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ブローノ・ブロッサム
しおりを挟む————プレルス領
——ブローノ・ブロッサム——
谷に咲く花を店名に冠する、プレルス領一番の憩いの酒場、ブローノ・ブロッサム。通称ブロ・ブロ。
街で一番美味いと言われる料理に、ボルストン中の珍しい酒と美しいウェイターが揃うという。
俺は、【深淵の監視者】の馴染みであるその酒場へと赴いた。
日は既に暮れ始め、辺りはもう暗くなろうとしている。腹はぺこぺこだ。
他の酒場や食堂では、行方不明になっていた人々が戻ってきた事を祝い、街のいたるところからどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。
だが、今夜のブロ・ブロだけは静かだった。
店内には、静寂を好む冒険者や常連客が数名程度、そして最奥にある一際豪華な大テーブルには【深淵の監視者】の団員達が屯っていた。
団員の背中に隠れる様に、団長セリーナが俯いて酒を煽っている。
「やぁやぁ、どうもどうも」
知らない場所に入るのは、実のところ緊張してしまうセオリーではあるが、何か今の傷心したセリーナを見てしまうと、可笑しくなってしまった。いかんいかん、私の悪い癖。
俺の声に気付いたセリーナが、悪態をつく。
「てめぇか…………なんだよ?笑いに来たのか?」
「ああ、笑えるね。いつもそうやって大人しくしてれば可愛げもあるのにな」
以前見た事がある金等級団員の二人、薄笑いが特徴の兄ちゃんと、無表情がちょっと怖い美少女が、俺の前に立ちはだかる。
「なぁ~、お前なにしに来たんだよ~?殺されたいのか~?」
「殺してもいいよね?もうどうなったって一緒でしょ?」
あらあら、アンリが逮捕され、クランの存続も危ぶまれ、野蛮な集団に成り果ててしまったのか?
睨み合っていると、木製ジョッキが飛んできて、若い兄ちゃんの頭にカコーンと直撃し、冷たいエールが全身を濡らす。
俺にまで少しかかった。
「やめろ、お前らじゃ勝てねぇ。
こんなショボい見た目してっけど、谷を攻略した奴だぞ」
セリーナの圧に、二人は大人しく従い、すごすごと席に戻った。それでも、俺をよく知らない他の団員達は騒ぎ出す。
「谷攻略ってガセなんだろ?」
「だいたい三十五層から先は百年以上突破されてないんだぜ?」
「本当ならこいつ、上位悪魔すら倒せるって事になる?はっ、ありえねぇ」
「あ、俺、分かっちゃったかも。この一連の流れってさ、領主同士で俺ら【深淵】を潰す段取りじゃね?」
「なるほどな。領主達が人攫いしてたんなら、全て辻褄は合う」
「俺らをコケにしやがって!ぶっ殺してやる!」
ちょっとちょっと、なんなのその陰謀論。
でっち上げにしては、よく出来てるし。
というか、みんな頭に血が上っちゃって、今にも襲い掛かってきそうなんですけど。
「やめろって言ってんだろっ!」
ドカン!とテーブルを叩き、怒鳴るセリーナ。
料理類がテーブルごとひっくり返り、団員達が一瞬で凍りつく。
素晴らしい統率力だ。
「マジで何しに来たんだ?
あれか、女伯爵に言われて、俺でも捕まえに来たのか?」
割と鋭いな。俺がいなければクランお取り潰しまであったんだしな。
野蛮だが、頭が悪い訳では無さそうだ。
とりあえず、やっと俺のターンが回ってきた。
「ほんと怖い奴らだなぁ。俺、気が小さいからビビっちゃうよ。
せっかくいいニュース持ってきてやったのに…………おーい!」
外に向かい呼びかけると、待機していた人物が店内へと入ってきた。
セリーナを含め団員全員が、目を大きく見開き、口をあんぐり開け、まさに驚愕している。
その人物とは、アンリだ。
「アッハッハッハッ!それそれー!その顔が見たかったんだよー。面白い顔!いいね!」
セリーナは、自分の顔に指差して笑う俺を無視して、アンリに話し掛ける。
無視って人として悲しいね。
「お前、どうして?」
「セリーナ殿、皆様、此度は甚大なるご迷惑をお掛けし真に申し訳ありません。死罪も辞さない覚悟でいましたが、テツオ様の計らいで、無罪放免となった次第です。
とはいえ、このままここにいては、民の目もございます。皆様に迷惑はかけれません。
此度は、最後の別れの挨拶をしにやって参りました」
「なんだよ、それ」
「皆様、今まで本当にお世話になりました!」
深々とお辞儀をするアンリ。
あらら?そんな事考えてたの?気にせず、プレルス領にいたらいいのにね。
団員達が一斉にアンリに詰め寄った。何故、人攫いをしていたのか?俺達を騙していたのか?と。
それすらも団長が制する。
「聞くな!聞きたくない!
言うな!言わなくていい!
