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第一章:神の裁きは待たない
1-38.月夜の誓い
しおりを挟む決意も露わに、引き締まった表情をした目の前の少女は、本当にあの日ここで観た愛らしいだけの少女なのだろうか。レットはその美しい顔に見惚れた。
あの日の愛らしいだけの毒婦とも、晩餐室で見せた可憐な少女めいた女性でもなく。
ゲイル王国の王族としての覚悟を持った美しい女性。
「では、あの縁談をお受けになるということでしょうか」
その覚悟を確かめるべく、目の前に立つ美しい女性が敢えてぼかしたであろう言葉を、レットは口にした。
問われたピリアの、花弁の様な唇が震え、どこか脅えた様子で言葉を紡ぐ。
「ここまで国力が落ちた我が国が、彼の国からの申し出を払いのけるのは現状難しいでしょう。……今は友好的な態度を取り笑顔で右手を差し出していますが、まず間違いなく、少しでも歯向かう真似をしたならば、私の様な王族の末席に名を連ねているだけの吹けば飛ぶような存在は、左手に持った剣であっさりと殺されてしまうでしょう」
その光景を思い描いているのだろう。ぎゅっと目を閉じたピリア妃の顔は真っ白で、まるで人としての熱を失ってしまったかのようだった。
両手を組み、右手と左手お互いの手で、震え出そうとするのを必死に抑えている様子に、胸が痛む。
レットは、胸の奥から沸き上がった衝動そのままに、その細い肩を抱き寄せた。
「悲痛な決心など必要ありません。私にすべてお任せ下さい」
そうして細い首の後ろに手を掛け、ぐっと抱き寄せ、その吐息まで一緒に貪りたいと願い、性急に唇を求めて顔を寄せる。
「あぁっ。だめ、駄目なのですっ」
触れ合う寸前。レットの願いが叶うまで髪の毛ひと筋という所で、ピリア妃が俯きよろける。半歩前へと頽れたピリア妃がレットの腕の中から、するりと抜け出し、ぴったりと押し付けていた筈の細い腰が離れていく。
レットは身体と頭に残った柔らかな温かさに、頭の奥がじんと痺れるように熱くなる。その甘い痺れが失われた切なさに、慌ててそれを求めて首を廻した。
そうしてそこに。
暗闇の中、細い月を背にして立ったピリア王太子妃が、涙を流しているのを見つけて、息を呑む。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私はこの国の、王太子妃なのです。未亡人となったとて、私は王太子の妃としての誓いを神へ捧げた者。アルフェルト殿下の、妻なのです。そうして、その妻であることから逃げてしまったら、この国には王族がいなくなってしまうの」
それは、この国の未来に責任を負うものがいなくなるという事だ。
「っ。ならば、それは俺が!」
「いいえ。いいえいいえ。駄目なのです。今、私が貴方の、レット様の手を取ってしまえば、彼の国は左手に持った剣を容赦なく振り下ろし、この国を力で蹂躙し尽くす事でしょう。それだけは、駄目なのです」
頬を伝う涙に、月明りが煌めく。
その姿はあまりにも切なくて、レットは自分の力の無さを嘆いた。
「くそっ! 俺に、もっと力があれば」
「だから。お願いします。どうか、いつかこの国の未来を取り戻す日の為に。この国の力を集結しておいて欲しいの。それはすぐかもしれない。すぐにはいかないかもしれない。けれど必ず私は、その力を振るえる日を、あの国の油断を作り出してみせます」
「……しかしっ。それでは。それでは貴女は、あの男に、身体を差し出して平気だというのか?!」
「っ。それが、必要であるならば。私はアルフェルト様の妻。天へ召されてしまったけれど、愛しいあの人の子供も産んだわ。だから、もう。生娘ではないのだもの。へ、へいき」
ぽろぽろと、これまでの涙とは違う。もっと大粒の涙が零れ落ちていく。
「あぁっ。すまない。酷な事を言わせた」
駆け寄って抱き締めようとするレットを、ピリアが手で抑える。
涙を拭いて、笑顔を浮かべてみせた。
「いいの。だって、私の覚悟が知りたかったのでしょう? うふふ。大丈夫です。私はアル様の、あるさまの、かわりに……この国を」
拭けども拭けども、止めどなく流れる涙はそのままに、ぎこちない笑顔を浮かべるピリアを、レットは誰よりも美しいと思った。
かつて、護衛として付いていくこともあったリタ・ゾール嬢には覚えなかった、この女性を守りたいと切望する気持ちで、胸が張り裂けて血を流している気がする。
レットは、リタ嬢を王妃として頂く国は勤勉で素晴らしいだろうと夢想していた。
だが、ピリアを王妃として頂く時は、その横に自分こそが立っていたかった。
夢で終わらせるつもりはない。叶えてみせると、この頼りなく今にも闇に飲み込まれそうな月夜に誓う。
「あぁ。守ろう。だが、お前は一人じゃない。俺がいる。俺だけじゃない。必ず国中に残った兵力を集めておく。共に戦うその日までに」
「ありがとう、レット。あなたがいてくれて、良かった。貴方と手を取り合い戦うその日まで。待っていていいのよね?」
「あぁ、待っていてくれ。俺も、その日が来ることを待っている」
「信じます、貴方を。あなただけを」
そう視線を絡めて頷き合うふたりは、もう手を取り合うことはしなかった。
けれども心はいつも共にあるのだと。
そう約束して、ふたりは別れた。
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