ペンタゴンにストロベリー

桜間八尋

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ゲーセンに行こう

第8話

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     10

 初めて優雨と顔を合わせた日のことを思い出しながら、蘭子は部屋でごろごろしていた。

「大丈夫かな、あいつ」

 不安に駆られて何度もスマホに手を伸ばすが、その度に思い直してベッドの上に放り返す。優雨だってもう子供じゃない。それに、まだ中学生だった頃から彼は自分なんかよりもよっぽど成熟した内面を持ち合わせているように見えた。

「んー」

 イベント会場などへ出向く際は「あららぎみさお」のアシスタントを名乗っていたようだが、今回は「oinarisan」本人として遊びに行くのだ。オフ会にまで代理を立てるのは余りにも不自然なので当然といえば当然なのだが、同業者とネトゲ仲間とでは接し方も違ってくるだろうし。

「やっぱなー」

 しっかり者の彼なら大丈夫だと頭ではわかっていても、蘭子の不安は尽きなかった。

 いつもこうだ。

 荒療治のつもりだったとはいえ、優雨をイベント会場に散々放り込んできた自分が今更彼に構うのもおかしな話だということはわかっている。それでも優雨をお使いに出す度に、一人で過ごす時間を悶々として原稿も手につかない有様が続いた。まるで子離れができない親のようだと、そんな自分に馬鹿馬鹿しさを覚えなかった日はない。

「おっ」

 唐突にスマホが鳴った。優雨からのコールだ。蘭子が猫のような身のこなしですかさずベッドの上に飛びつく。

「優雨、どしたっ」
「わっ、なんですか急に大声出して」
「なんかあったのか」
「いえ、今オフ会の帰りなんですけど、少し遅くなりそうなので今日は直帰しようかと」
「んなー」

 蘭子がベッドに頭から倒れ伏した。

「んーだよ、それだけかよ」
「他に何があるって言うんですか」

 言われてしまえばそれまでなのだが、優雨に限って自分に頼るようなヘマをすることもなさそうだ。しかし、ここで引き下がるのも面白くない。

「なんか面白いことは」
「いえ、特には、」

 そう言ってから、優雨は少しの間を置いて続けた。

「そういえば、大佐の似非軍服はともかく、他にもコスプレしてる人がいたんですよ。それがすごく綺麗な方で。フランス人クオーターだって言ってましたね」
「ほぉー」

 思わずベッドから勢いよく身を起こした蘭子がすかさず追及した。

「で、そいつとはどうなった」
「なんか食いつきいいですね」
「いいからはよ」
「急かさないでくださいよ」

 街の喧騒が電話口から微かに聞こえる。どうやら優雨は外を歩いているらしい。

「別にどうこうなったってわけじゃないですよ。ただ、その方が俺とよく一緒に遊んでくれてた人で」
「マジかよ。誰だ」
「オジョさんですよ。俺とよくバトロワやってた」
「あいつって女だったの」
「俺も男の人だと思ってました」
「写真は」
「あるわけないでしょ。初対面なんですよ。あー、でも大佐が撮ってたかも」

 それを聞いた蘭子がパソコンでSNSのタイムラインに目を通すと、大佐がアップロードしていた一枚の写真を見つけた。

「こいつか」

 大佐が件のコスプレ女とのツーショットを掲載している。しかし、女の方は目元を手で覆い隠していた。その上で「配信で顔出し予定」などといういかがわしい惹句が添えられている。

「これじゃわかんねーな」

 チームメンバー用のチャットにも目を通すが、全員出払っているようでまともな更新すらない。

「今から撮ってこいよ」
「無理ですよ。大体どうやって頼むんですかそんなこと」
「そこをなんとかするのがあたしの相棒の役目じゃねーのか」
「初耳なんですけど」

 その後もああだこうだと一方的に難癖をつけてから、優雨を通話から解放した。何はともあれ、無事であることがわかっただけ良しとしよう。それにしても、

「女なんていたんだな」

 女である自分が言うのもなんだが。

 彼が言った通りの美人だというなら、ネトゲ以外にも充実した時間の使い方がいくらでもありそうなものだが―――わざわざオタクばかりのオフ会で男漁りというのも生産的じゃないし、自己顕示欲を満たすこと以外の理由も思いつかない。

 どちらにせよ、相手にするのは優雨なのだから、一人であれこれ想像するのも詮無いことだろう。

 「タイタンズ」のオフ会は今回で二度目であり、初となる前回のオフ会では参加者のネカマバレが続々と明るみになり混迷を極めたらしかったが、こうして二度目の開催に漕ぎつけられたということは大きなトラブルもなかったということなのだろう。むしろ参加者が男だらけと知って逆に気兼ねしなくなったのかもしれない。

