苺のクリームケーキを食べるあなた

喜楽直人

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本編

第三十一話 オレンジのブーケ

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「採寸時よりお痩せになってしまわれたようですが、調整が適う範囲でようございました」

 式の前日つまり昨日、ドレスの最終確認の為にやってきたフレデリカは如何にも病み上がりといった様子のサリに一瞬だけ顔を顰めはしたものの、すぐにその表情を挑戦的な笑顔に変えて「この私が、サリお嬢様をこの世で一番美しい花嫁にしてみせますわ」と慌ただしく帰っていったのだ。

 翌朝、約束の時間にヴォーン邸へとやってきた彼女は前日より若干窶れて見えはしたものの何かをやり遂げた顔をしていた。


「綺麗……」

 サリは、鏡の中に映る姿に、見惚れた。

 レースが剥ぎ取られ絹を被せてかがられていた場所には、アーベル侯爵家(シーラン伯爵家ではなかった)の家紋が美しく縫い取られていた。
 ドレスの裾と袖口へ施された豪奢な刺繍のデザインを巧みに取り入れて華やかに仕上げられている。
 当時の物と刺繍糸の色を合わせるのは大変だっただろうに、色も絹の艶もまったく遜色のない仕上がりだった。

 また新しいレースを下に縫い付け、その上から傷みの少ないレースを重ねることで、元のドレスのイメージを損なわずに胸元のボリューム感を増し、よりウエストのほっそりとしたラインを強調している。

 思わずサリが背中側を鏡に写そうと腰を捻ると、埋め込まれたホワイトサファイアがキラキラと輝きを放った。

 より若々しく華奢で可憐な雰囲気に仕上げられたそのドレスは、サリのほっそりとした体型をより魅力的に演出していた。


「きれいね。綺麗よ、サリ」

 思わず感極まった様子の母アエラが感嘆の声を上げた。
 その瞳に滲んだ涙は、喜びのものなのか、哀しみのものなのか。
 多分、アエラ自身にも判らなかったに違いなかった。

「用意していたコルセットで無理矢理締め付けなくても綺麗に着ることができるようになって、嬉しいわ」

 サリは母がこれ以上湿っぽくなりすぎる前に、そんな軽口をたたいて笑顔を見せた。


「さぁさぁ。サリ様にはもっとお美しくなって戴かなければ」

 今だけは笑顔の侍女たちが、サリを化粧台の前へと連れて行く。

 彼女らのプライドと忠誠心に掛けて、自分の主たるサリ様を、青白く目の下に隈が残る花嫁になどしてたまるものかという決意に満ち溢れていた彼女らの手が滞ることなく動き回る。

 ドレスを着付ける前に施したベースメイクは、全体にはピンク系を使い、部分的に青をポイントで入れることで、透明感がありつつ立体的に見せる。

 アイシャドウは青とピンクで菫色を意識して陰影を、チークはオレンジピンクで血色よく作り上げた。アイラインは目尻にだけ赤味の強い茶色で柔らかく。勿論、睫毛はくるんと上向きに。

 そこまでしたら、髪型を仕上げる。

 ミルクティ色の柔らかな髪を細く編み上げて、ホワイトサファイアのピンと、ブルーサファイアのピンで留めて全体を纏めていく。

 サリも今日からは既婚者だ。うなじを上げてアップスタイルにする。

 髪型が整え終わったら、顔全体に淡い紫色のパウダーをはたき、ようやく唇に紅を乗せた。
 青みがかったそのピンク色は、サリが本気で怒った時にだけ出る瞳の色に少し似ていた。

 そうして、綺麗に巻いた髪を崩さないよう気を付けながら曲がった位置にならないように慎重に大きなブルーサファイアの髪飾りを付けた。

「完璧だわ!」

 その仕上がりに満足した侍女達が満足した様子で頷き合うと後ろへ下がる。
 入れ替わるようにアエラが近付き、天鵞絨張りの箱から豪奢なネックレスとイヤリングを取り出して、サリの身を飾っていった。

「さあ、目を開けて。鏡を見てごらんなさい?」
 アエラの声にサリはゆっくり目を開る。
 姿見の前に現れたのは、サリから見ても、まるで妖精のように美しい花嫁だった。

「お化粧って凄いのね」

 サリの本心からの感想に、周囲が笑いに包まれる。

「えぇ、そうですよ。サリ様はご存じないでしょうが、世の社交界の華と言われるご令嬢の美はこうやって侍女の手により作られているのですよ」

「えぇ、新しい流行の髪形に、新しく出る美容液、口紅の色合い。最先端の技術と知識を得る為の勉強会があるほどですもの」

 侍女達からの暴露により、サリの知らない世界がまたひとつ開かれた。

「私の様な平凡な顔には夢がある話の様な、夢の無い話の様な。判断が難しいわね」


 なごやかな空気に満たされたサリの部屋へ、父ダル・ヴォーンが入ってきた。

「なんて綺麗な花嫁なんだ! あぁ畜生。やっぱり嫁になど出したくない。出したくないよ、サリ」

 美しい花嫁姿のサリを視界に入れた途端、うるうると目を涙でいっぱいにして泣き言を繰り返す父の姿に、サリはほんの少しの寂しさと、そこまで愛して貰えている事実に胸がいっぱいになった。

「ふふ。綺麗でしょう? でもこのドレスは、今日、シーラン伯爵家に嫁入りするからこそ着れるのよ。このパリュールもそう」

 茶目っ気を見せてみたものの、父の涙は乾くことが無さそうだった。

 だから、その手にあるものを受け取るべく手を差し出した。

「ありがとう、お父様。嬉しい。オレンジの花のブーケを持って教会の赤い絨毯の上を歩いていくのが夢だって、私、お父さまに話したことがあったかしら」

 オレンジの花の季節は6月だ。
 開花どころか蕾すら硬い時期の筈にも拘らず、父親が手にしているツヤツヤとした緑の葉と大輪の白い花で作られたそれは、間違いなくオレンジの花のブーケだった。

 どこか遠くから運んできてくれたのかと思うと更に喜びが増した。

「いいや、これは私からではないんだ。……あの男からだ」

「?」

「あなた?」

「…………あの男、フリッツ・アーベル=シーラン伯爵から、まだ夜も明けきらない早朝、届けられたんだ」」

「教授が、これを?」

 震える手で、受け取る。

 爽やかな柑橘系の香りが、サリの胸をいっぱいにした。

 オレンジの樹は、その実を一年中実らせる。実をつけたまま花が開き、新たな実を付ける。
 だから、多産や子孫繁栄の力を秘めた神秘の樹であるとして、その花のブーケを新郎から受け取り、婚姻式に臨んだ新婦は幸せになれると言われている。

 サムシングフォーと並ぶ古い言い伝えだった。



 
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