これはアンリの決断だ!」
見兼ねた若い兄ちゃんが口を挟む。
「いや団長~、流石にそれを不問にするのは違うでしょ~?クラン全体の問題だし~」
「不問にはしない!
俺は【深淵の監視者】を現時点をもって辞める!
責任は全て俺が取る!」
ドン!
とでも効果音が聞こえそうなくらい威勢のいい啖呵を切るセリーナ。
領地においてクランの勢力バランスの大事さはよく分かっている。この流れは良くないかもしれない。よし、助け舟を出すか。
「待て、セリーナ。
先の話し合いで、プレルス女伯爵は【深淵の監視者】を責める事は一切しないと誓った。
アンリ、団長両名の地位、名誉も傷付かないよう手配するとも言った。
引き続き、今まで通りここで活動出来るんだぞ?」
ちょっと必死になってしまったが、なんとか伝え終わると、セリーナは鼻でフンと笑い飛ばした。
「貴族なんかの話し合いに、素直に応じる気は無ぇ。
だがな、冒険者であるお前には一目置いてるんだ。
癪だが、俺はお前の下につく事に、今!今、決めた!
もとより、攻略されちまった谷で【深淵の監視者】だなんて、飛んだお笑い草だぜ。
ずっと考えていたが、やっぱりここにはもう興味がねぇ。俺は今からただの冒険者だ」
空いた口が塞がらないとは正にこの事だ。
まさか、こんな展開になろうとは。
「くくく……アッハッハ!その間抜けな顔が見たかったんだよ!」
高笑いするセリーナに頬をバチバチとはたかれる。
こりゃ一本取られたな。
俺には出来ない清々しい決断に、勝ち気な女も悪くないな、と魅力を感じてしまった。
「俺も~、今からただの冒険者だ~」
「面白そうだから僕も着いてくよ」
団員の薄笑いアニキと無表情少女の二人が賛同して立ち上がる。
「アンリも来い」
「ありがとうございます、セリーナ殿。
テツオ様、私めを如何様に使っても構いませぬ。
末席に加えて頂ければ、存分に働く所存でございます」
アンリが頭を垂れる。
それを見たセリーナが、他の団員に告げる。
「他の者は、連れて行けない!お前達には、それぞれ仕事があり、生活がある。
だから、これが団長最後のお前達への命令だ!
今まで通りこの谷を護れ!民を護れ!いいな!」
「おうっ!」「了解っ!」
突然の急展開に、全然付いていけないんですけど。そもそも俺、まだ君達の事、受け入れて無いんですけど。
こんな狂犬やだよ、怖いよ。
しばらくすると、数人の団員達が不平不満を言いながら出て行った。他の者は黙ってそれを見送るしか無い。
それはそれで、仕方の無い事だろう。クランは一枚岩では決して無く、あくまで冒険者達が、効率良く活動する為に利用する組織に過ぎない。
セリーナの方針に、無理に従う必要は決して無いのである。冒険者は自由であるべき。その点に関して言えば俺も同じ意見だ。
それでも残った団員達は思った以上に多く、誰もがセリーナの言葉を真摯に受け止め、プレルス領をしっかりと守ろうと決意していた。こんな荒くれ女でも、団員達からの人望は高かったとみえる。ほんの少しだが、見直した。
そういった一クランの転換期というか、岐路に立ち合う機会は滅多にないのだが、悪く言えば別離であり、今回それを引き起こした一因は少なからず俺にある。
罪悪感と場違い感に居た堪れない気持ちになり、店を出ようとすると、セリーナが呼び止め、振り返った俺の顔を力強く掴んだ。
「痛っ!何だよ、さっきから痛いな。お前のそういうとこがな……」
セリーナは文句を言う俺を鼻で笑った後、その場にスッと跪いた。
「えっ?」「えっ?」
なんと!信じられない事にあのセリーナが俺に頭を下げているではいか。
こんな性格では、今まで誰にも頭を下げた事なんて無いだろう。この光景に全員が驚いている。
「どうか、よろしく頼む」
それを見て、金等級団員の三人も倣い跪く。
「いやいやいや、立ってくれ。そういうのは苦手なんだ」
「へっ、そうかよ。せっかく慣れない事したのになぁ」
セリーナは悪態をつき、手をひらひらして戯けると、椅子にドカッと座り、再びエールの入ったジョッキを煽った。
「テツオの奢りだ!今日は飲み明かすぞ!お前ら帰さねぇからな!」
「「おおーっ!!」」
あれだけ静かだった店内は、どんちゃん騒ぎに切り替わってしまい、巻き込まれてはたまらないと他の客は軒並み帰っていった。
それに紛れて、俺も店外へ無事脱出成功。
なんで俺の奢りになるんだよ?
ともかく、別れ酒は【深淵の監視者】の奴らだけで交わせばいいのだ。
かくして、俺のプレルス領での冒険は終わった。
「さ、帰ろ」
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