 そこへ美女が一人で放り込まれたらどうなるのだろうか。今後は彼女がログインする度に、密に吸い寄せられる虫のように群がる輩が出てくるに違いなかった。その中に優雨の姿も混じると思うと無性に胸がむかむかする。

「なんだかな」

 それも杞憂であってほしいと願うばかりだ。もう一度ベッドに転がりながら蘭子は優雨の連絡を待つ態勢に再び戻ろうとして、ついさっきその連絡があったことを思い出した。

「あほらし」

 今日は優雨も帰ってこないことだし、原稿は諦めてゲームでもすることにしよう。


     11

 通話を切ると、優雨は流歌との待ち合わせ場所である駅前の喫茶店に向かった。

 二次会の誘いを固辞した二人は、カラオケ店を出た後でこっそり落ち合うことになっている。優雨が蘭子と連絡を取っている間に、流歌は先に件の喫茶店へと向かっているはずだ。

「お待たせしました」

 店内で流歌の姿を認めると、声を掛けてから自分の飲み物を注文しに行く。服装こそ戻してはいるものの、コスプレ衣装に合わせていた中性的なメイクはそのままだ。

 カラオケ店を出る際はじっくりと見る暇もなかったが、彼女が着ているゆったりとしたスウェット生地のワンピースはセーラー服を模したデザインとなっていた。裾からすらりと伸びた白い足は、少年のように中性的な面立ちと相まって背徳的な魅力に満ちている。

「待ってたよ」

 優雨が向かいの席に座ると、流歌が笑顔を見せて言った。

「時間は大丈夫?」
「はい。問題ありません」

 蘭子は仕事をサボるだろうが、たまにはお互いに休日があってもいいだろう。

「ボクもね、帰りはお姉ちゃんの旦那さんが車で迎えに来てくれる予定だったんだけど、お稲荷と遊びたいから荷物だけ持ってってもらうことにしたんだ」
「そうでしたか。でも、お帰りの際はどうするんです。お一人じゃ、」
「ううん。大きな荷物もないし、電車で帰るから大丈夫だよ。子供じゃないんだから一人でも平気だって」

 流歌がそう言って胸を張ると、ワンピース越しに見える慎ましやかな膨らみが控えめに主張する。

「もう二十歳だからね」

 外見的には幼い少女と大差ないのだが、女性に対して年齢や外見の話をするのは得策でない気がするので黙っておく。

「オフ会ってはじめて行ったけど、思ってたより楽しめたね」
「ええ。俺も楽しかったです」

 それには素直に同意だ。タイタンズのメンバーたちとは実際に面と向かって話すのは初めてだったので多少の緊張はあったものの、オフ会そのものはなんとか無事に乗り切ることができた。

 参加者は大佐のような社会人から、優雨のように夏季休暇中の学生までいた。しかし女性の参加者はただ一人、流歌だけだ。当然の成り行きとして、抜群のルックスも相まって否が応でも流歌は注目を浴びることになってしまったが、そういった視線には慣れているのか彼女自身は実に平然としていた。

 周知の事実だったとはいえ、流歌は最も仲の良い優雨としきりに話したがった。そのせいで他の参加者からは刺々しい目を向けられることになったが、彼女と楽しくお喋りできる栄誉には代えられない。

「ボクがカウンターに立つとさ、たまに店員さんが緊張してることあるんだよね。外国の人に見えるみたい」

 リラックスした様子で頬杖をついた流歌が目を細めながら言った。

「俺だって最初はそう思いましたよ」

 キャリーケースを持ち歩いている彼女の姿が、外国人旅行者のように映ってしまうのも無理からぬことだろう。「やっぱりそうなんだ」と流歌が思案気に呟く。

「外国人のフリして日本語わかるよーって言ってあげるんだけど、そもそも英語得意じゃないし」
「気を利かせて英語のメニューとか出されたら逆に困りますね」
「そうそう。実はこっちもヒヤヒヤしてるんだよ」

 二人がとりとめのない会話に終始していると、流歌のスマホが着信を知らせた。

「着いたみたい。そろそろ出よっか」

 彼女に同意して喫茶店を出ると、二人で駅の方に向かった。そこへ、

「マコちゃんっ」

 駅前で流歌が洒落たスーツ姿の男性を呼び止めた。

「どうしたんだお嬢、その顔」

 どうやら彼が義兄の「マコちゃん」であるらしい。男は優雨に負けず劣らずの長身だったが、彼の纏う雰囲気は優雨とはまるで正反対だった。

 短めの黒髪が清潔感のある印象を与え、黒縁眼鏡の奥にある垂れ目がちな瞳はいかにもな優男らしさと気品とが同居していた。体格は細身であり、ウエストラインを高く絞ったスーツが映える。顔立ちが必要以上に整っているのも優雨とは真逆な点だ。

