 叶いそうにない恋を自覚して、サリの瞳が揺れる。

 動揺を隠そうと俯いたところで、教授の声がサリの頭の上から降ってきた。
 
「勿論手術は成功したし、一番恐れていた破傷風の恐れも消えた。まだ衰弱が激しいから静かな療養生活とリハビリが必要になるだろう。だが、それで死ぬようなことは無い」

「ありがとうございます。やっぱりあなたは偉大なる魔法使いウィザード様だわ」

「そうだ。僕は、君からの依頼を完璧にやり遂げた」

 君は約束した内容を守れるのか、という言葉を教授はサリの家族の前で使わなかった。

 ふたりの会話を、ただ心配そうに見守っている母と弟。

 もしここでサリが契約を反故にすると言い出した時の為の配慮なのかもしれない、そう考えるだけでサリの動揺が少し薄れた。


「勿論、契約は成立しております。私は、教授からすでに欲しかったもの、父の命と切られた腕の修復術を得ております。それなのに私に求められた対価をお支払いすることなく逃げ出すような真似は、ヴォーン商会商会長の娘として絶対に致しません」

 きっぱりと、そう告げる。

「では」

 すっと伸ばされた教授の手に、サリは自分の手を重ねた。

「この婚約を受け入れます。たった今、婚約は成立致しました」


 サリがそう宣言した瞬間、周囲から悲鳴が上がった。

「サリ?!」「姉さま!」「おじょうさまぁ?!!」

 どれだけ反対する者が多かろうが、サリはもう決めたのだ。

 婚姻を結ぼうとも、心が結ばれる事など一生ありえない事をサリは知っている。
 
 身代わりでしかない惨めな婚姻であろうとも。

 もうサリには、この不毛な恋を手放すことなど、できないのだから。


 
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