「まるでキーラ・ナイトレイのようだね。今朝は『レオン』のナタリー・ポートマンかと思ったけど、見違えたよ」

 男が流歌に向かって親し気にすらすらと賛美の言葉を並べ立てた。まるで台本でも用意していたかのように。しかし、

「お姉ちゃんに同じこと言ってないか聞いてみてもいい?」

 流歌がすげなくそれを突き放した。

「はは、言うようになったな」

 優雨の目から見ても、絵になる二人だった。並んで立っているだけで周囲から浮いて見えるほど、彼らには美男美女という言葉が似つかわしい。そんな感想を抱いていると、

「君がお稲荷くんだね。お嬢から話は聞いているよ」

 優雨の方に気がついた彼は、完璧なスマイルを顔に貼り付けて言った。その滑らかな表情の変化は、今までに幾度となく作ってきた顔だからだろうか。それに「どうも」と、一言だがひとまずの挨拶で優雨が応じた。彼から溢れ出る色男のオーラに圧倒されてしまい、どうにもまごついてしまって言葉が続かなかったのだ。

「いつもお嬢がお世話になってるね。本当にありがとう」

 いつの間にやら差し出されていた手をおずおずと握ると、力強く握り返された。初対面とは思えない、随分と情熱的な握手だ。

「今は俺がお嬢のご両親から世話を任されててね。あまり堅苦しいのは苦手なんだけど、良かったら受け取ってくれないかな」

 それから、彼はこちらの目を真っ直ぐに見据える。不思議と惹きつけられる彼の声音に聞き入っていたが、右手から彼の体温がそっと離れたかと思いきや、注意を向けられるまで目の前の色男が手にした名刺の存在に気がつかなかった。まるで手品だ。

 そして、そこにはシンプルな白地に「写真家 向井誠」と記されていた。

「すみません、ご挨拶が遅れてしまって」

 優雨が慌てて彼から名刺を受け取ると、自分も懐から「あららぎみさお」の名刺を取り出して手渡した。

「漫画家さん?」
「いえ、それは雇い主のもので。自分はアシスタントの秋山といいます。漫画は二人で描いてるんです」

 優雨が渡したのは蘭子の名刺だった。「あららぎみさお」は彼女のペンネームである。イベントなどで挨拶回りをする際にも、差し入れの品と一緒に使っていたものだ。流石に自分個人の名刺は持っていないので、もっぱら挨拶にはこちらを使わせてもらっている。

「そうだったんだ。なんで教えてくれなかったの」

 二人の間に流歌が割って入り、誠の手から蘭子の名刺をひったくると、彼女がしげしげとそれを眺めた。

「話すタイミングがなくて」

 そういえば、流歌に漫画家のアシスタントをしていることは伝えていなかった。そもそも普段から自分の仕事について語る人間などタイタンズには皆無だったので、それも不要だと思っていたのだが。

「そうだぜ、お嬢。クリエイティブな仕事をしてるやつってのはな、自分の肩書に頓着しないもんなんだ」

 誠が得意げな様子で流歌へ諭すように言った。この口ぶりだと彼の「写真家」という立場に偽りはないのだろうか。

「女の子を口説くときは別なんでしょ」
「全力を尽くすのはむしろ礼儀だと思うけどね」

 このマコちゃん、なかなかに口の減らない男らしい。あまり口数の多いタイプとは言えない自分と比べると感心してしまいそうだが、かと言って見習うべき点でもないのだろう。女性関係にだらしなさそうな点などは特に。

「今日はお嬢のこと、よろしく頼むよ」

 流歌からキャリーケースを受け取った誠が、優雨に向かって言った。改めて(自称)保護者から彼女を任されてしまうと、二人が公認された男女関係のように聞こえて、それはそれで緊張してしまう。しかし、自分はオフ会の面子の中からたまたま選ばれただけであって、彼女とはゲーム友達という関係から脱しているわけではないのだ。

 ここであわよくばという下心は捨て、純粋に二人で遊ぶことを楽しむべきだろう。そう心に決めた優雨が自分を律した。

「承知しました」

 ただ遊びに行くだけなのに、重々しく頷く優雨を見て誠が思わず吹き出す。

「なるほどね。お嬢が惚れ込むのもわかる気がするよ」

 励ますように優雨の肩をぽんぽんと叩いてから、流歌の荷物を受け取った誠は駐車場の方へと去っていった。

「余計なことは言わなくていいの」

 その背中に流歌が苦々し気に呟く。そんな二人のやり取りをどう受け取っていいかわからず、優雨はただただ黙って彼の背中を見送ることにした。
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